Maybe Blue 第一部 海の鼓動
春興12
「マネージャー、テーピング」
練習中、萌子はそう知朗に呼ばれた。知朗は足を痛め、グランドを出ていた。
「マネージャーじゃなくて、名前で呼んでよ。三人もいるんだし」
そう言った萌子をにらみつけて、ふんっと知朗は横を向いた。
「マネージャーはマネージャーだろ？」
そうだけど、と思いながら萌子はテーピングを巻いた。終わった途端に、知朗は何も言わずに立ちあがる。
「ねぇ」
くるっと知朗が振りかえった。
「何だよ」
「さっきのゴール前のつめだけど、ちょっと強引過ぎない？監督も言ってたじゃない。せっかくにチャンスなんだから、もっと周り見て、パスするとか」
知朗は露骨にムッとした顔で偉そうに言った。
「お前には関係無いだろ」
「関係無いって、私だって部員よ」
「部員とマネージャーは違うんだよ」
その一方的な言い方に、萌子もムッとする。
「でも関係無くはないでしょ？注意したいと思ったんだから。言ってもいいでしょ？」
「サッカーのこと、何も知らないお前に言われたくないんだよっ。だいたい、お前マネージャーだろ？だったらプレーのことなんか気にするなよ。お前は選手たちの、雑用係なんだから」
「雑用？」
「タオル配ったり、怪我の手当てしたり、ライン引いたり、洗濯したり。それを雑用以外になんて呼ぶんだよ」
知朗はそれだけ言うと、さっさとグランドに戻って行ってしまった。
「どうかした？渡部」
突然声をかけられて、一馬が顔を上げると、そこには不安そうな厳己の姿があった。
「調子、悪そうだからさ」
そういえば、最近ろくなもん食べて無いと、一馬が思っていると、急に厳己の手が一馬に伸びてきて、下まぶたを押さえた。
「疲れが溜まってるみたいだ。それに…」
いつもとは違う自信のある落ち着いた顔で、何かを言いかけた厳己の手を軽く振り払うと、一馬はなるべく穏便に言った。
「大丈夫、何でもない。気を使ってくれてサンキュ」
その日の特別練習が終わって、萌子は部室のドアの前に立っていた。知朗に話したいことがあった。
マネージャーは雑用係。
その言葉が萌子にはひっかかっていたのだ。気持ちの整理がついて、ノックしようとしたところで、理香と美都もやってきた。
「どうしたの？入らないの？」
すぐに理香がドアをあけて、三人は入った。
中ではみんなが着替え終わっていて、萌子は知朗を見つけると近くに行った。
「知朗」
名前を呼ばれたことで、知朗は反応した。萌子が何かを言おうとしたときに、篤志が言った。
「成は？」
「藤原と一緒に監督のところだよ」
湊が答える。すると、ケンが厭味ったらしく言った。
「まーた藤原かよ。あいつ、いっつも特別練習には参加しなかったくせにさ、何で今日は参加したんだか。すればするで滅茶苦茶なパスするしさ、最悪だったよな」
右京が特別練習に参加するのは今日が初めてだった。にも関わらず、今まで不参加だったことを引け目に感じている様子もなく、それが更にケンの心を苛立たせていた。
萌子はそのケンの言葉に、知朗に言いたかったことも忘れて、ケンの様子を伺っていた。
その時、少し遅れて部室に一人戻ってきた成は、ドアを開けようとして、中の雰囲気が何やらありそうなのに気付いた。外にも声が漏れていて、とりあえあず、入るのを止めて様子を伺っていた。
「あいつ、サッカー部辞めてさ、またクラブに戻った方がいいと思わねぇ？あいつのためにも、俺たちのためにも」
ケンが言っているのが右京のことだというのは、成にはすぐにわかった。その口調はいつにも増して険しい。
「クラブ？」
美都が答えを求めるように呟いて、ケンが捨てるように答えた。
「藤原は、クラブチームにいたんだ。そのほうがあいつのやり方に合ってるんだ。チームワークよりも個人技中心でさ」
「そんな言い方ないんじゃない？ケン」
萌子の声がする。
知朗の話よりもケンの方が問題だと萌子は感じていた。
「何であいつをかばうんだよ。萌子。お前だって、さっきお疲れって言ったのに、あいつ無視してさっさと行きやがったろ。俺たち一年が、特別練習してるっていうのに、あいつは一人でおつかれの一言も言わずに出て行っちまうんだぜ？
ああ。そりゃ巧いのは認めるよ。だけど、自分は天才だから努力なんて必要無いんだ、お前らとは違うんだって言われてるみたいじゃんか」
話を聞きながら、成はふと背後に気配を感じて振りかえると、そこに右京がいた。何か言おうとする成だが、うまく言葉が出てこない。
中ではそんなことを知らずに会話が続いていた。ケンの怒りは爆発寸前といってもいいくらいだったが、そんなケンに萌子は立ち向かっていた。
「そんなこと右京は言ってないでしょ？」
「口では何も言ってないさ。そう、あいつは何も言わない。しゃべらない。練習中だって、先輩が声出せって言ってるのに、出さない。心ン中じゃ何考えてんだか」
その声は、右京まで聞こえていた。
「藤原…」
ようやく成がそう口に出せたとき、右京はドアを開けていた。
「右京…」
萌子はそう言いかけたが、何もないように部室内をただスッと通りすぎ、荷物を取っていく右京に、ケンがわざとつっかかっていった。
「お前、何様なわけ？俺たちのこといつも無視してさ、自分とは違うってそう思ってるから話す気もしないってのか？」
「ケンッ」
たまらず篤志がそう言った。
「アッチだって怒っていいんだぜ？だいたい、あのロッカーは確かにお前用だけど、こいつがさ、アッチが頼んで置いてほしいって言ったのに、何で駄目なんだよ。大事なもんだから、外に出しておきたくないからって頼んでるのに、何で駄目なんだよ、なあっ」
答えない右京に変わって、篤志が笑顔で右京に言った。
「いいよ、藤原には藤原の理由があるんだから」
「よかねぇよっ」
ケンはそう言って、ただ右京を睨んでいた。右京は出ていこうとしたが、ふいに篤志の側を通りぬけるときに、足を止め、小さな声で言った。
「…悪かった」
皆が驚いている間に、右京はドアを出ていき、外にいた成の脇もすり抜けていった。みんなが右京をただ見ていて、萌子がふいに叫んだ。
「右京…っ、もうケンの馬鹿っ」
そして萌子は右京を追いかけていく。残されたケンは呟いた。
「何で俺が馬鹿になるわけ？まあそうだよな。あいつ、かっこいいもんな、どうぜ女はそうだよ」
違うよ、と理香が言う。
「萌子は違うよ。そんなんじゃないもん。あたしたち、藤原君のことかっこいいって言ったら、萌子言ってたもん。右京がかっこいいのはプレーしてる時だけだって」
一瞬黙り込んだケンだったが、認めたくないように言った。
「…どうだかなっ」
そうして固まった皆が動き始めて、そこでようやく成は中に入ることが出来た。成を見つけた篤志が寄ってきた。手には紙袋がある。
「なぁ成。悪いんだけどさ、これロッカーに預かってくれないか？ちょっと大事なもんでさ。外に出しておくの不安だから」
成はいつものようにロッカーを開けてみた。中はいつもと同じく砂と土にまみれている。
「いや。俺のロッカー汚いし、それに…」
それに大事なものを置いておくと、壊される…と言いかけて、さっきの右京の話を成は思い出した。まさか、と急いで右京のロッカーを開けると、そこは成よりもひどい状態になっていた。
「どした？成」
顔をのぞかせた篤志は言葉をなくし、その篤志の後ろから同じように覗いた理香が呟いた。
「…何このロッカー…。滅茶苦茶じゃないの」
砂や土だけじゃなく、ゴミ箱のように右京のロッカーにはガラスの破片まで入っていた。理香は成のロッカーも開けて呟いた。
「どうしてこんなこと…」
俯く成に、由太が言う。
「三年の嫌がらせか」
成はそれにはあえて答えずにいた。
どうして思わなかったんだろう。あいつだって、俺と同じで一年でＡだってこと。きっと一人で何も言わずに悩んでいたかもしれないってこと。
「いつから？」
湊がそう聞いた。成は箒を持ってきて答えた。
「Ａに決まってから」
篤志が呟いた。
「だから藤原、断ったのか」