「お前が落ち込むことねぇよ。わかってたことなんだからさ、あいつらが付き合ってることは。俺が未来を好きだってのも、昔の話なんだから、なっ」
さっきまでうるさかった花音は、車に乗るまで今度はずっと黙り込んでいた。しかも、悲しそうな顔をして。
「気にするなよ。女は未来だけじゃないし、女だけが俺の幸せじゃない。俺の幸せはもっと別にあるんだってことなんだから」
でも…、と花音は言ってまた黙り込んだ。
　車は英次のマンションの前から動いてなかった。なんとなく、家には帰りたくない気分だった。
　そのうち、花音がゆっくりと話し始めた。
「穂高は幸せになれるよ。なれるけど、今のままじゃなれないよ。
　さっきもだけどね、チャンスってね。いっつも偶然にやってくるようなものじゃないの。自分で作るものなんだよ。奇跡は神様がつくってる。でもチャンスは神様は創らない。自分で探して、掴んでものにしなきゃだめ。待ってるだけじゃどうにもならない。
　運命だって、言葉にするとすごく感動的に思えるかもしれないけど、違うの。ただ、神様が決めたことを、そのまま機械的に生きてるだけ。それを変えたいっていうのなら、神様にもできないことをしなきゃだめなの。それがチャンスをつくるってことなの。それは、自分以外の誰にもできないんだよ」
花音の言葉は、俺の心に響いた。
「サンキュ…」
俺は息を一つだけつくと、帰るためにエンジンをかけた。そのとき…。
　コンコンと窓がたたかれて、見ればそこには未来が立っていた。
「ドライブしない？」
窓を開けると未来はそう言って、すぐに助手席に座り込んでいた。



「ひどいよ、穂高ってば。わたしがバイトでちょっと遅れたからって帰っちゃうんだもん。あと５分でも待ってくれてれば、帰ってきたのに」
「ごめん…」
俺が謝ると、未来は少し困ったような顔をして言った。
「真剣に謝らなくてもいいの。ただね、久しぶりに穂高と会いたかっただけだから」
心がドキッとして、ずきっと痛んだ。盗み見した未来の表情は、特別な感情は全然見えなかった。それは、ただの高校の同級生として会いたかったって意味。
　花音は未来が車に乗ってきた時に、お邪魔だからとどこかへまた消えていき、本当に俺は未来と二人きりだった。
「いいのかよ、主役がパーティー抜け出しても」
　なんとなく、英次に悪い気がしていた。別にやましいことは何もないのに。
だけど、未来は軽く笑って、
「いいのよ。別に。あの人たちは、ただ集まって、お酒飲んで、ぱーっとやりたいだけだもの。わたしのバースディパーティーはただの口実」
　あの人たちと言った中に、英次は入っているのだろうか。ふとそう思ってしまった。
未来は思い出したように、コートのポケットから小さな紙袋を取り出した。
「そうそう。穂高。これ忘れていったでしょ？玄関に置いてあったから、急いで追いかけてきたのよ、わたし」
それは、花音が選んだ未来へのバースディプレゼントだった。
「ああ、それは…。プレゼントだよ、未来への。誕生日プレゼント。やるよ」
「ほんと？ありがとう…。ね。開けてもいい？」
俺が頷くと、未来は楽しそうに包装を解いていった。
「わっ、かわいいっ」
未来は花音推薦の、パールのイヤリングを取り出すと、つけても言いかと俺に聞いた。頷くと、それまでしていたピアスを外した。そう、未来はピアスを開けていた。それは、ちょっとだけ俺の心を突いた。
「昔から、穂高ってこういうセンスはあるのよね」
未来の耳元で揺れるイヤリングを見て、俺は笑った。けど、ふいに英次とのキスシーンを思い出して、すぐに顔が強張るのがわかった。そんな俺を見て、笑顔だった未来も、その顔を強張らせた。
「もしかして、穂高…。見てたの？さっきの…キス…」
俺はできるだけ、前を見て、運転に集中してるふりをして答えた。
「ああ」
「やっぱり…。帰ってきたとき、玄関には何もなかったし、それに廊下に落ちてた鍵が消えてた。あの鍵、穂高のなんでしょ？忘れて取りに帰ってきて、今度はプレゼントを忘れてきた。違う？」
「ああ」
そのまま、未来は何も言わなかった。俺も、話したいこともなかったし、口を開けば、英次の嫌味を言ってしまいそうだったから、自然と口を閉ざした。
　重い空気が、今までの会わなかった一年間を表してるようだった。
　未来は少し変わっていた。
　ピアスはもちろん、髪もパーマをかけて、いやにお嬢様っぽくなってたし、化粧もしてたし、なんだか綺麗になってしまっていた。
　俺が横目で、そんな未来を見ていると、思いきったように未来が話を切り出した。
「ねぇ、穂高。どうしてうちの大学受けなかったの？受験もしなかったんでしょ？去年は第一志望だったのに、どうして？」
俺は未来からだけは、その質問をしてほしくなかった。
「レベルの違いに去年気付いたんだよ」
面倒臭そうに言って、俺は話題を変えたかったけど、未来の方が先にいった。
「もしかして、わたしに会いたくなかった…とか？」
どきっとする未来の言葉だった。
　俺は返す言葉を捜した。でも、ちょうどいいのが見つからない。
「何言ってんだよ。そんなことねぇよ」
「嘘。今だって、本当はわたしのこと早く英次のマンションに送り返したいと思ってるんでしょ」
「別に思ってねぇって」
「ほんとに？」
「ああ、ほんとに」
すると未来は安心したように、胸に手を当てた。
「わたし…穂高に嫌われてるんだと思ってたの。だって、こっちに出てきたときも、英次としか会わないし、英次には連絡しても、わたしには年賀状すらくれなかったじゃないの」
「受験生が呑気に年賀状書けるかよ。それに、そんなこと言うなら、お前からこっちに連絡しろよな」
「だって、勉強の邪魔になるかと思って…」
話題はそこでつき、それから車が英次のマンションにたどり着くまで、俺たちは一言も話さなかった。



「ありがと…。楽しかった」
未来のお世辞に、俺は苦笑いをした。半分以上も無言のドライブが楽しいわけが無い。
「それじゃな」
車を降りた未来に向かって、俺は運転席から明るく手を振った。でも、それまで笑顔だった未来は、ふいに沈んで、
「ね、穂高…」
といった。でも、すぐに笑顔に戻って、
「何でも無い。また、会おうね」
と大きく手を振り返してきた。それはただの社交事例だと思った。
　道路の反対側にある英次のマンションへと、車が通りすぎてから、広い道路を渡っていく未来を見て、俺は自然と言葉が出ていた。
「誕生日、おめでとう。今年も、未来が幸せであること、祈ってるよ」
それは、いつも俺が誕生日に言われていた言葉。
　未来は俺の言葉に、驚いたように立ち止まった。そして振りかえる。その表情は、今にも涙が溢れてきそうなくらい、戸惑っていた。
「やっぱり、言うっ。あのね、穂高…、わたしねっ」
大声で俺に向かってそう叫ぶと、未来はこっちに向かって突然走ってこようとした。その時、未来に向かって、車が突っ込んでくるのが、俺には見えた。
「危ないっ」
そう叫んだとき、未来はすでにライトの中に立ち尽くしていた。俺は急いで車を降りようとしたが、誰かが未来に向かって,走っていくのが見えた。
　引き裂くようなブレーキ音。
　何かが衝突した、鈍い音。
俺は慌てて車を降りて、道路に倒れてる人間に駆け寄った。ぶつかってきた車からも、すでに運転手が降りてきていた。
「大丈夫ですかっ？」
そこで倒れているのは英次だった。未来は、英次の横で、呆然として座り込んでいた。
　俺は急いで、英次に駆け寄ると身を起こして必死に呼びかけたが、返事はなかった。
「救急車っ。早く救急車呼ぶんだよっ！」