机に置いた未来へのプレゼントを目の前にして、花音は嬉しそうに言った。
「明日が楽しみね。久しぶりの未来さんとの再会！どう？緊張する？」
「どうって言われても…。別に…普通だよ」
床に寝転がり、俺は興味無さそうに答えた。
「ねえ、未来さんってどんな人？」
そんな俺を無視して、花音は質問する。
　そうだな、と答えながら、高校時代の想い出はゆっくりと俺の中ではっきりとした形をつくっていく…。
「一言で言えば、わがままかもしれないな。自分勝手というか。だからさんざん振りまわされたよ、あいつには」
「ふーん。でも、迷惑かけられたわりには、やけに楽しそうな顔じゃない」
「…あいつ、結構抜けてるところがあって、なんかそういうとこ見せられるとさ、ああ、こいつってかわいいって結局許しちゃってたんだよ」
「やっぱり好きだったんだ。そうでしょ？」
痛いところをつかれた俺は、一瞬口を閉じたが、素直に頷いた。
「なんで告白しなかったの？」
またまた鋭いつっこみ…。
　俺は花音の視線から逃れるようにして話を始めた。
「月並みだけど、３人の関係を壊したくなかったんだ」
花音はつまらなさそうに言った。
「ばっかねぇ。そんなんだから、英次に取られたんじゃないの」
「別に取られたわけじゃないさ。英次は、未来が好きだってちゃんと俺に言ってきたんだから」

　高３の正月。珍しく英次が俺の家に来たかと思うと、あいつは無言で俺を近くの河原に連れ出した。
　英次は無言のままに、そこら辺に落ちていた小石を拾って川に投げた。小石は川に、三つの輪を作ると、ポチャンと小さな音を立てて川に消えた。
「どうもさ…。マジみたいなんだよ」
英次はらしくない小声で言うと,また小石を投げた。
「何が？何がマジだって？」
俺も真似して小石を拾うと、手の上で軽く投げて遊んでから、川に投げた。
「勉強が手につかなくてさ。あいつのこと、考えると…」
俺は驚いた。驚いて、拾った小石を、自分の足に落としたくらいだった。
　それまでの英次は、女に対してはいたってクール。だからこそ、あれだけコロコロ女を変えていけるんだと親友の俺は理解していたから。でも、その時の英次の顔は、いつもとは違っていた。真剣だった。
「…忘れられないんだ。あいつの泣き顔がさ」
俺の知っている限りでは、その時の一番新しい英次の彼女は、一年生のバレー部員だった。でもつい２・３日前に、駅前で英次から別れ話をして、彼女が泣いていたとかって話を聞いていた。
　別れて初めてて、自分が本気で好きだったってことに気付いたのか。
俺は勇気付けられるように、力強く言った。
「それならさ、お前のその気持ちを、正直に言ってみろよ。大丈夫。よりは戻せるって。俺も応援するし」
すると英次は驚いたように俺の顔を見返した。
「ほんとか？」
「当たり前だろ。成功するよう、祈ってるよ」
英次は戸惑いながら、その顔にだんだんといつもの自信を取り戻していった。それから明るく言った。
「これから、家に行って、謝ってくる。もう１０日も会ってないから、顔。見たくてさ」
恥ずかしがってか、英次は顔をそらした。俺も、うんうんと何度も頷く。
　そうだよな、１０日も会わなきゃ辛い。
　わかるわかる。俺も、冬休みのせいで１０日も未来にあってないから、辛くて辛くて…。
　え？今、なんて？
　お前、後輩とは２・３日前に別れたんじゃないのか？
そんな俺の前で、英次は大きく伸びをすると、すっきりした顔をして、
「俺も馬鹿だよな。３年間一緒にいて、自分の気持ちに気付かなくてさ」
　３年間？
「けど、告白は卒業式まで待つ。お互い受験生だしな」
　受験？
「とにかく、お前に話せて良かった。お前は何とも思ってないんだな。
　俺さ、３人の関係を壊したくなかったから、お前に一番に相談するべきだと思ってきたんだぜ」
　３人の関係？
　違う。どうも、例の彼女じゃないらしい。
英次は、帰りかけると、振りかえって決定打を打った。
「じゃ、これから未来のとこに行ってくる」
　みっ、未来？
「英次っ」
　何で未来なんだよ、違うだろ？
そう言おうと思った時、ふと二学期の終業式のことを思い出した。
　そうだ、あの時未来を泣かせたのは英次だった。俺は未来を慰めてたけど、英次は謝りもしないで、式もすっぽかして帰ったんだった。
　あれば、ちょうど１０日前。
「なんだよ、穂高」
英次は怪訝そうに俺を見ている。
「お前、あの…後輩の女の子と別れたんじゃなかったのかよ…」
「真里？ああ、そうだけど。あれ？お前に話したっけ？」
　…そうだった。この話は、弟の裕高が見てきた話だった…。
「あの子、泣いてたって聞いたぞ」
「泣いた？…ああ、コンタクトにゴミが入ったとかで、そう見えたかもしれないけど。安心しろよ、別れるのでもめたりしてないから、未来には迷惑かけない」
「あ…ああ…」
俺は時間を戻せるのなら、５分だけでいいから戻したい気分だった。
　だって、言えるか？
　いまさら、俺も未来が好きなんだって。
　誤解をしてたんだって。
　だから、応援はできないって。
「いや…。がんばれ、よ…」
俺はそう呟くと、足取り軽やかな英次の後姿を見ていた。
　言えない。
　言えるわけ、ない。
　あいつは俺の親友だ。
　あいつがいい奴だってのも、知ってる。
　それに、俺は自分の気持ちを、ずっと英次にも隠してきたんだから。
俺は小さくなっていく英次をずっと見つめていた…。

「勘違いしてたんだ、思いっきり」
　ああ、そうだよっ。
「後悔した？」
「当たり前だろっ。あの晩は、勉強に集中できないわ、眠れないわで大変だったんだぞ。しかも、俺は、あの頃、卒業式に未来に第２ボタンを渡して、それで告白しようって考えてた時だったから、英次にそんな風に言われて、イライラして、結局ボタンをひきちぎって窓から捨てたんだ。
　そうすることで…。未来のこと諦めようって思ってた」
その後にも、俺は英次から、ちょくちょく連絡をもらったりして、英次が大学に受かった時も、電話をもらった。英次が東京に行ってからも、何度か会ったりもしてる。
　でも、未来とは、一切話をしてない。会ってもない。一応、英次から未来のことは聞いてたけど。未来が自慢の髪に、パーマをかけたことも、テニスサークルに入ったことも。それから、英次と付き合い始めたことも。
「ふーん。それで英次はいつ告白したの？」
「卒業式」
「穂高はどうしてたの？」
俺は話すのを躊躇いながらも、それでも話し出していた。

　高校の卒業式は、俺にとって最高につまらない一日だった。大学は見事にどこにも受からずに、しかも、英次のことで前の日は眠れなかった。
　けど、そんな俺に、テニス部の後輩たちが、プレゼントといって、テニスボールをくれたんだ。そこには後輩やマネージャーのメッセージが書かれてて、俺はすっごく勇気付けられて嬉しかった。
　英次が未来に告白してくるといって、俺は式の後で、一人あの裏庭の桜の下で待っていた。珍しいことに、あの時、あの桜はすでに花を咲かせていたんだ。
　メッセージを読んで、いつものようにボール遊びをしていると、ミスって転がったボールの先に、未来が立っていた。未来は俺に笑いかけると、そのボールを投げた。
「いい後輩たちだね」
「先輩もいいからなっ」
俺がボールを受け取ると、未来はゆっくりとこっちに歩いてきた。
「卒業か…。なんだか寂しいね」
そうして俺の隣に立つと、未来は桜を見上げて言った。
「咲いてくれたんだ、この桜。わたしね、どうしても卒業までに、この桜が咲くのを見たかったの。わたし、この桜がすごく好きだったから」
未来は少し赤い顔をして、俺の方を向くと、驚いた表情に変わった。
「ボタン、どうしたの？」
第２ボタンのことだってのはすぐにわかった。俺は返事に困った。未来への気持ちを断ち切るために捨てたなんて、とても言えなかった。
「ああ…実はさ…」
「もしかして、あげたの？２年生のテニス部の子に」
違う、と言いかけて、俺はそのまま未来の誤解を利用することにした。
「そうそう。くれって言うからさ。あげてやった。
それよりさ、お前のこと、英次が探してたぞ。早く見つけてやれよ」
未来は手で口を押さえると、
「やっぱり…そう。なんだ」
と一言呟いた。そして、俺の顔も見ようとしないで、校舎に戻ろうとした。
「待てよ、未来」
俺は何故、自分があの時未来を引きとめたのかわからなかった。でも、口がそう動いていた。未来は振りかえり、俺の顔をじっと見た。
「あの…」
　いまさら、なんてゆんだよ。
　俺は、英次を裏切って、未来に告白するつもりなのか？
「わかってるとは思うけど。英次、いい奴だぞ。本当に。だから、あいつの気持ち傷つけたら、許さないからな」
　口が勝手に動いていた。だけど、すぐに気持ちもそう認めた。
未来はわかったというと、俺の前を走り去って行った。
　それからすぐに英次がやってきて、未来への告白が成功したことを俺に言うと、あいつは俺を一時間ほど待たせたのも忘れて、とっとと未来と帰ってしまった。
　結局俺は、高校生活最後の日を、一人寂しく帰っていったのだ。

「穂高ってつくづくついてないっていうのか、チャンスを逃してるっていうのか。ようするにバカなのね」
　うるさいな、花音っ。
「でも大丈夫よ、明日はあたしがついてるんだから、絶対にくっつけてみせるわっ」
「いいよっ。俺が未来を好きだったってのは、昔の話なんだから」
「そんなことないと思うけどなぁ。それに、英次だって、高校時代は女をコロコロ変えてたんだから、今も未来さんは苦労してるかもしれないじゃない」
　どうせそれも、花音の勝手な憶測だろ？
「あら、大正解。でもね、穂高ってば、英次のことばかり誉めて、自分を卑下してるけど、そんなことないよ。あたし、今日穂高のいいところいっぱいみつけたもの」
「俺の、いいとこ？」
「おばあさん、助けたでしょ」
「あれはだって、お前がそうしろって…」
「言ってないよ。きっかけを与えただけ。それに、お礼の千円を当たりの宝くじ１０万円にしたのも、車を借りれることになったのも、穂高がしたことでしょ。穂高が、現金を断らなきゃ、それに荷物を持ってあげなきゃ、そういうことにはならなかったんだから」
花音はそういうと、安心した顔で溜息をついた。
「もし、未来さんが駄目でも、大丈夫。穂高は幸せをつかめるって」
そう言って笑った花音の笑顔は、たしかに「天使の微笑み」だった。