昨日の出来事が、全部夢だったら…。
　なんて思いながら目を開けると、やっぱりそこにはあいつがいた…。
「おはよっ。早く起きてよ」
　俺はゆっくりと布団から起き上がった。花音は思いっきりカーテンを開け、部屋中に朝日がまぶしく入ってくる。
　あれ？天使って、物に触れないんじゃなかったっけ？
　首をかしげた俺に、花音が答える。
「天使は地上のものには触れないけど、少しだけ風みたいなものを起こせるの。それでカーテンを動かしただけ。実際は触れてないわ」
　そういうと花音は手を伸ばす。その手はカーテンをすり抜けて、ついでに窓もすり抜けていった。
　信じたくないものを見てる気がする…。
「ねっ。でもこれは小さな物とか軽いものにしか効かないのよ」
　俺は無言で布団を片付けることにした。



「今日は、未来さんのプレゼントを買いに行くから。そうねぇ、ダイヤの指輪なんてどうかなっ」
俺は思わず、口に入れたパンを吹き出しそうになった。
　ダッダイヤモンド？
「言っとくけど、俺、貧乏だぞっ。そんな金ねぇよ。それともお前がドラえもんの四次元ポケットみたいにダイヤを出してくれるっていうのか？」
「そんなことできるわけないでしょっ。天使は天使、魔法使いじゃないんだから」
花音はそう叫んだ後に、溜息をついた。
「仕方ないなぁ。とにかく早く着替えて出かける準備してよ。パーティーは明日なんだからねっ」
「言っとくけど、俺はパーティーに行くなんて言ってないし…行かないつもりだ」
「何でよ」
「別に…理由はない」
「わかった。未来さんと英次が一緒にいるとこ、見たくないんでしょ。ずいぶんと未練があるみたいね」
当たってるから余計に俺は傷ついた。
「いいのよ、あたしは。別に未来さんと無理やりくっつけようって思ってるわけじゃないんだから。でもね、穂高がそうやって、現実から逃げて、未練たらたらしてる限り、あんたに幸せなんか来ないわよ」
「未練なんかないっ」
「だったら行けるでしょ？行こう」
　どうも、昨日からこいつのペースにはまってるような気がする…。


「いい？全ては穂高次第だからね」
家を出た俺は、とりあえずそう言って前を行く花音の後を付いていった。
　後姿には、確かに大きな羽根がある。
　でも、天使っていえば、穏やかで、優しくて、決してこいつのようなイメージじゃない。
第一、 俗にいう「天使の笑顔」みたいのすら、まだ見てない。
　こいつって、本当に天使か？
「ワンッ」
俺の後ろから、突然犬が吠え出した。そして俺の脇をすり抜けて、その犬は先を歩く花音に向かって更に吠え立てる。慌てて人間が、その犬を捕まえに、また俺の脇をすり抜けた。
「すみませんっ」
どうやら飼主の手から、散歩の途中にその犬は逃げ出したようだ。俺に謝って、リードをしっかりと掴んだ飼主だったけど、犬が吠えてるのが俺じゃないことに気付いて、ちょっと不思議そうな顔をしてる。
　そうか。花音って俺以外の人間には見えないんだっけ。
　花音は吠えつづける犬に向かって、手のひらを向けると、犬はキャインと一声鳴いて、花音の前から逃げ出した。
「動物には見えるんだ。お前が」
俺がそういうと、花音は顔を背けていった。
「うん、動物とね。…それから、純粋な心を持った子供も」
そんな花音の目が潤んでるように思えて、俺は話を続けづらくなった。だけど、すぐに花音は顔を上げた。
「もうちょっとだから、早く行こっ」


　花音はそれから一言もいわずに、目指す場所まで俺を連れていった。そこは、大道路にかかった横断歩道だった。
「チャンスは作ってあげたわ。後は、穂高次第よ。がんばってね。
　それじゃ、あたしは上から見てるから」
花音はそれだけ言うと、翼を広げて、フッと俺の前から姿を消した。
　おい、花音？
　何でいなくなっちまうんだ？
俺がきょろきょろ花音を探していると、いつのまにか歩行者の信号は青に変わり、メロディーが流れ始めていた。
　チャンスって、何だよ。
　まさかここにダイヤが落ちてるってのか？
　俺がぶつぶつ言っていると、後ろからドンッと人がぶつかってきた。でも、急いでいるのか俺に謝りもしないで横断歩道を走っていく。
　ごめんなさいくらい、言ってけよな。
ちょっとムッとしながら、そいつの後ろ姿を見ていると、丁度道路の真ん中で、そいつはおばあさんにまたぶつかった。重い荷物を持っていたおばあさんは、よろけて道路に倒れ、荷物がそこに散らばった。だけどそいつは謝りもしなければ、助け様ともしないで、また走り去っていった。
　なんだよ、あいつ。
でも、ぶつかった奴以外にも、誰もそのおばあさんを助けようとはしない。みんなが素通りして横断歩道を渡っていく。
　俺はその時、妙な孤独感を覚えた。
「大丈夫ですか？」
俺は急いでおばあさんに駆け寄って、手を貸して起き上がるのを手伝った。それから、散らばった荷物を急いで集め始める。いつこの信号が赤になるかもわからないから。
「まあまあ、すみませんねぇ」
おばあさんはそういうと、俺と同じく荷物を大事そうに拾い出した。
　信号は点滅を始め、俺は拾いきった荷物と、おばあさんを捕まえると、おばあさんが渡るはずだった方向に、つまりはもともと立っていた方向に向かった。
「どうもありがとう」
信号が赤に変わって、車が猛スピードで俺たちもすぐ先を駆け抜けていった。その中でおばあさんは丁寧に頭を下げると、かばんから財布を出した。
「お礼に」
　それは千円札だった。
「いや、いいですよ。別に当然のことをしただけですから」
「そうですか？でも…」
全く受け取ろうとしない俺に、ふいにおばあさんはまたかばんの中から、一枚の紙切れを出した。
「どうぞ。助けてくれたお礼です」
　それは、宝くじだった。俺はちょっと悩んだけど、素直にその気持ちを受け取ることにした。そして、おばあさんが荷物を持って帰ろうとして、ふとその荷物が重そうなことに気付いた。
「あの、荷物、運びましょうか？」
花音はまだ、俺の前には現われなかった。