部屋に戻ると、置き忘れていた携帯にメッセージが入っていた。
「穂高？お前、いいかげん携帯ちゃんと持ってろよ。あ、俺だけど、明後日未来のバースディパーティーあるから来いよ。場所は俺の家。他に大学の奴らいたりするけど、久しぶりに３人で会おうぜ。絶対来いよなっ」
　おいおい、英次（ｴｲｼﾞ）。名前をちゃんと残しておけよ、と思ったけど、そんなもの声で俺にはわかった。
　そうだ。明後日は未来の誕生日だった。あいつも１９か…。
俺は一瞬タイムトリップしそうになった頭に、ぐっとタオルを巻きつけると、気合を入れて片付けに入った。


　俺にとって、高校時代の想い出は今でも大事な想い出だ。山下英次と、蒲田未来はそこに出てくる一番仲の良かった友達だ。
　未来はさらさらのストレートが自慢の美術部員。
　英次は、ルックスがよくて女の子にはもててた。本人はそれを鼻にかけて、いつも彼女をコロコロ変えていた。それがなければ最高の奴。
　そして俺は、テニス部所属で、英次曰く「夢見る少年」。
俺たちは、３人して同じクラスにはなったことはなかったけど、いつも俺と英次が裏庭で授業をさぼっていると、未来が授業に出てくるように言いに来た。だけ ど、未来と英次はそのうちケンカをはじめて、その仲介役を俺がやり、気付けば３人してサボってる。これがいつものパターンだった。
　未来は英次の女にだらしないところが嫌いで、英次は未来の潔癖っぽいとこをお互いの前で言いあって、それを俺はいつも聞かされていた。でも、なんだかんだ言っても、その関係が俺はすごく好きで、いつまでも続いて欲しいと思っていた。
　けど、そんなのは俺の勝手な考えで、実際二人は現役で東京の一流大学の同じ学科受かり、一年前の春には上京してきていた。以来、俺は英次とは２度ほど会って、電話でも何度か話したくらいだったけど、未来に至っては、まる一年は会っていない。
「久しぶりに３人で会おうぜ」
英次のその言葉はうれしかった。でも、俺は素直に３人の再会を喜ぶことができなかった。
　想い出には必ず触れられたくないこともある。
今３人で会うことは、俺にとってはそういう想い出に自分から近づいていくようなもんだった。
　そんな風に、昔を思い出しながらも、俺はせっせと荷物の整理を始め、夕方には無事部屋も綺麗になった。
「ふーっ」
畳に寝転がると、ポケットに入っているものが当たって痛かった。思い出したように俺は体を起こして、さっきのオレンジ色の珠を出し、手で遊び出した。
　そういや、テニスボール。持ってきたよなぁ。
　荷物を探っているとボールの上に一枚の写真を見つけた。英次が撮った、俺と未来のツーショット写真。俺はそれを眺めながらオレンジ色の珠をテニスボール代わりに投げていた。
　未来…か。
　そのうちに、俺は珠のことすら忘れて、写真と未来の思い出に入り込んでいた。だから、気付いたときには、珠は俺の手をすり抜けていっていたのだ。
「今年も幸せがありますように」
誕生日、未来はいつもそういって、俺や英次にプレゼントを渡してくれた。
　幸せか…。去年は幸せなんて言葉とは全然縁がなかったけどなぁ。
「幸せ…。…幸せに、なりたいもんだよなぁ」
そう呟いたとき、パンッという歯切れのいい音がして、足元を見ればあのオレンジの珠が床に落ちて、弾けて割れ、そして中からキラキラと雪のような輝くものが広がり、上に昇っていくと、ぱっと消えてしまった。
「なっ、なんなんだぁ？」
珠のかけらすらない。足元を見ていた俺に、今度は上から声が振りかかってきた。
「わっ…割れちゃったの…」
顔を上げれば、宙に浮く、さっきの不思議な女の子だ。
　こ、今度は浮いてる…！
彼女はぱたんと床に降りてきて、力なく座りこんだ。そしてはっと俺の方を見た。
「今、何考えてたの？なんて思った？」
「なんてって…」
「コレが割れたときよ、何を思った？もしかして、何か願ったりした？それでもって口にしたりした？」
「…し、幸せに、なりたいって…」
彼女の迫力に俺は負けて、素直に答えた後で、ふとごく普通の疑問を抱いた。
　何で唐突にそんなことを聞かれて素直に答えてるんだ、俺？
　だいたいどこから入ってきた？
だけど、彼女は俺はお構いなしに、ガクッと肩を落とすと、呟いた。
「幸せ？幸せっていうと…」
そして、離しかけようとした俺を無視して、急に立ちあがり、ぐるっと部屋を見まわすと、俺が手にしていた未来との写真を奪った。
「なるほど、そういうこと…」
ミカンに続いて、これも取られると思った俺は、慌てて取り返した。
「いったいあんた、誰だ？何者なんだよ、どこから入ってきたんだよっ」
すると彼女は立ちあがり、スカートのすそをはたくと、咳払いを一つして言った。
「あたしの名前は花音（ｶﾉﾝ）。上からお邪魔しました」
　上？ってことは天井？
　やっぱり、幽霊？
「ちょっと、幽霊じゃないからね、そんな怖がらないでよ」
　じゃあ何なんだっ。
彼女は平然として言い切った。
「天使よ」
「天使ぃ？」
「疑ってるの？ぽら、頭に輪っかがあるでしょ？それから羽根も」
彼女が俺に背中を見せると、そこには確かに大きな羽根があった。
　本物？
おそるおそる手を伸ばしてみると、俺の手は彼女をすり抜けていった。驚きを隠せない俺に、彼女はきわめて冷静にいう。
「天使に人間が触れることはできないのよ。それから、あたしの姿がみえるのもあなただけだから。うーん、あと、言わなきゃいけないことは…。そうだ、これからよろしくねってとこかな」
「これからよろしくって？」
「しばらくあなたと一緒にいることになっちゃったから」
　ってことは、四六時中、俺の周りを幽霊みたいのがうろつくってこと？
「だから天使だってば」
「天使でも何でもいいっ、とにかく、そんなの冗談じゃないっ。断るっ」
すると逆に彼女の方が切れてしまったように、大声で俺は怒鳴りつけられた。
「あなたが悪いのよっ、北山穂高っ。さっき、あの桜の下で、あたしにミカンとかいう違うものを渡して、おまけに杏樹を割って、しかも願い事までちゃっかりしてっ。冗談じゃないのは、こっちのセリフよっ！」
そのまま彼女は、さんざん俺の悪口を言った挙句（しかも妙に具体的に）、花南姉さんだって責任はあるんだとか、神様の意地悪とか、言いたい放題言って、ようやく息を落ち着かせた。
　彼女、花音の話によれば、あの桜の上から落ちてきたオレンジ色の珠は「杏樹」という天使の生活している天界にある大きな樹になる実で、それを花音がその 花南という先輩の天使から逃げている時に落としたらしく、それを追って、この下界にやってきたんだけど、途中で見失って、やっと発見したときは、俺が食べ 様としてたんだって。もちろん食べようとしてたのはミカンなんだけど、花音は焦って杏樹だと思って、天界に戻ってしまい、こっぴどく叱られた上に、俺から 取り戻してくるように言われ、こうして俺の前に現われたんだとか。
　そもそも、どうしてその杏樹の実が大事なのかと言うと、もし人間が手にして、それを割りながら願い事を言えば、その願いをかなえなければならないという決まりがあるんだとか。
　つまり、俺は「幸せになりたい」と願い事をしながら割ってしまったことになって、本来ならそれを叶えるのは神様なんだけど、そもそもの原因が花音にある から、花音がその願いを叶えないといけなくなってしまったんだって。その責任を果たせないと、彼女は天界に戻れない、というお話。
「だけど、なんでお前は、その…花南って人…天使だけど…から逃げてたんだよ」
すると花音は言葉を詰まらせた。
「かっ関係ないでしょっ、それよりも、厄介な願い事してくれたもんよね、幸せ、なんて。もっとご馳走食べたいとか、車がほしいとか、そういうのがよかったのに」
　別に俺は願い事のつもりで言ったわけじゃないからな。
「とにかく、もう決めたから。てっとり早く、穂高が幸せになる方法」
「なんだよ」
花音は腰に手を当てて、堂々と自信に満ちた顔で言った。
「この写真の彼女とハッピーウエディングすることよっ」
　なっ、なんだとぉ？
「前から思ってたのよね。人間っていっつも誰と誰がくっついて、別れたとか、好きだとか、嫌いだとか、そんなことばっかり話しててさ。もっと大事なことあると思うけど、人間にとっては大事なんでしょ？だから、穂高と彼女がくっつけばいいのよ」
「待てよ、俺は別に…」
「何でもないなら、こんな写真大事に持ってないでしょ」
鋭い指摘に、俺は黙った。
「あ、もしかして、この人未来でしょ？高校の同級生。資料に名前があった」
　俺の資料？
「ちょっと調べさせてもらったのよ。そういえば、彼女のバースディパーティーに招待されてるんだよね。丁度いいから、それ使おう。豪華なプレゼントと、穂高からの告白。晴れて二人は恋人に、そして穂高は幸せになって、あたしは天界に戻れる、と」
「ちょっと待てよ、勝手に決めるなよ」
俺はそう言って、一息ついた。そして、触れたくない想い出を、そっとめくる。
「未来には…彼氏がいるんだ。英次って俺の友達が」
花音は一瞬黙り込んだが、すぐに顔を上げて言った。
「奪っちゃえばいいのよ、そういうの好きでしょ？人間って」
「…」
「それに、もしかしたら、彼女は幸せじゃないかもしれないでしょ？」
　え？
俺は思わず息を呑んだ。だって、俺の悪口を妙に具体的に言えた花音だ。俺の知らない真実を、知ってるかもしれない。
　だけど、そんな俺に花音は無情にも、
「あ。いっとくけど、これって勝手なあたしの推測。ただの作り話だからね。でも、穂高はＯＫみたいね。んじゃ決定」
と、勝手に決めてしまった。
　かくて、俺は花音のいいなりになってしまったのだ。…表面上では。