未来の家の前に立ち、俺は大きく深呼吸をすると、チャイムを鳴らした。
「チャンスをつかむんだからねっ」
耳元で花音がそう囁く。少ししてからドアが開き、未来が顔をのぞかせた。目が少し赤くはれていて、泣いていたことがすぐにわかった。
「話、あるんだ」
未来はチェーンを外し、俺を招き入れた、花音は手を振ると、すぐに姿を消した。
「ごめんね。汚れてて」
未来はそう言ったけど、部屋は整理整頓がきちんとされていた。ただ、テーブルの上に空のビールが置いてあった。
「飲んでたのか？」
未来はすぐにその空き缶を片付けた。
「ちょっと…」
そしてコーヒーを持ってくると、俺に座るように言った。
「英次の…ことなんだ」
話をすぐに切り出した俺に、未来は一瞬動きを止めた。
「聞いてたんでしょ？さっき…。婚約、解消だって」
未来は視線は伏せたままだった。そこには、卒業アルバムが置いてあった。
「俺も、解消したほうがいいと思う。…絶対、した方がいいって」
未来は何も答えずに、卒業アルバムを取ると、しまうために立ちあがった。
「だってあいつ、他にも女いるんだぞっ」
その言葉に、未来は足を止めた。
「…英次が…。英次が、そう言ったの？」
未来の声は震えていた。
「ああ、そうだよ」
アルバムが、未来の腕から落ちていって、足元に挟んでいた写真が広がった。
「ご、ごめん」
「拾うよ」
俺は何枚かを拾って、未来に渡そうとした。その時、受け取ろうとした未来と手が触れた。俺たちは、そのままお互いをじっと見つめていた。そのうち、未来がそっと俺に近づいて、目を閉じ、唇を寄せてきた。
「や…やめろよ…」
反射的に、俺はそんな未来から体を離していた。よくわからないけど、こういうのは嫌だ。すると未来は、顔を押さえて、
「ごめん…。わたし、酔ってるのかなぁ…」
と半分笑いながら言った。
　俺は、そうゆうことをする未来が信じられなかった。いくら酔っていたとしても、未来はそんなことをする奴じゃなかった。そうゆうのを一番に嫌っていたはずだった。
「…そんな目で見ないでよ…」
すぐに視線を外したけど、それでも視界の端の未来を意識しないではいられなかった。
「見ないでってば」
未来はそういうと俺に背中を向けた。俺はどうしていいのかわからなくなった時、未来のすすりなく声がした。
「やんなっちゃうよ…。英次も、穂高も、わたしも…。
　英次の言ってることは嘘よ。付き合い出してから、英次変わったもの。信じられないくらいに。ただわたしだけを愛してくれた。
　わたしも変わっちゃった。こんな…酔ってるフリして自分の気持ち伝えようとするなんて、ずるいことするようになっちゃったのに…。なのに、穂高だけ変わらないんだもの。全然、変わってないんだもの」
ふと、英次の顔が思い浮かんだ。
　もしかしたら、あいつは俺にわざと殴らせるようなことを言って、俺との友情を壊し、未来のところに行かせようとしたのかもしれない。
　そんな考えが頭を過った。そして俺の目に、拾い忘れた一枚の写真が映る。それは、俺も持っている、未来とのツーショット写真だった、未来は、俺の方に顔を向けた。
「ずっと高校の時からよ。穂高が好きだった。でも、勇気がなくて言えなかった。裏庭の桜が好きだっていうのが精一杯だった。あの桜、穂高に似てたから…。でも、穂高はそんなこと全然気付いてなかったよね。英次のこと、よろしく、なんて。知ってた？あのとき、わたしは穂高に告白しようとしてたのよ。でも、ボタンはなくて、あんな風に言われて、何も言えなかった。英次と付き合ったのも、穂高を忘れるためだったの。でも…」
未来はそこで首を振った。再びあげた顔には、涙がキラリと光っていた。
「わたしたち、昔からそうだったよね。本当のところで逃げてた。でも、変わらなきゃいけないのよ。そうしないと、前に進んでいけないもの。わたしも、穂高も、きっと英次も。
　ねぇ、穂高。答えて。わたしのことどう思ってる？」
「俺は…」
それだけ言うと、次が出てこなかった。
　本当のところで逃げてた、という未来の言葉はその通りだった。未来を好きなら壊すことになる英次との友情があるという現実から。でも、そのままじゃいけない。変わらなきゃいけない。
　今、目の前の未来は、変わろうとしている。英次も、すでに変わってしまった。二人とも、きちんと前を向いているんだ。
　未来を見つめると、その後ろに昔の未来の影がちらついた。
　俺の好きだった未来。
でも、その影は笑いながら、目の前の未来とは重ならずに、消えた。そして、いないはずの花音と重なった。
　花音…？
その言葉が呪文でもあったように、俺の心は一瞬にして未来から離れて遠くへ消える。
「俺は…」
俺は、昔の未来と花音を重ねていた。そこに、過去を思い出していた。
　今の未来じゃない、昔の淡い恋を、その相手を、花音に見ていたんだ。そして、今の未来を好きだと錯覚していたんだ。
　英次の顔がまた思い浮かんだ。真剣に未来が好きで、未来の幸せを願って、俺との友情を壊した。嘘までついて。
「…あいつには、英次には勝てないな。きっと、一生」
未来が驚いたように顔を上げる。
「俺は…。高校時代、お前が好きだったよ。でも、それは昔のことなんだ…。ごめん」

未来の家を出ると、すぐそこに花音がいた。
「なんて顔、してんだよ」
それはまさに、泣いているのを必死で隠そうとしている笑顔だった。そして、俺には見えない涙が花音の頬を伝って落ちていくのを確かに感じた。
「話、聞いてたんだろ」
花音は大きく両手を広げると、俺を包み込むように抱きしめた。
「ごめん…、あたし、何もできない。冷たい風から穂高を守ることさえできない。穂高いっぱい傷ついたのに、その傷も癒せてあげられない。天使、失格だね」
俺はゆっくりと目を閉じると、そんな花音を抱きしめ返すように両手を広げた。
「そんなことない。あったかいよ、すごくあったかい。それで、充分だよ。お前は、立派な天使だよ」
　この時が、このままずっと続いていくのだと、俺はその時思っていた。