「ねえ。何で穂高は、未来さんのこと好きになったの？」
その夜、唐突に花音が切り出した。俺は、食べていたカップラーメンを思わず吐き出しそうになった。
「なんだよ、突然」
「…何でもいいじゃない。ただ…。興味があったの」
興味だけで聞かれてもなぁと思いつつ、俺は答えた。
「別に理由はないけどさ」
「けど？」
「ああ、俺は未来のこと好きなんだなっておもったきっかけはあった」

　それは、高３の２学期終業式だった。式の前、ふと裏庭で未来と英次を見つけて、俺が近づくと、さりげなく英次は未来から離れていった。そして、未来は泣いていたのだ。いつもの元気な未来と違っていて、なんだか頼りなくて、俺はとにかく励ましていた。多分また英次に何かを言われたんだと思う。いつもはただの口喧嘩になるのに、この日未来は泣いていたのだ。未来は何も言ってはくれなくて、だからこそ俺は必死になって慰めていたんだ。何とか涙を止めようとして、でも止まらなくて、ごめんねと謝る未来はなんだかいじらしくて。何とか元気付けようと笑わせるためにいろいろ冗談を言ったりもした。そうしたら、未来が笑ったんだ。心から。それを見たときに、俺は瞬間で思ったんだ。
　俺は、未来のことが好きだって。

「こいつの笑顔を守りたいって、そう思ったんだ」
「ふーん」
　花音は素っ気無く、そう答えると、お休みと言って、寝転がり、目を伏せた。



　次の日、英次の見舞いにやってきた俺は、ドアの隙間からもれてくる英次と未来の会話に茫然とした。
「どういうこと？婚約解消しようだなんて」
未来の声は必死だった。俺は、その必死さで話が冗談じゃないんだと感じ、混乱し始めていた。
「わたし、昨日言ったわ。英次と結婚したいんだって。家の人に反対されても、どれでも英次と一緒に頑張るんだって」
興奮気味の未来とは対照的に、英次の声は驚くほど冷たい。
「だけど、それは事故があったからだろ？俺が命をはってまで自分を助けてくれたっていう義務感からだろ？」
未来は何も答えなかった。沈黙が、どんどん長くなる。長くなるほど重くなる。その沈黙を破ったのは、英次の冷たい一言だった。
「疲れたんだよ、親の反対を押しきってまで、お前と結婚することに。面倒になったんだ」
パタパタッという音がして、未来がドアをものすごい勢いで開けて病室から出てきた。けど、未来は俺に気付くと、無言でそのまま走り去っていった。その目には、確かに涙が流れていた。
「おいっ、英次っ」
俺はドアを思いきり開けた。英次はゆっくりと顔を俺に向けると、ニヤリと笑った。だけど目は死んでる魚みたいだった。
「よ、穂高」
ドアを閉め、英次のベッドに歩いていくと、英次はゆっくりと今度は窓に顔を向かせた。
「今日はいい天気だな。車椅子で俺も外に出…」
「どういうことなんだよっ。未来と婚約解消なんてっ」
英次はスローテンポのまま、答える。
「聞いてたのか。それじゃお前に話す手間が省けた」
俺は思わず英次につかみかかっていった。だけど、殴れなかった。怪我人だったからじゃなくて、殴れなかった。振り上げた拳を仕方なく、俺は下ろす。
「どうして殴らないんだよ。殴りたかったら殴りゃいいだろ」
英次は起き上がると反対に俺の襟をつかんだ。
「お前はいつだってそうだよ、俺に気を使うっ。ケンカしてもすぐに謝る、たとえ俺が悪くてもっ。やめろよ、そんなことすんなよっ。殴りたかったら殴れよっ」
俺はなるべく冷静に答えたつもりだった。
「お前は…、友人だから。だからできない」
　無駄な傷をつくるより、俺は自分のプライドを無くすほうを選びたかった。
　俺は、英次の手を振り払うと、そのまま無言で病室を出て行こうとした。でも、俺がドアに手をつけたとき、英次が呼びとめた。
「高３の二学期終業式。俺が未来になんて言ったか教えてやるよ」
俺は思わず手を止めた。
「あいつが俺に聞いてきたんだ。穂高に好きな奴はいるのかってね。
　だから俺は言ってやった。
穂高はテニス部のマネージャーと付き合ってるってね。そしたらあいつ、すっげぇショック受けてやがる。俺にはすぐにわかった、あいつがお前を好きだってな。無性に悔しくなって、俺はついでに言ったんだ。
　穂高はおまえのこと嫌いだって言ってたとね。お前みたいなじゃじゃ馬は大嫌いだ、好きなタイプとは正反対だって。
　そしたらあいつ泣き出して。しかもお前が慰めてる。お前が未来のこと好きだってのは気付いてた。だけど、お前は俺にもそのことを言わない。俺だけのけ者みたいでさ、悔しくて。しかも、泣かせたあいつを見て、俺は惚れちまうし、自分でも何やってるんだからわかんなくなっちまった」
俺は英次のほうを振り向いた。
「お前のこと、親友だってそう思いたかった。女のことで別れるよなバカなやつらとは違うって。だから、好きな奴ができたってこと、わざわざ伝えて、しかもそれが別の奴みたいに思わせた。お前が誤解してるのも、わかってた。けど、俺は知りたかった。お前が俺を親友と思ってるのか。
　相手が未来だって教えたら、お前は顔色を変えた。俺は、お前が自分も好きなんだって言ってくるのを待ってた。でも、お前は言わなかった。それどころか、応援するまで言ってきた。…言ってほしかったよ、お前に。俺も未来が好きだって。本当の親友なら、そう言えたはずだからな」
俺は英次に歩み寄った。
　あの時の、後悔と、苦しみと。
　それを全部英次は知っていた。知ってて…。
英次に掴みかかり、また腕を振り上げたが、一瞬躊躇った。
その時、英次が言った。
「いっとくがな、俺には未来以外にも女がいるんだよ」
その言葉が俺の腕を振り下ろさせ、英次はベッドから落ちそうになるくらい、とんだ。切れた唇から流れる血を拭った英次を放って、俺は病室を出ていこうとした。
「未来はお前のこと、ずっと好きだったよ」
英次の掠れた声が、俺を呼びとめた。
「あいつが自慢のストレートにパーマをかけたのも、うちの大学受験したのも、テニスサークルに入ったのも。
　少しでも女らしく見られたかったからパーマをかけた。お前と同じキャンパスを歩きたかった。だからうちの大学にした。翌年お前が大学に受かったら、同じサークルにしたかった、だからテニスにした。
　…あいつのとこ、行ってやれよ。穂高」
俺はそんな英次を無視して、ドアを開けた。
「幸せにしてやれよ」
震える声で、俺は答えた。
「お前がそんなこと言えたクチかよ」
俺は病室を後にした。花音は俺を見つけると、近くにやってきた。
「どこ行くの？穂高」
「未来のとこだよ」
花音は驚いた顔をしながらも、真剣な表情で俺についてきた。