次の日、病院に行くと、すでに未来が英次の隣に座っていた。
「よぉ。穂高」
元気そうな英次の様子に、俺は安心して持ってきた雑誌を渡した。
「もっと重病人の顔しろよ。一昨日の晩は本気で心配したんだからな。
な、未来」
未来はちょっとわらっているだけだった。
「だけど久しぶりだよな。こうやって３人で会うのも」
英次は嬉しそうに笑った。昔と変わらない笑顔に、俺は本当に安心した。
「そういやさ、お前には言ってなかったけど、俺と未来さ。驚くなよ、実は大学卒業したら…」
「結婚するんだ、だろ？」
英次は不思議そうに俺を見つめた。
「昨日未来から聞いたんだ。おめでとう」
英次はちらっと未来を見たが、すぐに俺に向き直った。俺はちょっと切ない心を隠して、幸せになれよ、と笑った。
　それから俺たち３人は、病室で思い出話に花を咲かせ、看護婦に怒られるまでずっと話しつづけていた。
　そのうち、未来がバイトがあるからと言って、病院を出ていった。夕方になってきて、俺も帰ろうとしたときだった。
「なぁ穂高。一昨日さ、未来とドライブしてたんだろ？」
ドキッとしたのは、英次に内緒で二人っきりだったせいだろう。
「ああ。俺さ、忘れ物してて、未来が届けてくれて…」
「何話した？」
英次は俺の話を無理やり切ると、俺のほうに顔を向けて聞いてきた。
「あいつと、どんな話した？」
真剣な英次の顔に、俺はどきどきしながら答えた。
「別に、たいした話じゃないよ。久しぶりだな、元気だったか…ってくらいで…」
プレゼントのことは、なんとなく話さないほうがいいと思った。
「それから？」
英次の顔は、無表情に近かった。
「それから…どうして、Ｋ大受けなかったんだ、とか、あ。そういえば」
その時の俺は、未来とのドライブを変に疑われたくない一心だった。だからちょっと嘘をついた。
「そういえば、俺に嫌われてると思ってたとか言ってたんだよ。だから、俺はお前は仲間なんだから、嫌いじゃないって言った。英次からも言っておいてくれよ。俺が、英次の大事な彼女を嫌いなはずがないって」
俺としては、そこで英次に笑ってもらいたかった。笑って、ああ言っとくよ、とでも言ってくれれば、それでもういいんだと思った。けど、英次は違った。明らかに顔色を変えた。
「英次…？」
俺が声をかけると、
「わりぃ。俺、今日は疲れた。寝るよ。またな」
と答えて英次は寝返りをうった。俺はもう一言声をかけようかとおもったが、英次の背中はそれを拒否していて、俺はそっとさよならとだけ言い残して、病室を出ていった。
　


　病院を歩いていると、中庭の花壇脇に花音が立っているのに気付いた。樹に隠れるようにして、何かをじっと見ている。
「何見てるんだ？」
俺がそう声をかけると、花音は指を立てて、黙るように命令した。俺も木に隠れるようにして、花音の視線を追うと、そこには５歳くらいの男の子が、車椅子からゆっくりと立ちあがってるところだった。だけど、腕が震えていて、見てるだけでも危なっかしい。
「頑張れ…」
花音の呟きが、俺に聞こえてきた。男の子は、なんとか車椅子に手をかけて、それでもゆっくりと立ちあがった。
「頑張れ、もうちょっと…」
花音はぐっと祈るようにしている。男の子は、ゆっくり支えていた手を放し、立ちあがった。
「やったぁ！」
花音がそう叫んで、一生懸命拍手をした。つられて俺も拍手をしていると、その子が俺に気付き、その途端に重心をなくして芝生の上に転んだ。
「大丈夫か？」
俺は急いでその子に近づくと、抱き上げて車椅子に座らせた。その子はお礼を言うと、俺の顔をじっと見つめて言った。
「お兄ちゃん、そこで天使見なかった？」
その唐突な質問に俺はびっくりした。
「てっ天使だって？いや…見てない…けど」
花音がすぐに隠れたのを、俺は気付いていた。
「あのね、僕。天使見たんだよ、今。その天使が頑張れって、僕のこと応援してくれたんだ。だから、僕、立てたんだよ」
その子はにこっと笑っていた。俺は、その子の頭をなでながら言う。
「それは違うぞ。頑張ったのは、君の力なんだから、なっ」
その子は頷くと、もう時間だと言って、病室に戻っていった。
「応援、したのか？」
木の陰に隠れていた花音にそう聞くと、花音は頷いた。
「でも、ばれてたみたい」
花音はうつむくと、俺に言った。
「そうだよね、頑張ったのは…あの子の力」
「けど、あの子に頑張る気持ちを与えたのは、花音の応援だぞ」
花音はそう言われて、驚いた顔をした。
「そう…かな」
「人間ってそうだよ。辛いとき、応援があると頑張れる、で、不思議な力が沸いてくる。」
花音は黙ったまま、遠くのほうを見ていた。
「昨日、悪かったな。確かに、花音の言うとおりだよ。自分のことは自分でしかできない。けどさ。今みたいに、お前がいてくれるだけで、よくわかんないけど安心できたり、頑張れたりするんじゃないか？それが、天使。なんじゃない？」
花音は、俺に背中を向けていた。俯いて。その背中が言っていた。
「泣いてるのか？」
そう尋ねると、花音ははっとしたように振りかえって、俺を見つめた。その瞳に、涙はなかった。
「…ごめん、そう思っただけだから」
　天使に涙はないと、昨日言われたことを思い出して、俺はそう謝ると、しばらく俺たちはそのままで立っていた。