「今度の日曜日、遊園地に行かない？」
って誘われた。
　正直、遊園地って柄じゃねぇけど、それでも付き合い始めてまだ二週間の彼女に言われて、断る理由は男としてない。
　だけど、待ち合わせに現れたあいつをみて、やっぱり断っておけばよかったと、俺は思った。
「ごめんね、桜ちゃんにも付き合ってもらちゃったの」
　唐沢はそう言って、目を潤ませる。
　まあ、元からあまり話したことがなかったから、二人っきりだと緊張するってのは俺も同じことで。
　でもだからって、桜を連れてくるこたないんじゃねぇの？と思いつつ、
「怒った？剛史君」
なんて学年一可愛いと言われる彼女に言われると、
「いいや」
と、かっこつけたくなる。
　唐沢百恵は、そういう意味じゃ本当に可愛い。
　だけど俺がずっと好きだったのは、その隣にいる桑山桜だった。


　桜とは、小五で俺が転校してきた時に出会った。
　面倒見のいい桜は、当然転校生っていう右も左もわからない俺の面倒も、当然のように受け入れた。
　そもそも転校なんてしたくなくて、悪態ついてた俺の面倒も、桜は素直に受け入れてくれた。
　桜は。
　俺の初恋の相手、だ。　
「悪いな、わざわざつきあってもらって」
　いくつかアトラクションを回って、小休憩にと乗り込んだ観覧車で、俺は目の前に座る桜にそう言う。
「別にいいよ。ってかごめんね、あたしの方こそお邪魔虫で」
　こういうことをさらりと言ってしまえるのが、桜の懐の深さだ。
　今だって、デート先に遊園地を選んだのは自分のくせに、ギリギリになって高所恐怖症だとかでリタイアした百恵を責めることなく、桜は俺と二人っきりで観覧車に乗っている。
　とはいえ、ふいと横を向いた表情には、どうして俺と二人きりなんだと、少しばかり理不尽さを感じてるように、俺は思えた。
　わかってたこととはいえ、桜の眼中になかった自分が悔しい。
　背もたれに寄りかかりながら、俺は相も変わらず悪態をつく。
「桜も彼氏、連れてくればよかったじゃん」
　悔し紛れにそう言うと、桜は、はぁ？と顔をゆがめた。
「残念ながら、そんな人いませんよーだ」
　その返事に、俺は思わず体を起して、桜の顔をまじまじと見つめた。
「え？須田と付き合ってるんじゃねぇの？」
　須田は、俺たちのクラスメートで、桜と一緒にクラス委員をやってる。
　優男っぽくて、どちらかと言えば俺はあまり好きじゃないけど、女子からは人気が高い。
「なにそれ？仲はいいけど、ただのクラスメートだよ」
　あっさりとそう桜が言いきった。
　その言葉に、肩の力が一気に抜けた。
「まじかよ」
　須田の奴、ぜってーゆるさんっ。
　何も知らない桜は不思議そうに俺を見つめた。
「剛史がどうして落ち込むかな」
「…須田のヤロウ」
　あの時、にこっとほほ笑んだあいつの顔は、思い返すと悪魔の頬笑みだったわけだ。
「剛史がどうして須田君を野次るかな」
　他人の悪口を言うのは、嫌いだけど、これが言わずにいられるかっつーの。
　俺は吐き出すように言った。
「だまされたんだ、須田に」
「だまされた？」
「お前と、つきあってるって」
「はぁ？」
　桜が間抜けな声を上げた。
　ってことは、須田の大ウソは決定的ってこと。
　あの野郎、
『ああ、そうだよ。僕と桜ちゃん、付き合ってるんだ。クラスの子たちには内緒だけど』
なんて俺に言ったくせに。
　大きく舌打ちすると、桜もなぜか苛立って言う。
「いいじゃん、別にあたしが誰と付き合おうと。剛史には―」
「よくねぇよ。だから俺っ―」
　そう言いかけて俺ははっと口を噤む。
　だから俺は、お前のこと諦めた。
　勢いでそう、本当のことを言ってしまいそうだった。
「…何？」
　桜がそう聞き返した。
　言うべきか、言わざるべきか。
　だけど、あの時。
　須田に、桜と付き合ってるんだと言われた時。
　二度と後悔したくないとそう思った気持ちが、俺を突き動かした。
「お前が須田と付き合ってないんだったら、今日は来なかった」
　俺はそのまま天井を仰ぐ。視界の端に、青空が見えた。
　桜が息を呑んでから、慎重に口を開く。
「…どういう、こと？」
　答えれば後戻りできない。
　だけど、悔しかった。
　須田のことなんか気にしないで告白できなかった自分のことが。
「唐沢とは、付き合わなかった」
　荒々しくそう言うと、俺はそのまま外に視線を向ける。
　今、桜のことを見たら、どうにかなってしまいそうだったから。
　観覧車は上昇中。
　視線の先にはどんどん小さくなる人影が見える。
「冗談でしょう。だって剛史、百恵のことかわいいって言ってたじゃん」
　相変わらず桜は何もわかってない。
「かわいいからって、好きってことにはならねぇよ」
「でもＯＫしたのは剛史じゃない？」
　俺の気持ちに気づいてないことに苛立った。
　苛立って俺は、ついに言う。
「だからっ。お前が、俺のものにならないんだったら、もうどうでもいいやって」
　すぅっと息を呑む音が聞こえて、桜がぽつりと呟いた。
「嘘」
「嘘じゃねぇよ」
　全部、本当だ。
　唐沢は確かにかわいいけど、かわいいだけで、別に好きだったわけでもない。
　ＯＫしたのは、桜が須田とつきあってると思ったからだし、たぶんあの時の俺は、唐沢じゃなくてもどうでもよかったんだ。
「…だって、剛史の誕生日の日、来てくれなかったじゃない」
　桜が低い声でそう言った。だけど、そんな記憶、俺にはない。
「誕生日？来てくれなかったってどこに？」
「手紙、入ってたでしょう？」
　何だそれ。
　俺はむっとして、桜に言い返す。
「手紙？しらねぇよ。そんなもん」
　だけど桜は妙にムキになって言う。
「知らなくないよ。だって、あたし、剛史から借りた国語の教科書に挟んで返したもん」
「教科書？知らねぇよ。落としたんじゃないのかよ」
「そっちこそ、鞄の中に落ちちゃったんじゃないの？」
　桜の言い方に、無言で思わず睨み返す。だけど次の瞬間、お互いの視線が絡み合うのがわかった。
　やべぇ。
　思わず顔を逸らすと、桜も顔をそらした。
　違う、俺は桜と喧嘩したいわけじゃない。
　むしろその逆だった。
　だけどいつの頃からか、俺は桜の気持ちが見えなくなり、桜もきっとそうだったんだろう。
　わかり合えない自分に苛立って、いつも結果がこれだ。
　おかげで俺は、もうずっと桜の笑顔を向けられたことがなかったくらいだ。
　落ち着けよ、とため息をひとつついて、桜に尋ねた。
「なんて書いてあったんだよ、手紙」
　桜が小さく唇をかみしめるのがわかった。
　その目はまっすぐ外を見ていた。
　そして、ふっと何かが抜けたかのようにぽつりぽつりと言葉を口にした。
「…校門で、待ってるって」
　なんだ、それ。
　そう言い返したいのを我慢して、俺は更に尋ねる。
「校門に行ったら、お前どうしてたんだよ」
　ハッと桜が息を呑むのがわかった。
　そこに桜の気持ちがあると思った。
　どうせ手に入らないのなら、
　一度くらい、桜の気持ちを見てみたい。
「ここまで言ったんなら、言えよ」
　俺の気持ちはもう言っちまったんだ。
　桜は大きなため息の後、潔くきっぱりと答えた。
「告白、しようと思ってた」
「はぁ」
　嬉しいとか、そういう気持ちよりも、俺は桜に腹を立てた。その馬鹿にしたような声に、桜もむっとしたらしく、俺をにらみ返してくる。
　戸惑ったのは俺の方で、
　信じられない気持ちと、嬉しさと、恥ずかしさと、脱力感が、一気に押し寄せてきた。
　そんな俺を見て、桜が笑う。
　ああこれだ。
　そこに俺の見たかった笑顔があった。
　だけども、それにしたって…。
「バカみたいじゃねぇ？俺たち」
　桜もそれに答える。
「ほんと、バカ」
　揃いも揃って、大バカだ。
　それからしばらく、俺たちは笑い続けた。



　観覧車はゆっくりと上昇し続けている。
　周りには空しか見えない。
　まるで、俺たちは空を飛んでるみたいで、これが全部夢なんじゃないかと感じてしまう。
　桜と二人でここにいることも、
　桜が俺を好きだと言ったことも。
　とうの桜はさっきから下をのぞいていた。
　穏やかそうなその表情に、俺は聞きたかったことを尋ねた。
「いつから？」
「え？」
　桜が振り返る。
　ストレートの髪が、サラサラと肩で揺れる。
　あの髪に触れたいと、何度思ったことだろう。
「いつから俺のこと好きだったわけ？」
　え？と桜が頬を赤らめた。その表情がかわいくて、俺はじっと見続ける。
　今までの言い争いがウソみたいに、桜は素直に答えてくれた。
「いつからって言われても…。中３の、体育祭、かな」
　体育祭？
　…思い当たるきっかけはなかった。
　っつーか。
「おせーよ」
　思わずそう言うと、むっとしたように桜がけんか腰のいつもの桜に戻る。
「何がよ」
「俺は、小５の時」
　そう、桜のクラスメートになってからすぐ、桜のことを好きになったんだ。
　だけど、うまくその気持ちを伝えられなくて、悪戯するとか、喧嘩をふっかけるとかしかできなかった。
　そう、たった一つの言葉が言えなくて、それから今まで後悔し続けてきた。
　だけど、今なら。
　今なら、言える。
　その名前を呼び、俺は桜を抱き寄せた。バランスを失った桜は、そのまま俺の胸になだれ込んでくる。
　微かに桜のシャンプーの香りがした。
「好きだ」
　びくっとして、桜は慌てて俺から逃れようとした。
「やめて、剛史。…百恵がいるじゃん」
　その名前に、俺も思わず顔をこわばらせた。
　俺の胸の中から、桜のくぐもった声が聞こえる。
「百恵、いい子だよ。本当に、剛史のこと好きなんだから」
「わかってる」
　あいつには、何の罪もない。
　悪いのは、俺だ。
　だけど、このまま何事もなかったように観覧車を降り、あいつの笑顔に応える自信がない。
　それに、桜は唐沢の友達だ。
　桜のことだから、天秤に掛けるまでもなく、俺よりも唐沢の方が大事なことくらい、わかってる。
　桜を苦しめることは、一番したくないことだ。
　だったらいっそ、すべてが夢だったら。
　すべてが俺の勝手な夢だったら、
　忘れられそうな気がするんだ。
　今日のことも、
　桜のことも。
「だから…。わかってるから、せめて今だけ。
　お前のこと好きだって言わせてくれよ。
　このままじゃ、こんな気持ちのままじゃ、唐沢と向き合えなくなる」
　少しして、桜の手が俺の背中を掴む。
　桜の声が、熱い息が漏れた。
「わたしも…剛史のこと、ずっと好きだった」
　そのまま桜はギュッと俺の胸に顔を押しつける。
　俺も強く目をつぶった。
　きっと一生忘れずに、心の奥底にしまうその言葉を、ずっと心の奥底で呟いていた言葉―俺と桜に置き換えて、俺はくすりと笑う。
「おせーよ。言うのが」
　すると桜が顔をあげ、むっとした表情で言った。
「剛史こそ、遅いわよ」
　だけど俺の表情に気づいて、桜は唇をかみしめた。
　俺も、桜のこと、ずっと好きだった。
　好きだったから、忘れる。
　俺たちは、どちらからともなく、唇を寄せて目を閉じた。



「今日は楽しかったね、遊園地」
　桜と別れて二人になると、唐沢はそっと俺の腕に自分の腕をからめた。
　ふんわりとやわらかいものが、腕にあたっている。
「…ああ」
　だけど俺は桜のことで頭がいっぱいだった。
　桜は唐沢の言葉を聞いてから、俺の方を全く見ようともしなかった。
　あいつは、怯えてた。
　俺じゃなくて、唐沢が言った言葉に。
『観覧車の天辺で、キスしたカップルは、永遠に結ばれるんだって』
　俺たちは、最初で最後のキスを交わした。
　おそらくは、空に一番近いところで。
「桜ちゃんにも悪いことしたなあ」
　唐沢の声に、俺ははっと気づく。どう答えたらいいのか悩んでいると、唐沢がはしゃいだ声を上げた。
「あ、でも桜ちゃんは今度須田くんとくればいいのか」
　その時俺ははっと気づいた。
　桜と須田が付き合ってると思ったのは、須田がそう言ったこともある。
　けれど何より俺が信じたのは、唐沢がそう言ったのだ。
『桜ちゃん、ほんと須田くんと仲いいんだから。羨ましい』
　俺が問い詰めると、唐沢はこう答えた。
『え？付き合ってるんじゃないのかな。わからない。桜ちゃんって、恥ずかしがってそういうこと言ってくれないから。
　須田くんに聞いた方が教えてくれるかもね』
　だから俺は須田に聞いたのだ。
　結果、大ウソつかれたわけだけど。
　もしかして唐沢も、須田にウソ教え込まれたのか。
「唐沢、桜と須田のことだけど―」
　俺の言葉にかぶせる様に、唐沢がはしゃいだ声を上げた。
「ねぇ、剛史君！見て見て、夕焼け綺麗ーっっ」
　気づけば唐沢は俺の腕から離れて、公園の奥にある手すりに身を乗り出していた。そこは、小高い丘にある公園で、手摺の先には海まで続く街並みが広がっているのだ。
　確かに見事な夕焼けで、俺も唐沢の隣に立ちつくして、青から深い赤へと変わりゆく空を見つめていた。
「何？」
　隣に来て、はっとした俺に、唐沢が笑顔で聞き返した。
「いや、何でもない」
　そんなことより。
　笑顔の唐沢に、俺は真剣に尋ねた。
「お前さ、本当に高所恐怖症、なんだよな」
「当たり前じゃない。剛史くんに嘘つくわけないでしょう」
　にっこりと唐沢が笑う。
　その笑顔に嘘はない、ように思える。
「そう、だよな」
　手摺のすぐ下は崖になっているのだ。
　さっき、そこに身を乗り出すようにしていたのは、きっと俺の見間違いに違いない。
　そう、きっと。
　ふいに唐沢が、手摺に背中をつけると、上目づかいに俺を見上げた。
「でもいつか、克服するから。
　そうしたら、あの観覧車。一緒に乗ってくれる？」
　かわいい彼女に、そう言われて断る理由なんかない。
「ああ」
　そう答えると、唐沢はふふふと嬉しそうに微笑んだ。