「桑山さん、今度の日曜日、遊園地に行かない？」
　そう言われたとき、あたしがまっさきに見たのは、目の前でそう言った須田くんじゃなくて、その先で、友達とじゃれあっていた剛史だった。
「え？」
　そう答えるあたしはずるい。
　できるなら、聞かなかったことにしてもらいたかったから、そんな風に聞き返す。
　だけど須田くんは、そんなあたしを逃がさなかった。
「ほら、観覧車が有名なところあるじゃん。あそこ」
「ああ…」
　知らないわけがない。
　つい一ヶ月くらい前、あたしはそこに行ってしまった。
　そして、観覧車にも乗ってしまった。
　行った、乗ったと言わないのは、そのことを後悔しているからだ。
　行かなきゃよかった。
　乗らなきゃよかった。
　そうすれば、こんなに苦しい毎日を過ごすことにもなかっただろう。
　だけど、少なくともあと２年は、この気持ちを抱えなきゃならない。
　そう、高校を卒業して、剛史と会うこともなくなるまでは。
「嫌い？遊園地」
　険しい表情に、思わず須田くんが心配そうに言う。
　その言葉には、嫌いだったら別の場所でもいいよ、という須田くんの気持ちが見え隠れしている。
　つまり、須田くんはあたしをデートに誘っているのだ。
　あたしと須田くんは、お互い学級委員という立場で、仲もいい方だけど、それだけといえばそれだけの関係だった。
　学校の外でまで、会おうとしたことはなかった。
　だけどその関係を、須田くんが変えようとしている。
　あたしはそのことに戸惑った。
　きっとこれが、二ヶ月くらい前のできごとだったら、あたしは遊園地じゃなくても、どこでも須田くんについて行っただろう。
　もうどうにでもなれと。
　だけど今、この気持ちのままであたしは須田くんと向き合うことはできない。
　この気持ちの終着点は、全然わからないままだったけど、それでもあたしはそう思っていた。
「いや、そうじゃなくて―」
　どう言えばいいんだろうかと思うあたしに、後ろの方から声が飛んできた。
「ね、桜ちゃん。それならダブルデートにしない？」
「え？」
　振り返ると友達の百恵がいる。
「だったら、緊張もしないでしょ？」
　百恵はあたしの耳元でそう囁いてにっこりと微笑むと、教室の隅で、友達と離れて一人で立ち尽くしていた剛史に向って言った。
「あたしたちも、日曜日に行くことになってるんだ。ね、剛史くん」
　視線が自然と、剛史に向かう。目が合うと、剛史もあたしと同じくらい動揺していた。
　慌てたように剛史が口を開く。
「だけど、お前。高所恐怖症だって―」
　そう、すべてはそれが始まりだったのだ。
　百恵はにっこりと甘い笑顔を剛史に向けた。
「克服したんだよ、剛史くんと観覧車に乗りたいから。
　ね、行こうよ、桜ちゃん」
　百恵にそう言われて、あたしが断れるわけがない。
「…わかった」
　視界の隅っこで、剛史がじっとあたしを見つめているのが見えた。



　そうしてあたしは、またこの観覧車に乗ろうとしている。
　すぐ後ろからは、笑い合っている剛史と百恵の声が聞こえている。
　観覧車は、ジンクスにあやかろうとして並んでいるカップル達で相変わらず賑わっていた。
　ジンクス―。
　もし、そんなものがなかったら。
　そうしたら、あたしと剛史は、もっと普通に接することができたのだろうか。
　わからない。
　だけど、あのジンクスを知った時から、あたしの何かが変わってしまったのは確かだ。
「どうかした？桑山さん」
「え」
　隣で立っている須田くんが心配そうにあたしの顔を覗き込んでいた。
「もうすぐ観覧車に乗れるっていうのに、さっきから、ずっと心ここに非ず、だよ」
「ごめん」
　三十分も待ったところで、あたしたちの順番まであと五人となっていた。
　百恵の気遣いで、あたしと須田くんが先に乗り込むことになっている。
「謝ることないよ。だって俺も、緊張してるから、さ」
　そういって、あははと須田くんは笑う。
　あたしはそんな須田くんをちらりと横目で見つめた。
　須田くんは優しい。
　ルックスも平均以上だし、勉強だって上から数えた方が早いし、女子からの人気もそこそこある。
　そういう意味じゃ、剛史なんかよりも、ずっとだ。
　なのにあたしはどうして、須田くんのことを正面から見つめられないんだろう。
　どうして、剛史のことばかり見てしまうんだろう。
　須田くんがあたしの視線に気づいて、こっちを見た。
　慌てて顔を逸らすと、くすっという笑い声が耳に届く。
「桑山さんって真面目だよね」
「そう、かな」
「そうだよ。俺だったら、もっとごまかしてうまくやっちゃうところ、真面目でまっすぐだから、貧乏くじひかされちゃってさ」
　その結果、クラス委員。
　小さい頃からそういう役回りばかりで、でもみんなに嫌われたくなくて、一生懸命やってしまうから、先生には好かれることが多かった。
　でもあたしは、そうなりたかったわけじゃない。
「不器用だからなぁ、あたし」
　へらへらと笑って須田くんを見上げると、意外なほどに須田くんは真面目な表情をしていた。
「ついつい、手を差し伸べたくなるんだよね。桑山さんって。目が離せないっていうか。
　だからずっと、気になってたんだ」
　どういうことか、わかるよね？
　そう須田くんの視線が物語っている。
　デートに誘って来てくれたんだから、君もまんざらでもないんだろう？
　言葉を詰まらせるあたしに、須田くんは話を続けた。
「ね、これから桑山さんのこと桜って呼んでもいいかな」
　目の前のカップルが、仲良さそうに観覧車に乗りこんだ。
　次はあたしと須田くんの番だ。
「須田くん、あたし―」
　そういう気持ちになれないんだと言おうとしたところで、須田くんはいきなりあたしの手を掴んだ。
　その手は少し汗ばんでいた。
　須田くんは、にっこり微笑むと少し緊張した面持ちで言う。
「次だね。
　知ってる？この観覧車。ジンクスあるんだって。
　この観覧車の天辺でキスしたカップルは永遠に結ばれるって。
　俺たちも、そうなれないかな」
　言い方は疑問形だったけど、須田くんの気持ちは全然あたしのことを気遣っていない。
　まさか、断ったりしないよね？
　須田くんの目がそうあたしに話しかけていた。
　そして、須田くんにそう思わせてしまったのは、あたしなのだ。
「悪い」
　突然剛史があたしと須田くんの間を割るようにして、前に一歩出た。
　その勢いで、思わず須田くんの手があたしから離れる。
「わ、何だよ。長谷部」
　明らかに不快感を見せて須田くんがそう言ったけど、剛史は悪びれる風もなく答えた。
「このまま桜とお前を観覧車に乗せらんねぇ」
　目を見開いたあたしの隣で、須田くんが首を傾げる。
「どういうこと？」
「剛史くん？」
　須田くんの声に重なるように、百恵の声が聞こえてきた。
　剛史は百恵に頭を下げる。
「悪い、唐沢」
　次の瞬間、顔を上げた剛史の目には、迷いのない強い光が宿っていた。
「俺は桜のことが好きだ」
　剛史はそういうと、あたしの手を掴んで、やってきた観覧車に乗りこんだ。



　乗り込んでからずっと黙り込んでいた剛史に、あたしは小さいため息の後、尋ねた。
「いいの？剛史」
「いいも悪いも。やっちまったもんはしょうがねぇだろ」
　そう言ってまるで剛史は子供のころみたいに、ぷうっとむくれる。
「もう、相変わらず後先考えてないんだから」
「しょうがねぇって言ってるだろ？
　お前だって、須田に手握られて、気持ち悪いって顔してたぜ」
「それはっ…」
　確かに汗ばんだ手で握られたときは、思わず振り払いたくなったけど…。
　すると、剛史はそんなあたしを指差してくくくと笑った。
「ほら、ばれたって顔してる」
「そっそんなことないって！」
　必死で剛史に言い返そうとして、剛史と目が合った。
　次の瞬間には、あたしたちはげらげらと笑い声をあげていた。
「ばればれでやんの」
「須田くんには言わないでよ、かわいそうだから」
　それから、しばらくの間、あたしたちは下に置いてきた二人のことをすっかり忘れて笑い合っていた。


　一通り、笑い終えたところで、あたしは現実に引き戻された。
「…百恵に何て説明しよう」
　恋人がいきなり友達の手を取って、好きだとかいいながら観覧車に乗りこんだのだ。
　もしかしたら百恵、泣いてるかもしれない。
　この観覧車から降りるまでに、言い訳考えておかないといけない。
　黙り込んだあたしに、剛史が言う。
「止めようぜ、もう」
「だけど―」
「言った言葉は取り消せないし、本当のことだ。
　それよか、本当の気持ち隠して、あいつを好きなふりして、一緒にいる方が、悪いんじゃねぇのかよ」
　剛史の言っていることはわかる。
　だけどきっと、言われた方からすれば、それはただの言い訳でしかない。
　でも、と口ごもると、剛史が強い口調で続けた。
「もう二度と後悔したくないんだよ。
　この前来たとき、自分の気持ちをぶちまけたのは、それでもきっとお前が手に入らないと思ったからだ。
　だけど、あのジンクスを聞いたとき、気持が変わった。
　あれは、神様が俺にくれた最後のチャンスなんだ。
　だって、永遠に結ばれるんだったら、この先どう生きてもお前と結ばれるんだったら、回り道を続ける必要なんかないだろ？」
「剛史…」
　思わずそう呟くと、剛史は視線をあたしに向けて挑むように言う。
「お前は信じなかったのかよ、あのジンクス」
　信じたよ。
　だからこそ、戸惑った。
　忘れなきゃって思ってた剛史のことが、忘れられなくなった。
　むしろもっとずっと好きだって思うようになった。
　ゆっくりと顔をあげると、剛史が笑顔を浮かべていた。
　あの時と同じ笑顔だ。
　リレーの時と一緒。
　任せろってそう言って、あたしが好きになった、あの笑顔。
　差し出された剛史の手を掴みこくりと頷くと、剛史はその笑顔を崩してあたしを抱き寄せた。