「なぬ？花ちゃんと二人だけで旅行？」
「まあ結果的には」
「花ちゃん、それOKしたわけ？」
「まあ結果的には」
　そう答えると、前原吾朗が電話口でわざとらしくため息をついた後、まるでロボットのような冷たい声で言った。
「…希一、責任とれよ」
「へ？」
　どういう意味？
　そう聞き返すと吾朗は、ふざけるなという勢いで一気にまくしたてた。
「女の子が男と二人きりで温泉旅行に行くなんて、普通じゃない。
　ましてやあの純情な花ちゃんなら、なおさらだ！
　きっと花ちゃんはお前のことが好きなんだ。
　くっそぉ、俺が二カ月かけて、ようやく笑ってもらえるまでになったってのに。でもって、一気にお近づきになろうと、計画した旅行のその当日！何で俺が榎本部長の代わりに俺が客先に行かなきゃなんねぇんだよぉ！何が家族サービス中だっ！」
　吾朗はそう言って、本当ならトラブった客先に行かなければならない上司の名前を出して叫ぶ。
　確かに何カ月か前、飲んだ時に総務部の新垣花さんって女の子が可愛いと騒いでいたのは、吾朗だった。
　俺は、彼女の名前も顔も知らなかった。そもそも、仕事上関わりがないし、部署も違えばフロアも違う。
　今回の旅行のことがあって、ようやく顔と名前が一致したって感じだ。
　きっと彼女だって同じような状況だろう。
　噴水の前で皆が来るのを一人待っている彼女に声をかけた時の反応で、何となくわかった。
　だからこそ、俺はおいおいと笑いながら答える。
「俺は今日初めて会ったんだぞ。それはないって」
　自分でいうのも何だけど、別に一目ぼれされるほどの容姿でもない。
　それに実際向き合っていれば、彼女がそういう目で俺のことを見ていないこともわかる。
　だけど、吾朗は拗ねたように聞き返す。
「でも、誘ったら着いてきたんだろう？」
「まあ結果的には」
　すると突然吾朗は電話口で怒鳴りだした。
「それじゃ、お前が悪い！花ちゃんをその気にさせたお前が悪い！」
「別に俺はそんなつもりじゃなくて―」
「出たよ、この天然ジゴロがっ！
　お前の無責任な発言が、女をその気にさせるんだっ。
　いったい何人目だ？お前のその言葉で、会社の女の子がどんだけ泣いたことかっ」
「だから何度も言ってるけど、それは誤解で…」
　言い返してみたけれど、吾朗は俺の言葉なんか聞いていなく、今度は悲痛な声を上げる。
「あー、あの純情な花ちゃんまでが、お前の毒牙にかかるなんて…」
　それにしてもジゴロとか毒牙なんて、ひどい言われようだ。
「あのなあ、吾朗。俺は別にそういうつもりで―」
　そう口を開きかけた時、車のドアがノックされる。顔を上げると、カップを持った新垣さんが外に立っていた。
「コーヒー、これでいいですか？」
　その声に、俺の意識は一気にひきもどされる。
　ここはサービスエリア。
　この連休で、渋滞が予想されるから、目的の場所まで一気に行ってもよかったんだけど、新垣さんがここのサービスエリア限定発売のお土産を買いたいからと、立ち寄ることになったのだ。どうも殿山さんが欲しがっていたらしい。
　ついでだからと、彼女は俺が飲みたいと言ったコーヒーも買って来てくれたのだ。
「ああ、ありがと」
　窓を開けて受け取ってから、俺は吾朗に向かって口早に言った。
「じゃ、電話切るからな」
　電話口からは言葉になっていない怒りの声が聞こえてきたけれど、それを聞いてたら身が持たない。
　電話を切ると、助手席に回り込んでいた彼女の為に、ドアを開けた。
「それじゃ、行こうか」



　本来だったら男女六人で行くはずだったはずの旅行が、ろくに話したこともない女の子との二人だけの旅行に。
　普通だったら、確かにここで中止になると思う。
　だけど、他に誰も来ないとわかった時の彼女の表情は、とても困った表情に思えた。
　それが俺には意外だった。
　そもそも、誰もいない状態から、俺たちは困っていた。
　他のメンバーが来なくなったのかすら、わからなかったから。
　他の皆が来れないのなら、必然この旅行はなしになる。
　むしろそのほうがほっとする、そう思ったのだ。
　それなのに、彼女の表情は更に曇っていく。
　だから、もしかして彼女には旅行に行かなきゃならない理由があるのかなと思って、つい誘ってみただけ。
　吾朗が言うように、別に下心があって誘ったわけじゃない。
　でも誘ったら、彼女の表情がほっとしたものへと変わった。
　だから俺も、これで良かったんだと思ったんだ。
　それに、新垣花さんは、すごく不思議な子だ。
　ドライブの間も、俺たちの間にはほとんど会話がなかったけど、それでも気分よく曲を聞きながら誰に向かってでもなく、一人で微笑んでくれていた。
　今まで車の助手席に座った女の子たちは会話がないと、会話を強要したり、つまらないと怒ったり、運転中なのに俺の気を逸らそうとすることばかりしようとして、とにかく身勝手な子ばかりだった。
　俺は、しゃべるのはどちらかと言わず苦手だし、外の景色とか、流れる風とかを楽しむのが好きだから、正直そう言う子とは一緒にドライブできないなと思っていた。けれど新垣さんは、すごく自然に助手席に座っていた。
「わあ、海だ」
　突然見えた海に、そうして新垣さんは独り言に近い歓声を上げる。
　こういう素直なところも、何だかすごくかわいらしい。
「夜の花火大会、楽しみだね」
　そう言うと、はいと丁寧な声が返ってきた。



　予想していた渋滞にも巻き込まれずに、無事、旅館に到着。
　だけど、最初が最初だけに、そうそうスムーズに事は運ばなかった。
「え？キャンセルされてる？」
「はい。先ほど女性の方から連絡がありまして」
　予約していた吾朗の名前を告げると、旅館の人からは二つ取っていたはずの部屋がキャンセルされていることを教えられた。
　手違いじゃないですか、と聞こうとすると、新垣さんが、
「ごめんなさい。典ちゃんが、電話したのかも」
と言った。
　困ったなと頭をかいていると、旅館の人は笑顔を見せて答えた。
「お取りになっていたお部屋には別のお客様が入られてますが、他のタイプのお部屋なら一部屋空いていますよ」
　にっこりと笑って、俺と新垣さんの顔を交互に眺める。
　つまりは、俺たち二人が恋人同士だと思ってるってこと。
　確かに年頃の若い男女が二人で温泉旅館に泊まるってことは、普通はそうなんだろうとは思う。
　けど、俺と新垣さんはそういう関係ではないし、そこは流石にわかりましたとは言えない。
「とにかく、別の部屋をふたつとれませんか？」
「生憎他は満室でして」
　すみません、と申し訳なさそうに旅館の人が言う。
　どうやら本当に無理なようだ。
「わかりました。別の旅館、探してみます」
　そう言って、足元に置いた荷物を持ち上げたところで、慌てたように旅館の人が言った。
「それが、お客様。このあたりの旅館ですが、残念ながらこの花火大会のため、どこも満室なんです」
　確かにそれが目当てで俺たちもきたわけだけど、それほどとは。
　でもどうしようか。
　最悪、彼女はここに泊まってもらって、俺が車で寝泊まりすればいいとか？
　そう思う俺の前で、今まで黙りっきりだった彼女がいきなり声を上げた。
「いいです。じゃここでお願いします」
「新垣さん？」
　彼女は俺の止める声も聞かずに頭を下げる。
「お部屋、お願いしますっ」