翌日、おれは晶との約束通り、寮の庭掃除をしていた。すると、美森ちゃんが外出の格好で出てきた。
「おはようございます」
「おっ、おはよっ、ございます…」
昨日のことを思い出して、真っ赤な顔をするおれを知ってか知らずか、美森ちゃんはそのまましばし黙り込んでから口を開いた。
「その…。…今日は、いつ寮を出ていかれるの？」
「ええと。夕方くらい、かな」
　途端におれは、センチメンタルな気持ちになる。
　今日で美森ちゃんともお別れなのだ。
「どこか行くの？」
　最後に、さよならくらいは言いたいなと思って聞いただけなのに、美森ちゃんは異常にびくっと肩を震えあがらせた。
「…ええ。ちょっと。でも、忍さんが出ていかれる時間には戻ってきます」
　ああ、よかった。
「じゃあ、いってらっしゃい」
何の気なしに言った言葉だったけど、美森ちゃんはどこか上の空になっていたようで、そのまま寮を出ていってしまった。
　何かいいたそうな美森ちゃんだったけど、私服でいつもと雰囲気が違う彼女にどきどきして、おれは何も言えなかった。
　そっかぁ、今日で終わりなんだ。この生活も。
おれはそう思って掃除を続ける。空は抜けるように青い。私服だから、スカートじゃなくてよかったけど、かつらだけは脱げなくて、空を見上げたときにそのかつらがづれそうになって、おれは慌てて頭を抑えた。
　やばいやばい。
　最後の最後でばれたら、大変なことになる。　
「ちょっと、忍。美森どこに出かけた？」
　センチメンタルな気分でいると、どかどかという音と一緒に晶が現れた。ほんとロマンのかけらもないやつ。
　さあ、知らない。でも、夕方には戻ってくるってさ。
「まったく、あんたのせいだからねっ」
　へ？おれ？
　それだけ言い残すと、晶は説明もしないで走り出そうとした。
　ちょ、ちょっと待てよ。気になるじゃん。その言い方。
　おれは気がつくと、箒を投げて、晶を追いかけていた。
　晶は、行き先がわかってるみたいで、あまり迷うことなく、走っていた。おれはというと、晶に追いついて、話を聞きたいだけなのに、追いつきそうで追い越せない。
　なんであいつって、走るの速いんだ。つーか、おれが遅い？もしかして？
　そんな晶も、おれが角を曲がったところで、急に立ち止まっていた。思わずぶつかりそうになったおれに気付いた晶は、
「なんであんたがついてきてんのよ」
とちょっとうろたえていた。
　お前が変なとこで話切るからだろ。美森ちゃんがどうしたんだよ。
「黙ってっ」
　晶ははっとしたように身を潜めると、角から、向こう側の路地をうかがっている。
　何があるってゆーんだよ。
おれも身を乗り出して、見たところで、頭が白くなった。
　美森ちゃん、そしてその向かいにいるのは、葛城だ。
　どうゆう、こと？
　そして美森ちゃんの顔は赤い。
　それってつまり…。美森ちゃんの好きな奴って…。
「あんたのせいよ。あんたが変にけしかけるから、美森までその気になっちゃったんだからね」
　晶がそう言った。冗談だろ、と呟いたおれに、晶が言う。
「まったく、あの葛城真人に一目ぼれするなんて、しかも、あんたの部屋に忍び込んでた姿にほれるなんて、美森も馬鹿だよ」
　え。ってことは、美森ちゃんの友達ってのは。
「あんたのことよ、忍」
　晶は説明をした。
「あいつがやってきた次の日から、美森の様子がおかしくて、問い詰めたら白状したのよ。忍の恋人好きになったなんていうもんだから、こっちは本気で驚いたんだからね。しかも、聞けばそれが、あの葛城だって、いうじゃない。あのスケコマシの」
　おそらく、桜子先生からの情報と、晶自身の耳と目で、葛城の生体はわかったに違いない。
「こっちはどう転がっても美森が可哀想だからって、本人の意志で諦めさせようとしてんのに、あんたときたら、応援までしちゃって。ほんと馬鹿」
　ほんと馬鹿だ。そこだけは認めるよ。だって、相手があの葛城だなんて。あの…。
　そんなの、弄ばれるだけに決まってるじゃないか。
「告白するんだって、昨日言い出して、こっちはなんとかして辞めさせようとしたのに」
　心配そうに見つめる晶の目の前で、美森ちゃんは葛城に話しかけていた。
「あの。私、河原美森っていいます」
「ああ、清廉の子だろ？このまえ寮で会った。で、何？話って」
「あの、あたし−」
　美森ちゃんはまっすぐに葛城を見詰めた。
「あなたのことが、好きになりました」
　言って、しまった。ついに…。
　葛城のやつ、なんて答えるんだろう。今、特定の彼女はいないから、もしかしてつきあうわけ？
　その瞬間、おれの心はぎゅーっと痛くなった。
　嫌だ。そんなの。おれは嫌だ。
葛城は、一瞬だけ、眉をひそめていたけど、すぐにまゆを戻していった。
「悪いけど、俺全然、あんたみたいなお嬢さんに興味ないんだよね」
その瞬間、美森ちゃんは無理やりな笑顔を作っていた。
「…わかり、ました」
小声でそう言うか言わないかのところで、美森ちゃんは葛城に頭を下げると走り去っていこうとした。
　途中で、おれと目が合うと、彼女は驚いた顔をしてから、すぐに顔を伏せて走り出した。その目には、綺麗な涙が流れていた。
　その瞬間、おれは思い出していた。寮の前で涙を流していた美森ちゃんを。
　あの時、自分で誓ったことを。
　ごめん、美森ちゃん。応援したのに、今。おれは君を裏切ってた。
「ちょっと忍」
晶が止めようとする腕を振り払って、おれは溜息をついてる葛城の前に出ていった。
「葛城っ」
　葛城がおれだとわかったところで、おれは思いっきり葛城に殴りかかった。
「ってぇ、なにすんだ、草薙」
　葛城がおれをにらみつけていた。
「お前、最低だよ、なんでもっと優しい言葉かけてやれないわけ？」
　美森ちゃん、泣いてたんんだぞっ。お前みたいなやつのこと、好きになったって。
「じゃあなんだ、お前は俺があの子とつきあえばいいってわけか？」
　それ…は。
「…美森ちゃんがそれを望んでるんなら」
　そうだよ。望んでるんなら。おれは応援してやるって決めたんだから。応援するよ。認めるよ。
「いいさ、けど好きにはなれねえよ。ヤるだけヤって、捨てる−」
「ふざけんなっ」
おれはもう一発葛城を殴りつけた。まずいと思った晶が、もう何発かなぐりつけようとしてるおれを抑えようとした。後ろから羽交い締めにされて、おれは放せとジタバタしたものの、情けないことに、空手初段の晶に、おれは敵わなかった。
　なんて情けない…。
　それに。
　おれってほんと馬鹿だ。
「あの子は、本当にお前みたいな奴のこと、好きになって、真剣に悩んだんだぞ。おれの…友達の、恋人を好きになっちゃったって、涙まで流してさ」
　あんな純粋な涙を、おれは見たことがなかったぞ。
けど、葛城はふんっとおれをにらみつけていった。
「その友達の恋人に、告白を平気でするような女、俺は信用できねえよ」
　それは…。おれが応援するなんて言ったからだ。
　言わなかったら、きっと美森ちゃんは葛城に会おうとなんて思わなかったかもしれない。
　馬鹿だ。本当に。
　葛城は、いてぇと呟いて、切れた唇から流れた血を拭うと、馬鹿にしたようにおれに言った。
「追いかけてやれば？慰めてやれば？そんでお前が実は男で、あの子のことが好きで、俺はフリーだって教えてやれば。そんでお前の気が納まるなら、そうしろよ」
　やってらんねぇよ、と小さく言って、葛城はおれの前から姿を消した。
　力を入れていた晶の腕が離れて、そっと何故だか優しくおれに、晶は言った。
「馬鹿…」




「お世話になりました」
　寮の前で、おれは来たときと同じく、ボストンバッグひとつで目の前に並んだ晶たち寮生や、桜子先生や、寮母のガリメに頭を下げた。
　おっとぉ、かつらが。
　ずり落ちそうになったところで、慌てて頭を抑える。そして、顔を上げる。
　けれども、そこにはやはり美森ちゃんはいない。
「部屋にこもって出てこないんだ、美森」
晶がそう言って説明をしてくれた。
「告白してるとこ、あんたに見られて、会わす顔ないって」
　そっか…。
　最後に一目だけでも会いたかったのにな。
「いろいろあんがとな、晶」
　気持ちを切り替えるべく、明るく言うと、晶はおれの頭を軽く叩いていった。
「2度と寮には入らないでよね」
　わかってるよ。
トントンと肩を叩かれて振り返ると、桜子先生がいた。
「またね、忍クン」
　へ？また？
桜子先生はニコニコと微笑みながら、おれの耳元で囁いた。
「拒否したら、そちらの校長に訴えるわよ」
　う…。
　会って、お茶くらいで済むんだったらいいんですけど。
「ありがとうございました」
　おれはそう言って、寮を出ていった。一瞬だけ振りかえったけど、やっぱり美森ちゃんの姿は見当たらなかった。



　家の前には、真っ赤なアルファロメオが止まっていて、そのドアに寄りかかるようにサネ君がおれを待っていた。
「お帰り、忍チャン」
　思わずおれは、かぶっていたかつらを投げつけた。サネ君は上手にそれを受け取ると助手席のドアを開けた。
「葛城とケンカしちゃったんだって」
　そう言われると、あいつを殴った右手が痛くなった。
「ちょっとつきあえ」



　連れてこられたのは、どこかのクラブで、時間がまだ早いせいか、お店に客は誰もいなかった。あ、クラブって言っても、綺麗なおネエさまがいるクラブで、今もおれの両側とサネ君に一人ついている。目の前には高そうなウイスキーのボトルが置かれていた。
　サネ君は煙草をふかすと、それまで黙り込んでいたのをやめて、おれに質問した。
「お前好きな子に告白して、ふられたことあるか？」
　質問の意図はわからなかったけど、おれは正直に答える。
「はい」
「なんて言われた？」
　おれは1年くらい前のことを思い出す。
　相手は、楚々とした感じの可愛らしいクラスメートだった。
「草薙君はいい人なんだけど、他に好きな人いるからって」
「どう思った」
「いい人なんていわれたくなかったです」
　サネ君は煙草の火を消すと、おれの顔を真っ向から見つめた。
「結局さ。ふられる時って、傷つくわけだから、下手に優しい言葉かけられると却って辛いんだよな。そう思わんか、忍」
　おれはゆっくりと頷く。
　サネ君が何を言いたいのかが、わかった。
「そういう意味で、人のやさしさって、一部分じゃ測れないよな」
「美森ちゃんをけしかけたのは、おれです。頑張れって応援したのは−」
「けど、葛城だって、興味もない女とはつきあえんだろう、お前がそんなに好きなら尚更」
　確かにそれはそうだ。
　なんだかんだ言って、おれは葛城を友人だと思ってるし、あいつもおれのことを友人だと思ってくれてるとこがあるのを、知ってる。
　でも、心がわりきれない。
　ふいにサネ君が言った。
「お前こそ、彼女に告白すればいいだろ」
　サネ君の持ったグラスの中で、氷がカランと音を立てた。
　その時、きっかけはよくわからないけど、おれはとても腹が立った。
「言えるわけないじゃないですかっ。だって、おれは、彼女にとって、女の子なんだ。それが男だなんて言っても、変態扱いされるに決まってる」
「言ってみなきゃわかんないだろ」
「簡単に、言わないでくださいよっ。
　無責任に。いつだって、サネ君はそうなんだ。
　こんな、こんなことになったのは、だいたいサネ君が悪いんだ、サネ君がおれに、女装して女子寮に忍び込ませたから。おかげでおれは、彼女にもう一生会えないんだ、会えるわけないのに、告白しろなんて、最低だっ。最低な教師だっ」
　立ちあがって、おれは肩で息をしていた。
　隣に居たおネエさまが心配そうにおれを見ている。
「すっきりしたか、夏目」
　サネ君は平然と微笑みながらそう言った。
　そして粋がっていたおれの肩をトンと押した。
　突然で、バランスを失ったおれはそのままソファに倒れこんだ。けど、隣のおネエさま方がおれを支えて、体を打ちつけるようなことはなかった。
　何すんですかっ。
　と言い返そうと思ったとき、サネ君は立ちあがって言った。
「夏目、お前女性恐怖症はもういいんだな」
「え？」
　そう言われて、おれは両側を見た。
　ボディコンの服を着た綺麗なおネエさま方が、俺の体に触れている。
　けれど、おれは鼻血を出してもいない。
　ニコッとサネ君が微笑んだ。
「無理だと思ってもやってみろ。意外と簡単かもしれないぞ」
「…サネ君…。葛城」
そしておれは、店の入り口に立っている葛城を見つけた。
　すべてサネ君の策略。
　入るかどうか悩んでいるような葛城に声をかけ、サネ君はおれ達に言う。
「さ、仲直りの握手、握手」
　サネ君の手と、おネエさまの手が俺たちの腕をつかみ、ちょっと恥ずかしく思いながらもおれと葛城は握手をする。
　顔を上げると、薄暗い照明の下でも葛城の頬は赤く腫れてるのがわかった。
「…さっきはごめん」
　たった一発だったけど、おれのつくった傷は痛そうだった。ふてくされた顔の葛城だったけど、おれが謝るのを聞いて、こう言った。
「お前ってさ、ほんと馬鹿だな」
「え？」
「そいつら全部男だぜ」
葛城はそう言って、おれの両隣のおネエさまを見た。
　げっ。
　嘘だろ？
だけど、次に聞こえた声は、どう考えても声変わりをした男の声だった。
「あらぁ、真人ちゃん。なんて言い草」
「ほんとひどいわ。わたしたち、ただの女なんかよりもずっと綺麗よ。ね、忍ちゃん」
　まじで？！
「おれがお前を、綺麗なねぇちゃん店に連れてくわけねーだろうが」
　サネ君がそう言う。
　なんつー教師…。
そして、車のキーを葛城に投げると、店を出ていく。葛城も、おれに笑顔を向けて一言だけ言った。
「じゃな、忍。後はまかせたから」
　え？それってどういうこと？
　途端に、おれの両腕をオカマのおネエさまたちが力強く掴んだ。
「忍ちゃん。今日は帰さないわよ」
「それにしても、忍ちゃん。かわいい顔してるわねぇ」
　ま、まじ？！