そして、なんてことない1週間が過ぎた。
　サネ君にはあんな風に言われたけど、冷静に考えても、おれは美森ちゃんに会いに行けなかった。どんな顔して、会えばいいのかわからなかった。女装すれば、会えたかもしれないけど、余計惨めになりそうだったし、それにおれが出ていく時に顔すら出さなかった美森ちゃんだから、会ってくれないと、おれはそう思っていた。



　ところが、美森ちゃんはそうでもなかったみたいで。
「あの、草薙忍さんっていますか？」
　東光の正門前に現れた美森ちゃんに質問されたうちの女子は、清廉の制服に驚きながらも答える。
「草薙…ああ、忍くん？ええと、1年Ｆ組だけど」
　クラスの違うその女子は、おれの顔だけ知っていた。何故なら、彼女のクラスの葛城に会うためによく行っていたから。
「あ、ちょうどいい。ねえ、葛城」
　そして当然のように女連れで通りかかった葛城に声をかける。
「忍くんにお客さんだけど、今どこか知ってる？」
　二人の視線がぶつかった。
　葛城のちょっと焦った表情に、美森ちゃんは誤解をした。
「…どうして。忍さん、知ってるんですか？」
　隣のついこの前付き合い始めた葛城の女が不安そうに質問する。
「何のこと？真人」
　もっとも。葛城にとってはどうでもいい女。
　それでも、美森ちゃんにはそんなことはわからなかった。
「浮気…なんて忍さんが、可哀想…」
　何度も修羅場を経験してきた葛城には、こんなことは屁でもなかった。
　そう。葛城だけの、問題だったら。
「浮気？どういうこと？真人」
「お前には関係無い話だって−」
「忍さんという恋人がいながら、あなたって人は。やっぱり、晶さんの言ってたことは正しいんだわ」
　三人の会話が交差して、葛城はとうとう溜息をついてしまった。
　もう駄目だ。ばれてしまった。
　葛城は、そっと空を仰いだ。
　隣の女が美森ちゃんに言い返している。
「え？何言ってるの？このお嬢様。なんで真人が草薙と付き合ってるのよ。男同士なのに」
「…え」
「ま、ホモっていうなら、それもそれでいいけど」
　葛城の女はくすくすと笑った。そして、呆然としている美森ちゃんを無視して、クラスメートの女子も言う。
「確かに忍くんて、かわいいものね。あ、噂をすれば。忍くん、お客様よ」
　…と、そこで登場したのが、おれだったわけで。
　おれは、そこまでの会話は知らなかったけど、もちろん女装してない男の恰好をしてたわけだから、すぐにばれたことを理解した。
「…美森ちゃん…」
　葛城が、目でばれたぞと訴えていた。
　次の瞬間、美森ちゃんはすぐさま走り出す。
「待って。美森ちゃん」
　おれは追いかけた。
　追いかけなきゃいけなかった。
　なんてことない1週間だった。
　でも、おれはずっと美森ちゃんのことを思っていたから。
　ずっと、笑顔の美森ちゃんを。
　角を曲がったところで、おれはやっと美森ちゃんの手を捕まえた。
「放してくださいっ」
「おれの話聞いて」
男の声に、ちょっぴり驚いたのか、一瞬だけ美森ちゃんは肩を振るわせた。そして一生懸命におれの手から逃れようとしてたけど、やっぱり男のおれには勝てないと悟ったのか、振りまわしていた腕の力を抜くとこう言った。
「聞きたくなんかないわ。ひどいっ、男なのに、どうして女の子のふりをしてたの？」
「それは…」
「どうして女子寮に？」
　美森ちゃんは泣いていた。
　だから、おれは言葉を無くしてしまった。
　おれが、泣かせたの？
力が緩んだ隙に、美森ちゃんはおれの腕を振り払った。
「最低ですっ」
そして、美森ちゃんは力いっぱい走り去って行った。
　そして、そして。
　おれは、失恋した。



「さいてーです」
　だからうるさいっての、平田。
　おれの失恋を茶化さないでくれますか？
「かなりの美少女だったって噂だぜ。なあ、俺。清廉の子とコンパしたい、コンパ」
　勝手にやれば。
「何言ってんだよ。お前仕切れよ。知り合いたくさんできただろ？」
　女の子としてだろ？
　だいたい男だってばれちゃったんだから、そんなのできるわけねーじゃん。
「ちぇっ、つれない奴」
　おれは、前の席に後ろ向きに座った平田の視線からのがれるように、臥せって横を向いた。
　おれのことなんか、放っておいてくれ。
途端に、後ろから誰かに殴られ、思わず顔を上げた。
「ってぇな、葛城」
葛城は、隣の机に座ると、おれを見下ろして言った。
「うじうじしてんじゃねぇよ」
「黙れ、葛城」
　失恋したことないお前なんかに、この胸の痛みがわかってたまるか。
「それで、諦められるのか？」
　られるわけないじゃん。でも、ふられたわけだから、諦めなきゃいけないんだけどさ。
「お前さ、あの子になんっつったの？友達の男を好きに悩んでたあのお嬢さまにさ」
　それは…。と言いかけて、おれは黙り込んだ。
　でも、彼女とおれとじゃ、状況が違うんだ。
「おい忍」
　ふいにサネ君の声がした。
「お前、別にふられてなんかないだろ」
「最低って言われたんですよ」
「俺は、最低と言われた女に、その後好きだと言われたことがある」
　サネ君は堂々と言った。
「それって自慢ですか？」
　平田が聞き返した。
「まあな」
　サネ君っ。こんな時に冗談言わないでくれよ。
「冗談じゃなく、これは教訓だ」
　教訓？
「そ。女心と秋の空というだろ？」
　サネ君はそういうと、おれの肩をぽんと叩いた。
「うまくいったら、本当のおネエちゃん店に連れてってやる」
　隣で、本当のおネエちゃん店ってどんなとこすか？と興奮気味に平田が騒いでいたけど、おれにはそんなこと、どうでもよかった。


　　どうでもよかったけれど、美森ちゃんのことはどうでもよくなかった。
　　葛城の言っていたように、彼女にいろいろ言ったくせに、それを自分じゃできないなんて、情けなかったから。
　　ええい、当たってくだけろだ。

　
　清廉の校門近くで、そしておれは美森ちゃんを待ち伏せしていた。
　厳格な校風のせいか、周りには男子高校生なんていなく、おれはかなり目立っていた。そのせいか、異常なまでにじろじろと見られている気がした。
　誰かに声をかけようかとも思ったけど、そんな雰囲気でもない。
　ええい、こうなりゃさらし首にされた気分でいいから、美森ちゃんを待ちつづけるぞ！
「あ」
　と決心した途端に、美森ちゃんが現れた。けど、おれに気付くなり、彼女は逃げ出した。
「待って、美森ちゃん」
　周りを気にしてか、走り出さないけど、早歩きで美森ちゃんは進んでいく。
「ついて来ないでください」
「今日は話があって来たんだ」
「話は晶ちゃんから聞きました。…罰ゲームだったって」
　美森ちゃんはおれの話を誤解したのか、そう言った。
「別にわかったからって、誰かに告げ口しませんから。帰ってください」
　そしてすたすたと歩いていってしまう。
「待ってよ、美森ちゃん」
　おれとは1度も目をあわせてくれようともしない。
　それは、おれが嘘をついていたから？
　確かに女のフリをしてた。
　本当は言いたかった。
　おれは、男なんだって。
　男として、おれを見て欲しいって。
「美森ちゃん」
　おれは思わず回り込んで、彼女の腕を掴んだ。そこで、初めておれと彼女はきちんと向き合った。男と、女として。
「君が、好きです」
　美森ちゃんは目を見開いた。
「君が−」
　好きだから。
そう言う前に、美森ちゃんはショックを受けた顔をして、おれからニ、三歩後ずさりした。そして、掴んでいた腕を振り払うと、駆け出していった。





　次の土曜日。
　サネ君はいきなりおれを呼び出した。
「おい、忍。お前暇だろ？」
　なんですか、急に。つーか、すごい薔薇。
　片手に真っ赤な薔薇の、大きな花束を抱えたサネ君は、まさに芸能人さながらな風貌だった。そして、おれに向って、その花束をひょいと投げた。
「デリバリーしてくれ。清廉の寮まで。桜子宛だ」
　自分で届りゃいいじゃないすか。
おれがそう言うと、サネ君は足元にあったボストンバックをおれに見せた。
「俺はお祖父さんが倒れたから、これからでなきゃなんないの。それから、間違っても俺の名前だすなよ。じゃ、頼んだから」
　相変わらず、横暴な教師だ。
　でも、おれなりに大好きな教師だ。
　だって桜子先生に渡しに行くってことは、寮に行くということで、それはつまり、美森ちゃんに会えるかもしれないってことなのだ。
　おれは、彼女に振られた。
　はっきり言われたわけじゃないけど、そんなもんわかる。
　でも、簡単に忘れられそうになかった。

　寮の前に来ると、ちょうど外から戻ってきた晶と鉢合わせになった。
「ちょっと、何してんのよ」
　おれは慌てて帽子を目深にかぶる。恰好は男だけど、ばれないとも限らないから、一応かぶってきたんだ。晶は、いぶかしそうにおれを見つめた。
「あ。…ちょっとおつかい」
「で、何よ」
　心なしか晶の口調が冷たい。
「桜子先生に、サネ君が−」
「実朝がどうかした？」
「桜子先生」
　晶の視線を追いかけると、ちょうどおれの後ろから桜子先生の声がした。おれは、持ってきた薔薇の花束を無言で渡した。
「実朝は？」
　げ。やっぱり聞こえてたか。
　名前を出すなと言われてたのに。
「なんかお祖父さんが倒れたとかで、駅に−。桜子先生？」
おれが説明終わる前に、桜子先生は一目散に走り出した。
　何がどうなってるんだ？
「追いかけよう」
　ふいに晶が言った。
「え？」
「いいからっ」


　その後、桜子さんは大通りでタクシーを捕まえた。おれと晶も、同じようにタクシーを捕まえて、桜子さんの尾行をお願いすると、タクシーはそれから駅に着いた。
「実朝っ」
　駅の構内を、桜子さんは叫びながらサネ君を探す。
美人が大きな赤い薔薇の花束を持って、ハイヒールならして大声を上げているものだから、その姿はとても目立った。
「実朝っ」
　そして桜子先生は、改札に入ろうとしていたサネ君を見つけると、わき目も振らずに走り出した。サネ君も、すぐに桜子先生に気付く。
「…さくら…」
そこまで言って、サネ君は言葉を失った。いや、何も言えなくなったのだ。
　だって、桜子先生が、サネ君に抱きつくなり、熱烈なキスをしたから。
　不意打ちだったのか、サネ君の手からボストンバッグが床に落ちた。
それでも、桜子先生はキスを止めようとしなかった。そのうちに、空をつかんでいたサネ君の腕は、桜子先生の細い腰にしっかりと回された。
　それは、映画のワンシーンのような、熱いラブシーンだった。
「もう、帰るよ。忍」
　顔を少し赤らめた晶が言って、おれたちは駅から引き上げることにした。



　つまりはそういうことだったのだ。
　晶曰く、サネ君と桜子先生は幼なじみで、恋人だった。そしてサネ君は桜子先生が３０歳になっても、結婚してなかったら結婚しようとプロポーズをした。でも、いろいろあって二人は別れた。そして何年か経って、桜子先生は婚約をした。でも、３０を目の前にして相手に逃げられた。
　そして今日が、桜子先生の３０のバースディだったのだ。
「真っ赤な薔薇の花束でプロポーズなんて、実朝先生もキザな演出してくれるよね」
　晶はそう言って、幸せそうな溜息をついた。
　その横顔は、どこか女の子らしくて、おれはしばし晶に見入っていた。が、急におれの方を振り向くと、いつもの顔に戻ってにくたらしく晶は言った。
「どうせあんた暇なんでしょ」
　どうせは余計だろう。
「ちょっと、お茶しようよ」



　そこは、前に美森ちゃんと二人でやってきたケーキ屋だった。
　晶は、単刀直入に言った。
「美森に告白したらしいじゃん」
「ああ。ふられたけどな」
「ふっきれた？」
「ふっきれるわけないだろ、そんなすぐに」
　そんな簡単にはいかないよ。
　すると、晶は意外にもそこでふふふと微笑んだ。
「同じ。美森も」
　え？
「まだ、好きなんだって。葛城のこと」
「…ああ」
　にっくき葛城め。
　そうとは知らずに、あいつは今日は別の相手とまたデートをしてるはずだ。
晶はいつもとは違って、優しい口調で話した。
「美森は、あんたと友達ではいたいんだって。別に、あんたが葛城の友達だからとかじゃなくてよ。いろいろ相談したとき、すごく頼りになったって。大事な友達だって。
　でも、そう伝えることが、あんたを傷つけることになんないかってすごく悩んでる」
　そんなこと…。
「話聞いてやってよ。あ、美森、こっち」
ふいに晶が手を上げた。その視線の先には、おれに気付いて戸惑っている美森ちゃんがいた。
「この前はごめんなさい。最低なんて言って。好きだって言ってくれて、本当に嬉しかったの。でも、あたし−」
　その一言一言を、大事そうに美森ちゃんが話す。
　おれに気を使ってくれているのがわかる。
　そして、晶が軽く頷いた。おれも、もちろん同じように頷き返した。
「いいよ。わかってるから。
　でもさ、こうして知り合えたんだし。その…友達にもなれないかな？」
「え…」
「なって、もらえませんか？」
　君が葛城を思いつづけていく限り、おれも君を好きだと思う。
　でも、せっかく出会えた美森ちゃんと、このままさよならなんて、おれにはできなかった。晶の提案は、たしかにおれを傷つけてないわけじゃなかったけど、おれとしても全然アリな話だったんだ。
　そして、何もしらない美森ちゃんが返事をくれる。
「…はい」
　美森ちゃん。
　その笑顔のためだったら、おれはいくらでも頑張れる。
　そのことに、いつになったら気付いてくれる？


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「なんだかんだとハッピーエンドってやつじゃない？これって」
　平田がチキンを口一杯にほお張りながら言った。
「まあなぁ」
　葛城も興味無さげに答えている。
　おれたちは、いまサネ君の家にいる。そこで、桜子先生の手料理を食べさせてもらっているのだ。
　つい3日ほど前、桜子先生はようやく寮を出ると、そのままサネ君のマンションに転がり込んできた。
　同棲？というと、まあねと桜子先生が笑顔で答えた。
　平田は桜子先生のご飯をうまいうまいと食べながら目の前に座る恋人たちに質問をする。
「それでいつ、お二人はご結婚なさるんですか？」
「実朝のお祖父様の喪が明けてからだから、2ヶ月は後ね」
「いや、普通は1年くらい喪に服すだろう」
「2ヶ月よ」
「別にいいだろ、1年後で」
「嫌よ、いやいや。３０のうちに結婚式したいの」
　二人の間でいつものように言い争いが始まって、葛城がふうと溜息をつく。
「ま。お好きにどうぞ」
　夫婦喧嘩は犬も食わないっていうしね。
　なんだかんだと、この二人はお似合いなのだ。
「おい忍」
　言い争いは結論が出ないままに、サネ君は唐突におれに1枚の紙切れを差し出した。
「なんですか？コレ」
「お前が寮を出た時に飲んだ酒の請求書だ」
　あのおカマのおネエさま店か。
「払っておけ」
　え？だって。おれ、あの時ウーロン茶しか飲んでないのに。
　ってゆーか、なんで3万もかかってるわけ？
「何時間あそこにいたと思ってるんだ。テーブル料だ、これは」
　げっ、うそだろう？
顔が青ざめているおれの隣で、葛城が楽しそうに言った。
「それ請求しても出てこねぇよ、サネ。こいつ、またバイトクビになったから」
　げげっ、なんでばれてるわけ？
「じゃ、そこで働け」
「冗談でしょう」
　だってあそこは、オカマバーだぞ。
「お前の女装、結構かわいいと評判だったぞ」
「あ、俺もそう思う。草薙って絶対女の方がもててたぜ」
　なんだと、平田っ。
「いいや。今からでも遅くない、お前、女になれ」
　そんなサネ君また無茶言って。
　おれはもう、絶対に女装なんかしませんっ！！