すっごい不安だった寮生活も、気付けば５日目。あと２回眠れば、終わりになる。
　住めば都というけれど、意外に寮生活は楽しかった。
　いやー、これだったら、また麻雀でお金払えなくなった場合、またやってもいいかも。


　サネ君の脅しが効いたのか、その後桜子先生からの呼び出しも無かったし、
　料理はおいしいし、
　女の子って優しいんだなって感じた。
　サネ君のおかげで、不幸な目に遭ってしまったというおれに、清廉の女の子たちは入れ替わり、立ち替わり、差し入れといっていろんなものを持ってきてくれたのだ。
　それはタオルとかの生活用品だったり、
　食べ物だったり、本だったり。
　時には服ももらったりした。
おれが、その親切な気持ちを受け取って、
「ありがとう」
なんて言っても、彼女たちは首を横に振り、こう言うのだった。
「とんでもないわ。忍さん。頑張ってね」
そして、ちょっとだけ声を潜めてこうも言うのだ。
「ところで、東光ってかっこいい男の子の友達いない？」
　…結局考えることは、男も女も同じらしい。
　でも、そんな中で美森ちゃんだけは、おれの期待を裏切らない、清廉潔白な少女だった。
　もし美森ちゃんの背中に、白い羽が生えていたとしても、おれはそれを当然だと思うに違いない。
　やっぱり、美森ちゃんは天使なんだって。
　おれは美森ちゃんが笑顔でいてくれたら、それだけに幸せになれるんだ。
　よぅし、おれが彼女をこの薄汚い世界から守り抜くぞっ。
なんて思っていたら、ちょうど寮の前にうなだれた美森ちゃんが立っていた。
　どうしたのって、声をかけようとして、おれに気付いた美森ちゃんは、ぱっと顔を明るくしていたかと思うと、すぐに悲しそうな表情になって、それから困った表情になって、そして、また俯いた。
　どうしたの？って聞くまでもない。
「どっかで、お茶でもする？」



「とりあえず、コーヒーと、えっと、彼女は…」
「紅茶を」
お待ちください、といって、ウェイターの人は、にこやかに去っていく。
美森ちゃんに連れてこられたのは、女の子が好きそうな、ケーキ屋だった。こんなとこ、誘われない限りはこないんだろうなー。
「あのさ。どうかした…の？」
　さっきから、黙りこくった美森ちゃんの目には、なんだか涙がうっすらと浮かんでいるようにも思える。
美森ちゃんは、それでも、しばらく、下を向いていたけど、決心したのか、おれを正面から見つめた。
「忍さんは、葛城さんのどこが好きなんですか？」
　それはあまりに唐突な質問で、おれは思わず口にしようとしていたコーヒーを、よりによって美森ちゃんの顔に吹きかける寸前で、大慌てで飲みこんだ。けど、やっぱりへんなとこにつまらせて、ごほごほをしばらく咳をしてしまった。
「大丈夫ですか？」
　うん。いや、そんなことよりさ。
「なんで、そんなことー」
　聞くの？
そう言う前に、美森ちゃんの顔は瞬く間に真っ赤になった。それがどういうことなのか、おれにもわかった。
　聞くんじゃなかった。そう思った。
そして、美森ちゃんから決定的な言葉が告げられた。
「好きな人が、できたんです」
　ジーザス…。
　おれってば、自分から話をふって、自分からふられてしまった…。
　そんなおれの心に気付くことなく、美森ちゃんは話を続ける。
「わたし、男の人を好きになったの初めてで、どうしていいかわからなくて。あの、ごめんなさい、変なこと聞いてしまって」
　いや、いいんだよ…。
　つーか、質問忘れちゃった。あ、そうそう。葛城のどこが好きか、だっけ？
　思いっきり誤解してるよ、美森ちゃん、きみは。
　でも、そんなことなんだかどうでもよい。
　そっか、好きな男が…。いるのか。
「あいつのいいとこ、なんてひとつしかないよ」
「ひとつ？」
「顔。ルックス」
　ああ、もうなんでもいいや。
　こうなりゃ、実は男だってのがばれてもいい。
　葛城の恋人にだってなってやる。
「顔、ですか」
「だって、それ以外、あいつ取り柄ないんだもん。性格は悪魔みたいだしさ」
　顔…、と美森ちゃんは呟く。
「でも、晶ちゃんに言ったら、それは恋とは違うって、言われました。ルックスを好きなるって、一目で好きになるのは、恋じゃないって。
　それに、その人…。恋人いるから」
　な、何？相手の男には、彼女がいる？！
　だったら、そんな辛い恋なんか、やめて…。
そう言いそうになったおれは、顔を上げて見た美森ちゃんの表情に、何も言えなくなってしまった。彼女は唇をかみ締めて、瞳を潤ませていた。
　それが、美森ちゃんの気持ち。
　それでも、好きなんだね。きみは。
　だから、こんなに悩み、戸惑ってるんだね。
　だったら、おれが言えることなんて、決まってる。
「あのさ、美森ちゃん。それでも、好きなら頑張りなよ。駄目でもともとでさ。きっと今よりは気持ちもすっきりするよ。おれ、応援するからさ」
　ほんと、言えたらすっきりするのに。どんなにか、気持ちが晴れるのに。
「ありがとう、忍さん」
　美森ちゃんはようやくそこで、いつものあの天使のような微笑を浮かべた。
　そう、おれは、君が笑ってくれるんだったら、何だってするよ。本当に。
「それじゃ、帰ろうか」
立ちあがったおれに、美森ちゃんは自分の巻いていたマフラーをかけてくれた。
　え？
「風邪ひいたみたいね、忍さん。さっきから声がおかしいわ。いつもより低いもの」
　はっ、そういや、地声のままに…。
「あ、あらそうみたいね、ほほほ」
　せめて、この恋が叶わぬものであったとしても、そう。おれは君と異性として出会いたかったよ…。


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「ちょっと、忍」
朝ごはんを食べてから、そそくさと寮を出ていこうとしたおれは、晶に呼びとめられた。
　なんだよ、せっかく外に出られるっていうのに。
「外出するんなら、外出許可が必要なの」
　げっ。嘘…。面倒だなー、もう。
「それから、寮生は休日は各自掃除が義務付けられてんの、あんたは今日の午前中、トイレ掃除当番」
　何だよ、それっ。聞いてないよ。
「昨日寮母が言ったのに、あんた上の空で聞いてなかったじゃん」
　だって…。美森ちゃんのことが気になってたからさ…。なんてことは晶には言えないけど。
「悪い、実はこれから友達と約束してんだよ。な、この通りだから、見逃してくれ」
　第一女子トイレ掃除なんて、絶対嫌だ！
「あんたって、何かにつけては頭下げて見逃してくれっていってばっかりね」
　ぐっ。そ、その通りで…。
　ふうと一息つくと、晶は言った。
「わかった。寮母には、新居探しに言ったって言っとく。それから、掃除はあたしがやっとくから、そのかわり明日のあたしの分担の庭掃除をやって。あと、今日の夕方、ちょっと話したいことあるから、5時に駅前の喫茶店に来て」
　話したいこと？
　おれが晶の顔を見つめ返すと、晶は情けないといった視線をおれに向けた。
「寮じゃ話しにくいことだから。わかったわね」



「別に一人で来いって言ったつもりはなかったけど、なんでおまけがいるのよ」
晶はやってきたおれ達を見て、明らかに不機嫌だという表情をした。
　だってさ、清廉女子の子と知り合いになりたいっていうからさ。
どうも、とエセにこやか笑顔を向ける平田と、どことなくにやけた視線を晶に送る葛城の間に挟まれて、おれはそう説明した。
　途中で帰る理由を説明したらさ、ついてくるって聞かないんだもんこいつら。
「とにかく話がしづらいから、どっかに行かせてよ」
「だってさ、葛城、平田」
「仕方ねえな」
「それじゃ、また後でね。沢村晶さん」
二人は、ちょっと離れた席に移動した。ふう。
「それで、何なの、話って？」
　おれは注文したレモンスカッシュを飲みながら、顔を上げたところで、まともに晶と視線がぶつかった。何故か晶は驚いた顔をして、慌てて顔をそらしたまま、口を開かない。
　何だよ。晶。
「話って、な−」
「美森に何を言ったのよ」
　晶は、じろりとおれを横目で見た。
　何をって…。恋愛相談されて、頑張れって言っただけ、だけど。
「ばっかじゃないの、あんた」
　馬鹿って、ちょっと、酷い言い方じゃないか？晶。
「好きな女の子の恋を応援するようなやつ、馬鹿以外の何者でもないじゃん」
　けどさ、…ってお前。今、なんて言った？
　晶は小声で、手早く言った。
「好きなんでしょ、美森のこと」
　げっ。ばれてる…。
「わかりやすすぎんのよ、あんたは。昔から。…一応外見は大人になったみたいだけどさ」
　そういや、小３の時も、好きな女の子のことがばれて、冷やかされたっけ。
　つうか、一応大人になったみたいってどゆこと？
「けどさ、仕方ないじゃん。好きな女の子…美森ちゃんが、涙流すほど好きな奴がいるんなら、応援してやんないとさ。彼女がいる奴なんだろ？だったら、せめておれが応援してあげないと」
「だからあんたは馬鹿だっていってんの。美森の好きな人は…。美森の友達の彼氏なの」
　え？
「だからそういって、諦めさせようとしてんのに、あんたは…」
晶は溜息をついて、頭を抱えた。
「馬鹿よ、馬鹿。大馬鹿」
　それって美森ちゃん…めちゃくちゃ辛くないか？
　なのに、おれ、何にも知らずに頑張れ、なんて。
「とにかく、このことは、あたしがなんとかするから、あんたは口出ししないで。どうせ、明日出ていくんだから」
　晶の最後の一言は、おれの胸に響いた。
　明日。美森ちゃんともお別れだ。仮に、男の姿で出会えたとしても、美森ちゃんはおれのことを軽蔑するに違いない。女装して、女子寮に潜りこんでいたわけだから。



　その夜、ドアがノックされた。
「はい？」
　おれは慌ててかつらをかぶる。ドアの向こうからは、あの愛らしい声が聞こえてくる。
「忍さん。入ってもいいかしら？」
　おれが慌ててドアを開けると、そこにはパジャマ姿にカーディガンを羽織っただけの、美森ちゃんが恥ずかしそうな笑顔を浮かべて立っていた。
「明日で、お別れだから」
　彼女はそう言って、おれに小さな紙袋を差し出した。
　何これ？
「プレゼントなの」
　開けてみると、それは金色のふくろうだった。
「福を呼んでくれる鳥なんだって。昨日、お店で見つけたから忍さんにと思って」
　それは、掌にちょこんと乗っかる金色のふくろうだった。羽根はカラフルに彩られていて、どこかきょとんとした表情がおれの気持ちをあったかくさせた。
「いろいろ辛いことあるかもしれないけど、頑張ってね」
　そして何よりも、美森ちゃんの笑顔が、おれのこころをじーんとさせる。
「…ありがと」
　思わず涙が出そうになるよ。
　おれのために、美森ちゃんが買って来てくれたもの。
　一生の宝にする！
「ありがとうは、わたしのセリフ。相談に乗ってくれてありがとう」
　その言葉におれはドキッとした。
　それは、多分晶から今日、本当のことを聞かされたせいかもしれない。
「やっぱり。諦めようと思って」
　えへへと笑う美森ちゃん。ちょっとだけ目がうさぎのように赤い。
　きっといっぱい悩んだんだと思う。
　好きな人のことを。
　そして、その恋人である友達のことを。
「やっぱり、無理だから。晶ちゃんにも、そう言われたし」
　だから、とか弱くそれでも微笑む美森ちゃんを見て、おれは複雑な気持ちになった。
　それは、晶の横暴な考え方に対する怒りと、
　美森ちゃんに対するいとおしい気持ち。
　諦めることが、美森ちゃんの幸せなんだろうか？
「…それで、諦められるの？」
え？と美森ちゃんが顔を上げた。
「友達の恋人であっても、伝えるのは自由だよ。いつまでも気持ちを隠して、うじうじ思ってる方が友達にもよくないんじゃない？」
「忍さん…」
「美森ちゃんには、いつでも笑顔でいてほしいんだ…。君が−」
　好きだから。
　おれは確かにそう言おうとしていた。
　でも言う前に、美森ちゃんが動いた。その細い腕を伸ばして。
　そう、美森ちゃんは、おれを抱きしめたのだ。
　その体はうさぎのように柔らかくて、
　その香は、花のように爽やかだった。
「みっみも…」
「ありがとう、忍さん。忍さんに会えてよかった」
　美森ちゃんは、耳元で囁くようにそういっておれの背中に回した腕を緩めると、そっと立ちあがった。
「離れても友達でいてね」
そして最高の笑顔をおれに残して、そのまま部屋を出ていった。
　おれは、というと。
　抱きしめられた時のままの体勢で、そのまま1時間ほど呆然としていた。