「河原美森（かわはらみもり）です。よろしくお願いします」
「よ、よろしく。草薙、忍です」
「さっきは大丈夫だった？鼻」
「あ、はい。もう。だ、大丈夫」
「よかった。心配したんです」
　恥ずかしくて顔も上げられない。
　これは喜ぶべきなんだろうか。
　それとも…。
その時、ドアがノックと同時に乱暴に開けられた。
「美森っ。どんな子？ルームメイトって。あ」
　あ？
　なんだか嫌な予感。
　おれが顔を上げると、そこにはひきつった顔の、どこかで見覚えのある顔。
　でも、どこで？
「忍っ！あんたなんでここにっ」
　叫び声を聞いて、おれはすぐに思い出した。
「晶？！」
　そう、沢村晶（さわむらあきら）。小さい頃、一緒の幼稚園で、おれはいつもこいつに苛められてた。
それは小学校まで続いて、でも中学校に入る前、晶がどっかに転校していったんだ。
　そもそも、おれの女恐怖症はこいつの苛めが原因なんだ。
「なんでお前がここにっ！」
　焦って声が地声になって、美森ちゃんが驚いた顔をしてる。
　やばいっ。
「ちょっと」
　おれはそういうと、晶の手を取って、廊下に出ていった。



「ばっかじゃないの？」
　理由を話し終わった途端に晶はそう蹴散らした。
「頼む。留年がかかってるんだよ、このことは黙って見逃してくれっ」
「見逃せって言われてもね。だいたい部屋一緒の子が危なっかしくて、しかもそれが美森だなんて、悪夢もいいとこっ」
　晶は大きくため息をついた。
「部屋のことは聞かされてなかったんだよ。とにかく、横暴な教師と、意地悪な生徒なんだよっ！
頼むっ、この通りっ」
　晶のため息が、また聞こえた。
「わかったわよ、1週間だけなんでしょ？黙っててあげる。でも部屋は駄目」
「げ、もしかして晶の部屋？」
「ふざけるなっつーの、こっちからお断り。そうね、夜までちょっと待って。あんたは屋根裏部屋に一人になれるように頼んであげるから」
　寮母のガリメ？
「ばか。あんなのお固くて、理由をひつこく聞かれるに決まってるでしょ、もっと理解力のある人がいるの」
　とりあえず。というように晶は怒らせていた肩をなで下ろした。そこでようやくおれは晶に質問した。
「けど、どうしてお前がこんなお嬢様学校の寮にいるわけ？」
「高校入学でこっちに戻ってきたの。でも親は海外赴任になって、寮のある学校探したらここしかなかったの。
　それにしても、あんたって女装似合うわね。将来はオカマバーで働くことを勧めるわ」
　お断りだっ。



　　とにかく晶を味方にしたことで、おれは大船に乗った気持ちでいた。
誰だって不安な場所に少しでも知った顔の奴がいたら、安心できるのと一緒だ。それがいくら、あの晶でも。
「忍さん、一緒にお風呂入りましょう」
　夕食を食べ終わったところで、美森ちゃんがおれに声をかけてくれた。その天使のような笑顔に、おれはついつい素直にこくりとうなづきそうになる。
「だっだめよ、忍は。今、アレだから。最後に入るって」
　晶が慌てて話しに加わってくれた。美森ちゃんは納得したようだけど…。
「アレって何？」
「あんたってバカね。アレって言ったらアレしかないでしょう、生理よ、生理」
「セイッ」
　もっと恥じらいのある顔で言えないっもんかな、美森ちゃんのように。
　こいつってば、ほんと中身は全然変わってない。
　男勝りっつーか、なんというか。
外見は、一瞬わかんなかったくらいに女っぽくなってたのに。
　でも、面倒見がいいのも変わってなくて、おかげでおれ的には、この1週間結構余裕ですごせるんじゃないかと思うようになってきた。
　見た目はなんとか誤魔化せる（実はこれが一番ショックだけど）。
　声もなるべく高めに小声で、あまりしゃべらないようにすればいい。トイレも恥ずかしいけど、家と一緒だと思えばいい。
　ただひとつ忘れていたのが、お風呂だった。
「いい？本当はもう入っちゃいけない時間だから、水音は立てないようにしてよね。
一応あたしがここで見張ってるけど、誰か来たら、あんたは窓から出て隠れること。わかった？」
　はいはい、わかりましたよ。
「ハイは一回っ」
　とりあえずは晶の計らいで風呂もクリア。
　湯船に浸かって、ふうとため息をつくと、今日一日の疲れがどっと出てきた。
　女装なんかさせられたこと。
　晶に再会してしまったこと。
　そして、美森ちゃんに出会ったこと。
　唯一の幸せは彼女だ。
　風呂に入る前、頼みの人物がなかなか帰ってこないということで、晶は美森ちゃんに部屋を移動することを説明してくれた。
「実はね、忍って寝言とか、いびきとがうるさいの。だからね、屋根裏部屋もあいてることだし、迷惑かかるからそっちのがいいんだって」
　寝言といびきはお前だろうっ、晶っ。
と言いたかったけど、おれは無言で頭を下げた。ああ、ちなみにおれと晶の関係はそのままに、昔のおさななじみということになった。
「そんなこと、気にしなくてもいいのよ、それに屋根裏部屋なんて、あんなひどいところで忍さんが可哀想よ」
　なんて優しいんだ美森ちゃん。
　さっきの食事中だって、勝手のわからないおれに、何から何まで懇切丁寧に教えてくれて、今だって、一人は寂しいからと気を使ってくれてる。
思わず笑顔になりそうになったおれの足を、晶は思いっきり踏んづけた。
　うっ…。
「だっ大丈夫だ…大丈夫よ。その、あたし、一人慣れてるから」
　なんで女の晶が荒っぽい言葉を使ってるのに、おれはこんなに女っぽい言葉を使ってるんだろうか。
「ほんと、平気、ねっ、忍」
　晶がそう言って、背中をバンッと背中を叩き、苦笑いを浮かべたおれを見て、彼女は安心したらしかった。
「何かあったらすぐに相談してね」
　ああ、なんていい子なんだ。美森ちゃん。
風呂の中で思い出しながら、おれはついつい湯船を抱きしめた。
　だって、この湯船にだって、彼女は浸かったんだ。
そう思うと、おれはこの湯を一生とっておきたいと思った。嬉しさの余り、潜ってもしまった。
　こんな汚い世の中に、彼女のような純真な子がいたなんて。
　あの晶とは月とすっぽん…そうだった…。
おれはザバーッと湯船から飛び上がった。
　晶の奴もここに浸かったんだった…。さっさと出よう。
風呂から出ようとしたとき、ドアがバンッ開いて、バスタオルを体に巻いただけの綺麗な女の人が突然現れた。
　え？
　その後ろから晶が急いで駆込んできて、
「待ってよ、桜子先生」
とその女の人を呼んでから、おれに気付いて慌ててくるりとおれに背を向けた。
「バカッ、早く隠しなさいよっ忍！」
　ハッ。忘れてた…。



「それで？」
「それでって、それで終わりです」
　周りはすでに寝静まっている時間だった。
　鬼塚先生のおかげで、おれは屋根裏部屋に正式に引越しをして、その後先生の部屋に呼び出しをくらったのだ。事情を説明せよというので、簡単に、関係各所の名前は曖昧にして説明をし終えたというのに。
　鬼塚桜子（おにづかさくらこ）先生は、清廉女子の教師で、とある事情からこの寮の厄介になることになったらしい。
　晶によれば、婚約までしていた男に逃げられて、新居となる家に住んでいたのだけれど、相手も消えて、一人でローンは払えないということで、その家は売り払い、とりあえず次の部屋が見つかるまで、寮にいることになったらしい。話し終わって晶はおれを脅した。
「いっとくけど、この話。先生には絶対しないでよ」
だったら、話すなっての。
　晶が尊敬するという鬼塚先生は、さっきもおもったけど、かなりの美人だ。しかも派手な顔立ちの。とても三十路を目前にした女の人とは思えない。
でもって、スタイルもかなりゴージャス。湯上りの体に、バスローブ一枚着ただけの格好でも、出てるところは出て、くびれたところはくびれてるのがわかる。
「それより、鬼塚先生。なんでおれは、こんな格好してるんですか？」
　おれは部屋にくるなり、トランクス一枚にされ、しかも両手足をロープで縛られてしまった。
「桜子よっ。苗字で呼ばないで頂戴っ」
　はっはい…。
「忍くん。あなた部活は？」
「天文部ですけど」
　サネ君の名前は出してないそ。
「…実朝のやつね」
　え？
「東光の天文部顧問やってる、神藤井実朝よっ」
　あれ？知り合い、ですか？
「やっぱりあいつ、何かたくらんでるのね。さっ、言いなさいっ。実朝はいったい何の為にキミをこんなところに忍び込ませたのっ？」
　だから、それはさっきから言ってるようにっ…ひぇっ。
突然鞭がおれの体に飛んできた。
「正直に言わないと、キミはこのまま部屋には帰さないわよっ」