おれ、草薙忍（くさなぎしのぶ）。
　妙なことから1週間、寮生活をすることになった。
　初めに言っておこう。
　おれがスカートをはいて、胸まである長いかつらをかぶっているからといって、
　おれはオカマでも、女装趣味の怪しいヤツでも、ましてやホモでも、バイでもない。
　じゃあなんで、こんな格好してるのかって？
　それは、今おれがいるところが、男子禁制の女子寮だからだ。



　悪夢の始まりは、1週間前。
「メンタンピン、ドラドラ、八千点！」
葛城はそう言って指をならし、おれに向かって言った。
　葛城真人（かつらぎまさと）、おれと同じクラブのメンバー。
「草薙、お前合計五万八千の負けだ」
「お、おれ、今ピンチなんだよ。ツケにしてくれない？」
　そう言った途端に、葛城はおれの鼻先三十センチに顔を近づけた。
「とか言って、お前払わねー気だろっ」
　ばれてる…・。
　葛城はクラスも同じで、女から妙にもてる奴。ようはルックスがいいんだ。
　こいつの百八十三ある身長があと三十センチ縮んで、
　でもって、体も引き締まってなくて、色白でぶよぶよしてて、
　顔もモデルなんてとんでもないくらいの彫りのアサアサだったら、絶対にもてないと思う。
　だって、葛城。性格は悪魔そのものなんだ。
「バイト代入ったら、払うからさ」
「お前がガソリンスタンドのバイトをクビになったことくらい、俺が知らないとでも思ってるのかよっ」
　ば、ばれてる…・。
　だけどクビになったのは、おれのせいじゃなくて、おれの苦手な犬を車の中で放し飼いにしてるのが悪いんだ。おかげでこっちはかみつかれそうになって、躾のために軽く叱っただけだったんだ。なのに飼主はカンカンに怒って…。ああ、いい訳をしてる場合じゃない。
「頼む、葛城っ。今回許してくれたらお前の頼みは何でも聞くからっ」
　この通りっ。
　ああ神様、とばかりに、おれは両手を握り締めて葛城に祈った。
　おれ達は、一応天文部だ。だけどもおれは一度も空の星を望遠鏡なんぞで見たことがない。
ようするに名ばかりの、実は麻雀ばかりしているクラブなのだ。帰宅部に近いかもしれない。ほとんどが暇人だから。
　そしておれはまた負けてしまった。バイトもクビになって、貧乏生活まっしぐらだってのに。
　葛城は無残にも両手を払いのけ、今度は鼻先十センチないくらいにまでも顔を近づける。
「とかって、お前。前のツケはどうしたんだよっ」
　しっかり覚えられてるっ。
それよりも、この勢いだと、このまま葛城とキスしかねない。
やだぞ、おれは。ファーストキスが男なんてっ。
　女ったらしの葛城と違って、今までまともに女の子とつきあったことがないんだから。つーか、まともな恋すらしたことないんだぞっ。
「まあ、葛城。落ち着け」
　そう言って、迫ってくる葛城を押しとめてくれたのは、サネ君だった。
　本当の名前を神藤井実朝という。ジントウイサネトモ。一度もちゃんと読めた人はいないそうだ。
「少しは草薙のことも労ってやれ」
　サネ君は、制服を着てしまうと高校生に間違われてしまいそうなくらいの童顔だ。齢二十七歳。れっきとしたうちの学校の一教師。
　そして天文部という地味な部の顧問にしては疑いたくなるような、ジャニーズばりの二枚目だ。葛城と一緒で、女に不自由したことはないっていつも豪語している。
　さすがはサネ君。
　生徒であるおれをかばってくれるなんて。
「草薙はな、金もなければ、女もいない、学もないし、芸もない。生まれながらにして不幸な少年なのだよ」
　うっ。本当のことを、そんなはっきり言うなんて…。
　忘れてた。サネ君は天使の仮面を被った大魔王であることを。
　悪魔どころじゃない。
葛城はそんなサネ君に不満げに言った。
「だけど、全部チャラにするわけいかねぇよ」
　そのとき、サネ君は不敵な笑みを浮かべた。
やな予感。この後は、いつもよくないことが起きる。
「チャラにするとは言ってない。俺の分もあるし。ツケはちゃんと払ってもらうよ」
　そしてこっちを向いた。
「おい、シノブチャン」
　声色はあくまで、優しく、そしておれの顔のそっと手のひらを当て、覗きこむようにして、顔を近づけた。
　ま、まさかサネ君…・。
「お前、結構かわいい顔してんな」



　そして今、長くて邪魔な髪を風になびかせて、おれは白亜きらめく寮を前に深くふかーくため息をついた。
サネ君の計らいでもって、おれは東光の女子の制服を着させられているのだ。
　すーすーして足が心もとない。
「今日、寮に入る方？」
　ふいに高く澄んだ声がして、緊張してどもりながら振り返る。
「あ、はいっ…」
　そこには小首をかしげて笑う、天使みたいな女の子がいた。
大きくて黒めがちな瞳が、まっすぐにこっちを見つめている。小さな鼻、紅い唇、華奢なからだつき…。
　か、かわいすぎるっ。
「はいっ」
もう一度そういったけど、緊張で声が裏返ってる。自然とぴんと背筋が伸びた。でも、目の前の天使は、サラサラと髪を風に泳がせて、ふふふと笑ってる。
　本物の、天使だっ。
「よろしくお願いします。私−」
彼女は言いかけて、慌ててハンカチを出した。
「あの、血が出てます」
　そしておれは、鼻のしたを流れてくる生暖かいものを感じた。



「清廉女子っつったら、超お嬢様学校じゃないっすかっ」
　うちの学校の女子の制服を着て、かつらをかぶり、1週間厳格といわれる清廉女子寮に、誰にもばれることなく生活をすること。
サネ君の提案を聞いて、そう声を上げたのは平田だった。平田は見た目色黒で、スポーツ刈りの短い髪から、運動部に見られがちだけど、それは全くの嘘。平田も天文部員なんだ。
ちなみに、運動神経もゼロ。
　なのに、なんでいがぐり頭かというと、
「だって、俺。葛城みたいにルックスよくないからさ。せめて『爽やか』に見せようと思って」
ってことらしい。
「なんで草薙がっ」
　えせ爽やかスポーツ少年・平田を落ち着かせるようにサネ君は言った。
「草薙の女恐怖症を治してやるためだ」
「そりゃずいぶんと荒療治なこと」
　葛城が言った。
　そうだよ、だって、女の中に、男のおれが一人なんだぞっ。
「やですよっ。恐怖症を治すにしても、なんで女装して女子寮に潜入するんですかっ」
「男の格好だと入れてくれないからだ、当たり前だろ」
そういう問題じゃなくてっ。
「ばれたらどーすんですかっ」
「まー半殺しは確実だろうな」
　サネ君！
「1週間くらい、何とかなるだろう」
　何とかって、潜入するのはおれだって。
「言っておくが、ばれたときに俺の名前を出したら、お前はダブり決定だ」
　なっ。なんて横暴な教師なんだっ。



「お話は伺いました。他校の生徒さんですが、東光学院は姉妹校ですし、今回は特別許可いたします」
　さっきの女の子に連れてこられた応接室。
　目の前には、四角いメガネをかけたガリガリの、一昔前の教師の格好をした寮母がいて、手元の資料を見ながら言った。多分サネ君が作った偽のおれの身上書。
　まったくサネ君はひどい。
「お前は両親の海外赴任中、一人で暮らしていたアパートが突然火事に遭い、近所に親戚もいない、行き場をなくした哀れな生徒ということになっている」
　とか、平気で言うんだぞ。
　こんな格好させられてるおれが、哀れだっつーの。
ガリガリメガネは顔を上げた。
「ただし、寮の規則は当然従っていただきますので、そのおつもりで。守れなかった場合は、即刻出ていってもらいます」
　そして、テーブルにはＢ４の紙にびっしりの寮則が書かれた紙が置かれて、その説明が延々と始まる。
「門限は六時。食事は朝の七時と六時半。時間厳守です」
　うへ。噂に違わず厳しい！
ごはんはうちのよりおいしいといいんだけどなー。
「そういやお前の家に、俺が預かると連絡をしたら、妙に喜ばれていたぞ」
　あの二人！おれがいないのをいいことに。旅行でもするつもりだなー。
その時、こほんとわざとらしい咳払いがして、顔を上げるとガリメ（ガリガリメガネの略）おばさんが、おれのひざをじっと見ていた。慌てて離れていたひざをくっつける。
　女の子って、面倒。
「最後に、ここは女子寮ですので、男子禁制です。たとえご両親であっても、男性であればここでの面会はできません」
　ってことだけど、もう、おれが入っちゃってるんだよね…・。



　おおまかな説明の後に、ガリメはおれを部屋へと案内してくれた。
「施設の使い方や場所は、同室の河原さんに聞いてください」
　どっ同室？
　ってことは、女の子とひとつ屋根の下ならぬ、ひとつ部屋の中で過ごすわけ？
お、おれ。1週間無事に過ごせるんだろうか…。
　歩いていると、すれ違うのは女の子だけ。…当たり前か。
しっかし緊張してるよ、このままじゃ、また鼻血が出ちゃうかもしれない。
　おれの女恐怖症のわかりやすいところは、さっきみたいに、女の人を前にしてすごく緊張するとたらっと鼻血が出てきてしまうこと。
「そんなんじゃキスもできねーじゃん」
　って葛城には言われたけど、知らん。まだしたことないんだからさ。
　うちの学校にももちろん女の子はいるわけで、でもこことはちょっと違ってる気がする。
強いっていうか、逞しいっていうか、圧倒されて、緊張どころじゃないし、第一向こうもおれのこと、あまし男としてみてない気がする。
　…自己嫌悪…。
ガリメは、目指す部屋を見つけたらしく、ドアをノックした。中から、はい、という澄んだ声がして、ドアが開いた途端におんなじ声が、
「あら」
と響いた。おれは自分が真っ赤になるのがわかった。
　彼女は、さっきであった天使だった。



　おれが運命の再会をしたとき、制服を着せてこの寮に送り出したサネ君達天文部は、喫茶店でお茶をしていたそうだ。なんつー部員たちなんだ。おれの一大事に。
「それにしても、草薙って実は美少女だったのな。あいつの妹いたら、紹介してもらおっと」
「うむ。俺もあそこまでとは思ってなかったんだけどな」
「あいつってば、生まれる前から人生間違えてんだな」
　はははと笑う３人。
「しかし、サネ君。これはどう考えても、罰ゲームじゃなくて、賞品だよ、女子寮に忍び込むなんて…草薙羨ましい…」
「考えが甘いぜ、平田。サネ。何かたくらんでるんだろ？」
　葛城はにやっと視線をサネ君に送る。サネ君はゆっくり煙草をふかして、笑顔を向けた。
「これはちゃんとした恐怖症の治療だ。もっとも基本的な、ね」
「…そういえば、桜子って、清廉の教師じゃ…？」
「桜子？誰、それ葛城」
「サネの幼なじみ、だよな。もっとも年は桜子のが３つくらい上だけど」
「いい女？」
「美人だし、いい体してるぜ。ただし、美少年趣味のサディストだ…サネ。そういことか」
　葛城の考えはすぐに平田にも伝わった。
「草薙、生贄ってこと？」
　サネくんの煙草の煙が、ふんわりと空を舞う。
「草薙もな、あいつも不幸な奴だ。整ったかわいー顔してるのに、もてるのはガキかおばちゃんだからなあ」
「本当にばれないで1週間過ごせるかな、草薙」
「ばれるに一万」
「おれも一万五千」
「だったら賭けにならんだろう、葛城、平田」
　そうして3人は大笑いしてたという。おれば、2度目の鼻血の危機を感じていたという頃に…。