「橘右近。不動高校一年。
　住んでるのは隣町の、父親の妹夫婦の家。つい一週間前まで北海道で暮らしてたが、同居していた祖父の病死により、こっちに引き取られる。ちなみに両親は幼い頃死別してる。
　見たことの無い制服は、北海道の高校のものらしい」
千寿が説明を終えると、神楽が口を挟んだ。
「橘右近！宝塚みたいな名前だな」
　変なケチつけないでよね、神楽。
「右近の橘ってことは、左近の桜もいるのか？」
　くっだらないこといわないの、千寿。
「なにそれ。桜左近ってのもいるのか？」
　…黙っててくれる、蘇王。
ふうと溜息をつくと、全てをまとめるべく千寿が言った。
「とにかく、橘に話を聞かないとな」
あたしたちは、顔を上げる。そこには、橘右近が住んでいるという叔母夫婦の家があった。


　右近と秋山君の闘いが終わって、彼が消えたとき、神楽がやってきた。
　神楽曰く、
「廃墟でお前の心を読んだとき、一緒に秋山との会話も読んだんだ。あの時はそのことよく考えてなかったんだけど、クミとデートしてたとき、あいつが通りか かった男を、秋山って呼びかけたんだ。説明するには、東高の秋山琢磨っつーじゃん。お前とデートするって聞いてたからさ、おかしいなっていろいろ聞いてみ たら、お前のこと全く知らないし、それも嘘じゃないみたいだったからさ、あれ、変だよなって思って」
　そして神楽は、あの廃墟での事故は、秋山君（贋物）の罠だと気付いたらしい。それで、慌ててあたしを追いかけたら、何やら光を感じて、あの場所にやってきたらしい。
「そしたら、お前。いきなり気を失うし、うわごとでずっと『橘右近』ぶつぶつぶつぶつ言ってるしさ。気味悪かったけど、捨ててくわけにもいかねぇだろ？」
そして、あたしをおぶって家まで帰って来たというわけ。
　翌日、目覚めたあたしから、秋山君（贋物）がどうやら御堂の仲間らしい、でもって右近も狙われてたという話を聞かされて、調べをつけた千寿の先導のもと、話を本人から聞くべきだとなって、ここまでやってきたというわけ。
　そう。秋山君は贋物だったのだ。
　あの後、きちんと東高まで調べに行ったけれども、現れた秋山君は、あたしの知っている秋山君とは全然違っていた。


「いいな」
インターホンを前に、千寿がそう言った時、逆にドアの向こうから、言い争う夫婦の声が聞こえてきた。
「君だって知ってるだろう？僕が猫アレルギーだってこと」
「だから…。右近君にも言って、あの猫はどこかに捨てるようにって言いました」
「だいたい、彼は何で無愛想なんだ。こっちで預かってやってるんだぞ。なのに、こっちが気を使って話しかけても、何も答えないし」
「悲しんでるんですよ。ずっと一緒に暮らしていたおじいさんが亡くなって」
「だからってなあ−」
ふうと千寿が溜息をつく。
「タイミングまずいときに来たな」
「…なんか、かわいそうな奴−。あ」
そういって、蘇王が後ろを見てしまったという顔をした。
　何故なら、そこには当の本人、右近が立っていたから。
「や、やあ」
なんて蘇王が手を軽く上げたけど、彼は反応なし。その手には、あの時助けた子猫がいた。
「…捨てられなかったんでしょ？」
あたしがそういうと、彼は驚いたようにあたしの顔を見つめた。
　う、やっぱりかっこいい…。
惚けているあたしを、蘇王が小突き、千寿が話を切り出した。
「紗那から話を聞いたんだが、俺たちにも、もっと教えてほしいことがある。時間、いいだろう？」
　右近があたしたちの顔を見まわしていると、ふいにその影から今度は別の女性の声が聞こえた。
「それ、わたしたちも参加させてもらうわ」
　そして、その声の主のショートカットの聖マリアンナの制服を着た女の子と、それから、知らない背の高い生徒会長っぽい男の子と、それからもう一人、聖マリアンナの制服を着た、この前の女の子が現れた。
「あっ」
「げっ」
　あ、はあたしの声。
　げ、は神楽の声だ。
そして、神楽に向かって、ショートカットの女の子は小さく手を振った。



「私は浅生高未（ｱｿｳﾀｶﾐ）。聖マリアンナ高３年。で、桐山榊（ｷﾘﾔﾏｻｶｷ）不動高３年と西原貴羽（ｻｲﾊﾞﾗｷﾜ）聖マリアンナ２年。よろしくね」
ショートカットの浅生高未がそう言った横で、桐山榊が溜息をつく。
「…高未。それじゃ意味わかんないだろ」
「そう？」
　ええ、とっても。
「そうかな」
　あたしたちは大きく頷く。ただし、さっきから不機嫌な神楽を除いて。
　桐山榊は、軽く天を仰いた。
「もういい。俺が説明する。俺のことは榊と呼んでくれていい。で、貴羽」
榊の隣に座っていた貴羽は、ゆっくりと立ちあがった。
「西原貴羽です」
　やっぱり美人。
火狩三兄弟の目が、彼女に注がれる。神楽なんかはかるく口笛すら吹いた。そして、彼女は、次の言葉を明らかにあたしに向かって言った。
「はじめまして」
　はじめまして。
　それはつまり、この前の出会いはなかったってこと？
彼女・貴羽はあたしの問い詰める視線から逃れるように、座ってしまった。そして、それを合図に、榊が口を開いた。
「単刀直入に話すと、俺たちは天使なんだ」
「天使ぃ？」
　そこで、あたしたちが思わず素っ頓狂な声をあげたのはいうまでもない。周りを気にしなくていいのは、ここが桐山榊の家だからだ。
　なぜこんなところにやってきたかというと、誰かに聞かれてはまずい話だから、ということだったけど、なるほど。こんな話だったら、誰だって驚く。
　なのに、桐山榊は平然と話し始めている。
「俺たちは人間として、生を受けた。ところがそこで、神様は俺たちにギフトをくれた。それが、俗に言う超能力だ。それぞれに、思い当たるところはあるんだろう？火狩神楽」
名指しで呼ばれた神楽は、否定も肯定もしなかった。
「と同時に、神様は俺たちのシャドーも作り上げた」
「そのシャドーって何なの？」
蘇王が質問をする。
「シャドーとは、俺たちの半身だ。天使に覚醒するには倒さなければならない相手。そして、覚醒し、天使となった時、俺たちは、神様からの指令を受ける」
「面倒くせーよ、何で俺たちがそんなことしなきゃなんねーわけ？
　勝手に、その覚醒ってやつ、してれば」
いきなり席を立った神楽に、追いかけるように榊は言った。
「シャドーを倒さない限り、お前は耐えずシャドーに襲われつづけるぞ。シャドーの目的は、お前と入れ替わることだからな。シャドーとはその名前の通り、影。お前の影だ。いつかは表に立ち、光になりたいと願う、影だ」
　だから、ブッキーズはみんな黒かったのだ。
　それに、右近のシャドーである秋山君（贋物）が言っていたことも、わかる。
　妙に納得してるあたしを見て、そして立ち止まっている神楽を確認して、榊は説明を続けた。
「そしてそのトップにいるのが御堂。実は、俺も、高未も貴羽も、その名前しか知らない。ちらっと見たことはあるが、顔は布で隠されていた」
　御堂。
　あたしは呟いた。
　あの凍りつくほど綺麗な赤い目。
「それに指令はギフトを与えられた７人の天使が揃って、はじめて受けることができる」
　へー、７人もいるんだ。
　って、あたしも？
「残念ながらあたしも紗那ちゃんも、一般市民よ」
高未がそう説明してくれた。
　そう、良かった。よくわかんないけど、覚醒って大変そうだもの。
「残る一人は今探しているの」
高未はそう言って、榊と貴羽の顔を見つめた。ふと、あたしは貴羽と視線があったけど、それは彼女から逸らしていった。
　榊はああと言って、あたしたちの顔を見つめた。
「背中に十字のマークがある人間がその証拠だ。お前たちにもあるだろう？」
「げ、もしかして、だから…」
　その時神楽が高未を睨んだ。
「ごめんね、神楽君。あと、紗那ちゃんもごめんね」
　え？何で？
慌てたように榊が言う。
「言っておくけど、別にのぞこうとしたわけじゃなくて、本当は神楽の背中を見たかっただけなんだ。千寿と蘇王は、部活の着替え中とかに確認させてもらったから」
　のぞき？あっっ、もしかして。
　心なしか、榊の顔が赤い。
「だから、そのすまん。でも、見えたのは背中だけだから」
　あの、痴漢？
　立ちあがったあたしの振り上げた腕を、蘇王が取り押さえ、高未も、慌てて立ちあがる。
「まあ、いいじゃないの、紗那ちゃん。減るもんじゃないし」
「落ち着けよ、紗那」
　落ち着いてられますかっ、お風呂場をのぞかれたってのに！
「それを言うなら、俺なんかホテルにまで誘われて、裸にさせられた挙句に、置いてかれたんだぜ」
「だから、ごめんねって、神楽君」
　？それってどゆこと？
「その、だからね。神楽君だけ背中がなかなか見れないから、何とかシャツを脱いでもらおうとして、ね」
「許さん」
　神楽が甘く高未を睨む。
「ほんとごめん。神楽君」
「あの続きしてくれるなら、許す」
「あらほんと？」
にこりと笑った高未を、今度は榊が睨む。それに気付いた高未が、ふふふと笑う。
「榊に殺されてもいいんだったら、ね」
　なるほど。
　つまりは二人はつき合ってるってことか。
ふう、と溜息をつくと、あたしは向かいの隅に座っている右近を見つめた。
　会話に参加してない。
　そういえば、さっきの叔母さん夫婦の会話。聞こえちゃったのかな。
その時、あたしは同じように右近を見つめる貴羽の視線に気付いた。お互いに顔を見合わせる。
　やっぱ、ライバル？
「じゃ、貴羽サン。その印。見せてよ」
「え？」
ふいに神楽がずっと黙ったままの貴羽に話しかけた。
「仲間だっていうならさ、見せ合うことくらいできるだろう？」
甘い神楽の微笑みに、貴羽はちょっとだけ顔を赤らめて俯いた。
「駄目よ、貴羽は。女の子だもの」
「けど榊は見たんだろう？」
「高未が確認したんだ」
高未と榊に言われ、神楽はチェっと言って、窓の外を眺めた。
「とにかく、このところ御堂が力をつけ始めている。奴らが一般市民に対して、動き出す前に、俺たちは神様の指令を受けなければならない。
　俺と高未、貴羽はもう一人の天使を探す。
　だから、千寿と蘇王は、一刻も速く、覚醒してくれ」
　へ？神楽は？
「神楽は立派に覚醒しただろう。背中の翼がその印だ」
　あたしは、あの黄金の翼を思い出した。
　覚醒。
　右近も、あの時覚醒したんだ。
「けどどうすれば、その覚醒ってのができるんだよ」
　蘇王の質問に、榊は自嘲気味な笑みで返した。
「ほっておいてもシャドーがやってくるさ」


「なんだかよくわかんないけど、面倒なことに巻き込まれたみたいだな」
蘇王はそう言ったけど、神楽は気楽に言う。
「ま。俺はもう覚醒してるから、問題無しだぜ」
千寿はずっと黙り込んだままだ。
　榊の家を出て、あたしたちと右近は歩いていた。といっても、右近は距離を置いたまま歩いている。右近の家が近づいてきて、蘇王はあっけらかんと手を振った。
「そんじゃな、右近」
　素直に家に入らない右近を見て、さすがの蘇王もさっきのことを思い出したらしい。
　子猫が、右近の腕の中で、ミャアと鳴いていた。
「あんな風に言われちゃ、家に入りづらいよな。おい？紗那？」
　蘇王を無視して、あたしはすたすたと右近の前に立つ。気付いた右近も、あたしを見つめ返した。
「ね、あたしの家来たら？」
「紗那？」
　三人があたしの提案に驚いているのがわかる。
「部屋なら、余ってるの。二階に」
「二階って俺たちの住居…」
　うるさい、蘇王。もとは『あたしの家』でしょっ。
「猫飼ってもいいし」
「まじかよ」
　こんな子猫を路頭に迷わすほうが、信じがたいわ、神楽。
右近は、あたしと、それから三人を見て、そっと視線を逸らすと、ぽつりと言った。
「…あんたに、関係無い」
　同情するな、と言っているのがわかった。
　でも、本心では、叔母さん夫婦の家に戻りたく無いことだって、あたしにはわかる。
　それは…。
「関係なくなんかないもんっ。だって」
　あたしだって、本当は、こんな時にいうつもりはなかったのに。
「だって、あたし」
　でも。でも、言いたくなってしまったの。
「だって、あたし、右近が好きだから」
　蘇王と千寿の大きな溜息が聞こえた。
「…唐突過ぎ」
「自虐行為だな」
　それでもいいもの。
　だって、これはあたしの気持ちなんだから。
右近は、一瞬だけあたしを見たけれど、すぐに視線など合わせられないとでもいうように、逸らして、そしてさらりと言った。
「…興味ない」
　オッという蘇王の呟きと共に、千寿の声が聞こえた。
「さっそくふられる」
　あーもー、あんたたちさっきからうるさいっ。
　関係ないんだから、黙っててよ。
「関係無いって言われたのはお前だろ？紗那」
　蘇王！あんたってデリカシーってもんがないのっ！
振りかえって、怒鳴りつけたあたしを無視して、神楽一人が何故か右近のところにやってきた。右近もそれに気付いて顔を上げる。
「あんな、右近。こいつのことはどうでもいいけどさ」
　なんですってぇ、神楽っ！
あたしは、神楽に掴みかかろうとしたけど、その後の神楽のさわやかな笑顔を見てしまった。それは、右近に向けられた優しい笑顔でもあった。
「来いよ」
そして右近は、自分に伸ばされた神楽の手に、持っていた子猫を手渡した。



　その夜、ボストンバッグに全ての荷物を詰めてやってきた右近と会ったお母さんは、にこにこと笑顔を右近に向けた。そして、右近が二階に上がっていくのを見送ってから、楽しそうにあたしに話しかける。
「まあ、また美少年が集まって。なんだか母さんまでウキウキしちゃうわ、紗那」
　あ、駄目よ。お母さん。右近はあたしが好きなんだから。
「あらそうなの？」
「もうふられたけどな」
　黙ってなさいっ、神楽。
「いっておくけど、あたしはまだ振られたわけじゃないのよ」
　興味がないって言っただけよ。
　それは、恋に興味がないだけなのかもしれないじゃない。
「関係無いとも言われてたぞ」
　あんたも口を挟まないの、千寿。
　あたしは大きく息を吸うと、三人それぞれを指して宣言をした。
「仮に、今のあたしに興味がなくてもよ、神楽。明日のあたしに興味がわいてくるかもしれないじゃないの、千寿」
「すっげーポジティブ・シンキング…」
　蘇王が溜息をつく。
「一つ屋根の下に年頃の男女が暮らすと、恋に落ちる確率も高いっていうし」
「どこかで聞いたせりふ」
「っつーか、俺たちもそうじゃねぇ？」
頭を抱える千寿と、顔を見合わせる神楽を無視して、あたしは体をすりよせてきた子猫を抱き上げた。名前はさっき、あたしがつけた。
「頑張るからね、応援してね。左近」
　やっぱ、右近の橘の相棒なんだから、ここは左近しかないでしょっ。