「用意はいいね」
秋山君はそういうと、光の剣を、構える。
　いいわけないでしょっ。
第一、 彼は何も身を守るものがないのよっ。
「試合開始」
秋山君は小さくそう言うと、その構えた剣を、彼に振り下ろした。彼はもちろん飛んで逃げるけど、もちろん秋山君もすぐ追いかけてくる。
　頑張って！
　次々と追いかけてくる秋山君の剣を、彼は何とかかわしていく。
「逃げるのだけはうまいな。だが、それだけじゃ、僕には勝てない」
秋山君はにやりと笑ってそういった。
　そう、逃げてるだけじゃ。勝てない。
　でも、彼には武器がないんだもの。
　どうしたら…。
『もし、彼がまたあなたの前に現れたら、伝えて。怒りや憎しみに身を任せてはだめ。奴らはその時、最大の力を発揮するの。静かに、心穏やかに、天に手をかざして、と』
　あ。あの人の言葉…。
　そういえば、秋山君もさっき天に手をかざして、そうしたら剣ができあがったんだった。
「あっ、あのぉっ」
　名前を知らないから、あたしはそうとしか言えなかった。彼はもちろん反応することもなく、秋山君の攻撃から必死に逃げている。
「この前、あなたのことを知ってる聖マリアンヌの人に言われたんだけど」
その時、ミャアという泣き声がして、茂みの方から一匹の猫が現れた。猫はミャアミャア鳴きながら、何かを探すように辺りを見まわしている。
「怒りや、憎しみに、身を任せてはだめ。静かに、心穏やかに−」
猫は、鳴き声をいっそう大きくして、空き地に出てくる。彼は反応しないし、あたしも猫に負けじと声を荒げた。
「心穏やかに、天に手をかざし−」
「あーっうるさいっ！！」
突然秋山君叫んだ。そして、その叫びと共に、剣をその猫に向けた。瞬間閃光が走り、猫を掠めると、そのまま後ろの木にぶつかり、木はまるで雷に撃たれたように真っ二つに割れていた。
「あ…」
猫の鳴き声はもうしなかった。地に転がっているのが見えるけど、もう息をしてないのが、遠目でもわかる。
　彼も思わずその方向を見ていた。その時。
「っ」
秋山君の剣が、彼に向かって振り下ろされ、咄嗟に逃げ様としたけれど、剣は彼の左肩を掠めた。赤い血が、彼の白いシャツを染める。あたしは思わず彼に走りよって行こうとした。
「大丈夫っ…」
でも、すぐに秋山君の剣があたしに向けられた。
　げげっ。
「焦らなくても、お前はこいつの次に殺してやるから、大人しく待ってろ」
　何ですってぇっ。
　何で殺されるために大人しく待ってなきゃいけないのよっ。
と、言ってやりたかったけど、女々しいあたしは言えなかった。
　だって、今言ったら、あたしもあの木のように八つ裂きにされちゃいそうなんだもん。
「…最低っ」
　あたしは思いきり叫ぶと、秋山君は眉間にしわを寄せてあたしを見返した。
「最低？この僕が？上等だね。僕が最低、それで奴が最高だとでも言うのか」
「ええ、そうよ」
あたしは最早あたしの知ってる秋山君の顔ではなくなった秋山君を睨んだ。赤い目が燃えるようにあたしをにらみつけている。
「ミャア…」
その時、裂けた木の辺りから、また別の猫の声が聞こえた。さっきよりももっと小さな鳴き声。そして、現れたのは、子猫だった。
　もしかして、さっきのは親猫で、この子探してた？
子猫は、よちよちと歩きながら、死んでしまった親猫の方へと歩いていく。
「君は間違ってるよ」
ふいに秋山君がそう言った。
「僕が最高で、彼が最低なんだよ」
そしてにやりと笑うと、ちらりと子猫を見てから、胸の前で腕をクロスさせる。剣は、その瞬間に二つの光珠となって、秋山君の両手の中で光っていた。秋山君はその右手を子猫に、左手をあたしに向けた。
「逃げろっ」
彼が叫んだのがわかった。あたしは、必死で横に逃げた。次の瞬間、熱い空気があたしの脇を抜け、そのまま木にぶつかっていた。もちろん木は真っ二つに割れている。
「いったぁ…」
あたしは痛みのする右腕を見ると、シャツが破れていて、そこから見える肌が、やけどをしたように赤く爛れていた。
　子猫…っ。
反対側では、子猫を腕に抱えた彼が、さっき痛めた肩を押さえて立ち尽くしていた。
　助けてくれたんだ。よかった…。
「お前を捨て、猫を助けた。それでもあいつは最高なのか？」
　秋山君は、あたしを見据えてもう１度言う。
「お前を見捨てたんだぞ」
子猫を抱えた彼と目が合った。
　その目は、申し訳無さそうに、伏目がちではあった。
　すまない。
　そう言ってるのが、あたしにはわかっていた。
「だって、だって。あたしは逃げられたもの。ううん逃げることができるってわかってたんだもの。でも子猫は、危険なんてこと全然わかってなかった。だから助けた。あたしにはわかるもの」
彼が今度はきちんと正面から、あたしを見ている。
「人は、確かに言葉も大事だけど、もっと大事なのは気持ちでしょ。言葉が巧くても、伝わらない気持ちなんてたくさんある。気持ちが伝わってれば、綺麗な言葉はいらない。だって、言葉はあくまでも道具なんだもの。
　あたしにはわかったもの。わかったもの」
　彼を取り囲む風が、穏やかになっていた。それとは反対に、秋山君は、まるで竜巻の中にいるように、髪の毛を吹き上げられながら、こう叫んだ。
「この小生意気な女めっ」
閃光が、明らかにさっきのものよりも大きなのが、あたし目掛けて放たれる。
　ああ、もう…。
　駄目。かもしれない。
へなへなと地に座りこんだとき、あたしの目の前に、大きな金色の翼が現れた。それは、前に見た神楽のものと、同じような輝きを放っていた。秋山君の閃光 は、その翼の前で散り散りに消えた。その眩しさと、恐さで思わず目を瞑っていたあたしが、おそるおそる目を開けると、そこには彼がいた。
「お前の相手は俺だ」
翼は、彼の背中に生えていた。彼が、秋山君の閃光を弾いたのだ。
　くそっ、と小さく呟き、秋山君は大きく手を天にかざす。そして、瞬く間に光の剣ができあがっていく。
　あたしは、慌てて彼に言った。
「怒りや憎しみに身を任せてはだめ。奴らはその時、最大の力を発揮するの。静かに、心穏やかに、天に手をかざして」
あたしの言った通りに、彼はすっと手を天にかざす。するとそこに光が集まってきて、その光は大きく輝くと、剣の形を成した。左の肩は、まだ痛そうだ。
　神様、どうか。彼を守って。
　二人は向かい合う。
　風が、おさまった。
　先に剣を振り上げたのは、秋山君だった。
　彼は、迎い討つ形になった。
　剣が交じり合う。
　その瞬間、
「うぁーっっ」
と声をあげたのは、秋山君だった。叫び声をあげながら、秋山君は光の粒になり、そして、そのまま発光したかと思うと、ぱっと散らばって、そして、彼を包み 込んだ。それと同時に、また大きな風が起きていた。でも、今までの発散していくのとは違って、今度の風は回りのものを巻き込んでいる。
　何が、どうなってるの？
　光が、だんだん小さくなっていき、それと同じように風も収まり始める。
　その中から、彼が現れた。
　髪を風に靡かせながら、光を吸収して…。
　最後の瞬間、彼が大きく息をついたときには、何事もなかったかのように、光も、そして風も、秋山君でさえも目の前から消え去っていた。そして、不思議なことに、怪我をしたはずの彼の左肩の傷も、血も、消えていた。
　何が、どうしたの？
　秋山君はどこにいったの？
　さっきの傷は？
呆然としてるあたしに、彼は無言で近づくと、ふと目の前でしゃがんだ。
「あ…」
　そして、あたしの右腕をとると、怪我してる場所にそっと手をかざした。
　間近で見る彼は、思っていた以上に綺麗だった。その長い睫も、澄んだ瞳も。
「あの…」
　何か話しかけなきゃと思っていると、彼はふっとあたしから手を離した。すると、焼け爛れた肌は、元通り綺麗になっていた。
　どういう…こと？
立ちあがった彼は、ふいにしたミャアという鳴き声の方を振り向いた。さっき助けた子猫が、彼に向かって鳴いていた。彼は、無言のまま、子猫に向かって歩き出す。
「あっありがとう」
あたしは慌てて言う。彼は振り向かない。
「あの…っ」
そして、そっと子猫を拾い上げた。優しい目を、していた。
　ええい、このままお別れしたら、あたしは絶対に後悔するっ。
「名前は？」
思いきって大きな声で茂みに消えようとしている彼にあたしは話しかける。
　ふいに、その足が止まった。
「橘、右近」
　タチバナウコン。
　たちばなうこん。
　橘右近。
あたしは深くその名前を覚える。何故だか頭がぼんやりし始めていた。
　そして、彼は、橘右近は茂みに消えていった。
　これは、夢じゃない。
　夢なんかじゃ、ないんだ。
「おい、紗那っ」
ふいに名前を呼ばれて振りかえると、そこには神楽が息を切らせて立っていた。
「神楽…。どうして」
　あんた、デートじゃないの？
　あの受付嬢と。
そう言おうと思ったけど、何故か言葉が出てこない。
「気付いたんだ。お前を狙ってたのは、秋山とかいう男だろ？」
　神楽は、きょろきょろと辺りを見まわす。
「あれ？お前秋山とデートじゃねぇのかよ」
　何でそんなことあんたが知ってるの？
　また、あいつら立ち聞きしてたの？趣味悪いわね。
と言ったつもりだった。そして、あたしの視界はぐらりと揺れる。
「なあ…。紗那？」
　最後の瞬間、神楽が血相変えて、あたしに駆け寄った。
　…ような気がした。