「紗那ちゃん」
　土曜日。
　待ち合わせの６時より、少し遅れて駅ビルにやってきたあたしに、秋山君は笑顔で手を振っていた。
　うっ。罪悪感。
「ごめん、遅くなって」
あたしが、そう言っても、
「いいんだよ、僕も今来たところだから」
　なんて優しく答える。
　ごめんね、秋山君。
あの人のことが本気で好きなんだと気付いてから、あたしの心はもう決まっていた。
　だいたいが、神楽とのケンカの弾みだったわけだし。
　神楽…。
　外泊したのは一日だけだったけど、あれ以来あたしは口を聞いて無い。
　そんなことはおいておいて。
　秋山君とは付き合えない。
　だから、今日こそはちゃんと話をしないと。
「あのね、秋山君−」
　この前の返事、取り消してもいい？
　あたしがそう言おうと思って、勇気を振り絞って顔を上げると、秋山君はすでに歩き出していた。
「ちょっとさ、散歩しようよ」
　え？
そして、あたしの返事を聞くまでもなく、秋山君はすたすたと歩いていく。
　あれ？映画は？
　その答えもないままに、秋山君は１０分くらい歩いたところにある公園に、あたしを連れていったのだった。
　できれば、話を早くにしてしまいたいんだけど。
そう思っても、口を割れないほどに、今日の秋山君はずっと話しっぱなしだ。あたしは、うん、とか、そう、とか答えるだけで、どんどん陽は暮れて行き、気付けばもう真っ暗になっていた。公園の電灯もつき始めて、空には１番星が輝いていた。
　タイミングを計ってる場合じゃないわっ。
　はっきり言ってしまえばいいのよっ。
「秋山君っ」
話を無理やりに遮って、あたしはそう叫んだ。秋山君は驚いた顔であたしを見た。
「あのね、話があるの。
　あたし−」
勢い込んで話そうとして、ふとあたしは周りを見てしまう。
　げっ、カップルだらけじゃん。
　しかも、みんなに注目されてる。
ふいに秋山君があたしの腕を掴んだ。
「紗那ちゃん。あっちの方、行こう」
その時、あたしはゾクッとした。だって、秋山君の手は、驚くほどに冷たくて、あたしの腕まで凍ってしまいそうだったから。
　そういえば、この前首とかも冷たかったし、もしかして、秋山君て冷え性？
「え？あの？」
秋山君は珍しく強引に、あたしを公園の茂みの中へ連れていく。かなり強い力で、しかも強引に。
　ちょっと、ちょっと待ってよ、秋山君。
あたしの戸惑いも無視して、秋山君に連れられるまま、茂みを抜けていくと、ぽっかりと道が開けたところに出た。
　そこは誰もいなくて、電灯もなくて、でも夜空に浮かんだ月明かりが、充分に明るく照らしてくれていた。
　秋山君の手が離れて、あたしはそこに座りこみそうになった。大きく肩で息を吸わないとつらい。そのくらい速く秋山君に引っ張ってこられたのだ。でも、秋山君は全然つらそうじゃない。あたしに向けている背中は、全く動くこともなかった。
　そのうちに雲が月を隠し、この空き地が真っ暗になった。
　今が、秋山君の表情が見えない今がチャンスよっ。
「ごめんっ、ごめんね、秋山君。あたし秋山君とは付き合えない。
ほんとごめん。この前ＯＫ出したのに。
　あの時もそうだったんだけど、ただ神楽を…うちに居候してるバカなんだけど、あいつをぎゃふんと言わせたくて、それで、その…利用してただけなのっ、ほんとごめんなさ…」
くるっと振りかえった秋山君の顔を見て、あたしは思わず言葉を無くした。
　だって、暗がりの中で、秋山君の目が、赤くギロッて光ったのよっ。
　そして気がつけば、秋山君の周りには、何やら黒っぽい空気が漂い始めてたの。まるで秋山君を隠すみたいに。
「そう。それはよかったよ」
秋山君の声は、いつもとは違って、ゾッとするほど冷たかった。そして、一歩あたしに近づいた。
「僕もね、君とつきあうつもりは初めからなかったんだから」
　え？
　どゆこと？
その時、あたしは暗がりの中で、キラッと銀色のものを秋山君が振り上げるのを見た。そして、彼はにやりと笑うと、そのまま思いきりあたしに振り下ろされたのだ。
　キャーッ！
そう思ったとき、あたしは何か風のようなものに持ち上げられ、そしてドサッと落とされ、腰を打った。
　いったぁ…。
　足も捻ったみたいで、じんじんする。
「まさかやってくるとはね」
秋山君の声が意地悪く響く。あたしが顔を上げると、そこにはあの人が立っていた。
　またあたしを、助けてくれたの？
あの人の綺麗なほっぺたには、ナイフで切られた一筋の赤い線ができていた。
「他人に興味なんか無い奴だと思ったのに」
あの人は何も言わずに、秋山君に向かっていく。
　駄目よ、殺されちゃうっ。
あたしが思わず引き止めようとすると、あたしの伸ばした手を振り払って、彼は言った。　
「邪魔だ」
そこには誰も寄せ付けないような雰囲気があって、あたしは思わず息を呑んだ。
　彼はそのまま秋山君と対面するように立ち会った。
ふふふと秋山君が微笑んで、彼に言う。
「不思議だと思わないか。僕が君のシャドーなんてさ。
　こんなに優しくて、人に親切なこの僕が」
　シャドー？
　まさか、秋山君て…。
その時、月を覆っていた雲が消え、再びあたしたちは明るい月明かりに照らされて、あたしはびっくりした。
「僕たちは入れ替わるべきだよ、そうだろう？」
そう言った秋山君の顔は、徐々に彼の顔に変わってきていたから。
　あたしが思わずキャーッと叫んだとき、秋山君の右手からは、強い閃光が彼目掛けて走っていった。
　そして、この光っ。
彼は軽くジャンプをするように、その閃光から逃げる。
　間違い無く、秋山君はブッキーズだっ。
「何が君をここに来させたんだい？ここ何日かは、彼女のそばにはいなかったはずだ。お陰でこっちは楽になったのに。あと、いっぽで彼女を殺れた。君たちの仲間がいなければね」
　それって、仲間って、神楽のこと？！
「ねぇ、神楽のこと知ってるの？」
あたしは彼に話しかけた。でも、彼はあたしに答えてくれなかった。不思議と彼と秋山君の足元から、風が舞いあがるように起き始めていた。
「わかるよ、君の気持ちは。彼女が自分に興味を抱いたことが迷惑なんだろ？面倒なんだよな。勝手に外見だけで興味もたれても。本当の自分とは違うからね」
　その時、彼の手からも小さな閃光が、秋山君に向かって放たれた。でも、秋山君は笑顔でそれをかわした。
「本心言い当てられて、怒ってるんだね。
　ねえ、こんなのはどうだい？君の良心というものが痛むだろうからね、僕が彼女を殺ってあげるよ。僕たちの闘いは、それからだ。どう？」
そういって、秋山君は突然あたしに閃光を投げた。足を捻ったあたしは、当然動くことなんかできない。
　すると、今度は別の方向から、秋山君とは違った青い閃光が、秋山君の放った赤い閃光の邪魔をした。二つの閃光はぶつかり合うと、消えていった。
　青い閃光は彼が放ったものだった。
　それを見ていて秋山君が高笑いをする。
「助けるなんて、君のほうでも興味がわいたのか？ハハハッ、面白い」
「違う。俺とあの女は無関係だ。お前が殺そうと、俺には関係無い。仲間もいない。ただお前が目障りなだけだ」
　関係無い。
　ずきんと痛んだ。
　でも、助けてくれた。
　それは何故？
秋山君は笑うのをやめて、自分を睨んでいる彼を睨み返すと、こう言った。
「同意見だね。僕も君が目障りだよ。やっぱり僕たちは気が合うらしいね」
秋山君、少なくともあたしの知っている秋山君の顔ではなくなりつつあって、その顔つきは微妙に揺らいでいたけど、それでも秋山君は微笑んで、彼に言った。
「君が人間に関心がないのも最もだよ。
人間ってのは、欺瞞と自愛に満ちているからね。欺瞞と自愛。僕の大好きな言葉だよ。人間どもは、僕のつく嘘を快く受け止め、自分に酔いしれていた。その女のようにね。結局は自分しか愛しないのさ」
「何よっ、その言い方。全部嘘だったっていうの？」
　好きと言ったのも、
　かわいいと言ったのも、
　全部嘘？
「世の中は、君が思ってるほど甘くはないんだよ。自分中心に回ってるわけでもない。
落ちこむことはない。そう思ってる下等な人間どもだらけの世の中だからね」
　な、何を言ってるわけ。
　この男はっ。
　こっこんな男のために、悩んだあたしの、あの時間を返せっ。
秋山君はあたしに向かって、偽者の笑顔を向けると、大きく手を天にかざした。彼を取り巻く風が、いっそう勢いを増す。
「さ。おしゃべりはこのくらいにしておこう」
そして、その顔からは表情が無くなった。彼は、背にしたあたしにこう言う。
「邪魔だ。どいてろ」
　でも。足が…。
　彼はあたしを睨んでいた。邪魔だと言っていた。関係無いといっていた。
　だから、あたしは足を捻ったことも言えなかった。
「いいね、いいよ。
　どんどん僕たちは近づいていく。どんどん同じになっていく。
　それじゃ、さらに近づこうじゃないか」
秋山君がそう言った。彼の手に集められた光は、大きな剣に形を変えていた。