蘇王は話を聞き終えてから言った。
「あの男には近づくな、か。でも、あの男って？」
　わかんない、それしか言わなかったから。
代りに千寿が答えた。
「その秋山って男のことだろう。だが、何故そいつがそんなことを言うのかもわからん」
　でも、秋山君もいい人よ。それだけは、本当。
神楽が怒ったようにまた言った。
「じゃあ誰だってんだよ」
　うーん。
　あ、神楽とか。
「神楽ぁ？」
蘇王があたしの意見に目を真ん丸くした。
「だからね、例えば彼の知ってる女の子が神楽にひどい目にあわされて、パーティーで偶然あたしが神楽と話してるのを見かけて、心配になって、忠告してくれたのとか」
「…お前、もちろん冗談で言ってるよな」
　え？結構本気なんだけど。神楽も思い当たる女の子いるんじゃない？
「まあ神楽なら、ない話でもないよな」
「おいっ、蘇王っ」
千寿は二人を無視して、意見を始めた。
「とにかく、謎の男の方が怪しい。ちょっと調べたが、この辺りにそんな制服の学校はないし、第一紗那を追いかける原因がわからない」
「ちょっと、待ってよ。彼はあたしのことを助けてくれたのよっ」
すると三人が揃って、あたしのこと睨みつけた。
「暗闇だったんだろ？そいつが助けたかわかんねぇじゃん」
「もしかしたら自作自演かもわかんねぇぜ」
「だいたい、睡眠薬を飲まされてるお前の記憶は、さらに思いこみがあるから当てにならん」
　そっそんなことまで言わなくてもいいじゃん。
　確かに、記憶は曖昧なとこ、あるけどさ…。
千寿はあたしの話をまるで聞かずに言った。
「そのパーティーの幹事に連絡して、そいつのこと調べよう。中に入ったってことは、何かしら記録があるかもしれない」



　絵梨に電話をかけたところ、ちょうど絵梨は昨日のパーティー会場に忘れ物をしていて、取りにいくところだというから、あたしもついてくことにした。もちろん残りの３人も。
「紗那、昨日大丈夫だった？」
絵梨は最初にそう言った。あたしが頷くと、ちょっと、と耳元で言った。
「秋山君のことだけど、気分悪くなって帰ったって言っておいたから。送って行くって言ってたけど、神楽君いたし、そこは適当に誤魔化したからね」
　ありがとう、絵梨。
　そうだ、秋山君にも連絡しとかなきゃ。
「それより紗那。神楽君とはどうなってるの？」
　どうなってるって？
「昨日の心配ぶり、普通じゃないよ。ひしっと紗那のこと抱きしめて、必死に名前呼んで。フロアで探してたときも人にぶつかりながら紗那の名前呼んでたし。神楽君、紗那のこと好きなんじゃないの？」
　冗談でしょ？
絵梨はそんなあたしの様子を見て、溜息をついた。
「とにかく、お礼は言っておきなね。神楽君が紗那のことみつけなきゃ、紗那はずっと路地裏で寝てたかもしれないんだから」
うん、と答えてあたしは先を歩く神楽を見ていた。
　必死であたしのこと、探してくれてたんだ。
　まさか、本当に作戦成功だったりして。
　でも、本当にそうだったら…。
その時、くるっと神楽が振りかえった。
　なっ何？
「さっさと歩け。そんなんだから、お前太るんだぜ」
　ムッ、また余計なことをっ。
　あんたのことなんか、さっさとふってやるんだからねっ。



「そういえば、いたね。すっごい美少年。青いシャツの子でしょ？」
　そうそうっ、そうなのよっ。
「背も高くて、フロアの隅の方で、一人立ってた」
　そうなのよっ。
「でも…。実は受け付けした覚えがないのよねぇ」
　え？
話を聞いたのは、受付をしていた女の子。歳は２・３歳くらい上みたい。
　がっくりしてるあたしに、残念そうな笑顔を向けた。
「あたしはずっと受付にいて、綺麗な子とか、かっこいい人とかは、必ず覚えてチェックしてるんだけど、彼だけは名前もわからないの。受付は１０時までだっ たし、その後はいれないようにしちゃってたんだけど。そうそう、一応ガードマンしてくれてたのが、そこにいるから聞いてみたら？その黄色のＴシャツの男の 子よ」
　はい、どうも。
「悪いんだけど、その名簿みたいの、借りれっかな」
突然神楽がそう言って、受付の子は驚いていたけど、笑顔で答えた。
「はい、どうぞ。でもこれは内緒よ。日曜までならいいわ、火狩神楽君」
名前を呼ばれてみんなが反応した。もちろん神楽も。
「ホラね。覚えてるでしょ？」
彼女はそう言って、神楽ににっこりと笑いかけた。



「１０時以降に入ってきた男？…いなかったけど」
ガードマンをしていた人はそうあっさりと答えた。
「だいたいパーティーも終わりかけだしね。今更来ても、もう入れない雰囲気でしょ」
　そうだけど。
「出入口なら裏口もあるけど、あそこは鍵がかかってたからね。あ、でも終わってから点検してたら開いてたからそこから入ったかもしれない。ただ、あそこって二重ロックで鍵がないと１個は無理なのに、開けられてたんだよな。その鍵？俺がずっと持ってたよ」
　場所は地下で窓なんてない。
　だとすると、彼は裏口から入ったことになる。
　鍵がかけられていたはずの裏口から…。
「だけど、なんで名簿なんか借りたわけ？」
帰り道、蘇王がそう神楽に質問をしていた。絵梨とは別れて、あたしとあいつらの４人だけだった。
「照明が落ちたとき、また感じたんだ。あのバスの時みたいな心の叫び。
これでお前ももう終わりだ、覚悟しろって声」
「つまりパーティーにいた奴の中に、御堂って奴らの仲間がいたってこと？」
「多分な。男の声だった。で、きっとそいつが紗那を襲おうとした」
その男が、あたしに向けたナイフは、秋山君からもらったワンピースを切り裂いていた。着れなくなったワンピースは、今はあたしの部屋にしまわれている。
「ただオレも、そこにいるってことしかわからなかった」
それから神楽はあたしに向かって言った。
「とにかく、お前が狙われているってのは本当だぜ」
それにどう答えていいのか、あたしにはわからなかった。



　その夜、秋山君に電話をかけると、彼はまるで待ち構えていたようにすぐに電話に出た。そして、何度も大丈夫なのかと聞いてくれた。
「本当に大丈夫だから。きっと人に酔ったんだと思う」
嘘をついて、あたしの心は痛んだ。
　だって、付き合う気もないのに、こんなに心配してくれてるんだもん。
千寿が言ってたんだけど、彼は学校でも人の良さで評判らしい。
「成績良し、人柄もよし、性格もよし、ルックス良し。趣味だけが悪い」
なんて言っていた。（趣味が悪いってのは許せないけど）
　だからこそ、千寿の疑いの目はますます、あの美少年に向かっていたの。
「能力があれば、鍵なんか関係ない。お前を助けたのも、安心させるためかもしれない。
　いいか、これは警告だ。あいつに近づくなら、俺たちはお前を助けることはできない」
　千寿が言ってることはわかる。
　秋山君のことを調べたのだって、一応は心配してくれてるからだってのも。
　でも、惹かれちゃうんだもん。
　仕方ないじゃん。
「…紗那ちゃん？」
電話から秋山君の声がして、あたしはハッとした。
「あ、ごめん。それじゃ…」
ばいばいといいかけて、あたしはそこでまた言い直した。
「あのね、秋山君…」
何？という優しい声が電話から聞こえてくる。それを聞くと、さすがのあたしも言えなくなった。
　あなたとはお付き合いできません。ある男をだますために、利用をしてただけなんです。
　なんて言えないよ。
「何でもない。ばいばい」
そう言って電話を切って、あたしは溜息をついた。
　なんでも素直に言えるのが、あたしのいいとこだったのに。
ふと、絵梨の言葉を思い出した。
　とにかく、お礼は言っておきなね。
重たい足で、あたしは神楽の部屋に向かった。



　ノックしようとすると、中から神楽の声が聞こえてきた。なんだか甘ったるい笑い声と一緒に。
「もちろん、オレもかわいい子は忘れないよ、クミ。え？あの名簿、何に使うんだって？女の子に電話をかけるため？ちげーよ、わかってんだろ？出逢いを作る口実。…決まってるだろ。誰との出逢いだって？おいおい、冗談言うなよ、クミ」
どうやら、あの受付嬢と電話中らしい。
　やっぱり御堂一味を探すためじゃなかったのねっ。
　おかしいと思ったのよ。あんなにやる気のなかった神楽が急にだもんねっ。
電話の会話はまだ続いていた。
「彼女？いないって。友達はいるけどな。…今日の女？ああ、あれか。あれはただの管理人の娘。色気もなんもないバカ。まじだって。いやオレはね、目にもくれてないんだけどさ、あいつオレに気があるみたいで。…そうそう迷惑なんだよ。あんなガキ」
　色気もなんもないバカ？
　オレに気がある？
　迷惑だ？
　ガキ？
　それってあたしのことっ？
それでもまだまだ電話の会話は続く。
「わかった。土曜の６時半に駅ビルの前。オッケ。それじゃ、名簿はその時にでも返す」
その瞬間、あたしは神楽の部屋のドアを思いっきり開けた。
「何だよ紗那。ノックしろよ」
神楽はベッドに寝転がったままで言った。
「ちょっとっ、誰があんたに気があるって？迷惑だって？色気のないバカ？」
神楽は舌打ちして言った。
「立ち聞きかよ、趣味わりぃな」
「あんたがうるさいからいけないんでしょっ」
「あーあーっ、うっせーな。やきもちかよ」
「誰がやきもちなんか焼くもんですかっ」
「言っとくけどな、お前がいくら秋山って男といちゃついても、オレは痛くも痒くもねぇんだよっ。そうやって、オレの気持ちを試そうとしたって、無駄だぜ。だいたいそんなこと、ガキ以外に誰が思いつくんだよっ」
　げっ。秋山君のことばれてるっ。
　でもっ。その言い方っ、むかつく、神楽っ。
「あたしの気持ちを試してるのはあんたでしょっ。だって、何であの事件の後、キスしたのよっ」
「あれはっ…感謝のキスだっ。海外じゃ普通だろ。お前だってこの前、朝っぱらからキスしてきたじゃねぇかっ」
「あたしだっておはようのキスよ。それに、あれは不慮の事故よっ。誰があんたに好きこのんでキスなんかするもんですかっ」
「だったら、さっさとあの秋山って野郎と付き合えばいいだろっ」
「言われなくってもそうしますっ」
あたしは、手に持っていた携帯で、さっきかけた番号をもう一度鳴らした。
「あ？もしもし、秋山君？あたし、紗那よ。告白の返事、今するねっ。
　答えはイエス。おつきあいしましょっ」
電話を切ると、あたしは神楽に堂々と言い放った。
「あたしはねっ。あんたみたいな男、大っ嫌いよっ」
ちょうどドアの前で様子を見ていた蘇王と千寿が大きく溜息をついてる中で、あたしは二人の間を掻き分けて、神楽の部屋を出ていった。