「紗那、かわいー」
パーティーであたしを見つけた絵梨は、まずあたしの服を見てそう言った。
「これがプレゼントされたっていうワンピースね」
秋山君に言われた通り、あたしはあの時買ってくれたワンピースを着てきた。
「喜んでたでしょ？彼」
待ちあわせ場所で会った途端、彼は顔いっぱいに嬉しさを浮かべていった。
「やっぱりよく似合う。かわいいよ、紗那ちゃん」
それからずっと褒められまくって、初めは結構調子ずいてたんだけど、それでも彼は止まらなくて、ついついあたしが顔を真っ赤にしてしまったくらいだった。
「で、その秋山君はどこ？」
　飲み物を持ってくるって、どっかに行った。
パーティーは真ん中のフロアで、たくさんの着飾った人たちが踊ってたけど、あたしと絵梨はそこからは離れたところに座っていた。秋山君はカウンターの方に行ったはず。
「それにしても、本当に紗那のこと好きなんだね。秋山君、性格もいいし、頭もいいし、かっこいい。これはもう決まりじゃないの？紗那」
さっき絵梨に秋山君を紹介したんだけど、絵梨は秋山君を気に入ってしまったようだ。
　うん。そうなんだけど、さ。
浮かない顔のあたしを見て、絵梨は言った。
「例の美少年のこと考えてるの？もうそんな、どこの誰だかわからない人のことなんか忘れなよ。よく言うじゃない。遠くのダイヤより、近くの真珠とかって。だいたい、かっこいいから惹かれてるだけで、それは恋とは違うんだから」
　うん…。
彼は、あの日以来、あたしの近くには現れなかった。でも、あたしは忘れられないでいる。
　そのうちに絵梨は、友達を探しに行ってしまった。
　確かに、あの人のことは、何にも知らない。
　学校も、歳も、名前ですら。
　でも、気になるんだもん。
　あの瞳を、忘れられないんだもん。
遅い秋山君を思って、あたしがフロアを見まわしていると、ソファーに座って、周りに派手な女の子たちを侍らせている男が見えた。しかも、態度でかく座っ て、時々薄茶の目を細めては笑っている。少し光沢のある黒のシャツのボタンを三つ目まで開けて、ちらりと鎖骨をのぞかせながら…。
　そう、神楽だ。
　あいつっ、こんなとこまでっ。
あたしはつかつか神楽の所に歩いて行った。すると、神楽もあたしに気付いて、
「よう」
と声をかけてきた。
　よう、じゃないわよ、あんた何してんのよっ。
「何って、楽しんでんだよ」
そういって、神楽は隣の女の子の肩に手を回す。女の子もキャッキャという感じに喜んでいる。
　もうっ、いいからちょっとっ。こっち来なさいよっ。
あたしは無理やり神楽の腕を取ると、出入口の近くまで、神楽を引っ張ってきた。
「何でここにいるのよっ」
神楽はあさっての方向を見ながら、音楽に合わせて体を揺らしながら言った。
「何だっていいだろ？暇つぶしだ。千寿にもらったチケットもったいねぇし、ついでにお前に告白してきた大馬鹿野郎の顔も見てみたかったし。そういやいないじゃん、そいつ。お前もう捨てられたんじゃねぇの？」
　そうだった。よく考えたら、千寿の作戦で神楽にもチケットあげたんだった…。
　ってゆーか、その前にその言い方っ、むかつく男っ。
「飲み物取ってきてくれてるのっ。それにしても土曜の夜に暇だなんて、珍しいんじゃないの？神楽。素直に言えばいいんじゃない？あたしのことが気になって来たって」
「ばーか言ってんじゃねぇよ。千寿たちに無理やり頼まれたんだ。あいつら、オレに面倒なこと押しつけやがってさ。こっちだってデートの予定、あったんだぜ」
「へえ？でも、この前の年上の綺麗なお姉様にはふられたんでしょ？この前なんかホテルに置いてきぼりにされたらしいじゃん」
さすがに神楽もカチンと来たようで、揺れるのをやめるとあたしに向かって厭味ったらしく言った。
「オレには、五万と女がいるんだぜ。デートの相手くらい、うざってーほどいるんだよっ。
　それにしても、お前も迷惑そうなかおして、結構喜んでんじゃねぇか。プレゼントされた服着てよ」
「あんたには関係ないでしょっ。とにかくっ、帰ってよ。あたしの護衛なんて秋山君がいるから充分よっ。あんたなんかいるだけ迷惑っ」
あたしはそう言って、神楽を無視してフロアに戻った。
　まったく、何ナノ？あいつってばっ。
「紗那ちゃんっ」
カツカツ肩をいからせて、歩いていたら秋山君があたしを呼びとめた。
「よかった。帰ったのかと思った」
「ごめん。ちょっと…知り合いがいて」
秋山君は、あたしにオレンジジュースを差し出した。
「それにしてもすごい人だね」
周りは、七色のライトに負けないくらいの派手な恰好の人たちと、騒がしい音楽でにぎわっている。そんな話をしていると、照明が落ちて、ムーディーな音楽が流れ出した。
「踊らない？」
秋山君がそう言った。あたしはちょっと悩んで、ジュースと一口だけ飲むと、彼と一緒にフロアに出ていった。
　秋山君の首に手をかける。秋山君もあたしの背中に手を回す。そうは言っても、あたしたちは体は離していて、どこかぎこちなかった。秋山君の首も手もひんやりとして、冷たかった。
　いけないよな、ほんとうに。
　つきあう気なんかないのに。
　ただ、神楽をぎゃふんと言わせるために、利用してるのに。
ゆったりとした音楽の中、周りはカップルだらけ。あたしは秋山君の肩越しに見える景色に顔が熱くなった。
　うわっ、みんなほとんど抱きあってるよ。
　あそこなんて、今にもキスしそうだし…。
その時、あたしはフロアで一際、密着して踊っているカップルをみつけた。
　そんなにいちゃつきたいなら、別のとこ行きなさいよねっ。
そう思ってみていると、くるっと回って、そのカップルの男の顔が見えた。
　神楽っ！
神楽は挑戦的にあたしを見ると、わざと女の子を抱きしめるようにして体を引き寄せた。女の子もくねっと神楽に体を傾けている。
　何なの？その態度はっ。
その時、あたしは後ろからぶつかってきたカップルに押された。
　わぁっ。
なれないハイヒールも手伝って、あたしは秋山君に抱きつく形になった。
「ごっごめんっ」
急いで体を離して秋山君を見ると、彼は遠くの方を凍りつくような怖い目でにらんでいた。体は音楽に合わせて適当に動いてるんだけど、視線はそっちを食い入るようにして見てる。その目は一瞬、赤く光ったように見えた。
「秋山…君？」
あたしの声に気付いた秋山君は、すぐに表情を戻した。目もいつものこげ茶色。そして爽やかな笑顔で、なに？と言った。
「秋山君って、目悪いの？」
「どうして？」
突然の質問に、秋山君は戸惑ってるみたいだ。
「前にも、なんだか怖い目してたから」
「そう…なんだ。言ってなかったっけ？視力悪いから、目を細める癖ついちゃってさ。ごめん、気をつけるよ」
　別に謝ることはないんだけど、さ。
曲は二曲目になった。秋山君が耳元で言った。
「なんか、照れる」
「うん」
「紗那ちゃん。僕…」
秋山君が何か言いかけたとき、あたしはフロアの隅でこっちをみている彼を見つけた。そう、あの美少年。壁にもたれながら、手にしてるグラスを揺らして、あ たしをみていた彼は、今度は視線があっても逸らしはしなかった。むしろ、いっそう強い視線を向けてるように思えた。暗めの照明が、彼の顔を神秘的に浮かび 上がらせている。
　あたしはトクンと胸が鳴ったのを感じた。
　その時は、ほとんど衝動的だったと思う。あたしは何かに惹かれるように秋山君から離れると、彼の方に走り出した。
「紗那ちゃん？」
秋山君の驚く声に、あたしはごめんとだけ答えて、フロアで踊るカップルをかき分けながら彼を追いかけた。彼は、青いシャツに、黒いズボンという恰好で、今にも闇に消えてしまいそうだった。
　彼まであと５メートルになった時、前をウェイターがよぎって、あたしは止まるしかなかった。そして、すみません、と言ってウェイターが通りすぎた後に、さっきまでいたはずの彼の姿がそこにはなかった。
　え？
　どこに消えたの？
周りをきょろきょろしてると、突然照明が落ちた。
「どうしたの？」
「停電？」
ざわめく声がして、あたしも立ち止まる。それでも彼を探して振り返ったとき、キラリと光るモノが、あたしに振りかかってくるのが見えた。
　え？
でも、それがあたしに触れようとした時、誰かの大きな手があたしを引っ張った。不思議な熱のある、大きな手だった。とにかく驚いて、あたしは小さく悲鳴を 上げた。光った金属っぽいものは、あたしのスカートを掠めた。ビリッと音がして、スカートのすそが切れたのが分かったから。
　ナイフ？
考えるより先に、あたしは暗闇の中で、その手に導かれるまま、フロアを走り抜け、それから階段を登って、気がつけば店を出ていた。出た所は路地裏で、どうやら店の裏口から外に出てきたみたいだった。
　引きずられるようにして連れ出されたから、あたしはそこで大きく深呼吸をして息を整えた。
　外に出た途端に、あの大きな手は離れていったけど、あたしを連れ出してきた人は、目の前に立っていた。でも、暗くてそれが誰なのか、初めはわからなかっ た。その時クラクションが鳴って、表通りを走る車のライトが、路地裏に舞いこんできて、その人の横顔がはっきりと見えた。
　あっ。
あたしは呼吸をするのも忘れて、その横顔を見つめた。
　だって、あの人だったから。
彼は思ったよりも背が高かった。蘇王と同じ位かもしれない。１８０はあった、けど、蘇王みたいにがっちりタイプじゃなくて、細身、だけど、ひょろひょろしてるんじゃなくて、胸板はある感じ。
　間近で見た方が、何倍も綺麗だ。
その人は、ふとあたしの視線に気付いたみたいで、こっちを振り向いた。暗がりでははっきりわからないけど、時々車のライトが路地を走り抜けて、青みがかった瞳が綺麗に澄んでいるのがわかった。
「あの男には近づくな」
初めて聞く声は、少し低めで掠れていた。あたしは答えもしないで、ただ彼をずっと見つめていた。彼はそんなあたしに戸惑いを見せると、くるっと振りかえって路地を出ていこうとした。
「まっ待ってっ」
あたしは精一杯叫んだつもりだった。でも、どうしてだろう。体がふわふわして、視界も靄がかかったみたいに白っぽくなって、自分の声もこもったように聞こえた。
「名前は？あのっ」
彼は振りかえらずに歩いていく。追いかけようとしたけれど、あたしはふらつく体を立たせるのが精一杯だった、路地に彼が消えていった時、裏口のドアが開いて神楽が叫んだのは覚えてる。
「紗那っ。おいっ。どうしたっ」
でも、その後のことは、覚えてない…。


　もしかしたら、彼と話したことも夢だったのかもしれない。
目が覚めると、そこはあたしのベッドで、窓からさす光が、朝であることを教えてくれた。
　夢、だったのかな、やっぱり。
　あの人がスーパーマンみたいに助けてくれたのって。
そう思ってリビングに顔を出すと、お母さんはいなくて、蘇王と千寿がくつろいでいた。
　そういえば、日曜日はお母さんはカルチャーセンターで朝からエアロビだった。
「おはよ」
声をかけると、二人は驚いて顔を上げた。
「大丈夫かよ、紗那」
　え？なんで？
心配そうな蘇王に対して、千寿も口を開く。
「昨日何があったのか、覚えてるんだろ？」
　昨日？
　昨日はパーティーに行って、秋山君と踊って…。
　あたし、そういえばどうやって家に帰って来たんだっけ？
「お前は人におぶられた記憶もねぇのかっ」
後ろから怒った神楽の声がして、あたしは素直に、おはようと言ってからその顔を見て、昨日のことを思い出した。
　そうよっ。あんたねっ、これ見よがしにいちゃついてんじゃないわよっ。
　何考えてるわけっ。
「それはお前だっ」
あたしは神楽とにらみ合いになった。
　何ですってぇ？
「勝手な行動すんじゃねえよっ」
　勝手な行動？
神楽は溜息をついた。千寿が呆れたように神楽に言った。
「説明してやれよ」
面倒くさそうに髪をかきあげて、神楽は言った。
「昨日のパーティーでお前が踊ってたら、突然走り出した。かと思ったら照明が切れて真っ暗になって、お前の悲鳴が聞こえて、照明がついたときにはお前はいなくて、追いかけてみりゃ倒れかけてたこと、覚えてねぇのかよっ」
　え？
　それじゃあれって夢じゃなくて、本当のこと？
「あれって何だよ」
「あの人が助けてくれたの」
３人は深く溜息をついた。　
　あ、しまった。
　近づくなって言われてるんだった…。
途端に３人はあたしにギャーギャー言ってきた。
「言っただろ？そいつに関わるなっ」
「全く紗那は」
「こっちの心配も考えろっ」
　だって、しょうがないでしょ？
　それより、あたしが倒れかけてた？
「そうだぜ。お前を追って、裏口から出てみりゃ、お前は壁に寄りかかるようにして立ってて、それから崩れるように倒れたんだ。いくら呼んでも、叩いても反応しない。仕方ないから、渡辺に帰ることだけ伝えて、オレがおぶって帰って来たんだっ」
　よく暗闇の中で、あたしのこと追いかけられたね。
「お前の服が白で、わかりやすかったんだ」
　服に感謝すべきかな。
　あ、そうだ。秋山君…。
連想ゲームみたいにして、やっと秋山君のことをあたしは思い出した。
　あのまま、あそこに置いてきたんだった。
神楽が代りに答えてくれる。
「その秋山って男には、渡辺が適当に言ってくれたはずだ。ったく、何があの人が助けてくれた、だっ。ざけんなっ」
　だって、そうなんだもん。
　あたしを、ナイフから守ってくれた…。
　でもなんであたし、倒れたんだろう。
　あの時たしか、すっごく眠くなって…。
蘇王は呆れながらも、ちょっと心配そうに聞いた。
「頭痛くないか？」
　痛い。
千寿がさらりと答える。
「睡眠薬を飲まされた、或いは特殊な能力で眠らされた。身に覚えはないか？」
　睡眠薬…？ない、けど。
「他に体に異常は？」
　あるっ。とってもっ。
「どうした？」
　お腹がすいたの、すっごくっ。
「…」
黙り込んだ千寿を無視して、あたしはお母さんが用意してくれた朝ご飯のパンを食べようとしたけど、それを横から神楽が掠め取っていった。
　ちょっと何すんの？それあたしのパンよっ。
「お前また太ったろ？ちっとは痩せろっ」
　うるさいわねっ、余計なお世話よっ。
黙れっとでも言いたそうに千寿が言う。
「昨日の話、もう一度詳しく話せ。知ってること全部だ」