屋上にあたしが顔を出すと、蘇王が笑顔で迎えた。
「サンキュー。うわー。今日もうまそうっ」
居候の中でも、蘇王はよくお弁当を忘れて、そんな時はあたしが蘇王の分まで持ってくるの。受け渡しはこの屋上。奴らはここでいつもお昼を食べている。
　あの事件があった場所で、ご飯食べれるなんて、あたしは信じられないけどね。
　特にあたしの場合、もうひとつ、ここで事件があったようなもんだし。
　　この１週間、何にもないから、あれは夢だったのかと思えそうだったけど、あたしには、ただ一つ。どうしても忘れられないことがあったの。
　それは、闘いの後に神楽にされたあたしのファーストキス…。
　でも、神楽に告白もされてないままだ。
　蘇王は先に食べていた千寿の隣に座ると、お弁当にがっつき始めた。あたしは、辺りを見まわして、二人に聞いた。
「ねえ…神楽、は？」
「保健室で昼寝してる、あ。弁当はオレがキレイに食べてやるから」
そういう蘇王のお弁当はみるみる空になっていった。その隣で、千寿は嫌いな梅干をみつけて、端に避けた。
「何か用か？」
立ち退かないあたしを見て、千寿がそう言った。
「うん…。あのっさ…」
あたしは周りに誰もいないことを再確認すると、二人の前にしゃがみこんだ。
「あのさ、あのね。友達に相談されたんだけど…。その、告白されてもいなくて、つきあってもいない男が、キス…するってのはさ、つまり、その…男が、あたし…の友達を…。好きってこと？」
千寿はただあたしの顔をじっとみてるだけで、余計にあたしは焦って口走った。
　だって、千寿ってば見透かしてるような瞳、してるんだもん。
「友達に相談されたからっ。その、参考に男としての意見を聞こうと思って」
「神楽のことか」
「なっ、なんで…。あ…」
　うわっ、あたしのお馬鹿っ。
　自分で白状してどうすんのよっ。
千寿はじろりとあたしを見て、平然と答える。
「友達に相談されたなんてセリフを使う場合、たいていその悩みは自分の悩みだ。それにあの時神楽を助けに行ったのは、お前だけじゃないだろうが」
　うっ…。
「オレも見てたぜ。紗那が一発ビンタするとこもなっ」
　すっ蘇王までぇ？
　絶対に見られてないって思ってたのに。
千寿はお弁当箱の蓋をして、あたしに手渡すと自分は立ち上がり、歩きながら答えてくれた。
「お前の悩み相談だが、一般の男はそうかもしれない。だが、その理論は神楽には通用しない」
蘇王はついに神楽の分のお弁当まで食べ始めた。
「あれって、あいつの手だもんな」
　手ぇ？
不思議そうな顔のあたしを見て、千寿は淡々と話してくれた。
「神楽は女の隙を見逃さない。その一瞬の隙にキスをする。女は戸惑う。でも、あいつは好きだとか、愛してる、つきあってくれとは絶対に言わない。女はその豊か過ぎる想像力で考える。
何故神楽が自分にキスをしたのか、
もしかして、自分のこと好きなんじゃないか、
いや、きっとそうだ。
結局そう考える。それでも、神楽は何も言わない。いつもと変わらない態度で、時々意味ありげな笑みを向けるだけ。女はそんな神楽が気になり出す。
あの時のキスは何だったのか、
自分のことを好きじゃなかったのか。
自然と答えを求めて、目が神楽を追いかけるようになる。いつのまにか神楽のことばかり考えるようになる。そして、自分が神楽を好きになっていることに気付く」
ついに2個目を食べ終わった蘇王は、お弁当箱を二つともあたしに押しつけた。
「そんで女から告白するんだよな。神楽は告白されれば断らないから、その女も結局は何人もいる神楽の女の一人になるってわけ」
　そうよね、あいつの売り文句って、告白されれば断らない。だけど、嫉妬や束縛はなしってことが条件だ、だもんね。
　千寿は手すりにもたれて風にストレートの黒髪を吹かれながら続ける。
「或いは、神楽にくってかかる。自分のことをどう思ってるのか、好きじゃないのか。でも神楽は絶対に好きだとか、そういう言葉はいわない。甘い言葉はかけるけどな。思わせぶりに上手に交して行くだけ。自分の感情は、絶対にあいつは他人に見せないから。
　中には煮えきれないあいつに逆上して、どうしてキスをしたのかと聞いてくる女もいる。そんな時、あいつは、ただのガキみたいになって答えるだけだ。
　ただしたかっただけだ、理由なんかないって」
「あるといえば、そう。君がきれい過ぎるからだ。なんてくっさいセリフはいてな。そんで女はコロッといっちまうわけよ」
　なるほど。
　それにしても、蘇王に甘い言葉って無茶苦茶似合わないわね。
「うるさいっ。だいたい神楽はずりぃんだよな。大人ぶってたかと思ったら、いきなりガキみたいになるし。責任からうまく逃げてさ」
「俺が恐ろしいのは、あいつがそれを計算じゃなく、本能でやってのけるとこだ。将来その代償が回ってこないといいが」
蘇王はあたしの前をからかうように通りすぎ、言った。
「それにしても。ついに紗那も、神楽の魔の手にかかっちまったか」
　ちょっと待ってよ。あたしは別に…。
「この1週間、神楽と目が合うたびに顔を赤くして視線を逸らしてる。今朝も食事中に５回、神楽を盗み見していた」
　げっ。さすが千寿の観察力…。じゃなくてっ。
「今ごろ神楽はきっとほくそえんでるころだろうな」
　ムムムッ。
「そうそう、結局紗那もただの女だな、なんて考えてさ」
　かっ神楽の奴っ！
　何とかして、ぎゃふんと言わせてやらないと、このままじゃあたしの気が済まないっ。
　あっ、そっか。
　決めたっ。
「何を？神楽に告白？」
「恋愛事のいざこざは、家には持ちこむなよ」
「違うわよっ」
　何であたしがあいつに告白するのよっ。
　その反対っ、あいつに告白させてやるのよっ。
　あたしが好きだってねっ。
　でもって、思いっきりふってやるっ。
「まじかよ」
あったりまえよっ。
「いい？あんたたち。このことは神楽には絶対に言わないことっ。
言ったら、千寿の部屋に大嫌いな納豆ばらまいて、蘇王の部屋の花岡えみるのアイドルポスター、全部破ってやるんだからねっ」
　それまで面白そうな顔をしていた二人は、それを聞いて静かになった。
「ラジャー…」
「健闘を祈る」



　その後もずっと、この計画のことをあたしは考えていた。
　まずその方法。
　でも、いいのが思いつかなくて、気付けば放課後になっていた。
　そうだっ、親友の絵梨に相談しよっと。
なんてことも思ったけど、何でそんな計画をすることになったのか、とか話すことになったら、謎の集団のことから、あいつらの超能力のこと、果ては同居のことまで話さなきゃいけないことになると気付いて、あたしは何も言えなくなった。
　図書館に用事があるという絵梨を置いて、あたしは一人で家に帰ることにした。
　どうすれば、あいつんい告白させることができるのかっ。
　うーん、恋の駆け引きなんてしたことないしなぁ。
　でもやってやるんだからっ。
あたしは気合を入れて正門をくぐり抜けた。
「葉月紗那さん」
名前を呼ばれて振りかえると、そこには見知らぬ男の子が立っていた。




「ただいま」
玄関にはいつもより多くの靴が出ていた。
　全く、あいつら。お母さんが熱烈な火狩教授＝つまりはやつらの父親のファンであることと、三人とも母親が違うと言う複雑な事情で、居候までは許したけど、我が家は単身赴任のお父さんが立てた二世帯住宅。あくまでも玄関は別だってゆってるのにっ。
　しかもこんなにぐちゃぐちゃってことは、３人帰ってきてるってこと？！
あたしが靴を脱いでいると、お母さんが出てきて言った。
「お帰り、紗那ちゃん。お友達がいらしてるわよ」
　え？友達？
顔を出すと、リビングでお母さんの手作りクッキーを食べている絵梨がいた。
「おかえり、紗那」
　ただいま、絵梨。でも、どうして？
その時ダダダッと音がして、蘇王が階段を駆け下りてくるのがわかった。
　げげっ、やばいっ。
あたしは急いで廊下に戻ろうとした。
「ちょっと待っててね、絵梨」
　実はあいつらの居候は、学校には内緒にしてるの。だって、そうしないと、アイドル火狩三兄弟と言われるあいつらのファンに、あたしは殺されかねないもの。それは、親友で蘇王ファンの絵梨でも同じ。
危機一髪で、廊下のドアを閉めた時に、ちょうど蘇王が降りてきたところだった。
「よう。遅かったじゃん、紗那」
「よう、じゃないっ。あんた。上にあがっててよ。絶対に降りて来ないでっ」
「何でだよ、おばさんのおやつあるだろ？」
「いいからっ」
「オレ、腹がすいてんのっ」
「紗那？」
後ろからドアの開く音がして、絵梨の声が廊下に響いた。
　やばい、絵梨だ…。
振りかえると、そこにはもう絵梨が立っていた。
　あちゃ…。
絵梨は驚くと思ってたけど、全然普通の顔をして、蘇王に声をかけた。
「蘇王君。お茶はいってるよ」
　え？
「サンキュ。どけよ、紗那」
　え？え？
「紗那も早くおいでよ、冷めちゃうよ」
　え？え？え？
廊下でぼーっとしていると、千寿の冷たい声がすぐ後ろからした。
「邪魔だ、紗那」


　説明は絵梨がしてくれた。
「玄関前で会ったの。それで事情も聞いた」
千寿の紅茶を出してきたお母さんが言う。
「紗那ちゃん。どうして学校には内緒なの？別に恥ずかしいことじゃないわよ」
　恥ずかしくなくても、隠さなきゃやってらんないのよ。
　もしかして絵梨、図書館って嘘？
絵梨は静かに頷いた。
「ずっと前からばれてたとか？」
「お弁当のこと気付いたときにね。だって、火狩教授は日本古典文学の専門だし、なんだか紗那は最近妙に３人のこと詳しいし、こそこそ話してるし。長いつきあいだもの、紗那が何か隠してることくらい、すぐにわかるよ」
　ごめん、絵梨。
「いいよ。あたしもこんな風に意地悪しちゃったし、おあいこ」
　ふう。よかった。怒らなくて。
「それにしても、帰り遅かったね。どうしたの？」
あたしはお母さんが自分の部屋に戻ったのを確認してから話した。
　それがね、告白されちゃって、さ。
「告白？」
蘇王は汚らしく、ブーッと紅茶を飛ばした。
　汚いわよ、蘇王。
絵梨は半分呆れ顔。
「誰に？」
「全然知らない人。東高の…。秋山琢磨（ｱｷﾔﾏﾀｸﾏ）って言ってたっけ」
　よく覚えてないや。でも、携帯の番号渡されたから。
「東高って、あの東高？偏差値７０以上の東高？東大付属まで言われる東高？」
　うん。
「それでどうしたの？返事」
「うん。一応断ったていうか…」
「顔がまずかったんだ」
「ううん。かっこいいよ、ルックスは。斎藤なんかよりずっと」
斎藤ってのは、２週間前にあたしがふられた元彼。でも、あたしの名誉の為にいうと、向こうから告白してきたのよ。
　ちなみに彼はあたしが高校に入ってつきあった３人目の男で、３人に共通していえるのが、勝手に告白してきたのに、付き合って１ヶ月もすると向こうから別れを切り出してくるところだった。
　理由？
　わかってたら、３人も同じ目にあわないはずよ。
　だから、あたしは悪くない。
「じゃあ、何で？」
「好きな男がいるからか？」
　ちょっと千寿っ。違うんだからねっ。
千寿は我関せず、といった顔で優雅に紅茶なんか飲んでる。
　まったく、お母さんも千寿の影響で決まったメーカーの、しかもアールグレイしか飲まなくなっちゃったのよねっ。
「何となくね、相手のことちゃんと知ってから付き合う方がいいんじゃないかなって思ったの。今までみたいに、ただかっこいいとか、そういうので無条件に付き合うのってなんか違う気がして。だから友達からってことになったの」
「学習してんじゃん、紗那も」
　どういう意味よっ、蘇王。
蘇王はちょっと眉をひそめてクッキーをほおばった。
　まったく蘇王の食欲のせいで、お母さんは毎日お菓子作りするようになって、あたしの体重も２キロ増えたのよっ。どうしてくれるのっ。
「それより、どうしたの？絵梨。なんか話があるんでしょ？」
そうそう、と言いながら絵梨は二枚のチケットを取り出した。
「これ、紗那も行かない？友達が主催してるパーティーなんだけど」
「うーん。別に…いいけど」
一枚もらうと、あたしは日にちを確認した。
　気晴らしに行こうかな。
「あ、よかったらさ、その東高の人も誘ってみてよ」
「うん、考えとく」



「うまい嘘、考えたな」
お風呂上りにコーラを飲みながら、テレビを見ていると、千寿がニュースを見にやってきて、あたしの前のソファーに座った。
　嘘？
「告白されたことだ。神楽を試すのにちょうどいい」
　失礼ねっ、本当に告白されたんだからっ。ホラッ、これが彼の名前と携帯番号っ。
差し出すと、千寿はその紙を受け取って、ふーんとだけ言った。
　それより、神楽を試すって？
「告白してきた男がいて、お前もまんざらじゃないふりをすれば、あいつの気持ちがわかるだろう。やきもちを焼くのか、それとも反応無しか」
　そっか。…でもそれって、あたしが神楽のこと好きなの試してるみたいじゃない？
「すぐに付き合わないってのは、そういうことだろ？」
「違うってばっ。あたしはね、悟ったの。人間外見ほどあてにならないものはないんだってこと。やっぱり大事なのは中身なのよ。そういう意味じゃ、彼は神楽よりずっと中身のある人間のはずよっ」
千寿はふいに真剣は表情をした。
「ようは、いかに錯覚させるか、だ」
　錯覚？
「神楽がやっていること、そのものだ。口には出さずに、相手をその気にさせるには、気があるふりをするのが一番効果的だな」
そのとき、玄関のドアが開く音がした。
「噂をすれば、なんとやら」
神楽は今日の晩御飯はいらないとかで、学校からも帰ってきてなかった。蘇王が言うには、年上の彼女とデートなんだそうだ。
「よ、紗那」
神楽はあたしを見つけるとリビングに顔を出した。
「今日は早いんだな」
千寿がそう言う。神楽はあたしのコーラを全部のみ干して、千寿の隣に座った。
「まぁな」
ぶっきらぼうに答えて、神楽はふと千寿がテーブルに置いた東高のメモを見つけた。
「秋山…琢磨？誰だ？」
あたしが答えるより早く、千寿が答える。
「紗那に告白した野郎だ。東高生。ルックスもいいそうだ」
「ふーん。でお前またふられることわかってつきあうのか」
　ちょっとっ、どういうことよっ。
神楽を睨んでいると、隣の千寿が宥めるような目つきをした。
　そうそう、冷静に、ね。思わせぶりな態度を心がけること。
「ううん。一応断った。友達から…」
「友達でいようってお前は言ったんだよな」
横から千寿が口を出す。
「そうそう、そうなの」
　友達からってことにしたら、あたしもその気ってことになっちゃうか。
　あたしは、彼が迷惑っていう印象を神楽に植え付けるんだった。
「パーティーにも誘われたんだろ？」
またもや千寿の助け船。
「そっそう。無理やりねっ」
あたしは急いでチケットを出して、それを神楽に渡した。神楽は初め興味なさそうに、そのチケットを見ていた。
「俺ももらったんだ。お前のもあるけど、行くか？」
千寿はそう言って、ちらりとあたしを見た。
　勝負、って感じ？
神楽はまた、ふーんと言ってから、
「行ってもいいぜ。結構楽しそうだし、ついでだから、お前に告白した大馬鹿野郎の顔でも見るか」
と上に上がっていった。
　あいつってば、どうしてこうムカッとくること言うわけ？
「まあまあだな」
顔をしかめるあたしに、千寿がそう言った。でも…と言いかけて、あたしは何かの気配を庭に感じた。
「何かいる」
反応した千寿は、すぐにカーテンを上げて庭をのぞいた。　
あの事件があった時から、物事にはみんな過敏になってる。
「何もいないみたいだぞ」
　でも、何か動くのが見えたのに。
あたしは立ち上がって、千寿の横から庭を見たけど、何かいる気配はなかった。
「見間違いだろう」
千寿はそう言って、テレビを消して上に上がっていった。
　そうかな…。
カーテンを閉めるとき、あたしは確かに感じた。誰かの視線。
　誰？
でも、見渡す限り、人影はない。
　あたしは何だか怖くなって、慌ててカーテンを閉めた。