ドリームコースターは、かつての目玉アトラクションで、一回転するジェットコースターだ。だけど、新しくミラクルコースターが出来たことで、御役御免となったって聞いた。
　オレがそのドリームコースターの搭乗口に向うと、ちょうどシャドーが彼女を連れて、動いているコースターに乗り込むんでいるのが見えた。
「待てってっ」
　オレはそう叫んで、全速力で走り出したコースターに飛び乗った。
「来たか、火狩蘇王」
「彼女を放せっ」
　二人はコースターの一番前にいる。オレは、叫びながら、コースターの前の方に向った。すると、シャドーもオレに合わせるようにして、こっちに向ってくる。
「蘇王君っ」
　立ち上がりながら彼女が叫ぶ。
「危ないからそこで座っててっ」
　オレの言葉に、彼女は頷いて、後ろにいるオレたちの方を向きながら素直に座った。
　ちょうど真ん中のあたりで、そうしてオレはシャドーと向き合った。
「どうして、彼女に近づいた。どうして、彼女を傷つけたんだ」
　すると、くすっとシャドーが笑った。
「わからないのか？僕は君のシャドーだ。
　君が、僕を彼女に近づけたんだよ」
　え？
「君は思っていた。花岡えみると恋人になることを、心の片隅で願っていた。
　それに、彼女の存在は、君にとってとても重要だった。
　君の根本を揺るがすほどに。
　だからだよ」
　その瞬間、シャドーの閃光が、呆然としていたオレの右の太ももを掠めた。
「蘇王くんっっ」
　悲鳴のような彼女の叫び声が聞こえるけど、オレはそれに答えられずに足を押える。
「実際、眞田に入り込むことも、そうして彼女に近づくのも、すごく簡単だったよ。
　どちらも、人にやましい気持ちがあったからね」
　不倫をしていた眞田。
　過去を隠していた彼女。
　その心の闇に、シャドーは目をつけた。
　でも、そもそもの原因がオレの無謀な願いだったんなら。
　彼女を傷つけたのは、オレのせいだってことになる。
　またオレの気づかないところで、オレは誰かを傷つけてたってことになる。
　ズキンと足と腕の痛みが激しくなった気がした。
　それだけじゃない、心も、体も、全部。
　余裕のポーズをかますシャドーの前で、オレはそのままガクッと膝を突いてうずくまる。
　オレ、やっぱり。
　いろんな人を、傷つけてた？
『ううん。だって、そこが蘇王君の魅力だもの』
　だけど、そんなオレに、渡辺の言葉が響いてくる。
『真っ直ぐに、正直に生きてるってこと。
　もしかしたら、知らないところで誰かを傷つけてることもあるかもしれない。
　だけどね、素直な分だけ、誰かを幸せにしてもいるはずだって』
　顔をぐっと上げる。
　前のほうで心配そうな表情の彼女が、オレのことを見つめている。
　ふいにみんなの声がオレの中に聞こえてくる。
『んなややこしいこと考えるんじゃねぇよ。キャラじゃねぇって』
　神楽。
『いい、蘇王。絶対にえみのこと助けるんだからね。
　ブッキーズになんか、負けちゃ駄目だからね』
　紗那。
『行け、蘇王』
　千寿。
　そして、右近。
　オレには、みんながいる。
　みんなが、オレを応援してくれてる。
　オレはゆっくりと左足に力を入れて、手すりをぐっと掴むと立ち上がって叫んだ。
「オレはお前を倒すっ」
　そう吠えたオレをみて、シャドーはため息をついて言った。
「まあまあ落ち着けよ、火狩蘇王君。
　相変わらずの、単細胞なんだな。物事というのは、もっときちんと突き詰めて考えたほうがいい」
「うるさいっ」
　オレはもう、お前の言葉になんか騙されないんだっ。
　大きく振りかぶって、シャドーに殴りかかったものの、シャドーはそれをサッと避けて、体勢を崩してるオレを、見下ろすようにして言い続ける。
「じゃあ聞く。例えば彼女、岡野えみ。
　彼女は、君とのデートを途中でやめて、僕の誘いに乗った。それでも彼女のこと信じるのか？」
　それは…。それは、彼女にだって事情があったんだ。
そう、きっと、彼女は別れ話をしたかった、とか。
「そんなこと、電話に一言で済むだろう。
　例えば、渡辺絵梨。
　彼女はどうして、今日ここに来ていた？それでも君を好きだからだろう。本心は、引き止めたかったはずだよ。ただ、言わなかっただけだ。君が好きだから。
　そうしてまた、君は知らないうちに彼女を傷つけている」
　それは…。
　オレは答えられず、黙り込む。
　それみたことかと、シャドーは話を続けた。
「例えば、バスケ部の仲間。
　君が本当に必要だったら、メール一通で済ませるんじゃなくて、家にまで来て、君を引っ張り出すんじゃないのか。心の中では、本当は君を必要とはしてないんだよ」
　それはっ。
　それ、は…。
「所詮、君が信じてるものなど、その程度の薄っぺらなものなんだ」
　ニヤリと笑うシャドーの手には気づけば大きな光の剣が握られていた。
　オレはというと、ちゃんと立ってるつもりなのに、力が入ってないみたいだ。
　大きくその剣を振り上げるシャドーを目の前にしても、体が動こうとしないんだ。
　だって、悔しいけど、いまコイツが言ったことに、オレは違うっていえなかった。
　それどころか、そうなんだって、受け止めていたから。
　そう、つまりは。
　オレは、やっぱり必要ないんだってこと。
　シャドーが大きくその光の剣を振り下ろす。オレはゆっくりと目を閉じた。
　その時。
「蘇王君っ、駄目っ、騙されないで――キャッ」
　彼女の叫び声がして、パッと目を開けると、こっちに来ようとして彼女が立ち上がったタイミングで、コースターはちょうど右側に大きくカーブを曲がるところだった。
　いきなり体を大きく揺さぶられた彼女が、その勢いで持っていたバーから手が離れ、その体が空を舞ったのだ。
　危ないっっ。
　オレは思い切りジャンプをした。
　そうしたって彼女を助けることはできないとは思った。
　だけど、気づいたら体が動いてた。
　コースターから飛び降りた瞬間、落ちるって思う暇もなく、急に体がふわっといきなり軽くなった。夢中で手を伸ばすと、何とか落ちてきた彼女を掴まえることができて、オレは彼女を抱えたまま、そっと地に下り立ったのだ。
　半分気を失いかけてた彼女は、そっと眼を開けると、目の前にいるオレに気づいた。
「蘇王、くん。どうして―」
　確かに、普通に考えるとそうなんだろう。
　コースターから落ちた彼女を救うために、オレもコースターから飛び降りたけど、普通に考えたら、手だって届かない。
　だけど、オレは彼女を抱きかかえて、そうしてゆっくりと地面に立っているのだから。
　その理由は、だけど今のオレには何となくわかっていた。
　オレの顔を見る彼女の目が、そこで大きく開かれる。
「蘇王くん…。それ…翼？」
　ああ、とオレは大きく頷く。
　彼女の視線の先にあるのは、大きな金色の翼。
　オレは覚醒したんだ。
　天使として。
　彼女をなんとか立たせると、オレはその手を強く握った。
「ここで、待ってて。すぐに神楽たちもこっちに来てくれるだろうから。
　大丈夫。オレは、あいつを倒して、すぐに戻って来るから」
　そうして、君に伝えたいことがあるから。
　くるりと背を向けて行こうとしたオレの手を、彼女は掴んで引き止めた。
「でも、蘇王君、怪我してるわ。だったら、ここで少し休んで、神楽君たちが来るのを待って、皆で彼のところに行ってもいいんじゃないの？」
　冷静に考えると、確かにそのほうがいいのかもしれない。
　けど。
「オレがやんなきゃならないんだ、これは」
　今まで沢山の試合があった。
　けど、オレは、どの試合にも勝っても負けても、何とも思わなかった。
　勝ってチームメートが喜んでたら、「よかったな」とだけ答えて、抱き合ったし、
　負けてチームメートが泣いていたら、「今度は頑張ろう」とだけ言って、その肩を叩いた。
　だけど、今オレは、あいつにだけは絶対に負けちゃいけないと思ってる。
　絶対に、倒さなきゃいけないと思ってる。
「オレ、あの後考えたんだ」
　離れない彼女の手を見つめながら、オレは言った。
「たしかに、神楽と、千寿と、オレとは平等じゃないかもしれない。
　そもそも、キャラが違う。
　でも、きっとみんな、幸せだと思う。
　オレはオレなりに、千寿は千寿なりに、きっと神楽だって、神楽なりに」
　気づいたら、オレの方が彼女の手を強く握り締めてた。
「オレはえみちゃんの歌を聴くと幸せになる。笑顔を見ると元気になる。頑張ろうと思う。
　それじゃ駄目かな。
　それじゃ、えみちゃんは幸せになれないかな。
　誰かを幸せにできる人は、きっと幸せな人なんだとオレは思う。
　幸せになれる人なんだと思う」
　そっと彼女の手を離す。
　涙声でオレの名前を呼ぶ彼女に、オレは、ここで待ってて、とだけ告げた。


　正直、「覚醒」なんてどうでもよかった。
　オレはただ、みんなと、楽しく毎日が暮らせればよかった。
　ずっと、今のまま、変わらないでいられることの方が大事だった。
　神楽も家にいて、
　千寿も周りに気を使うことのなくて、
　オレもへらへら笑っていられる毎日。
　世界を救うためだとかって高未が言っても、イマイチピンとこなかったし、そんなことどうでもよかった。
　だけど、このままじゃいけないんなら。
　オレのシャドーが、オレの大事な人たちを傷つけていくんなら。
　オレは戦う。
　みんなの為に。
　オレたちの、仲間の為に。


　ドリームコースターの場所に行くと、コースターの一番上のレール上に、シャドーが足を組んで座っていた。
「ついに翼がお目見えしたか」
　オレに気づくと、シャドーはそう言って立ち上がる。その手に光る剣が、どんどん強くなっていく。
　だけど、オレは全然怖くなんかなかった。
「オレは負けない」
　そう呟いて、オレもシャドーと同じ高さまで飛びあがった。シャドーは鼻でオレのことを笑っていた。
「ここまでバカとは思わなかったよ。
　それでもまだ信じるっていうのか？」
「ああ」
「お前が信じてる仲間には、心の闇があるというのに？
　そのために、お前を傷つけたというのに？」
　オレは大きく頷いた。
「ああ。
　だって、誰にだって悪いところはある。
　だけどその分、いい所だって沢山あるんだ」
　大きく右手を天にかざすと、すごく温かくなるのがわかった。
　前に千寿が言った。
『自分の負を無くし、正の部分だけを持った人間が、真の天使になれるということなんだ』
　オレは、そうじゃないと思った。
　あの時はわからなかったけど、今なら胸をはって千寿に言える。
　だけどきっと、千寿も間違っちゃいない。
　神楽も違うこというかもしれないけど、それでもいいと思う。
　三人三様。
　だけど、それでもオレたちの絆は変わらない。
　右手が熱い。
「信じてるから。
　彼女を、神楽を、皆を。
　そして、自分を」
　オレは大きく剣を振り上げて、思い切りシャドーに振り下ろした。
　が、その直前で、シャドーがいきなり両手をオレにかざして、ひきつった表情で言う。
「わわっ、ちょっと、待った。
　な、なあ、火狩蘇王君。取引をしないか？
　私と君は、一心同体も同然だ。
　しかも、お互いがお互いを補える関係だ、そう思わないか？
　つまり、君の口下手なところは、私が担当すれば、嘘八百並べ立てるくらい、お茶の子さいさいだ。
　君の単細胞で、考え無しなところも、この私が担当すれば、千寿に負けないくらい理論的になれる。
　それに試験だって、この私が担当すれば―」
「うるさいっ」
　ぺらぺらとしゃべっていたシャドーの言葉をオレはそう叫んで、さえぎる。
「口下手でも、単細胞でもいんだよっ。
　オレは、オレのままで幸せなんだからっ」
　そうしてオレは一気に剣を振り下ろした。
　シャドーは叫び声をあげて、キラキラした光の欠片となると、パッと弾けた。
　その光はゆっくりとオレを包み込むと、そのまますぅっとオレの中に入っていった。
　さらば、シャドー。
　オレの心の闇。
　多分、今お前が言ってたことは、これからたまにオレが望んでしまうことかもしれない。
　だけど、それでも。
　オレは、このオレのままでいい。



　彼女を残した場所に行くと、オレが声をかけるより早く彼女が気づいてオレに向って走ってきた。
「蘇王君っ」
　ごめんね。遅くなって。
「ううん。それより、大丈夫？」
　彼女はそう言ってオレの体をまじまじと見つめる。その中で、オレは左腕のハンカチを外すと、思ったとおり、傷は綺麗さっぱり消えていた。
　シャドーにつけられた傷は、オレの中に戻ってきたときに、どうやら治ってしまったらしく、右足の痛みも消えていた。
「あの人は、どうしたの？」
　治ってしまった傷を見て、不思議そうに彼女が尋ねる。
「うん。もとのさやに収まった、ってところかな」
「？」
　わからない、というように彼女は首をかしげる。
　気づいてないだろうけど、この仕草、『花岡えみる』お決まりのポーズ。
　彼女には話さなきゃならないと思った。
　シャドーのことも、天使のことも、覚醒のことも。
　だけど、その前に。
「えみちゃん。
　君に伝えたいことがある」
　そう、告白だ。
　オレが、次の言葉を言おうとしたとき、彼女が先に言った。
「あたしも、蘇王君に伝えたいことがあるの」
え？
　もしかして、また新たな秘密とか？
　もしかして、隠し子とか？
　オレ、この年で一児の父になれるんだろうか。
「…じゃあ、レディファースト？」
　オレがそういうと、彼女はうんと頷いてから、勢いよく言った。
「好き、です」
　え？
「え？いや、それって、オレのセリフ…。やべぇっ…」
　気づいたときは遅かった。
　頭を抱えるオレの前で、くすくすと彼女が笑う。
「らしいね、蘇王君らしい」
　一世一代の大仕事だったのに…。
　え。
　きょとんとしたオレに、彼女は最高の笑顔を向けてくれた。
「でも、好きよ。そんな蘇王君が、大好き」
　オレも、とか。
　好き、とか。
　言いたいことは沢山あったのに、オレは何一つ言えなかった。
　なぜかってーと…。
　彼女に口を塞がれていたから。
　最初は、触れるだけのキス。
「えみ、ちゃん…」
　離れた瞬間、そういうと、彼女はふふっと笑って、オレの首に手を回して、また唇を重ねる。
　今度のは長いキス。
　それから、軽いキス。
　何が何だかわからなくて、初めはパニくってたオレだったけど、ふいに唇が離れて、また彼女がふふと幸せそうに笑った。
　その笑顔を見てたら、オレも幸せになって、彼女の腰に手を回すと、今度はオレからキスをした。
　柔らかい彼女の唇。
　漂う甘い香り。
　オレと彼女は、甘いキスを十分味わった後、おでこをつき合わせてくすくすと笑い合った。
　ああ、神様。
　オレってば、本当に、幸せ者です。
　だけど、そんな時間はずっと続くわけはない…。
「おうおう蘇王ってばよ、いきなりそんなあっついラブシーン見せ付けなくてもいいんじゃねぇのぉ？」
　うわっ、神楽っ。
　いきなり登場すんなよっ。
「ねぇねぇ今のって、大人のキスっていうの？」
「黙ってろ、杏」
　千寿っ。
　杏までっ。
　気づけば、他にも右近と紗那まで赤い顔で立っている。
　つーか、みんな見てたわけ？
「残念ながらね、蘇王君」
　うわ、高未までっ。
「まったく、やっと覚醒したのね。
　時間がかかってしょうがない。
　あらー右近ってばウブ。顔赤くすることないじゃないの」
　すると、紗那がいきなり右近の目の前に立って言った。
「いいじゃない、らしいもんっ、右近らしくて、あたしは―」
　ん？
　何か聞いたことあるセリフ、
　ってそれっ、えみちゃんのセリフじゃんかっっ。
「便乗して告白しても、右近はお前を受け止めないぞ、紗那」
「ちょっとっっ。なっ、なにいってるのっ、千寿っ。
　あ、右近までっ。どこ行くの？
　ちょっと！待ってよ、右近っっ」