ドリームワールドは、閉園時間が近くなってきたのか、だんだんと出口に向って人が流れていた。その中を、オレは逆らうように走っていた。
　コンサート会場の場所は聞いてなかったけど、野外にあるステージの前には、たくさんの人だかりが出来ていたし、何より、どんよりとした黒い空気が取り巻いて、そこに彼女や御堂、そしてオレのシャドーがいるのは確かだった。
　列を無視して、会場に入ろうとすると、入り口に立っていた警備員の人に呼び止められた。
「ちょっと、君っ。チケットは？」
「あ…」
　やべぇ。富士川が持ってるんだった。
　慌てて携帯を鳴らしてみても、聞こえてくるのは留守電サービスの声。
　そろそろ始まるって言ってたもんな。
　オレは素直に言ってみることにした。
「友達が、その、中にいて、あの、それで、先に入っちゃって―」
「チケットないならお断りだよ」
　しどろもどろに説明するオレに、警備員のおじさんは厳しく言う。
　こんなときに、適当な嘘がつけたらいいのに。
　仕方なくオレは、会場の裏手に回った。
　関係者の出入り口から入れたらって思ったんだけど、そこには黒いスーツ姿の筋肉モリモリの男が二十人くらいいた。
　駄目だ、これじゃ入れない。
　どうしよう。
仕方なく正面の入り口に向って歩いていると、聞き覚えのある声がした。
「蘇王君？」
「渡辺…」
　渡辺は、少し無理したような笑顔でオレに言った。
「やっぱり花岡えみるのコンサートに来たんだ」
　やっぱり、ってところで、オレはこの前の屋上での出来事を思い出す。
　渡辺には、告白されたんだってこと。
　だけど、オレは…。
「ごめん、渡辺。
　オレ…。
　助けなきゃならないんだ、彼女のこと。
　行かなきゃいけない」
「好きってこと？」
　アイドルではなく、一人の女の人として。
　渡辺がそういっているのがわかった。
　オレは、ゆっくりと頷くと、くすっと渡辺が笑う。今度は本当の笑顔だった。
「蘇王君らしいね、素直なところ」
　あ、そっか。
　オレに告白した渡辺からすると、今の言葉ってキツイよな。
　また、渡辺のこと、傷つけた。
「あ、ごめん」
　考えない自分に、また落ち込んで俯くと、渡辺は明るく答えてくれた。
「ううん。だって、そこが蘇王君の魅力だもの」
　オレの、魅力？
「真っ直ぐに、正直に生きてるってこと。
　もしかしたら、知らないところで誰かを傷つけてることもあるかもしれない。
　だけどね、素直な分だけ、誰かを幸せにしてもいるはずだって。
　そう、紗那が言ってたよ、蘇王君のこと」
　そう、なのかな。
　そう思ってて、いいのかな。
　渡辺を、中川先輩を、神楽を傷つけたけど、その分誰かを幸せにしてるんだって。
　すると、ふいに渡辺がチケットをオレに差し出した。
「はい。これ。
　さっき、富士川君に偶然会ったときに、渡されたんだ。
　蘇王君が来ないから、あげるって。元は蘇王君のなんでしょ？これ」
　そこには『花岡えみるシークレットライブ』と書かれていて、開演時間まで、もう一分もなかった。
「サンキュ、渡辺っ」
　オレはそういうと、さっきの警備員のおじさんに、堂々とチケットを渡して、中に入った。


　入ったはいいものの、席は満員御礼。
　立ち見まで出てきていて、全然ステージのほうには進めない。
　すると、それまでかかっていた曲が、ぴたりとやんで、点いていた照明もだんだんと薄暗くなっていく。それとは反対に、ステージには煌びやかなスポットライトが浴びせられていた。
　コンサートが始まる。
　デビュー曲のイントロが流れ始めて、席に座っていた人が一斉に立ち上がった。
　それにあわせるように、ステージ中央には、下からリフトに乗った彼女が登場していた。
　だけど、歌い始め、彼女の声はいつものような伸びもなく、テンポも少しずれていた。
　どうしたんだ、と思うのと同時に、オレに彼女の心の声が聞こえてくる。
『助けて』
　歌いながら、彼女はマイクを持たないほうの手で、頭を押えている。
　彼女の苦しい歌声にあわせて、頭の中に聞こえてきたのは、全く知らない誰かの声だった。
『サワゲ、ワメケ。
　コロセ、コロシアエ。
　オマエイガイハミンナ、テキダ』
　それは曲とあわせて流れてくるメッセージ。
　何も知らない、彼女の歌に聞きほれるファンの耳に、そうしてそのまま入っていって、心を支配する。
　つまりこれが、御堂の作戦ってことか？
　沸き起こっているえみるコールが、オレにはいつのまにか、
『コロセ、コロセ』
と言っているように聞こえてきた。どんよりとした空気も、僅かに漂い始めていた。
　そして、ステージでは、苦しそうな彼女の声も絶え絶えになってきていた。
　おそらく、彼女は、自分の中で御堂の声と必死で戦っているんだ。
　今、助けに行くからっ。
「すみませんっ、通してください。すみませんっっ」
　だけど、オレがいくらそう言っても、彼女を呼ぶ歓声にのまれてすぐに消えていってしまう。しょうがないとかき分けて進もうとしたけど、ファンたちの力の方が強くて、逆にはじき出されたオレは、そのままそこにひっくりかえってしまった。
　ってぇ…。
　すると、ため息と一緒に、オレに手が差し出された。
「何やってんだよ、蘇王」
　神楽っ？
　顔を上げると、神楽が眉をひそめていた。
「何て顔してんだよ、情けねぇやつだな」
　そのまま神楽の手を掴むと、ぐいっと体を引っ張りあげられる。
「どうして、ここに…」
「家に帰ったらさ、紗那たちが大騒ぎしてて、で、まあ俺も一緒にここまで来たわけ」
　しっかし、すっげぇな、と呟いて、神楽は会場を見回していた。
　その表情は、いつもと全然変わらない。
「家出、してたんじゃ…」
　オレの呟きに、神楽は後ろにいる千寿を軽く見て言った。
「千寿の野郎、俺をどこまでコケにすんのかしんねぇけどさ。
　俺には五万と女がいるんだぜ。
　女なんか、掃いてすてるくらいいるっつーの。
　昔の恋愛までひきずってねぇよ」
　千寿もばつが悪そうな顔をしている。
でも、それじゃ、今までどこに？
「他の女のとこだよ。あったりまえだろ？」
　あっさりとそういう神楽の表情に少し影がある気がしたけど、神楽に代わって千寿が付け加えて言った。
「正確には他の女たち、だろうが。
　女子大生と、ＯＬと、それからフリーターの合計三人」
　言い方は呆れたって感じだったけど、それでも千寿の表情は安心して少し笑ってさえいた。
　そっか。とにかく、よかった。
「よくねえだろうが、蘇王」
　オレがほっと安心していると、神楽がするどくつっこんできた。千寿までもが言う。
「どうする、彼女。助けるんだろう？」
　そうしたいんだけど、と言う前に、神楽がオレに更に聞いてきた。
「好きなのか？」
　少し間を空けて、オレは頷く。けど、すぐに首を傾げた。
「けど、わかんなくて。オレ。
　本当の彼女が好きなのか、それとも花岡えみるが好きなのか、オレ―」
　その先を言う前に、バシッといい音がして、オレは頭を叩かれていた。
　ってぇっ。
　何でいきなりオレのこと殴るんだよ、神楽。
「ばーか。
　んなややこしいこと考えるんじゃねぇよ。キャラじゃねぇって」
　キャラって、どういうことだよっ。
「あいつのことが好きなんだろう？」
　神楽の表情はまじめそのものだ。
　だから、オレも今度は力強く頷いた。それを見て、神楽も力強くオレの肩に手を乗せる。
「だったら、そう言えばいい。
　でもって、思い切り抱きしめて、押し倒しちまえ」
　ええっ？
「おい待て、それは犯罪に近い」
　千寿が冷静に答えたけど、神楽はそれを鼻で笑った。
「その先はもちろん合意の上ってヤツだよ。
　それに、たいていの女っつーのは、そういうのを待ってるもんなんだ」
　え、そうなの？
「お前ね、この俺を誰だと思ってるわけ？」
　そう言って、神楽はにやりと微笑んだ。
　女を落とす時の、お決まりの笑顔。
　千寿は、神楽に呆れたというように、
「それはお前の場合だけだろ」
と言ってから、オレの方をじっと見つめて言った。
「行け、蘇王」
　千寿。だけど、どうやって。
　興奮して、これ以上前には進めないし、裏には黒服の強そうな男がわんさかいた。
　すると、千寿が大きく手を振りかざし、ステージ右の照明を差した。その瞬間、パンッと音がして、ショートしたように照明が落ちる。
　その衝撃に、観客の注意は一気にそっちに逸れる。
　くすりと神楽が笑った。
「さっさといけよ、ほら。
　ステージで、あいつが待ってるんだろう？」
　その時、突然彼女はスタンドにもたれるようにして、歌を歌うのを止め、座り込んでしまっていた。
　えみちゃんっっ。
　オレはそう叫びながら、観客をかきわけて、必死に進んでいった。


　会場は、混乱状態だった。
　前の方にいた観客も、ライトが割れだしたのを見て、御堂の呪縛が解けたのか、慌てて出口に向おうとしていたし、逆に後ろの方の観客は、倒れた彼女を心配するというよりは、まだその呪縛の中にいて、彼女に歌うことを強いて、前の方に駆け出していこうとしていたから。
　その中で、オレは人の波をかき分けて、真っ直ぐステージに向っていた。
　ステージと客席をわける柵の前に来たところで、オレは五メートルくらい先でうずくまっている彼女に夢中で声をかけた。
「えみちゃんっっ、大丈夫っっ？」
「蘇王君っ？」
　オレの声に気づいた彼女が、慌てて顔をあげる。そうして、客席にいるオレと目があうと、もう一度オレの名前を呼んでくれた。
　オレは柵を飛び越えると、ステージに上がる。
　そうして彼女に手を差し出して言った。
「ごめん、えみちゃん。気づいてあげられなくて」
　彼女は、まだオレの手につかまることをためらっているようで、ただじっと、オレのことを見ていた。
「きっと初めにあった頃から、ううん。違う。
　そうやって花岡えみるとして歌を歌っている頃から、オレは気づくべきだったんだ。
　助けて欲しいって、君の気持ちに」
　蘇王君、とオレの名前を呼ぶ声が、涙で震えている。
　彼女の空を彷徨っていた手を、オレは掴まえて、引き上げる。
　ゆっくりと、そうして彼女は立ち上がった。
　掴んでいる彼女の手は、まだ微かに震えている。
　言うなら今だ。
　オレは弾んだ息と、鼓動を落ち着かせようと、すぅっと息を吸い込んだ。
「俺、君のことが好―」
「えみっ」
　告白が終わる前に、彼女の背中の方向から、別の男の声が聞こえてきた。
　オレを見ていた彼女も、そのまま後ろを振り返ると、反射的に口に手をあて、息をのんだ。その瞬間に、彼女の手はオレから離れてしまう。
「眞田さん…。どうしてここに？」
　週刊誌には恋人と書かれていた眞田直純は、黒いコートにサングラスという、いかにもお忍びの芸能人という恰好のまま、彼女に向ってにっこりと笑いかける。
　だけど、オレには、それが本当の笑顔じゃないことがわかっていた。
「決まってるだろう。君のことが心配だからだ」
　一歩一歩、彼女に近づきながら眞田は優しそうにそう言ったけど、彼女は否定的だった。
「けど、もう終わった事だって、伝えたじゃない」
「だけど君は結局、待ち合わせの場所には来てくれた。その小僧とのデートを自ら早く切り上げて」
　それは、と彼女が言葉を詰まらせる。
　もしかして、遊園地のあと、眞田に会ってたのか？
　だから、オレを先に帰した？
　オレの気持ちに答えるように、眞田は話を続ける。
「そして、また、その小僧のところに行ってしまった。
　だから、こんなことになってしまったんだよ。
　素直に僕のところに来てくれればよかったものの」
「どういうこと？」
　彼女はそう言って、眞田に近づこうとした。
　だから、オレは思わず叫んだ。
「駄目だっ、えみちゃんっ。
　そいつは眞田なんかじゃない」
「え？」
　ニヤリと笑うその顔に、オレは自分の直感を確信した。
「そいつは、オレのシャドーだ」
「シャドー？」
　彼女はそう言って、首をかしげる。
　けれど、肝心の相手は、ふっと笑った。
「やっと気づいてくれたか」
　そしてサングラスを外すと、現れたのは、眞田直純ではなく、また別の顔だった。
たぶん、オレの義理の弟が大きくなったらこんな顔かなって感じ。
　そう、オレとよく似ていたんだ。
　シャドーとは、オレのもう一つの姿。
　いつか本物のオレになることを願い、隙あらばオレを倒そうとしている存在。
　そして、オレが天使になるために、倒さなければならない相手。
　ショックを受けた彼女は、小さな悲鳴をあげて、また床に座り込んでしまった。
　シャドーはこっちに向って、靴をカツカツと鳴らしてやってくる。その目にあるのは、もはや彼女じゃなくて、オレだった。
「待っていたよ、火狩蘇王。
　あまりに君がマイペース過ぎてね、こっちも待ちくたびれていたんだよ。
　入れ替わるにしても、君が僕に気づかないといけないからね」
　シャドーはふふっと笑って、
「覚悟はいいね」
と言った。もちろん、覚悟はできている。
　だけど、どうしても譲れないことがある。
「その前に、彼女は関係ない。
　彼女を安全なところに移してから、戦おうじゃないか」
「蘇王君っ」
　そんなオレを止めるように彼女が振り返る。
　ごめんね、えみちゃん。
　だけど、こいつとの戦いに、逃げるわけにはいかないんだ。
　シャドーはくすくすと笑うと、
「まあ随分と紳士なことで。
　大人になったなあ、火狩蘇王君」
　なんて言ってきた。
　うるさいっ。
「が、残念ながら、断る」
　その時、シャドーはすぅっと右手の人差し指をオレの方向に向けた。
「彼女は立派な、私の切り札だ」
　その瞬間、閃光が、オレの左腕に向って走り、オレはその痛みで思わず声を上げて、右手をあてる。服が破けて、腕にも火傷のような傷ができていた。
　畜生。
　するとその隙に、彼女が狙われた。
「キャッ」
「えみちゃんっっ」
　オレの隙をついて、シャドーは彼女の腕を掴まえると、そのまま抱きかかえるようにして、オレに言った。
「せいぜい追いかけてくるんだな」
　そうして、黒いコートを翻して、シャドーは彼女と共に会場を出て行った。
「大丈夫っ、蘇王っ」
　追いかけようとした俺を、客席から何故か紗那が引き止めた。
「紗那？どうして」
「右近に連れてきてもらったの。
　右近は今、神楽たちと一緒にブッキーズと戦ってる」
　ブッキーズとは、紗那が名づけた御堂の一味のこと。確かに、会場では、戦う神楽たちの姿が見えた。
　紗那はステージによじ登り、オレの左腕にハンカチを巻いてくれた。
「いい、蘇王。絶対にえみのこと助けるんだからね。
　ブッキーズになんか、負けちゃ駄目だからね。
　それから、絵梨のこと、傷つけたんだから、えみと幸せにならなかったら、それこそ覚悟してなさいよっ」
　紗那はそういうと、バシッとオレの怪我した左腕を叩く。
　ってぇってばっ！
「あ、ごめんっ」
　ったく。
「そんなこと、言われなくてもわかってらいっ」
　オレがそういうと、紗那も笑顔になった。だけど、そこに冷たい千寿の声が響く。
「おい蘇王、談笑してる余裕はお前にはない」
　いつのまにか、千寿も神楽も、そして右近もステージに上がっていた。
　そうだっ、オレは彼女を助けに行くんだっっ。
　だけど、どこに？
　オレの気持ちに気づいてか、右近が答えてくれる。
「シャドーなら、つい最近閉鎖にしたドリームコースターに向って行った」
「キャッ、さすが、右近♪」
「いちいちうるせーっつーの。紗那」
「何よ、神楽のスケコマシッ」
　睨みあう紗那と神楽の奥で、右近は大きくため息をついている。
　これも、いつもの風景だ。
　オレは今の状況を忘れて、何だか嬉しくなっていた。
　千寿がそんなオレの肩をそっと叩いて言った。
「いいから、行けよ、蘇王。こっちは何とかしておくから」