面と竹刀を脇に抱え、戻ってきた俺に紗那と杏が大きな声で出迎えた。
「県大会優勝おめでとうっ」
「やったね、千寿」
　あれから葉月家によくくるようになった杏と紗那は、気が合うのか、異常なくらいに仲良しになった。蘇王によれば、二人は何やら『協定を結んだ』らしい。
　サンキュ、と答えてる横で、蘇王が俺に飛びついた。
「千寿っ。すっげー。全試合、一本もとられることなく優勝か」
　俺は小さく頭をふって、遠くに見える安東を見つめた。
「決勝の相手が最近まで怪我で練習不足だったからな」
　シャドーから受けた怪我というのは、シャドーが消えた瞬間に、どうやら治るものらしく、御影高校の剣道部員も、道場荒らしにあった他校生も、そしてもちろん安東も大会に出場することになり、決勝で俺と戦うことになった。結果は俺が面を一本取り、安東を倒して優勝した。
　だが、俺の敵は、もう安東ではない。
　俺の敵は、俺自身だ。
　つまり、目指すところは、優勝ではないのだ。
　ごった返している会場の中で、大きな声が俺にかけられた。
「おめでとっ、千寿っ」
「あ、高未」
　俺たちがそんな高未に気づくと、高未は嬉しそうに駆け寄ってきて、やったじゃんっ、と俺に抱きついた。
　途端に、杏の不機嫌な声が響く。
「誰？このオバサン」
「誰？このお嬢ちゃん」
　自分を睨みつける杏に気づいた高未は、そう言い返して、俺から手を離した。
　杏は仁王立ちをし、腰に手を当てて言う。
「那珂川杏よ。ピッチピチの小学五年生」
「浅生高未。大人の色香が漂う高校三年よ」
　高未がぶりっこ気取りで人差し指を、自分の頬に当てる。ぶっと吹き出す蘇王の隣で、紗那が言う。
「千寿の彼女」
　一瞬唖然とした高未だったが、顔をいつもの表情に戻すと、ケロッと答えた。
「へぇ。千寿ってロリコンだったんだ」
　俺は思わず飲んでいたポカリを吹き出しそうになって、慌てて小声で言った。
「おい、高未。そういうことを大声でいうな。
　だいたい、紗那。杏は別に彼女ではないぞ」
　すると紗那はニヤニヤと笑って答えた。
「あー、そんなこと言ってっ。いいのかなぁ？あの夜の出来事を話しても」
　なぬ？
　ハッとして杏を見ると、へへんと笑っていた。
　こいつ…。
「そういう意味深な言い方よせっ。紗那っ。
お前が余計なことをこれ以上言ったら、右近にお前がイビキをかいて寝てること、言ってやるぞ」
ちょうど右近は席を外していてここにはいない。
えっ、と驚いている紗那に、たたみかけるように蘇王が言う。
「ほんっと、お前のイビキってすっげーんだよなっ」
「やめてよっ。恋する乙女に似合わないことっ。
だいたいそれって嘘でしょ」
「マジだぜ？知らないの？紗那」
「いやいやっ。ぜーったいに、嘘っ」
「大丈夫、紗那。あたしは黙っててあげるからね。だって、『協定』結んだんだもんね」
「杏ってば、ほんっといい子っ。
　千寿が浮気しようものなら、あたしが懲らしめておいてやるからね」
「うん。あたしも、右近の部屋に入り込んで、情報ゲットしてきてあげる」
　何の協定かと思えば。
　ちょうどそこに右近が戻ってきて、真実を言おうとする蘇王を、紗那と杏は必死になって止めていた。
　大きく溜息をつく俺に、高未がこっそりと話しかける。
「見つけたんだ。例の」
　その視線の先には杏がいる。
　俺は、小さく息を吐くと、俯きながら答えた。
「ああ」
　俺にとって、杏がかけがえのない人間だというのは、嘘のつきようがない事実だ。
　そしてある意味、杏も俺のシャドーなのかもしれない。
　俺はそう思って、そっと懐に隠した杏お手製のお守りを握り緊める。
「なるほどね。ね、ところで神楽は？」
　高未はそういって、あたりを見回す。
　あれから、神楽は一度も俺たちの前に姿を現していない。
　ただ、あの後、葉月家に、一週間ほど旅に出るという神楽からの連絡があった。
　心配したおばさんは、毎日連絡することを条件にし、神楽はそれをきちんと守っているらしい。
「ちょっといろいろあってな」
「いろいろ？」
　ああ、いろいろ。と俺は答える。
　今までにも、いろいろとあった。
　お互い逃げ出してしまえば楽だと思えるようなことも。
　でも、俺たちは乗り越えてきた。
　だから、俺は信じている。
「でも、戻ってくる。必ず」
　そう、神楽が、絶対にここに戻ってくることを。