気持ちが鎮まらずに、近くの公園で素振りをし、家に戻ると、例のごとくエプロン姿の紗那がリビングでハンバーグのタネを作っていた。
「千寿、お帰り」
　相変わらずリビングにはいい香りが漂っている。
「蘇王は？」
　ふとそう思って俺は尋ねた。
　神楽を探しに行くにも、もしかしたら蘇王は行く先にあてがあるかもしれない。
　だが、紗那は首を振る。
「部活。ちなみに、右近はお部屋。神楽は、どこほっつき歩いてるのかわからない」
　やはり、神楽は家出したままのようだった。
　自分の部屋に戻ろうとした俺を、紗那がふいに引き止めた。
「ね。おじさんの再婚の話、結局神楽にきちんとできたの？」
　紗那は、すぐに神楽が出て行ったことを知らない。俺がまた、おばさんも含めてごまかしておいたからだ。
　返事をしなかったことの意味を、理解した紗那は、あららと言った。
「さっさと言えば良いのに。千寿の、あたまでっかち」
　いろいろ事情があったんだ。
　俺はそのタイミングを計っていたのに、それをお前がぶち壊したんだろうが。
　俺が黙っているのをいいことに、紗那は続けて言った。
「だいたい考える前に、やってみればいいのよ」
「何も考えずに失敗をすれば、とりかえしがつかないだろう」
「だったら、また別の方法でやればいいじゃん」
　足元に擦り寄ってきた左近に、紗那はねぇと同意を求めた。
　そもそも、俺の計画通りに、紗那と神楽がうまくいっていれば、こんなことにまでなってなかったんだ。
　俺の計画。それは、神楽に昔の恋を忘れさせるために別の恋人をつくる計画。
　紗那ならば、それができると思った。
　だが紗那は、右近に恋をした。
　俺は苛立ちを隠しきれずに言った。
「そんな簡単にものごとが進めば、人生お前のようにお気楽極楽なんだろうな」
　さすがにそれには紗那もカチンと来たようで、俺をにらみつけた。
「何よ、その言い方っ。何でもかんでも一回で完璧にこなすほうが難しいに決まってるじゃん。千寿のええかっこしー」
「何だと？」
「本当はさ、千寿も再婚してほしくないんでしょ。蘇王もなんかそんな感じだし。
　だったら、そういう風におじさんに言えばいいのよ」
　言い当てられて、俺は戸惑った。
　本当は、望んでいなかった。
　相手が誰であろうとも。
　それが、紅子さんに対する父への償いだと思っていたから。
　だが、結局、今回のことはどうしようもないことなのだ。父だって望んでいたのかはわからない。だが、そうせざるをえなかった。
「父の人生だ。俺には口出しする権利なんてない」
「あるでしょ。息子なんだからさ。再婚やめてって」
　無知ゆえの紗那の発言が、俺の琴線に触れる。
「…言えるわけないだろ。第一、もうすでに―」
　思わず声を張り上げそうになったところで、ひょっこりリビングに紗那の母親が顔を出した。
「あ。千寿くん、ねえ悪いんだけど、お豆腐買ってきてくれるかしら？」



　居候としては、買い物を頼まれれば、嫌とはいえない。
　俺は結局、豆腐を買いに駅前のスーパーにやってきた。
　言われたとおり、絹豆腐を買い、スーパーを出たところで、俺は見覚えのある顔とすれ違った。
「あ、こんばんは」
「どうも」
　たった一度だが、杏の里親の母も俺のことを覚えていたようだった。
　挨拶だけ交わして、そのまま帰ろうとする俺を、だがその人は引き止めた。
「あの、千寿君でよかったわよね。いつも、杏がお世話になってます」
「いえ…」
　別に世話するほどのことはしていない。
　それに、さっきひどく傷つけたことを思い返し、俺は真正面から挨拶することができなかった。
「ありがとう。　あの子、この頃すごく楽しそうなの。あなたのおかげで」
「別に僕は」
　むしろ、傷つけてしまった。
　まだ小さな子供だというのに。
　だが杏の母親は、俺の返事を謙遜と受け取ったようだった。
「勉強もね、頑張ってくれてるし。テストの点も上がってるみたいなの。
　それも、すべて、あなたが勉強を教えてくれたおかげ」
　え？と言いそうになったが、俺はそうですね、などと曖昧に返事をした。
　おそらくは、杏はいつも帰りが遅いのを、俺が勉強を教えてるからだと嘘をついたのだ。
　両親を心配させないために。
　俺を逆ナンパしたことを隠したがったのも、その為だ。
　これ以上、迷惑はかけられないから。
　痛いほど、俺には杏の気持ちがわかった。
「それにしても、今日の勉強は遅くまでだったのね。あまり頑張り過ぎなくてもいいのよ」
「え？」
　思わぬ言葉が返ってきて、俺は戸惑う。
　杏と別れたのは、五時前だ。
　今は六時半すぎ。
　学校から家まで歩いて三十分だとして、帰っていないわけがない。
「…あの、まだ帰ってきてませんか？」
「え？ええ。ついさっき、私も家を出たんですけど、その頃はまだ」
　こんなときにかぎって、なぜか高未が言っていたことを思い出す。
『怪しい事件ばかりよね。気味が悪いヤツとか』
　くそ、高未め。
「あの？どうかしましたか？」
　黙りこんでいる俺を、杏の母親が心配そうに見つめた。俺は握り緊めていたスーパーの袋を握りなおして、首を左右に振った。
「いいえ。あの、すみませんが、失礼します」



　いったい杏はどこにいるんだ。
　スーパーから出てきたものの、俺は杏のことをあまりしらない。
　杏は俺のことを良く知っているようだったが、俺は、杏の友達も、よく行く場所も、何も知らなかった。
　いや、そもそも友達なんかいないって言ってたか。
　畜生。どう探せばいいんだ。
　最後に会ったのが、校門前か。
　…そういえば、あのお守り。
　俺は自分が垣根に投げ入れたあのお守りを思い出した。
　まさか、あれを探してるんじゃ…。
　いや、それとも…。
『だいたい考える前に、やってみればいいのよ』
　ふいに、紗那の言葉が脳裏をよぎった。
　とにかく、学校に行ってみよう。
　いなかったなら、その後で考えればいい。
　俺はまず、葉月家にテレポートをすると、手にしていた豆腐を、投げるように食卓に置いた。
　物音を聞きつけた紗那が、顔を出す。
「あれ？早かったんだね。千寿。どうし―」
　だが俺は、紗那を無視して、再びテレポートをした。