「それじゃ…もし、早良が負けたら。
　そうしたら、早良はどうなっちゃうの？」
　尋ねたあたしに、榊が答える。
「シャドーに飲み込まれて、シャドーが早良になるだけだ」
　見た目は早良だけど、中身はシャドー。
　それはつまり、早良が早良じゃなくなるってこと？
　重苦しい空気と、黙りこんだみんなの態度がその答えだ。
　早良がいなくなる…。
「おいっ、紗那っ」
　慌てた蘇王の声が聞こえてきたけど、あたしはそれを無視して、早良のいるステージへと向かう。だけどふいに腕を掴まれて、こんな状況でも冷静な声が背後から聞こえてきた。
「やめろ、紗那。
　早良がシャドーに飲み込まれるか飲み込むかは、早良自身の問題だ。お前がしゃしゃり出ることじゃない」
「それじゃ黙って見てろっていうの？千寿！
　そんなの嫌よ！早良には、ちゃんと早良で居てくれなきゃ、あたしは嫌っ」
　掴まれた手を振りほどき、あたしはずんずんとステージに向かう。
　だって、早良には、まだ右近に謝ってもらってないもん。
　それにあたしだって…早良に、謝ってない。
「たったすけて、さなちゃん…」
　ステージから聞こえてくる早良の叫び声が、少しだけ弱弱しくなってきた。
　それだけ早良が疲れてるってことだ。
　急がないと。
　走り出そうとしたところで、目の前に黒い大きな布がひらりと舞い降りた。
　地面に落ちるのかと思ったけど、その布は空中でばっと開き、その布の四方から、手足が生えるように伸びてきて、両腕の真中から頭も現れた。
　顔を隠した黒い布の奥で、にたりと口許が歪む。
「丸腰でシャドーの前に立つとは、相変わらず度胸の据わったというか、何も考えていないというか。要するに、馬鹿な女だ、葉月紗那」
「御堂っ！」
　突然現れた敵のボスキャラに、神楽たちの声が後ろから飛びかかるように聞こえてきた。
　相変わらずの黒づくめの格好。見えるのは、口許だけだというのに、見てるだけで凍えそうなほど冷気を感じる御堂の姿に、流石のあたしも足を止める。すると御堂は、すっと掌を空に向けた。
「仲間の言うことは聞いた方がいい、葉月紗那。
　あれは、二人だけの戦いだ。
　他人が介入できるものではない」
「でもっ、今のままじゃ早良が負けちゃうじゃない！」
「それはつまり、八神早良がそれだけの価値のない男ということだ」
「そんなことない！」
「おやおや、八神早良に腹を立てているんじゃなかったのか？」
「ムカついてるけど、でも、それとこれとは別よ」
　いくら嫌いな相手だからって、死んでもいいってわけじゃないし、
　それに、早良には言わなきゃいけないことと、言ってもらわなきゃいけないことがある。
「だから、邪魔しないでくれる？」
　あたしはそう言って、御堂を無視してステージに向かおうとしたけど、当然御堂はそう簡単に行かせてくれるような性格じゃなかった。
「ずいぶんと身勝手な理由だが、そんな理由を聞かされて、はいわかりましたと道をあけるとでも思ったのか？」
　鼻で笑った御堂は上げていた手をゆっくりと下ろす。
　その手には、鋭く尖った光の矢のようなものができていた。
「馬鹿なうえに、愚かな女」
　次の瞬間、その光の矢が私に向かって投げられる。
　え？
　嘘！
　あたし、一般庶民なんだけどっ！！
　テレポーテーションとか、そういう技、持ってないんだけどっ！！
　咄嗟のことで立ちつくすあたしは、その眩い光のせいもあって、ぎゅっと目を閉じた。
　矢が刺さる。
　だけどそう思った瞬間、まぶたの裏に飛び散る光を感じたのと一緒に、あたしは腕を掴まれて誰かの胸に引き込まれると、そのまま倒れ込んでいた。
　どんっと何かがぶつかる音と、誰かのうめき声。
「神楽！」
「右近！」
　千寿たちの叫び声が聞こえる。
　慌ててあたしが目を開けると、ぼんやりと御堂と向き合っている右近の背中が見えた。その右手には、光の剣を持ち、背中には、大きくて金色に輝く羽根が見える。
　そして、御堂が放ったはずの光の矢は、どこかに消えていた。
「おのれ橘右近、邪魔をしおって…」
　御堂はそう言って右近を睨み返す。
　右近？…今、あたしのこと、助けてくれたの？
　まるでお姫様を助ける騎士みたい。
　なんて、うっとりしながらその背中を見つめていると、
「…てぇ」
と、前から聞こえてくる声がした。
　あれ？神楽？
　そういえば、あたし、誰かに抱きかかえられながら転がったんだった。
　もしかして、それって神楽？
　神楽はベンチに打ちつけた右肩を抑えながら、苦しそうに片目をつぶりながら、あたしに掠れた声で尋ねた。
「大丈夫か、紗那」
「平気…だけど」
　神楽も？とは聞けなかった。
　激しい息遣い、苦痛で歪んだ神楽の表情は、とても大丈夫そうには見えない。
　だけどそれでも、神楽は立ち上がると、座り込んだままのあたしの腕を引き挙げて、自分の背にあたしを置いた。
　前の方に居た右近も、じりじりと下がってきて、あたしの目の前には、右近と神楽の二人の壁が出来上がる。
　すると、あたしからはすっかり姿の見えなくなった御堂が、地響きのような低い声を上げた。
「二人して、騎士気取りか」
　御堂はそう言いながら、空にふわりと浮かび上がった。
　目が見えないのに、睨まれたと感じたあたしは、思わず二人の背中の後ろで、さらに身をひそめた。そんな様子を見て、更に御堂が鼻で笑う。気付いた神楽は、半ばあきれた声を出した。
「確かにこいつは、馬鹿だけど」
　なんですってぇ？
　今のは聞き捨てならない！
　そう両手を上げて、神楽を殴りつけようとしたあたしに、神楽の優しくて強い声が響く。
「でも、守るだけの価値はある」
　…何で神楽はさっきから、優しいモードなのよ。
　あたしのこと助けて、自分は怪我をしたり。
　今も、守る価値はある、とかカッコつけて言ったり…。
　振り上げた手の行き場をなくして戸惑っていると、神楽が一歩前に踏み込んでから、あたしと右近を振り返って言った。
「ここは俺に任せて、紗那と早良を助けに行け。右近」
「怪我してる。治療した方がいい。御堂は俺が倒す」
　そ！そうよ、右近の言う通り。
　神楽はその前に治療した方がいいって。
　だけど神楽はにやりと笑って言うだけだった。
「それじゃ紗那一人で早良を助けさせるってのか？」
「それもやる」
　即答した右近に、神楽はくすりと笑う。
「一人でカッコつけんなよ」
　すると、右近の返事を待つことなく、更に前に二、三歩歩いて御堂に近づくと、声を張り上げた。
「おい御堂！久しぶりだな。
　元気だったか？
　今日は、俺が相手してやるよ」
　明るく言う神楽に、ふんと御堂は鼻を鳴らして、
「ずいぶんと余裕のようだ」
と言った。しかし、その口許が再びにたりと不敵な笑みを浮かべる。
「だが、堕ちかけた天使になど、私が負けるはずがない」
　堕ちかけた天使？
　何のこと？
　その言葉に反応したのは、神楽だった。
「…るっせぇ！」
　そう叫び、御堂に突進していこうとした神楽を、右近が止める。
「止めろ、神楽」
　けれど、神楽はそんな右近の手を振り払った。
「邪魔すんな、右近。
　これは俺が売られた喧嘩なんだよっ」
「でも―」
　その声に、神楽は振り返って右近を怒鳴りつける。
「お前が俺のこと、仲間だと思ってんだったら、気なんか使うなっ。
　その方がムカつくんだよっ。
　お前は、お前の思う通りに動けばいいんだから。
　俺も、俺の思う通りに動く」
　最後は強い視線を右近に向けて、神楽はそう言う。
「…わかった」
　右近もそう答えた。
　うーん、何やら友情を温めている雰囲気なんだけど、
　全然わかんないんだけど。
　でも、とにかく、神楽も、右近も、お互い仲間だって認めたってこと？
「紗那のこと、頼んだぞ」
　そう言い残すようにして、神楽はすっと前を向く。
　そんな神楽の背中を見ていると、胸の奥がぎゅっと掴まれたように痛む。
　…もしかして神楽、あたしと右近の為に、怪我をしてるのに御堂と戦おうとしてるの？
　待ってよ、神楽。
　そう言おうとしたけれど、その前に神楽が、
「あー、紗那って意外と体重重いから、気をつけろ」
なんて笑いながら右近に言った。
　ちょっと神楽ってば！
　余計な情報は入れなくていいから！
　今の胸キュンもなしなんだからだからね！
　神楽はまるで勝利を確信するかのように、右手を天に突き出して、御堂の元に走っていく。
　その手には光の剣が、その背中には金色の翼が現れ始めていた。
　だけどその翼が、さっきみた右近のに比べて、右側が少し開いてないように思える。
　どうしたんだろう、神楽。
　さっき、肩を打ったからかなぁ。
　そう思っていると、あたしと右近の前に、すっと蘇王が舞い降りていた。
「神楽は俺が援護するから、お前らは早く早良んとこに行ってやれよ」
　ありがと、蘇王！
　行こう、右近。
　早良を助けに。


　御堂のことは神楽と蘇王に任せて走り始めたあたしと右近だったけど、舞台に行く前になって、またいきなり黒い布が舞い降りてきた。
　でも、今度は一枚じゃない。
　数えると、全部で四枚。
　そして、さっきの御堂と同じように、その布から、御堂の手下のシャドーたちが現れた。
　右近は慌ててあたしを背中に回す。
　だけど、二対四。
　おまけに、二のうちの一は、あたしだ。
「離れるな」
　うん！
　右近にそう言ってもらった嬉しさのあまり、あたしは右近の背中に抱きついた。
　もうずっと、離れないんだから！
「…それじゃ、戦えない」
　申し訳なさそうに右近がそう言う。
　…ごめんなさい。
　名残惜しく、あたしが右近から手を離すと、右近は再び右手を天に上げた。
　すぐさま光の剣が現れる。
　その光の強さも、やっぱりさっきの神楽の方が弱かった気がする。
　気のせいなのかな？
　そう思っていると、突然シャドーの一人が、あたしと右近の間突っ込んできた。
　思わずあたしがその場にしゃがみこもうとする前に、さっと右近の背中が現れる。
　次の瞬間、光がほとばしるように薄暗がりに広がると、シャドーが地面に倒れていた。
　息つく暇なく、次のシャドー二人が右近の前に現れる。
　だけど右近はその二人も、素早く光の剣で切り裂いていく。
　二人はうめき声を上げながら、地面に倒れると、黒い布だけ残して、煙のように消えてしまった。
　気付けば一人目も、残されているのは布だけ。
　早業で一気に三人も！
「やった！
　すごい！
　右近！」
　ぴょんぴょん飛び跳ねながらあたしはそう叫んだけれど、右近はあたしの方を見ると、真顔でいきなり閃光をあたしに向かって投げつけた。
　え？
　嘘？
　その閃光はあたしの両手を上げた脇をかすめると、後ろに飛んでいく。
　するとすぐ後ろからうめき声があがった。
　慌てて振り返ると、閃光を受けたシャドーが、地面に倒れて、消えていくところだった。
　そう言えば一人忘れてた。
　…あと少しで襲われてたんだ、あたしってば。
「だけど右近、敵がいるならいるって言ってくれないと」
　あたしが怨みがましくそう言うと、右近は僅かに視線を落として、
「すまん」
と答えてくれた。
　うーん、なんか今日の右近ってば、素直で可愛くて、おまけにカッコイイ！
　ますます惚れちゃう。
　っていうか、この勢いで告白しちゃうのも手かもしれない。
　ほら、危険を一緒に乗り越えた男女は、恋に落ちやすいっていうじゃない！
「ねぇ、右近。あのね…」
　なんて言っているあたしの目に入ってきたのは、真剣な表情であたしを見つめてくれる右近の向こうで、黒い布がむくっと立ち上がった姿だった。
　え、倒せたんじゃなかったの？
　おまけに、気付けばシャドーは倍の数に増えている。
「うっそ…」
　そう呟くあたしの前で、右近はさっと剣を構えたけど、その時小さな吐息が聞こえてきた。
　流石の右近もきついってことだよね。
　だけど、このシャドーを倒さないと、ステージに居る早良を助けには行けない。
　その時、右近の前に、二つの影が舞い降りてきた。　
「ここは俺たちに任せて、お前たちは早く早良のところに行ってやれ」
　榊！
　助けに来てくれたのね。
「完全に取り込まれるのに、あまり時間がない。急げ」
　ありがと、千寿！
　そう言って、あたしと右近がステージに向かおうとしたところで、そういえば、と千寿が右近に言う。
「猫かぶってるが、紗那は意外と喧嘩は強いから、過保護にはならなくていいぞ」
　か弱き乙女に何て事を！
　千寿といい、神楽といい、後で覚悟してなさいよ！
「そういう言葉は、早良が無事に助かってから言え」
　なんですってぇ、と言い返そうとしたあたしの腕を、右近が掴む。
「時間がない」
「う…うんっ」
　そういうと、右近は私の手を掴んだまま、走り出した。
　うわっ、どうしようっ。
　右手に心臓があるくらい、どきどきしちゃってるんだけど。
　右近の手って、大きくて、骨ばってて。
　右近のこと繊細な美少年って思ってたんだけど、この手は、なんか、こう、男の人って感じがすごくする。
　なんて考えてると、ますますあたしの心臓はヒートアップしていく。
　それと一緒に、あたしの気持ちも、飛び出そうなくらい、大きいものになっていく。
　どうしよう。
　叫んだりしたら、怒るかな。
　右近のことが好きって、言っても、笑ってくれるかな。
「ねえ、右近…」
　だけどあたしがそう口にすると、右近はぱたと足を止めた。
「まずい…」
　え？
　どういうこと？
　思わずあたしは、右近の視線の先を追いかける。
　そこには、シャドーである出川に羽交い締めにされて、目を閉じ掛かっている早良がいた。
　早良は意識を失っているのか、体にも力が入っていないみたいで、俯いて腕もだらりと垂れているだけ。
　そして出川の方はというと、顔がほぼ早良の顔に変わりつつあった。
「さ…早良っ！」
　慌てて駆けつけようとすると、右近があたしの手を引っ張って、それを引きとめる。すると足元の少し先のところに閃光が飛んできた。
　ほぼ早良の顔をした出川が、そうしてあたしたちににやりと笑みを向けてきた。
「安心しろ。もう少しで終わる」　
　嘘でしょう。
　そう信じたいけど、早良はさっきから微動だにしていない。
「意識だけでも、はっきりしてくれれば、まだ大丈夫だと思うが…」
　右近がそう呟いた。
「早良！起きてっ！」
　そう叫びながら近づこうとすると、また閃光が走る。
　慌てて下がり、思わず睨み返すと、出川がにやけた顔のままでこう言った。
「このパワーは、こいつのパワーだ。
　つまり、あんたたちが近づこうとすればするほど、こいつのパワーは無くなっていくってわけ」
　なにぃ？
　ふざけんなって、怒鳴りつけてやろうかと思ったけど、また光が飛んできて、そうして早良のパワーがますます減っていくんだと思うと、それすらできない。
「早良…」
　どうしたらいいのかわからなくて、あたしは早良の名前を呼んだ。
　すると、ぴくりと早良の瞼が動き、うっすらと目が開く。
「早良！」
　起きてるんだね、って言おうとしたら、あの出川の奴がまたあたしに手を向ける。
　光を飛ばすぞ、って脅してるんだ。
　あと少しで早良まで届くところに居るのに、声すら上げられないなんて。
　悔しくて、出川を睨みつけたけれど、それに気付いた出川は、あたしにウインクまでする余裕を見せて、こっちを見ている早良に向かって話しかけ始めた。
「ほらな。
　誰もお前なんか、助けるわけがない。
　お前はそこいらに転がっている石ころと同じ。
　誰も気にとめない存在だってこと。
　その通りだろ？
　学校にだって、家にだって、お前の居場所はなかったんじゃないか？
　お前なんか、いてもいなくても、同じなんだよ。
　いる価値なんか、ないんだよ」
　そんなことない、と叫ぼうとした時、あたしたちの後ろから、別の声が聞こえてきた。
「そんなことないわっ」
　坂上深雪だ。
　坂上深雪は、そのまま早良に向かって、一歩一歩近づいて行く。
「確かに、早良は目立つ存在じゃないわ。
　人見知りで、小心者だし、すぐいじける。
　でも、すごく優しいところも沢山ある。
　街で大きな荷物抱えているお年寄りがいたら手伝ってあげるし、
　バスや電車じゃ、必ず妊婦さんには席を譲ってる。
　落としたお財布を拾っても、ねこばばしないでちゃんと警察に届けるし、
　掃除当番だってサボらない」
　…それって、結構当然のことじゃないの？
　思わずあたしがそう言うと、右近が小さくため息をついた。
　だって、右近だってそういうことできる人だもん。
　坂上深雪は、右近のことは無視して、あたしに言い返してきた。
「でもその当然のことが、意外とできない人が多いのよ。
　葉月さんだってそうじゃないの？
　私だって、そう。
　でも、早良は違うの。
　気が弱いからとか、偽善とかじゃなくて、見返りとかそういうのもなしで、心からそういうことしてあげられる人なの」
　けれどその時、低くて地面が震えるほどの声が響いた。
「黙れっ」
　出川はそう言うと、坂上深雪の足元に閃光を飛ばした。
　坂上深雪は慌てて一歩下がる。
　だけどその光は小さめで、どうも出川としても、坂上深雪をこれ以上近づけたくなかっただけみたい。
　出川は、黙れ…と呟くように言ってから、震える坂上深雪を見て、安心したかのように溜め息をつくと、自信満々な笑みに戻ってハリのある声で言った。
「そんな瑣末なこと、してもしなくても、世の中は変わらない。
　いじめも、犯罪も、戦争も、なくなるわけがない」
　けれど、坂上深雪はひかなかった。
「大事なのは、世の中がどうあるべきかの前に、自分がどうあるかでしょう？
　ねぇ、早良っ。
　目を覚まして！」
「黙れっ」
　早良の名前を呼んだ坂上深雪の声をかき消すように、出川はそう叫ぶと、右手を払うようにして閃光を坂上深雪へと向けた。
　さっきのような遊びの光じゃなくて、もっとずっと鋭い光。
　慌てて右近がさっと動いたけど、間に合わず、光を受けた坂上深雪はそのまま地面へと倒れた。