早良を助けなきゃっ。
　家を飛び出して急いで走ろうとしたところで、待てと千寿が走り出そうとしたあたしたちを止める。
　そして、千寿と蘇王、榊、神楽に右近が目くばせをし合う。
　何？
　首を傾げるあたしの手を、千寿が掴んで言った。
「行くぞ」
　だから行こうとしてるっつーの。
　なのになんで止めるわけ？
　振り払おうとした次の瞬間、千寿に掴まれた腕が熱くなる。そして、世界が歪んだと思った次の瞬間、瞬く間に緑の匂いと、心地よい風が吹いた。
　え？
　気がつけば、緑の中。
　もしかして、ここって、公園？
　テレポートしたの？千寿。
「皆揃ってるか」
　榊がそう声をかける。
　気がつけば、全員が緑の中に立っていた。
「どういう…こと？」
　坂上深雪だけが、きょとんとした表情でいる。隣にいる神楽が、なぜか肩を押さて大きく深呼吸を繰り返していた。
「テレポートしたんだ」
「テレポート？」
　驚いた表情に変った坂上深雪に、千寿が説明をする。
「神様がくれたギフトと言われる能力だ。俺たちは、神に選ばれた天使だ。早良もその一員。まだ覚醒はしてないがな。
　とにかく細かく説明する時間はない。早良を探すほうが先決だ。
　おい、神楽。大丈夫か？」
　最後に千寿はまだ肩を押さえたまま、荒く呼吸を続けている神楽に声をかけた。
「ああ…」
　なぜでだろう、神楽は苦しそうだ。さっきからずっと肩を押さえたまま。顔も青白くて、額から汗が滴り落ちてる。
「それより、早良だろ」
　だけど神楽にそう言われて、そうだなと千寿も答えた。
「あっちの方向だ」
　目をつむり、右手の掌を広げてゆっくりと一回転していた蘇王が、突然そう言って走り出したのを、あたしたちは追いかけた。
　何あれ？
　野生の勘ってヤツ？
　そう呟くとあたしの前を走っている千寿が舌打ちをして馬鹿にしたようにして答えてくれた。
「早良の気を探ってたんだ」
　ああ！なるほどねっ。
　でも早良の居場所が探れるんだったら、最初っからそこにテレポートしてくれればいいのに。
　気がつけば千寿たちの背中はどんどん先の方に、小さくなっていく。
　あたしってば、ドンケツ？
　振り返ろうとすると、あたしの少し後ろに坂上深雪が必死の形相で追いかけてきていた。
　前の集団に追い付くのは諦めて、あたしは坂上深雪に声をかける。
「びっくり、したよね。天使なんて言われて、あたしも初めはびっくりしたんだけどさ―」
「いいえ。納得しました。早良が天使って、すごくわかります」
　わかる？そうかなぁ。
　首をかしげるあたしに、坂上深雪はくすりと笑った。
「そりゃ、弱虫で、自信がなくて。皆さんと比べたら、劣るところの方がたくさんだと思うけど。
　でも早良は、本当はすごく優しい人なんです」
　その言葉に、あたしはカチンと来て、立ち止まって思わず言い返す。
「優しい？早良は、自分がした罪を他の人になすりつけようとしたのよ？」
　しかもあたしの大切な右近に！
　鼻息荒く言ったはずなのに、坂上深雪は驚くどころか、納得した表情になって、足を止めた。
「それでここ数日、落ち込んでたんですね、早良。
　どうしたらいいのかって、すごく悩んでました。取り返しのつかないことをしたって。
　どうやって謝ればいいのかわからないって。早良って小心者だから、一度怒られた相手とまた顔を合わせるのが怖いんです。
　でも誰だってあるでしょう？心の弱い部分なんて」
　そう言われて、あたしは返す言葉を無くした。
　確かに、坂上深雪が言うことは正しかったから。
　黙り込んだあたしを見て、坂上深雪は柔らかな笑顔で言う。
「もし早良があなたのことを傷つけたのなら、私が謝ります。
　だから早良のこと、許してやってもらせませんか？」
　そう真正面から言われると、あたしは何も言えなくなった。
「別に…あたしは。
　それに、傷つけられたのはあたしじゃなくて、右近だし…」
　どう答えていいのかわからなくて、モゴモゴと言っていると、前の方から蘇王が走ってきた。
「何してんだよっ、紗那っ。早く来いって」
　つーか、あんたたちが走るのが速すぎるの！
　あたしはただの一般市民なんだからねっ。
「そんなことより、大変なんだっ」
　大変？何かあったの？
「いいから来い！」
　蘇王はそういうと、あたしの腕をむんずと掴んで走り出した。



　無理やり引っ張られて、あたしの息は完全に上がって、ヒィヒィと言っている。
「どっどこまで走らせるの？す…おう？」
　苦し紛れにそう尋ねると、蘇王の足が緩んだ。その視線の先には、神楽たちが何かを取り囲んでいるのが見える。中心では、ベンチで横たわっている誰かの肩を、千寿が揺すっていた。
「…早良？早良っ」
　あたしより先に坂上深雪がそう叫んで走っていく。
　だけどベンチに横たわっていたのは、早良じゃなかった。
「高橋…ミカリ？」
　ベンチから投げ出されたミニスカートから伸びた足は、早良のデートの相手、高橋ミカリだった。
　目を瞑ったままのミカリの頬を、千寿は今度は軽く叩く。
「おい、起きろ。大丈夫か？」
　何度か繰り返す千寿の呼びかけに、ミカリがゆっくりと黒目がちな目を開ける。
　そうして自分を見つめているたくさんの目に気付くと、
「…私…」
と呟きながら後ろに立っていた神楽の助けを借りて起き上る。起き上がったところで、肩に手を置いていた神楽が尋ねた。
「おい早良はどこだ？
　あんたとここで待ち合わせて、デートする約束だって聞いてるぞ」
　ぼんやりとした表情のままで、ミカリは早良の名前を呼んだ。
「八神…くん…？
　あ…。ごめんなさい。私…」
　そして突然ボロボロと涙を流すと、顔を手で覆い、声をあげて泣き始めた。
　その様子に流石の神楽も千寿も手が出せないみたい。
　あーもうっ！結局、男ってば女の涙に弱いんだから！
　どいてっ、とあたしは千寿をかき分けて、ミカリの前に立つ。
「泣いてちゃわかんないでしょっ。で、どうしたの？早良は？どこにいるの？」
　ミカリはあたしの怒鳴り声にびくっと肩を震え上がらせると同時に、泣くのをやめて顔をあげた。
　そして、鼻をすすりながら遠くを指さす。
「あっち…です」
　その先に見えるのは、鬱蒼と茂る木々。街灯もほとんどなくて、その先に何があるのか、ここからだとわからない。鼻をすすりながら、涙をぬぐっているミカリに、榊が尋ねた。
「何があった」
　声色の強さに気付いたのか、ミカリは大きく鼻をすすると、覚悟を決めたように口を開いた。
「ごめんなさい。私、出川君に頼まれて…」
「出川？誰だ」
　榊の質問に、あたしたちは戸惑った。
　だって、出川なんて男しらないもん。
　役に立たないと思ったのか榊は深くため息をつく。その前で、ミカリが答えた。
「三島高校の三年生です。私が…八神君のことを相談したら、八神君を呼び出すように言われて。
　言われた通り、映画を一緒に見て、約束の時間になったからここに八神君を連れてきたんです。でも気づいたら、意識を失っていて…」
　再び泣きモードに入りそうになったミカリに、すかさず千寿が言う。
「早良の相談って？」
「…前に、八神君をひどく傷つけてしまったことがあって、そのことで恨まれてるって―」
「当然でしょう！」
　いきなり坂上深雪が叫んだ。
「早良のこと、ふるのは構わない。だけど、早良が送ったラブレターを、わざわざ黒板に張りつけることないじゃない。
　ラブレターの返事だって、直接本人だけに言えばいいのに、わざと他人から言わせることないじゃないっ」
　ちょっと、落ち着いてよ！
　あたしと蘇王が慌てて坂上深雪の腕を抑える。そうでもしないと、坂上深雪はミカリにとびかかりそうな勢いだったから。
「ご、ごめんなさい。貼り付けるつもりはなかったの、でも、クラスの子に見つかって、言われるままに渡したの…。そうしないと…きっと次のいじめの標的は私にされると思ったから」
　ごめんなさいと消え入るような声で言ってミカリはまた泣き始めた。
　きっと問い詰められたんだと思う、そのクラスメートから。
　早良のことをどう思ってるのか、付き合う気はあるのか。
　ミカリは付き合う気はなかったと思う。早良はあくまでただのクラスメート。でも、その答えじゃ他のクラスメートが納得しなかったんだ。
　もっと、早良が傷つくような言葉じゃないと、納得しなかったんだ。
　そして次の標的にされることを恐れたミカリは、だから手紙をクラスメートに手渡し、とりあえず早良の悪口を言った。
　深いため息の後で、千寿が尋ねる。
「出川とはいつ知り合った」
「…一ヶ月くらい前です。塾が一緒で…」
「写真か何か、持ってるか」
　ミカリは泣きながらも大きく頷くと、携帯を取り出して見せた。
　待ち受け画面に映っていたのは、笑顔のミカリと自信ありげに笑っている茶髪の男。
　なんていうか、わかりやすい俺様系。
　顔を寄せ合ったり、肩を抱いていたり、二人の関係は、完璧恋人だった。
　ミカリがどう説明したのかわからないけれど、もしかしたら出川は早良をミカリのストーカーだと思ったのかもしれない。
　それで、早良を呼び出した。
「だといいが」
　ぽつりと千寿が呟いた。
　それってどういう意味？
　そう聞こうとしたところで、泣きやんだミカリが、あたしたちに大きく頭を下げた。
「ごめんなさい」
　千寿はそれには答えずに尋ねる。
「それでどこだ。早良と、その出川って男は」
　ミカリの声はもう涙声じゃなかった。震えていたけれど、しっかりとした声が返ってきた。
「意識を失う前うっすらですけど、あっちの方に向かって行くのが見えました。確か奥に改築中の野外ステージがあるって―」
　ミカリの言葉を最後まで聞かずに、蘇王が叫ぶ。
「行くぞっ」


　
　中央公園は少し古いけど、広くてのどかな公園だ。
　でもそれは昼間の話で、夜になれば街灯がほとんどないところも少なくない。
　おまけに奥に入っていけば、のどかな雰囲気は、物静かな雰囲気へと変わる。鳥の羽ばたきひとつでさえも、びくっとしてしまうくらいに。
　まるで森みたい。
　そう思いながらも、あたしは必死で前を歩く千寿のシャツを掴んだ。
「ねぇ千寿。ミカリの彼氏が早良のことミカリのストーカーだと思い込んで呼び出させたんなら、そんなに焦らなくてもいいんじゃないの。
　今回は、シャドーは関係ないってことで」
　まあ早良も多少殴られたりはしてるかもしれないけど、一応蘇王直伝の痴漢撃退法があるし。
　だけど千寿の険しい表情は変わらない。
「だとしたら、どうして高橋ミカリとデートさせた？」
「え」
「言ってただろう。出川は高橋ミカリに早良と映画まで観るよう指示してる。自分と待ち合わせたのも、その後夕方の時間だ。
　恋人にそのストーカーとデートさせるなんて馬鹿な真似、普通するはずがない。それに高橋ミカリが倒れていた理由もない。
　出川の目的は、最初から早良なんだ。
　早良は自信がないせいか、常に周囲に疑心暗鬼になっている。
　自分が直接呼び出しても出てこないと出川は踏んだんだろう。おまけに夕方にあんな暗い場所で待ち合わせとしても、以前のことから高橋ミカリを信用しないこともわかっていたはずだ。
　高橋ミカリが本当に早良とデートしたかっただけだと思わせて、油断させたところであいつを拉致した」
　…確かに、千寿の言う通りかも。
　黙り込むあたしの隣で、蘇王が声をあげた。
「なんか、あっちで光ったぞ」
　蘇王の指さす方には、薄い月明かりで少し開けた場所が見えた。
　真っ先に坂上深雪が叫んだ。
「早良ー？どこ？」
　つられたようにあたしたちは早良の名前を呼びながら、その場所に駆け寄る。
「いるんだったら、返事しろ、早良っ」
　叫んでいた神楽が、ふいに振り返ってあたしに言った。
「おいお前も叫べよ。小心者のあいつのことだから、お前がまだ怒ってるからって出てこないのかもしれないぜ」
　そんなことない、と言いかけて、坂上深雪の言葉を思い出した。
　…仕方ない。
　腹を据えたあたしは、できる限りの大声をあげた。
「早良っ。いるんでしょう？怒らないから、出てきてよっ」
　神楽のニヤけた顔がむかついたけど、この際気にしないでおこう。
　もう一度呼びかけようとした時、目指してる方向から、早良の声がかすかに聞こえてきた。
「…さ、紗那ちゃん？」
　思わずあたしと神楽は顔を見合わせた。
「早良だっ」
「行くぞっ」
　近づくと、野外ステージが徐々に見えてきた。
　扇状に広がって段々畑のように並ぶベンチの先に、そこそこな大きさの舞台があって、その中央にまさしく早良がいた。
「助けてっっ」
　そう叫ぶ早良は、背後の男に締めあげられていた。男は片手で早良の手をひねり上げ、動けないようにしていたけれど、もう片方の手は早良の頭の上に、まるで何かの念を送っているように掌を広げて置かれていた。驚いたのは、その手と早良の頭とが、赤く光っていたことだ。炎のような明るさはないけれど、それは確かに光っていた。そしてその光の中で、早良の顔は時折うっすらとして見えたりした。まるで透かし絵みたいに。さらに驚いたのは、出川の顔だ。
「どういうこと、顔が…」
　坂上深雪が思わず腰を抜かして座り込み、そう呟いたけど、あたしも同じ心境だった。
　出川の顔は一秒ごとに変化していた。その時は携帯の画面で高橋ミカリと一緒に写っていた俺様かと思えば、ぐにゃりとしてからクリクリとした目のかわいい系にもなったりしたのだ。
　そう…まるで早良みたいな顔。
　どういうこと？
　うめき声の中から、苦し紛れの早良の叫び声がまたステージに響き渡る。
「た…助けてっ、紗那ちゃんっ」
　そうだ、立ち止まってる場合じゃなかったんだ。
「早良っ」
　そう叫んでステージに駆け寄ろうとするあたしの腕を、誰かがひきとめた。
「待て、紗那」
　振り返ると険しい表情の榊だった。
「放して、榊っ」
　腕を振り払おうとしたけれど、あたしの細腕じゃびくともしない。
「どうしてっ、だって早良が助けてくれって言ってるのにっ」
　あたしの叫び声に、榊は他にも早良を助けるべく走り出そうとしていたみんなにも、そしておそらくはステージにいる早良にも聞こえるように言った。
「これは、早良の戦いだ。
　俺たちが助けても、どうしようもない。
　早良が自分自身の力で、シャドーに勝たなきゃならない」
　千寿たちも、それに納得したのか、足を止めていた。みんな、唇をかみしめている。
　ステージでは、さらに早良の呻き声が大きくなっていた。
　でもこのままじゃ、早良はシャドーには勝てない。
　あたしは、榊に問いかけた。
「それじゃ…もし、早良が負けたら。
　そうしたら、早良はどうなっちゃうの？」
　重い溜め息の後で、榊は淡々と答える。
「シャドーに飲み込まれて、シャドーが早良になるだけだ」