翌日、香苗先生は目を覚ました。
　そして、中々話そうとしない右近に代わって、ゆっくりと昨日の出来事を説明をしてくれた。
「神楽君を探してて…駅の辺りを歩いていたの。
　そうしたら、階段のすぐ脇で向き合う二人の高校生が見えたの。その一人に見覚えがあって…神楽君たちが居候しているお宅で、見かけた高校生だってそう思ったら、もう一人の子の方が、ポケットから何か光るものを取り出して。
　ナイフだとわかったから、止めなさいって間に入ったら…彼もそんなつもりじゃなかったと思うんだけど、振り払おうとした彼の手が当たって、私がバランス崩してしまって…」
　右近も同じようなことを言っていたし、香苗先生もそう言うくらいだから、早良が故意にやったことじゃなかったんだと思う。
　それは認めてもいい。
　なのに、早良は病室にも現れない。
　もちろん、香苗先生にも、右近にも、謝ってはいない。
　そういうのって、何か違うと思う。
　悪気がなかったなら余計に謝るべきだって、そう思う。
　いない早良にあたしが怒りを覚えている前で、でも…と香苗先生は目をぱちくりとさせて、夢見心地な表情で独り言のように呟いた。
「でも、不思議だったわ。一瞬、体が宙にふわりって浮き上がったことは覚えてるのよね」
　実際それは、本当のことだったようだ。
　高い階段から落ちた割に、香苗先生には体の傷がほとんどなかったのだ。目がなかなか覚めなかったのは、それまでの疲れがたまっていたんだろうというお医者さんの話。しばらく入院することになったのも、階段から落ちた怪我のせいじゃなくて、おなかの赤ちゃんのために安静させたかったから。
　その通りなんだと思う。
　赤ちゃんがいるのに、神楽のこと探して、歩きまわって、おまけに帰る家もなくて…。香苗先生は、体も心も疲れ切っていたんだ。
　その証拠に、説明が終わると香苗先生はふっと目を閉じて、また眠りについてしまったのだ。
　平和な表情で眠る香苗先生を見つめながら、千寿が言った。
「お前の仕業だろう、右近」
　いきなり名前を呼ばれて、右近も驚いたようにして顔を伏せた。
　どういうこと？
　わからないあたしを無視して、千寿は話を続ける。
「ありがとう。先生のこと、助けてくれて」
　え？それじゃ…香苗先生が軽傷で助かったのって、右近のおかげなの？
　流石っ！
　でも、どうやって？
　確かに右近は早良と先生の近くにはいたけど、手は出していなかったはず。
「俺たちには例の力があるだろ？あれだよ、あれ」
　首を傾げるあたしに、蘇王が説明してくれた。
　ありがと。蘇王。
　でも、単細胞のあんたでもわかるのに、あたしがわからなかったなんて…ちょっと、ショック。
「俺もわかんなかったからさ、聞いたんだ、千寿に。テレパシーで」
　蘇王はそういうと、いたずらっ子みたいにくすりと笑った。
　例の力、テレパシー。
　天使になれる人は、神様からのギフトとして、一般的には超能力とか言われる力があるらしい。
　残念ながら、一般庶民のあたしにはないけど、実際にその力でもって、何度も助けられたこともある。
　つまり、今回も同じで、右近はその力で香苗先生が大怪我を負うのを食い止めたってわけ。
「でも…完全には助けられなかった」
　沈んだ声が、病室に響く。
　その声に、あたしは胸がきゅっと締め付けられるのがわかった。
　そりゃ確かに、香苗先生は落ちたショックで気を失ったし、打ち身や擦り傷程度の怪我はしてる。
　だけど、それは程度で言えば軽いものだし、赤ちゃんも大丈夫だったわけで、それは右近のおかげ。
　それなのに、まだ不十分だって、自分のこと責めるなんて。
　そんなことないよ。
　右近は立派だよ。
　そう言おうと思ったら、神楽に先を越された。
「早良の動きも気にしてたんだろう？両方は無理だし。とにかく香苗が助かったのはお前のおかげだ」
　サンキュと言って神楽は、ぽんと項垂れている右近の肩に手を置いた。
　ちょっと！何で、そこっ、友情温めちゃってるわけ？
　ここはっ、あたしの愛情で、右近を励まして、右近もあたしに惚れ直すとこでしょう！
　なんて言いながら、右近から神楽を引き離そうとあたしがその腕を引っ張ると、神楽は睨んでから、黙れとばかりにあたしの口を手でふさいだ。
　むぐぐぐっ。
　ちょっとっ、どういうことよっ！
　睨みあうあたしと神楽を無視して、蘇王が無邪気な笑顔で右近に聞いた。
「ところでさ、どうして右近は早良とあそこにいたわけ？」
「呼び出された。早良に」
「何の用で？」
　だが千寿のその質問には、右近は何も答えずに、気まずそうに病室を出て行った。



　結局右近が病室に戻ることはなくて、あたしは火狩三兄弟と家に帰ることになった。
　その帰り道、大きく伸びをして蘇王が言う。
「それにしても、何で早良はナイフ持ってるのかなあ。危ないじゃん」
　確かにそうよね、下手に転んだら、自分が怪我しちゃうじゃん。
　そう言ったあたしを無視して神楽が答える。
「ファッションとか言うんじゃね？」
　だけどそんなタイプにも思えない。
　すると千寿が、一番ぴったりな答えを出した。
「自分を強く見せたいだけだろう。それにしても、それを右近に見せる必要はない」
　千寿は腕組みをして、大きくため息をついた。
　見せるだけじゃない。
　香苗先生の話からすると、早良は右近を脅そうとしていたのだ。
「右近を呼び出したって何の話したんだろう」
　そうそう！あたしもそう思ったの！
　…っていうか今日は何か、蘇王と気が合うわね…。
　同じレベルって感じが、気に入らないけど。
「何だと？」
　睨みあうあたしと蘇王を無視するようにして、千寿がそっと眼鏡のフレームを上げながら答えた。
「…思い当たらないわけでもないが」
「何？千寿」
　興味津々、三人して千寿の次の言葉を待っていたのだけれど、千寿は自分だけ納得したように呟いた。
「いや、そんなことはないはずだ。
　紗那、お前が余計なことあいつに言ってなければな」
　余計なこと？
　それって何よ。
「俺達の知らないところで、二人で会ったりしてないよな？」
　千寿の鋭い突っ込みに、思わずあたしはこの前のことを思い出したけど、
「あ、会うわけないじゃん」
と言い返した。千寿はしばらくじっとあたしのことを値踏みでもするように見ていたけど、ラッキーなことにその時、千寿の携帯が鳴った。千寿は、舌打ちしながら携帯を見て、小さく口笛を吹く。
「噂をすれば、何とやらだ」
「どうしたの？千寿」
　蘇王はそう言って、千寿の携帯を覗き込もうとする。でもその前に、千寿はパタンと携帯を閉じて、
「やったな、早良。
　今度の土曜日、高橋ミカリにデートに誘われたんだと」
とにやりと笑った。


　…とまあ、早良を覚醒させるためのこっちの条件は、ほぼ整った。
　でも、あたしは納得がいかなかった。
　早良の態度が。
「だって、本当にすまないって思ってるんだったら、すぐに顔見せるべきじゃない？
　でもって、右近に頭を下げて謝って、
　香苗先生には土下座するくらいやんなきゃ。
　じゃなきゃ、あたし、一生早良のこと許さないっ」
　今日は早良が高橋ミカリとデートする日だった。
　千寿は、不安だから着いていこうとリビングに神楽と蘇王も集めて言ったんだけど、あたしがそれに大反対したの。
　だって、あれからしばらく経ったのに、早良はあたしたちの前にも、香苗先生の病室にも姿を現さなかった。
　電話もメールもなし。
　唯一のメールが、業務連絡みたいな千寿へのメールだけ。
　あーほんと、頭にくるっっ。
　あたしがそう叫ぶと、ソファにどっかりと座った神楽がため息交じりに言う。
「お前がそんなんだから、あいつだって顔出しづらいんだろう？」
　何よ神楽。早良のことかばう気？
　ぎろりと睨むと、違うってと神楽は答えた。
「そういうんじゃねぇよ。
　けど、あいつだってお前にあんな態度に出られると思ってなかったんだろうし。お前がもっと優しくあいつに接してやれば―」
　その言葉に、思わずあたしは怒鳴り返した。
「だからどうしてそんなことしなきゃなんないのよっ。
　早良は無関係な香苗先生に怪我を負わせた上に、右近に罪をかぶせようとしたのよ！」
　あたしがやさしくしてあげる義理なんてないもんっ。
　叫ぶあたしに、神楽はぽつりと答えた。
「香苗のは事故だ」
　でも、右近にその罪をなすりつけたのは、事故じゃないし。
「だいたい、なんで右近のこと呼び出したの？何の話をするために？」
　そう言って睨み返すと、怒りだすかと思った神楽は、意外にも沈んだ声で返してきた。
「…お前、わかんないのかよ。どうして早良が右近に罪をなすりつけようとしたのか。どうしてお前の前に姿を現さないのか」
「わかんないわよっ」
　わかるわけないでしょうっ。
　すると、神楽はあたしの顔をじっと見ていたかと思うと、すっと視線を落として呟くように言った。
「あいつは…お前のことが好きなんだろう」
　は？
　今、神楽ってば、早良はあたしのことが好きって言った？
「そんなわけないじゃん。
　早良は高橋ミカリのことが好きで―」
　すると神楽はいきなり立ち上がって、身ぶり手ぶりのジェスチャーまでして言った。
「でも今はお前のことが好きなんだ。それなのに、お前が右近右近てうるさいから…」
　だけど神楽はその動きを急に止めると、髪の毛をかきむしった後で、ばかばかしいと言いたそうな表情をして俯く。
「嘘よ、そんなの。だったら、高橋ミカリは何なのよ」
　早良が言ったのよ。
　天使に覚醒する条件と引き換えに、高橋ミカリと付き合いたいって。
「正確には、高橋ミカリが早良と付き合うって言ったら、だ」
　いちいちうるさいわね、千寿。
　でも要は同じことでしょう？
　口を開きかけた千寿を遮って、神楽が答えた。
「たしかに、前は好きだったのかもしれない。でも、今は違う。そういうことだろ」
　それで今はあたしのことが好きだって言うの？
　ふんっと大きく息を吐いて、あたしは言った。
「冗談やめてよ。だって振られたわけでもないのに、どうして別の人好きになるわけ？」
　すると神楽が苛立ったように言い返してきた。
「お前にはないのかよ。
　好きな男がいるのに、つい他の男に目が行くとか、今まで大嫌いだった奴を好きになったとか、
　そういう自分でも信じられないような気持ちになったこと」
　睨むようにしてあたしを見つめたその瞳が、一瞬哀しそうに見えた。
　…でも、気のせいだよね？
「どうして？あるわけないじゃん。
　そりゃね。好きな人が一瞬で嫌いになるようなことはあるかもしれないよ。
　百年の恋も冷めるようなこととか。嫌い嫌いも好きのうち、なんていうのは、本当は好きなのに自分の気持ちに気づいてないだけでしょ。
　けど、嫌いなものを好きになんて、どうやったってなれないじゃない」
　ピーマン嫌いな小学生は、大人になっても苦手。
　つまりそういうこと。
　あ、でも。あたしは、右近のことは絶対に大嫌いにはならない。
　例え右近がいびきをかいて寝てても、
　風邪ひいて鼻水たらしてても、
　あたしには、その全部が愛おしいって思えるから。
　そう答えると、神楽はあたしから視線を逸らして、
「…バッカじゃねぇの？」
と呟いた。それから、何も言わずにリビングを出ていく。乱暴にドアが閉まって、驚いた左近がにゃぁと声をあげたくらいだった。階段を上る足音も、床が抜けるほどに荒々しい。
　ちょっと！この家、ウチのものなんだからねっ。
　そう叫びたくなったけど、ケチくさいといわれるのも癪で、あたしはその言葉を飲み込んだ。
　代わりに、呆然と立ち尽くしている千寿と蘇王に悔しさまぎれに呟く。
「何よ、神楽のヤツ。カリカリしちゃってさ」
　男のくせに生理中？って言いたかったけど、これでも乙女なので、それはやめておいた。
　千寿と蘇王は顔を見合せて、深いため息をついている。そして、千寿が腕組みをしながら呟いた。
「確かに神楽らしくないな」
　でしょう？
「どさくさにまぎれて、告白するとは」
　頷きながら、蘇王も続ける。
「しかも見事玉砕」
　へ？
　告白？
　玉砕？
　きょとんとしているあたしの顔を見て、蘇王と千寿が同時に大きなため息をつく。
「紗那ってかなり鈍感だな」
「恋愛の達人の神楽も、紗那の前じゃ形無しだ」
　それって、どういう意味？
　あたしがそう聞こうとする前に、ドアの開く音がして、左近がにゃあと鳴く。
　バイトから、右近が帰ってきたのね！
「おかえり〜右近！」
　あたしはそう言いながら、慌てて玄関に向かって走った。
　

「で、連絡はあったのか？早良から」
　リビングのソファに座りながら口を開いた榊に、千寿は首を振る。
「いや」
　結局、千寿はあたしの説得のおかげ（？）で、早良と高橋ミカリのデート現場に行かないことにした。何かあれば、連絡があるだろうし、うまく行っても、報告の連絡くらいするだろうからって。だけど、それは晩御飯を食べ終わっても、来なかった。ちょうどその頃、同じように早良のことを気にしていた榊と高未が家にやってきた。
「デートの時間って聞いた？」
「二時に中央公園とメールには」
「帰ってきたのかしら？」
「携帯かけてみたんだけど、出ないんだ。早良の奴」
　高未と千寿、蘇王の会話を黙って聞いていた神楽が、テレビを見て笑いながら、バカにしたように答える。
「盛り上がってそれどころじゃねぇんだろ？放っておけよ。ガキじゃねぇんだし。
　そういや貴羽は？」
　貴羽は天使の中の紅一点。高未と同じ高校で、榊と三人で行動してることが多いんだけど、今日は姿を見せなかった。高未が神楽に答えている。
「用事があるって。そういや右近もいないわね」
　あ？右近？
　右近もいなきゃだめだよね。
　そうだよね。仲間で集まって会合してるんだもんっ。
　右近は部屋なの。呼んでくるっ。
「ちょっと紗那―」
　引き留める高未を無視して、あたしはリビングを出る。
「右近〜右近〜」
　スキップしながら廊下を過り、二階の右近の部屋へと続く階段を上る。
　夕食が終わると、右近はいつも自分の部屋にこもっちゃうの。
　美味しいデザートや、面白いテレビとかで、なんとかリビングに来てもらおうと思うんだけど、どれも右近が部屋から出たくなるような理由じゃないみたい。
　だけど、仲間の会合となったら話は別！
　スキップしながら階段を上っていると、リビングから顔を出し神楽が声をかけてきた。
「おい紗那。コーラないんだけど」
　冷蔵庫のコーラだったら、あたしが飲んじゃった。
「何だと？俺のだぞっ」
　だって開いてたし、そのままにしてると炭酸抜けちゃうでしょう？
「ケチケチ言わないの、神楽。
　本当に今日のあんたってば―」
　カリカリし過ぎ、って言おうとした瞬間、あたしは階段を踏み外した。
「キャッ」
「紗那っ」
　あたしの短い叫び声と神楽の声が重なる。
　一階と二階の間くらいにいたあたしの体が空に浮かぶ。だけどそれは一瞬のことで、すぐに体は引力に負けて落ちていく。
　床にぶつかって痛いっ、と思わず目をつぶった瞬間、体がふわっと浮いた気がした。
　へ？何これ？
　だけどもう、次の瞬間には、どんという大きな音と共に、あたしは床に転がっている、はずだった。
　…あれ？でも、なんだか柔らかい。
「…ってぇ…」
　耳元に聞こえてきた声に、慌てて振り返るとすぐそこに神楽がいた。神楽はあたしを包む込むようにしてキャッチしてくれていたのだ。
「…ご、ごめん」
「…別に、っていうか重い。だからコーラ飲むなっつてんだよ。痩せろって」
　なにぃ？
　助けたからって、何言っても許すわけじゃないんだからねっ。　
　思いっきり睨み返すと、神楽は口を開きかけたけど、急にはっとしたように、顔をあげて、二階を見上げた。
「…ちょっと神楽？
　どうしたの？」
　だけど神楽はあたしを無視して、二階に上がっていこうとした。
　ちょっと？
　あたしが呼び止めても、神楽は足を止めなかった。
「神楽ってばっ」
　あたしがそう叫んだと同時に、ピンポンと玄関のチャイムが鳴る。
　神楽の背中と玄関を見比べて、あたしは仕方なく、ドアを開けた。
　すると、そこには同い年くらいの女の子が立っていた。切れ長の綺麗な目をした、少し気の強そうな女の子。
　…あれ？どこかで会ったことある？
　デジャヴみたいな感覚を覚えたところで、彼女が口を開いた。
「八神早良はいますか？」
　その声に、振り返った神楽が呟く。
「あんた…早良の幼馴染の…」
「坂上深雪です」
　そういえば、前にデパートで会ったんだった。坂上深雪は、階段から降りてきた神楽とあたしを順に見つめてから、もう一度言った。
「早良、来てますか？」


　
　右近も下に来てもらい、坂上深雪をとりあえずリビングに入れたところで、千寿が口を開いた。
「生憎、早良はここにはいない」
　きょろきょろと見回した後で、坂上深雪はその印象通りに、千寿を睨みつけるようにして口を開いた。
「あの、でも。この前早良と一緒にいましたよね」
「ああ。この前は」
「それじゃ早良、どこにいるんですか？」
　いきなり声をあげた坂上深雪を見て、あたしたちはお互いに視線を向けあった。
　どう答えるべきなのか。
　だけどフライングのようにして、神楽が先に口を開いた。
「あいつは憧れのマドンナとデート中だ。こんな時間まで帰ってないってなると、盛り上がってるんだろ。
　今日は帰ってこないかもな」
　そこまで言う？神楽ってば。
　純情な乙女ならその意味に顔を赤らめるかもしれないとこだけど、坂上深雪は逆に踏み込むようにして神楽に聞き返す。
「誰です？その相手」
「早良のクラスメートの高橋ミカリって子」
　蘇王が思わず答えると、坂上深雪はいきなり声を荒げた。
「そんなのっ、あり得ないわ」
　そうそう、私もそう思った！
　私もね、あの早良を相手にするなんて、高橋ミカリもおかしくなっちゃったのかって思ったんだけど、それが本当らしいのよ。
　これも神様の悪戯なのかもね。
　思わずあたしがそう言うと、坂上深雪は軽蔑したような目であたしを一瞥した。
「そうじゃなくて。
　早良が高橋ミカリとデートすることがあり得ないって言ってるんです」
「どういうこと？」
　ムッとしてるあたしの肩に手を置いて、そう高未が聞く。
　それまでは強気だった坂上深雪は、そこで初めてためらいながら、口を開いた。
「…確かに早良は、一年ほど前、彼女のことが好きでした。
　でも、あの事があって、逆に憎むようになったんです」
「あの事って？」
「高校に入った頃から、早良はクラスの男子に苛められてて。
　だけど、ただ一人彼女だけが早良に優しくしてくれたそうなんです。
　早良も、簡単に彼女に熱上げちゃって…そういうの、いつものことなんですけど、彼女がやさしく接してくれてた分、早良は期待して、ラブレターを彼女に渡したんです。
　でもそのラブレター。渡した翌日に黒板に張ってあって。
　早良のいないところで、彼女は、あんな根暗な男、好きになるわけがない、むしろ嫌いだって断言したらしいんです。早良はそれを、苛めっ子のクラスメートから聞いたそうです。
　早良はショック受けていました。振られるだけならまだしも、根暗だとか嫌いだとか言われて。
　以来、彼女からも冷たくあしらわれるようになって、更に苛めはひどくなったって聞いてます」
「だから、早良は彼女を憎んでいると？」
　榊に聞かれて、坂上深雪は「ええ」と大きく頷いた。
「なるほど」
　そう答える千寿に、蘇王が声を上げる。
「え？千寿、今ので理解できたわけ？早良の考えてること」
「大筋はな。おかしいと思ってたんだ。紗那のこと意識してるくせして、別の女に付き合うって言わせたいって」
　へ？どういう意味？
　だけどそのあたしの言葉を千寿は無視して、蘇王に答える。
「早良は、復讐したいんだろう、高橋ミカリに。おそらく告白させて、それをクラスに公表して自分と同じような目に遭わせてやろうって魂胆だ」
　なるほど！
　ってさっきのあたしの疑問にはどこにも答えてくれてないんだけど、千寿。
　あたしの声を無視して、坂上深雪が千寿に尋ねる。
「デートはどこに行くって言ってたんですか？」
「そこまでは何も」
　それを聞いた坂上深雪の顔が少し曇った。
「…大丈夫かな、早良」
　そりゃ大丈夫でしょう。むしろ心配なのは高橋ミカリの方じゃないの？
　早良、ナイフ持ってるみたいだし。
　あたしが怪訝そうに坂上深雪を見つめていると、ふいに神楽がにやけた顔で口を開いた。
「どうしてそんなに気にするかな。好きなわけ？早良のことが」
「ちょっと神楽」
　やめてよ、こんな時に。
　あえて話を断ち切ろうとしたあたしの前で、坂上深雪ははっきりと答えた。
「好きです。ずっと昔から。
　確かにすぐにいじけるし、小心ものだけど、早良は本当はすごく優しい人なんです。お年寄りには席を譲るし、学校の掃除当番は絶対にサボらないし」
　あー、誰かさんに聞かせたい言葉だこと。
「何か言ったか？紗那」
　イイエ、何でもないわ、神楽。
　だけど、早良にそんな一面があったなんて、ちょっと意外。
　でも言われて思い出した。泥棒を捕まえた時のこと。
　あれは、確かに千寿の助けとか、いろいろあったけど、でも立ち向かって行ったのは早良だった。
　…ちょっと言い過ぎたのかな、あたし。
　俯くあたしの耳に、坂上深雪の心配そうな声が届く。
「それに…最近、早良が言ってたんです、すごく視線を感じるって。冗談で、外見を派手にしたから女の子のストーカーでもできたんじゃないのかって言ったら、違うそうじゃないって。視線は何だか嫌な視線だし、それに誰かに見張られてるような気がするって言ってたので。
　何もないといいんだけど」
　その言葉に、榊が呟く。
「シャドー…」
「だろうな」
　それは、早良が天使に覚醒する為に、倒さなきゃいけない相手。同じようにシャドーも、天使になり替わろうとしている。
　今までも、覚醒する間近になると、シャドーはさり気なく近づいてきて、なり替わる機会を狙っていたのだ。
「急ごう」
　リーダーである榊がそう言って、あたしたちはリビングを後にした。