次の日の放課後、あたしたちは駅の近くのデパートにあるアクセサリーショップの前にいた。
　中には女子高生たちが数人楽しそうにアクセサリーを見ている。
　その様子を、あたしたちは彼女たちにばれないように、向かいのお店からひっそりとうかがっていた。
「で、どれが高橋ミカリ？」
　尋ねた千寿に早良が顔を俯かせて答える。
　早良の通う不動高校の制服を着たのは、三人組のグループ。
　それぞれショートボブの子と、ポニーテールの子、そして胸まである綺麗な艶のある黒髪をなびかせている子がいた。
「中央にいる、長い黒髪の子だよ」
　その答えに、思わず神楽が声をあげる。
「普通にカワイイじゃねぇかよ」
　確かに高橋ミカリは、あたしから見ても可愛かった。
　色も白くて、だから髪の黒さが余計に引き立っている。
　いわゆる清純派。
「…だから、そう言ったじゃないか」
　ブツブツ言ってる早良を無視して、千寿が眼鏡の奥で目を光らせて尋ねる。
「恋人は？」
「…いない、と思うけど…」
　早良はそう答えると、また顔を俯かせた。
　思わず神楽がその頭を軽くはたく。
「お前そのくらい調べてねぇのかよ。
　しょうがねぇな、ったく」
「へ？」
「任せろって」
　そう言うと、神楽は堂々と高橋ミカリたちの方向に歩きだした。
　ちょっと神楽っ、何するのよっ。
「まあ待てよ、紗那。ここは神楽に任せてみようぜ」
　だけど、蘇王…。
「な、右近」
　右近？
　思わず振り返ると、右近は小さくだけど頷いたの。
「…ああ」
　右近が、そう言うなら、いいけど…。
　ってゆか、蘇王ってば肩に手まで回して、いつの間に右近と仲良くなってるのよ！
　あたしの方が、右近のこと好きなのにっっ。
　ガルルルル…。
「唸るな、紗那。静かにしてろ」
　…だって千寿。
　すがるように見たあたしを、千寿はばっさりと斬る。
「静かにできないなら、さっさと帰るんだ」
　うなだれて、あたしは高橋ミカリに近寄っていく神楽に視線を戻す。
　神楽は自信たっぷりの足取りで店に向っている。
　任せろって、でもどうするんだろう。
　もしかしてナンパ？
　話しかけるのかと思った神楽だったけど、お店に入ることはなく、そのまま通路をすっと歩いて、高橋ミカリに近づくことなく通り過ぎる。
　え？神楽。それじゃ、彼女に近づけないじゃない。
　その時、ポロッと神楽が何かを落とした。
　何あれ？
　そう思ったのは、あたしだけじゃなかったらしい。
　高橋ミカリもそれに気づいて、慌ててお店を出て、神楽の落とした携帯を拾い上げた。
「あの、落しましたよ」
　その声に、神楽は一瞬足を止めると、くるりと高橋ミカリの方に振り返った。
「あれ？ああ。サンキュ。
　ねぇ。その制服って、もしかして帝王学園？」
　神楽は携帯を受け取りながら、ちらりと高橋ミカリを見て尋ねる。一瞬不思議そうにして、高橋ミカリは答えた。
「そう、ですけど」
　ビンゴとでもいうように、神楽はニヤリと笑った。
　そう、あの一瞬でオチルと言われてる、あの笑顔だ。
「あのさ、八神ってヤツ知ってる？八神早良」
　一瞬だけ、高橋ミカリがハッとするのがわかった。
　もしかして、彼女も神楽にオチたとか？
　だけど彼女が言葉を発する前に、その後ろから友達二人が顔を出した。
「知ってるわ」
「八神君なら、同じクラスよ。ね、ミカリ」
　その声に高橋ミカリは慌てて瞬きをすると顔を俯かせる。
「う、うん…」
　だけどその表情は、恥ずかしいとかドキドキしてるとかじゃなくて、頬は白いままだった。
　むしろ、青白いくらい。
　どうして？
　そう感じたあたしの前で、高橋ミカリの友達のポニーテールの子は頬を赤らめたまま表情を明るくさせて神楽に尋ねた。
「あの、もしかして、火狩神楽君？御影高校の？」
「ああ？」
　答えた神楽はうっすらと笑みまで浮かべて髪をかき上げた。
　その姿に、ポニーテールの子はショートボブの子にあたしたちにも聞こえる声で、囁いた。
「やっぱり。ね、噂通りかっこいいでしょ」
　神楽もまんざらでもないって、表情だ。
　ショートボブの子も、興奮した様子で、身を乗り出して神楽に話しかける。
「これからあたしたちお茶するんですけど、一緒に行きません？」
　え？
「ああ。いいよ」
　ええ？
「よかった。じゃ、一緒に行きましょう！」
　ポニーテールの子はそう言って、神楽の腕に軽く触れた。
　ちょっと神楽っ、あんたっ、ただのナンパしに行ってるわけじゃないでしょう！！
「まあ落ち着いてよ、紗那」
　落ち着いていられるわけないでしょうっ、蘇王っ。
　神楽ってば、何の為にあそこにいるのよっ！
「だから、高橋ミカリの素性調査だって―」
　あれじゃ、ただの逆ナンじゃないのよぅっ！
　怒り狂うあたしの前で、肝心の高橋ミカリは、神楽たちから一歩離れて言った。
「それじゃあたし」
「え？ミカリも一緒に行かないの？」
　ショートボブの子が心配そうに聞き返す。高橋ミカリはごめんね、と手を合わせた。
「ごめん。これから塾なの思い出したから」
「そう、じゃまたね」
　ちょっと！友達！
　あっさり帰してる場合じゃないでしょう！
　思わず怒鳴りこみそうになるあたしを、千寿が捕まえる。
「隠れろ、紗那っ」
　慌ててしゃがみ込むと、背中越しに、高橋ミカリが去っていく足音と、友達の声が響く。
「じゃ、あたしたちは行きましょう」
「ね、火狩君」



「ただいまー」
　大きく伸びをしてリラックスした表情でドアを開けて入ってきた神楽だったけど、仁王立ちになるあたしをみて、思わず手を止めた。
「遅かったじゃないの、神楽」
「お。焼きもちかよ、紗那」
　バカ言ってんじゃないわよっ、みんな首長くして待ってたんだから。
　一階のリビングには、それこそ早良を除いた天使たちが勢ぞろいをしていた。
　お母さんは、例によって自分の部屋でお友達と長電話中。
「で、どうだった？」
　リビングに踏み込んだ途端に言われて、神楽は顔をゆがませて答えた。
「榊までいるのかよ」
「いちゃ悪いのか」
「別に。貴羽は大歓迎だけどね」
　神楽はそう言うと、部屋の隅にいた紅一点の天使・貴羽ににやりと意味ありげな視線を送る。
　貴羽は困ったように、その視線を右近へと向ける。
　もちろん右近は、そんな貴羽に気付かないわけだけど。
　でもっ、どうも気になるのよねっ。
　貴羽ってば、やっぱり右近のこと好きってこと？
「あたしのことはどうなわけ？神楽君」
　余計なことはいいから、高未っ。
　そうよ神楽っ、
　だからどうだったのよっ。高橋ミカリの素行調査！
「うっせーな。紗那。焦るなって」
　神楽はそれからシャツのボタンをいくつか外すと、ゆったりとソファに座って、聞いてきた情報を伝えた。
「高橋ミカリは、クラス委員長やってるらしい。可愛いし、優しいし、頭もいいから、人気者だってさ」
「恋人は？」
「いない。夏前に別れたらしい。ケイコの話じゃ、好きな男ってのも今はいないらしい」
　ケイコ？
「ああ、高橋ミカリの友達の一人だ。ポニーテールしてたろ。
　彼氏ふったのはミカリらしいから、今は完全フリー」
「じゃ、早良が入り込む隙はあるってわけだな」
　すかさず榊が答える。
　よかったと、ほっとする前に神楽は強く首を振った。
「そいつはまた別の話だな。
　早良がいじめられてるのは、本当らしい。クラスの悪ぶってる連中から、パシリにされてるって聞いた。
　クラスでも、隅っこで一人で黙ってるらしいぜ」
　その言葉に、蘇王が大きくため息をつく。
「クラスの人気者と、いじめられっこか。美女と野獣っつーの？これ」
「表現では間違ってないけど、美女と野獣はハッピーエンドよ、蘇王」
「へ？そうなの？」
　ああもうっ。
　話が逸れるから、黙っててよ、蘇王！
　高未も話に乗らないの！
　大きな吐息の後で、神楽がはっきりと言う。
「けど、やるしかねぇだろ。オレたちが」
　そうだよね。　
　こうなったら、やるしかない。
　前進あるのみ！
　と、ガッツポーズしたあたしだったけど、ふとさっきから千寿が腕組みをして眉間にしわを寄せていることに気づいた。
　どうかした？千寿。
「いや…。ちょっと気になって、な」
　何が？
「気にすんなよ、紗那。千寿が眉間にしわ寄せてることなんて、いつものことだろ」
　そうだけど。
　蘇王の言い方に、むっとしたのか千寿が小さく答える。
「お前が考えなさすぎなんだ、蘇王。
　まあいい。
　とにかく、明日が最初の一歩だ」
　明日の土曜日は、早良の変身プロジェクトが始まる初日なのだ。
「とにかくやってやろうじゃねぇか」
　神楽がにやりと笑ってそう呟いた。



　次の日。
　あたしは午後から出動と聞いて、玄関に行くと、そこには神楽しかいなかった。
「え？右近行かないの？」
　気がつけば靴もない。
　神楽が面倒臭そうに答える。
「バイトらしいぜ」
「聞いてない！」
　だから、こんなにおしゃれしてきたってのに。
「んなこと知るかよ。
　ほら行くぜ、紗那」
　あれ？そういえば、蘇王と千寿は？
「あいつらは午前中からみっちり修行で早良をしごいてる」
　へ？
　いったい何を？
「何ぼけっとしてんだよ。置いてくぞ」
　あ、待ってよ神楽！
　
　修行って何やってるのかなあ、なんてのんきに思ってたあたしだったけど、、実際に早良に会って、それがそれだけきついトレーニングだったのか、あたしは理解した。
　だって、早良ってば顔がげっそりしちゃってるんだもん。
　おまけにふらふらしてるし。
「大丈夫？早良―」
　あたしがそう言って肩にぽんと触れたところで、早良はいきなり叫び声を上げた。
「うわっっ―」
　え？
　ごめん。何か変なことした？あたし。
「い、いや。なん、でも、ないよ」
　早良はそう言ったけど、でも明らかに顔が引きつっている。
「ほら、紗那ちゃん。行こう」
　う、うん。
　だけど早良。階段登るのも、大変そうだし…。
　あたしは目の前を颯爽と歩く千寿に聞いてみた。
「ね、千寿。今まで早良は何やってたの？」
「午前中は蘇王のもとで、主に体力トレーニングだ。
　いくら見てくれよくなったって、いじめてる相手を殴るくらいの力がほしいからな」
　ほほぅ、なるほど。
　で、千寿は何をしてあげたの？
「そのあとから、寺に行って座禅」
　座禅ー！！
「早良の場合、体だけ鍛えても仕方ないからな。殴れる力がついたところで、殴ろうと思う強い気持ちが必要だ」
　どうりで、さっき肩をたたいたら、飛び上ったわけだ。
「で、デパート来て、これから何が始まるの？」
「体も心も、成果が出るまでに時間がかかる。
　とりあえず、てっとり早く外見を変えるために、服とコンタクト、それから美容院」
　なるほど！
「お前は、早良の隣にいて、とにかく会話することを慣れさせてほしい」
　ラジャー！！
　これも全部、右近のためだもんね。
　頑張るわ！


「ど、どうかな、紗那ちゃん」
　試着して鏡の前に立つ早良を見て、あたしは正直に答える。
「うん、いいんじゃないの？」
「ほんと？」
　早良はそう言って嬉しそうに微笑む。
　神楽がセレクトしてくれた服だったけど、あのいやらしさは全然感じられないし、むしろ品のいいコーディネイトかもしれない。
　濃紺と、白の組み合わせ。
　ふむふむ。
　こっちはどうかなあ。
「紗那ちゃー」
「ね。これもよくない？
　この色、絶対右近に似合うよねー」
　深いため息の後に、神楽があたしを小突く。
「おい紗那、右近の服選んでんじゃねぇぞ」
　その時、見知らぬ女の子の声がお店に響いた。
「あれ？早良？」
「深雪」
　思わず振り返ると、そこには切れ長の綺麗な目をした、少し気の強そうなセーラー服姿の女の子が立っていた。
「だれ？いい女じゃん」
　耳元で囁く神楽に、早良は答える。
「坂上深雪。幼馴染なんだ」
　神楽はふーんというと、近づいてきた早良の幼馴染にニヤリと微笑んだ。
　でも、坂上深雪にはその笑顔が通じなかったみたい。
　神楽をぐっと睨みつけると、早良の腕を引っ張って、その耳元に呟いた。
「早良、この人たちは？まさか、かつあげの―」
「するわけないだろ。俺たちは、早良の友達。な？」
「あ、ああ」
　神楽の言葉に、早良が答える。
　気まずそうに唇をかみしめたのは、坂上深雪の方だった。
　失礼なことをしたんだけど、どう謝っていいのかわからない。
　そんな表情だ。
　すると、神楽がすっと手を伸ばして、坂上深雪の肩に触れる。
　びくっとした彼女に、神楽は微笑んで答える。
「悪い。ゴミ、ついてたから」
「あ…ありがと」
　坂上深雪はそう答えると、少し頬を赤らめて顔を俯かせる。
「さすが神楽」
　蘇王がそう呟いた。
　少しモジモジとしていた坂上深雪だったが、ふいに顔をあげて早良に言う。
「それじゃ、あたしバイトだから」
「うん」
　去っていく坂上深雪の背中を見ながら、千寿が尋ねる。
「おい、早良。お前、どうして彼女とは普通に話せて、他の女は駄目なんだ？」
「え？だって、深雪は幼馴染だから…」
　すると神楽が、はぁ？という声を上げた。
「お前ね、あれだけの女を放っておくほうがおかしいぞ」
「そうかな」
　わからない、というように早良が答えた。


　早良が溜めこんでいたお小遣いを全部はたいて服とコンタクトを買ってから、美容院に早良を預けると、あたしたちは家に帰ることになった。
「あとは美容院の出来次第だけど、まあ俺がいつも行ってるとこだから大丈夫だろ」
　明日も修行？
「午前中は蘇王のトレーニングの後、俺が合気道を教える。
　その後は神楽について、女についてのレクチャーだな」
　神楽から女の子のこと学ぶなんて、大丈夫なの？
「大丈夫に決まってんだろ」
　早良までスケコマシにならないでほしいんだけど。
「んだと？―ぁ」
　黙り込んだ神楽に気づいて、千寿がぽつりと呟いた。
「…神楽」
　何何？どうかしたの？
　固まった三人の視線を追いかけると、家の前に見知らぬ女性が立っているのが見えた。
　小さなボストンバックを持っていたその人は、神楽たちの姿を見つけると、表情を引き締めてから神楽たちの名前を呼んだ。
「久しぶりね、蘇王くん。千寿くん。…神楽くん」
　三人の知り合いなんだ。
　なんてのんきに思うあたしの後ろで、
「…香苗先生」
と、蘇王がぽつりと呟いた。