天使の翼 神楽篇
8.そしてすべてが
次の日、学校では噂の通り魔の犯行現場がうちの学校内、しかも被害者が生徒に人気のある松野先生ということで、大騒ぎだった。
「クラブハウスの横の場所だって。突然背中を切りつけられたんでしょ？」
「先生も戦ったらしいんだけど、向こうの方が強かったんだって」
「何針も縫う手術だったんでしょ？」
「やっぱりうちの学校に恨みのある人間が犯人よね。例えば受験に落ちたとか」
絵梨もその情報はばっちり押さえていた。
「実際やられたのはジャージで、背中を３針縫っただけ。致命傷にはならなかったらしいけどね。でもこれで本格的な被害者が出たってわけね」
あたしは、今日も来ない神楽のことが気になっていた。
神楽はこの話、まだ聞いてないはず。ニュースでも見てくれてればいいけど。
もうっ、一人でふらふら夜道を歩いてたら危ないっていうのに、いったいどこにいるのよ、神楽っ。
でも、突然に、しかも意外なところで神楽は現われた。
「おい火狩神楽っ。いま何時間目だと思ってるんだ。４時間目だぞっ。ここんとこたるんでるぞっ」
スティックを振りまわす担任でもある石田を無視して、神楽は自分の席についた。いつにも増して気だるそうな顔つき。シャツもなんだかしわくちゃだし、ネクタイも中年サラリーマンみたいにくたびれてる。そして大きな欠伸と伸び。
なんか、心配して損した。
あたしは持っていた教科書を、投げつけたい気分になった。
チャイムが鳴って、ランチの時間になった。神楽の周りには、たくさんの女の子。
うーん。通り魔の話、しようと思ったんだけどなぁ。
あたしはお母さんの作ってくれた神楽のお弁当をかばんに戻そうとした時、蘇王が白々しい演技を教室中に響く大声で始めた。
「あーっ、やっべぇ。困ったなぁ。弁当、忘れちまったよぉ」
そう言いながら、あたしに近寄ってくる。
「オレ、今日はサイフも忘れてっからぁ、パンも買えねぇよぉ」
そしてあたしがしまおうとしたお弁当を奪い取る。
「あぁ、なんだよぉ、紗那。お前ぇ、女のくせに弁当二つもあるのかぁ？か弱いお前じゃそんなには食えないよなぁ？そうだよなぁ？」
横から千寿も口を出す。
「あと３キロ減量するんだろ？」
ムッ。意地でもしないわよっ。
「なにぃ？オレにくれるってぇ？何だよ、お前って実は優しいとこあんじゃん。見なおしたぞぉ。サンキューなぁ、遠慮なくもらうことにすっからぁ」
最後に軽くウインクして、蘇王は教室を出ていこうとした。それに千寿も従う。そして千寿は神楽にも何か話しかけていた。もちろん、神楽も席を立つ。
待ってっ、あたしも行くっ。行ってあいつに一言いってやるっ。
「どこ行くの？紗那」
絵梨が不思議そうにあたしを見てる。
え…。手、洗い忘れてたから、ちょっとおトイレ…。
「あ、そっか。あたしも忘れてた」
「ねえ、紗那」
仕方なく手を洗ってると、絵梨が周りを見まわして、誰もいないのを確認してからあたしに声をかけた。
「あのね…」
まさか、あの蘇王のど下手な演技がばれたとか？
「神楽君のことなんだけどさ」
はー、なんだ神楽。どうかした？神楽が。
「あたし見ちゃったんだよね、昨日の夜。綺麗な女の人と肩組んで歩いてるとこ。それでマンションに入ってくとこも」
なぬ？
「それがね、もうすっごく綺麗な大人―ってかんじの人でさぁ。神楽君が肩に手を回して、相手の女の人も神楽君の腰に手を回してて、結構べったりだったの
よ。もう、雰囲気がね、艶っぽいっていうのか、こう見てるだけでこっちが恥ずかしくなるような感じで。映画のワンシーンみたいな感じ？あれ？どうしたの？
寒いの？紗那.。震えてるよ」
怒ってるのっ。
あいつってば何やってるわけ？人がせっかく心配してやってたのにっ。
「教室戻って、お弁当食べよっ、絵梨」
通り魔にもやられちゃえばいいんだっ。
「お前、来るかと思った」
昼休みが終わって、教室に戻ってきた蘇王があたしを呼び出してそう言った。
行くわけないでしょっ。だいたい何なの？あのど下手な演技はっ。もっと上手にさりげなくできないわけ？
「嘘つくのが苦手なんだよっ、うるさいな。それより神楽、怒ってたぞ」
なんで神楽が怒るのよ。
「お前がサチコさんに神楽との関係をやめるようにって言ったことだよ。それで神楽は学校に来たんだってさ。家に戻ってきて欲しいなら、紗那が謝れだって」
そんなこと、言ってないし、第一なんであたしが謝るのよっ。
「とにかく、ここはお前が謝ったほうがいいせ。神楽が学校に来たってことは行き場がなくなったってことだろ？そうなれば、神楽は街で問題起こすかもしれな
いし、そうすれば千寿のついた嘘はばれて、おばさんは神楽の本当のこと知って、倒れるかもしれないし。それに学校にも呼び出されて、オレたちがお前の家に
居候してることがみんなにばれるかもしれない。この際、二面楚歌計画は忘れて…」
四面楚歌よ、四面っ。二面じゃ横から逃げちゃうでしょっ。それに、神楽には新しい女がいるから路頭には迷わないわよっ。
「ふーん。じゃ、なんで学校に来たんだろうな。ま、いっか。とにかく、謝る気があるんなら、放課後屋上に来いだってさ。神楽」
何よ、その態度っ。
絶対に行かないんだからっ、絶対にっ。
「あれ？お前屋上に行ってないのか？」
学校から帰ってきて、着替えてリビングに行くと千寿が新聞を読んでたけど、あたしを見て新聞から顔を上げた。
行ったわよ。謝るつもりなんかなかったけどね。なのに３０分経ってもあいつ来ないんだもんっ。おかげで充分夕焼けを堪能したわっ。
時計は６時半を指していた。校内で教師が襲われたということから、学校は５時以降いてはいけないことになってしまった。全ての部活ももちろん休止。あたしも門が閉まるぎりぎりに学校を出てきたの。
「知らなかったのか？神楽は放課後、生徒指導室に呼び出されたこと」
え？
「無断欠席に、昼登校。それに石田の欲求不満もピークに来たころだしな」
担任の石田は、神楽にずっと目をつけていた。
ま、そのうち帰ってくるんじゃないの？
「帰ってくるのがここならいいがな」
それって嫌味？
「それより、例の痴漢が捕まったらしいぞ」
例のって、あのお風呂のぞいた痴漢？
千寿は新聞をあたしに見せた。そこには確かに下着泥棒とのぞきで捕まった２８歳の会社員の記事が載っていた。
「最近は特に世の中が乱れてるな。ここも平和な街だと思っていたが」
千寿が言いたいのが、あの通り魔のことだとわかって、あたしはちょっと不安になった。
千寿の顔を見ると、ちょうどニュースが始まったところで、内容はその通り魔事件だった。
「先ほど、Ｔ町で鋭利な刃物で背中を刺された人が発見されました。被害者は江川則夫さん、３５歳です」
これって、やっぱりうちの学校の犯人と一緒かな。
「Ｔ町だろ？隣町だ。今までの被害者は、みんなうちの学校関係者だろ？違うんじゃないか？」
そっか…。
被害者の顔写真が画面に映るのを見て、あたしはどこかで見たような気がした。
「江川さんは戸田製版に勤務しており、その帰宅途中に襲われたものと思われます」
戸田製版っていえば、学校の近くだ。
ニュースは江川さんが重体であることを伝え、次のニュースへと移った。
「それより、千寿。お母さんは？」
「忘れた買い物があるとかで、出ていった」
これは、今日の晩御飯は遅れるな。うーん、おなかすいた。
次のニュースは交通事故だった。暴走したトラックが、何台もの車に追突した挙句、交差点の角の家に突っ込んだ。トラックの運転手はむしゃくしゃしてたからと、言っていた。
「車って怖いよね。あたしもこの前…」
言いかけて、あたしは思い出した。
そうだ、さっきの江川って人。バスで会ったんだ。小学生に財布をスられて困ってたサラリーマンだ。
「この前、どうかした？」
「うん、この前。乗ってたバスが突然ブレーキ効かなくなって暴走しちゃってさ、でもって目の前に園児の列ってことがあった…」
そうだ、あのバス…。松野先生も乗ってた。それに…。ジャニーズジュニアな絵梨のお隣さんも、青い時計の桐子の彼氏も…。
もしかして…。
あたしは急いで絵梨に電話をかけて、通り魔の最初の被害者の名前を聞き出して、その家に電話をして確認した。
「はい、どうもすみませんでした…」
電話を切って、あたしは新聞を見てる千寿に言った。
「あたし、今から学校行ってくる。神楽が危ないから」
「危ない？」
顔を上げた千寿を無視して、あたしは急いで家を出て自転車を走らせた。
理由はわかんない。
でも被害者に共通点があったのは確かだ。
あの暴走バスに乗っていて、うちの高校前のバス停で降りた男の人。
それが唯一の、共通点っ。
あの時バスから降りたのは、９人。６人が男の人だ。そのうち被害にあったのが松野先生と桐子の彼、絵梨のお隣さん、電話で確認した最初の被害者に、江川さん。残るのは神楽一人。
無事でいて、神楽っ。