天使の翼　神楽篇

7.四面楚歌計画

　次の日は、やっぱりというのか、神楽は学校にこなかった。神楽に渡すようにといわれたお母さん手作りのお弁当は、蘇王の胃袋にしっかりと収められていた。
　その日のお昼休み、うちのクラスは例のホモ通り魔の話で騒いでいた。だって、昨日でた３人目の被害者が、うちのクラスの女の子の彼氏だったの。
「暗い夜道を帰ってたときに突然後ろから襲われたって、彼…」
　みんなはボロボロ泣いてる彼女を必死で慰める。
「でもよかったじゃん。桐子の彼、そんなにひどい怪我じゃないんでしょ？」
　彼女・桐子は、誰かの慰めの言葉に、必死に反論した。
「けど、怯えてるのっ、自分が襲われる理由がないって」
　そしてまたわーと泣き出した。
　だから、通り魔だって言われてるんでしょ？
　そう口が開こうとしたあたしを、絵梨は止めた。
「我慢、我慢」
　桐子がみんなの気を引こうとしてるのが、あたしと絵梨にはみえみえだった。だから、あたしと絵梨はちょっと外れたところで話をしていた。
「警察も必死で探してるみたいだけどね。でもよかったんじゃないの？壊れたのが時計でさ」
　時計？
「ホラ、桐子のしてる真っ青の時計あるでしょ？あれね、彼氏とおそろいだったんだって、それが襲われたときに壊れたらしいの。限定品だって自慢してたのにね」
　桐子の左手には、目の覚めるような青い時計があった。
「だけど、うちの学校の生徒の恨みがあるのかと思ったら、違うみたいだね」
　それ、どういうこと？
「桐子の彼、私服のところを襲われたんだって。塾の帰りらしいけど」
　それじゃ、うちの生徒だってわかんないよね。
「だから警察も困ってるんだって。被害者の共通点は、うちの学校の生徒ってだけで、他にはないみたいだし。無差別な通り魔にしては、今回のは違うし。だから、男子高校生を狙う通り魔で、偶然うちの生徒だったかもしれないって、話になってきてるらしいよ」
　うーん、結局安心はできないわけか。でも、確率的には低くなったのよね、うちの学校限定が、男子高校生になったんだから。少しは安心しよう。
　そうは思ったけど、あたしはやっぱり学校に来なかった神楽の席を見つめていた。


　放課後、あたしは決心してグランドに向かった。５つの部を掛け持ちしてる蘇王の今日の部活は確かサッカー部だったはず。グランドで、蘇王は簡単に見つ かった。ドリブルをしながらグランドを爆走する蘇王はいつにも増して、すごいスピードだった。目の前に立ちはだかる敵を次々にかわし、最後に蹴ったボール は、キーパーが１歩も動けないままに、ゴールネットを突き破って、ついにはその後ろの壁に食い込んでいた。
　げっ。、馬鹿力。
　腕をぐるぐる回していた蘇王は、あたしに気付くとこっちに向かってきた。
「よぅ、紗那」
　あんたって、すごいパワーね。
「なんだかさ、最近すごくパワーがあんだよな。紗那のおばさんのメシがうまいせいかなぁ。
　それよりなんだよ、こんなとこまできて」
　うん…、と言ってから、あたしは蘇王の顔を真正面から見据えた。
「神楽のこと。あんたたちが探さないんなら、あたしが探す。だから、どこにいるのか教えて」
　蘇王は困った顔をした。あまりにもあからさまだったから、こっちも困ってしまったくらいに。
「あたしが連れ戻す。あたしのせいで、神楽が家出したなら、あたしが落とし前つけてくるから、どこにいるのか教えて」
　足もとの小石をけりながら、蘇王は返事した。
「宛はいくつかあるけど、あいつ、いないと思うよ。そう言ってただろ？神楽がそう言う時は本当だから。行きずりの女かもしれないし」
「それでもいいから教えて」
　このまま。神楽が学校に出てくるまで、じっと空席を見て待ってなんかいられなかった。蘇王はちょっと悩んでから、３つの住所と名前を言った。あたしはそれをメモって、蘇王にバイバイと手を振り、思い出したように言った。
「ねぇあんたたちさ、やっぱり間違ってるよ。千寿が言ってたように、神楽が逃げてるものと正面切って向かい合うのって、たしかに神楽自身がそう決心しない と駄目だよ。でもさ。神楽に決心させるのって、他の人間でもできるよ。治そうと努力するのに協力するのも、友達ならできる。あんたたちが最高の関係だったら、あんたたちにもできるよ。そうじゃない？」
「オレだってそうしてやりたい。けど…。あいつの苦しみは、あいつにしかわからないし。今のオレたちには何もできない。そっとしてやるべきだと思う」
　蘇王は顔を俯いてそう答えた。そんな蘇王をあたしはケッと笑ってやった。
「だから、あんたたちは甘いっつーの。神楽に遠慮しすぎよ。あいつは甘やかすほど駄目になる奴よ。もっと手荒に扱ったって、傷つきゃしないのに。だってあんなに女の子泣かして平気な顔してんだもん」
「じゃ、どうするってゆうんだよ」
　ムットした顔の蘇王は、口には言わないけど無駄だって言いたそうだった。あたしはそんな蘇王に自慢げに答える。
「逃げ場がなくなるほど追いこんでやるのっ、まさしく四面楚歌っ」
「紙面素蚊？」
　あんた、本当に脳味噌筋肉になっちゃったんじゃないの？
「…意味は千寿に聞いておいて、じゃねっ。あっそれからさ。愛人の子供って意味だけど、愛人の子供も、本妻の子供も、結局は子供ってことよね。親にとってはさっ」
　呆気に取られてる蘇王を背中に、あたしは意気揚揚とグランドを後にした。


　とまあ、初めはやる気満々だったんだけど、これが…。
「神楽ぁ？そういえば、ここんとこ会ってないわねぇ。どうかしたの？神楽」
　初めに教えてもらったのは、これからお仕事に行くみたいで、化粧が途中で止まってなんとも言えない顔になっているルミさんの所だった。推定年齢２４歳。すでにお肌は曲がり角。
「また家出したの？仕方ないわねぇ、あの子も」
そう言ってから煙草をぷかーっとふかす。、
　ゴホゴホ、煙たいっ。
　それにしても神楽ってば、どこでどうやって、こんな人と知り合ったわけ？
「あたしのとこには来てないわよぉ。…ねえ、あなた。うちでバイトしない？時給いいわよぉ」
　遠慮しておきます…。


「あんたねっ、神楽の新しい女っってっ」
　ひいぃっ。
　二人目の家では、インタホンで神楽の名前を出した途端、プツッとインタホンが切れたかと思うと、突然ドアが開いて、取り乱した女の人があたしに向かって 靴を振り上げていた。思わずドアを閉めたけど、その靴が挟まって、ドアが閉まらない。その隙間から女の人は顔をひっつけるようにしてこっちをにらんでいる。名前、ユミさん。年は…。いくつだ？
「違いますっ、ただ神楽がこちらにいるかなっと思って…」
　すると突然ドアを開けようとする力が弱まって、ユミさんは座りこんだ。
　何？
「…ふられてから会ってないわ。もう２週間になるけど、突然ょ。好きな人が出来たから別れてくれって言われて…あたし…」
　すすり泣く声が急に止まったかと思うと、突然ドアが開いた。
　うわー、フェイントだよっ。
「あんたよっ、あんたのせいであたしはふられたのよっ」
　ひえーっ。
　ドアを飛び出してきそうになって、あたしは思いっきりドアを閉めると急いでそのマンションを後にした。ドアを閉める瞬間にゴンと音がして、ユミさんがドアに頭をぶつけた音がしたけど、このさい許してもらおう。
　それにしても、怖かったよ。３軒目もこうだったら、どうしよ…。


「どうぞ、上がって。汚いとこだけど」
　はぁ、でも。
「今。お茶いれるから」
　部屋をぐるりと見まわしても、全然汚くなんかない。１０畳のワンルーム、ロフトありのフローリング。カントリー調で雰囲気のいい部屋。
　３番目の人は、サチコさんという大学生だった。感じのいい人であたしのこともにこやかに部屋に招き入れてくれた。
「パックだけど、どうぞ」
　おいしそうな紅茶に、クッキーまで出してくれる。
　うーん、いい人だ。パリッ、うん。このクッキーおいしいっ。いや、そうじゃなくて。
「あの、神楽は？」
　うん、と答えてから、サチコさんはカップをおいて、一息着いた。
「昨日は確かにうちに来て泊まったわ。でもね、あたしが学校に行って帰ってきたらもういなかった。荷物もなかったから、別のとこに行ったみたい。本当は昨日も別のとこに泊まるつもりだったみたいだし」
　ちなみに神楽が前に家出した時も、ここに来てたらしい。サチコさんによれば、神楽は夜中の１時過ぎにやってきて、お腹がすいたとごはんをお茶碗３杯も食べて、こういったという。
「明日には出てくから、今日は泊めてくれよ」
　神楽は家出のことは何も言わなかったそうだ。でもサチコさんには神楽の様子でわかったらしい。そして、いつもとちょっと雰囲気も違っていて、
「オレってずるい人間だよな」
ともつぶやいたそうだ。
　サチコは神楽のお父さんのことも知っていて、そのことだと思い、人間ってみんなずるいものよ、と言った。神楽はそれ以上は何も言わなかったそうだ。本当にいくはずだったところを聞いてみたけど、彼女は知らなかった。
「これであたしもやっと吹っ切れそう。ありがとう」
　帰り際にそう言われて、あたしは驚いた。だって、お礼を言われるようなことは何もしてない。サチコさんは、立ちあがって、伏せてあった写真たてをきちんと立てた。そこには素敵に笑うサチコさんと男の人が写っていた。
「いつかはね、終わらせなきゃと思ってたの。でもいつも神楽君のこと追い返せなかった。無責任な関係が心地よくて。でも、これからは神楽君に言える。素敵な彼女がいるんだから、もうここに来るのはやめなさいって」
「あたし、彼女なんかじゃないです。ただの管理人の娘で。こうやって探してるのも、神楽がやけを起こしたりなんかして、お母さんが倒れたら困るから…」
「それは口実、でしょ？」
　当たってる…。
　でも、あたしが神楽を追い出したのは事実だし、責任を背負ってるのも確かだし…。
「いい訳はまあいいわ。あなたなら、神楽君を連れ戻せる気がする。頑張って」
　最後にそう言われて、あたしはサチコさんと別れた。人間ってみんなずるいものよ。あの言葉はきっとサチコさん自身も入ってるんだろうな。
　とりあえす、その夜は家に帰ることにした。


「項羽はつかまったか？劉邦」
　家につくと、あたしをみつけた千寿が言った。
　昨日泊まったとこはわかったんだけどね。でももう出ていっちゃってた。
　お母さんはお風呂中。あたしは自分で食卓のごはんを温めた。
「それにしても、お前が神楽に惚れてるとは、気づかなかった」
　突然言い出した千寿に、あたしは思わず口にいれたごはんを吹きかけそうになった。
　何を言い出すのかと思ったら。
　千寿はそんなあたしを半分汚いものでも見るような目つきでいたけど、新聞で顔を隠して話し出した。
「そこまで神楽に執着するってのは、あいつに興味があるんだろ？それはつまり恋の始まりだ」
　冗談言わないでくれる？あたしは神楽なんて昔っから大嫌いなんだから。
「なるほどね」
　意味ありげに千寿は微笑んだ。
　何よ。
「嫌い嫌いも好きのうちってことだ。まあ、違うんだったらそれでもいいけどな」
　当たり前でしょ。だいたいね、人ときちんと向き合えないような人間に、本当の恋愛なんてできないの。
「あいつはね、愛なんて信じてないの。女の子なんか小馬鹿にしてるだけ。だからあんなに次々と女作っては捨てていけるのよ。欲望のハケにしてるだけそんな男に惚れるような馬鹿じゃないのよ、あたし」
　千寿は新聞から、驚いたように顔を出した。
「目利きは効くんだな。男を見る目はないと思ってたが。趣味が悪いだけか」
　それって誉めてる？それともけなしてる？