天使の翼　神楽篇

6.神楽の家出

　本妻の子供と、愛人の子供。
　半分だけ血のつながった同じ年の兄弟。
　例えば、あたしのお父さんが、実は１７年前浮気してて、あたしと同じ年の子供がいたとして、でもってそれが仲のいい友達で、例えば絵梨だったりしたら…。
「うーん、わっかんないなぁ」
　お風呂場にはあたしの声がこもって響く。
　確かに今まで通りとはいかない気がする。結局はつかず離れずの上っ面の関係になりそう。
　だって絵梨のお母さんは、きっとあたしのお母さんがとても憎んだ 相手で、もしかしたらお父さんがあたしを捨ててまで一緒になろうとしたかもしれない相手なんだ。そう思うと、どこか深いとこまではつきあっていけない気が する。
　だから、神楽もそういう関係にさせたお父さんを憎んでしまうのかもしれない。
　でもだからって。
　そうよ、お父さんはお父さんだもの。


　あたしが、神楽とお父さんの関係を知ったのは、あいつらが居候し始めた次の日に、電話をかけてきたことから始まる。出たのは千寿。次に蘇王が代わって、それから神楽にもお声がかかった。
「神楽。親父」
　蘇王はそう言って、受話器を差し出したけど、神楽は雑誌から目を離さずに言った。
「切れよ」
　蘇王が困っていると、
「いいから切れよっ。オレはあいつのことなんか親父だと思っちゃねぇよっ。オレに親なんかいない、あいつだってきっとそう思っ…」
　蘇王の脇から千寿が静かに電話を切った。神楽はそんな千寿を見て、雑誌を投げるとさっさと部屋に戻っていった。
「下手に心配はかけないほうがいい」
　心配そうな顔の蘇王を知り目に、千寿も部屋に引き上げた。蘇王もそのうち持っていた受話器をそっとおくと、思わす廊下で立ち尽くしていたあたしをちらっと見てから、静かに部屋に戻っていった。
　その時、あたしは初めてあいつらが、実はそんなに仲良くないのかもしれないと思った。そして、神楽がお父さんとうまくいってないことも、それをわかっていながら何もしてない千寿と蘇王のことも。


　あーもーやめたっ。考えるの、止めたっ。
　あいつらはただの居候で、あたしとは家族でも何でもないっ。だいたいあいつらなんか、大嫌いなんだからっ。
　ザバーッと勢い良くバスタブから起きあがって、あたしは何やら鋭い視線に気付いた。
　何？
　振りかえると、閉めたはずの窓がほんの３センチほど開いてて、そこから誰かの目が暗闇の中で光ってる。
「キッ、キャーッ！」
　天にも轟く声に、痴漢は姿を消した。ドタドタと音がして、ドアのところで蘇王が叫んだ。
「どうした？紗那」
「痴漢よ、痴漢っ。今、お風呂覗かれたのっ」
「痴漢？」
　不納得の蘇王の声がして、千寿のどうしたという声が聞こえた。
「とにかく、庭にいるからとっつかまえて来てっ。早くっ」


　慌ててパジャマを着て、リビングに行くと、そこに神楽がいた。
　神楽はふてくされた顔つきで立っている。あたしはなんとなく視線を合わせずに蘇王に聞いた。
「いた？」
「いなかった。神楽も庭に変な奴見なかっただろ？」
　神楽は頷いた。なんで神楽に聞くのよ。
「ちょうど帰ってきたところだったんだ。庭に出たら」
「野良猫と間違えたんじゃないか？」
　千寿はそう言ったけど、あたしはちゃんと見たのよ。あれは人の目だった。
「ちゃんといたのっ。あたしのこと見てたのっ」
　鋭い目つきでこっちをじっと見てたもの。だいたい猫が窓を開ける？
「もしかしたら、あの男かも、ほら、前に襲ってきた。あたし、やっぱり狙われてるのよっ」
　すると神楽がそっぽを向いたままでククッと笑ってから無責任そうな声で言った。
「自意識過剰じゃねぇの？だいたいお前の裸見ても、何の得にもならねぇしさ」
　なんですってぇ。
　１６歳の乙女の素肌よっ、得にならないわけないでしょっ。それに自意識過剰って、あんたそれ、人権損害よっ。
　神楽はあたしに挑戦的な視線を送ると、そのまま続けた。
「痴漢がいたとしても、覗く家を間違えたんだぜ。偶然窓が開いててさ、突発的に覗いただけだろ。でも、痴漢もとんだ迷惑だよな。覗いて、目の保養どころか、目に毒ってやつでさ」
　毒ですってぇ。し、失礼にもほどがあるわっ。
「窓はちゃんと閉めてたのっ。あ、あんたじゃないの？痴漢。本当は庭で覗いててさ、蘇王たちがやってきて、慌てて帰ってきたふりでもしたんじゃない？」
「誰がお前の裸なんか覗くかっ」
「じゃあ何で、帰ってきたのよ。あんた、今日も帰らないつもりだったんでしょ？」
　蘇王がおい待てという顔をして、あたしも言い過ぎたことを後悔した。でも、謝れなかった。千寿は相変わらずの感情のない表情。そして、妙な沈黙は。神楽のセリフで破られた。
「荷物取りに来ただけだ。すぐに出てくさ。２度と戻らねぇから安心しろよっ」
「どういうことだよ、神楽」
　蘇王が心配顔で聞きかえす。神楽はあたしを斜めににらんで叫んだ。
「こんなうるさい女のとこになんか住めるか。いいアテができたんだ、これからはそこに泊めてもらう。あいつにもそう言っとけ」
　あいつって、お父さんのこと？
　千寿はそこで、ようやく口を開いた。この声は神楽に落ち着けと言っていた。
「神楽」
　フッと笑みさえ浮かべて、神楽は千寿に答える。
「お前らも知らない女のとこ。誰かみてぇにギャーギャーうるさくないし、金も持ってる。いい女だよ」
　女って、女って、同棲するってことぉ？
　驚くあたしを無視して、二人は現実的な話をしてる。
「学校はどうする？」
「これから、考える。じゃ・あ・なっ」
　別れのセリフをわざとらしく言って、神楽は二階に上がっていった。荷物をまとめるつもりだ。
「ねえ、千寿。蘇王。いいの？」
　千寿は静かに答える。
「いいも悪いも、あいつが決めたことだ。俺たちが口出す権利はない」
「なくはないでしょ、兄弟なんでしょ？同棲よ、同棲っ」
「法は侵してないから問題ない。安心しろ、おばさんには俺がそれなりの言い方で説明しておく」
　それだけ言い残して、千寿は二階に消えていった。蘇王はただ一人、あたしと一緒にリビングに残されていた。
「ねえ、蘇王はどう思う？あたし、絶対引きとめなきゃいけないと思う」
　オレは…と言った後で、蘇王は続ける。
「神楽が出て行くことはよくないと思う。同棲することは別にいいけど。でも、今は引きとめない方がいいと思う」
　どうしてよっ。
「却って神楽が荒れるだけだから。それに家出まがいのことはオレたち慣れっこだし、そのうち、戻ってくるからさ。神楽も」
　その時、玄関のドアが閉まる音がした。神楽が出ていった音。追いかけようとしたあたしを、蘇王が引きとめた。
「問題起こして、おばさんに迷惑かけるようなことにはなんないから、あいつを下手に刺激するなよ」
「離してよ、蘇王。あんたたちが何もいわないなら、あたしが言ってくるから」
「あいつは天邪鬼なんだ。下手に追いかければ、逃げていくだけなんだ」
　あたしは蘇王をにらみつけた。でも、蘇王は手を離さなかった。
「あんたたち、兄弟でしょ？友達でしょ？
　何遠慮して、深入りしようとしないの？あいつが本妻の子供で、あんたたちが愛人の子供だから？でもって、神楽がお父さんに反発するのはあんたたちが原因だから？」
　蘇王の顔つきがちょっと変わった。
「神楽がそう言った？」
「ええ言ったわよっ。あたしに向かって、愛人の子供って意味わかるかってね」
　驚いた顔をして、蘇王は顔を伏せた。暗い蘇王の声を、あたしは初めて聞いた。
「それは紗那の誤解だ。オレたちは、愛人とか、本妻とか、そんなこと考えたこともない。
　友達が兄弟で、最高だって思ってる。千寿だってそうだし、神楽だって同じさ」
「じゃあなんで、神楽はおじさんにあんなに反発してるの？家出を繰り返してるのは、おじさんに対する反発なんでしょ？」
　蘇王は答えなかった。それはあたしの言ってることが当たってるからだと、その時のあたしは思った。
「とにかく、オレは２・３日したら神楽を探してみるつもりだから」
　それだけ言うと、蘇王は部屋に戻っていった。


　あたしはその夜、神楽が襲われる夢を見て、真夜中に目が覚めた。
　制服姿の神楽が、薄暗くなった学校の校庭を一人で歩いてる。周りには誰もいなくて、なんだか学校は不気味雰囲気。
　その中で、神楽の前に急にあの黒尽くめの男が立っている。あの目のように鋭い鎌を持って、神楽を見てにやりと笑う。逃げ出そうとする神楽に鎌を振りかざ す。神楽は逃げ切れなくて、鎌が背中をえぐる。真っ赤な血が流れて、神楽は床に倒れこむ、そして男はそんな神楽の背中を、何度も何度も切りつけるの。そう して、神楽はぱったり動かなくなる。そんな夢。
　神楽は今日学校に来てないから、多分通り魔の話は聞いてないはず。
　せめて、話してからケンカするんだった。だって、神楽って、そういうのに狙われそうなんだもん。
　顔だって、男受けしそうなちょっとユニセックスのフェロモン系だし、絵梨が言ってたけど、結構かっこいいひとばかりが狙われてるんだって。
　そういう意味じゃ、千寿と蘇王も狙われそうだとか絵梨は言ってたけど、 あの二人は神楽とは違って。体もしっかりしてるし、第一強い。
　蘇王は柔道２段だし、運動神経の良さは説明しなくても十分だし、千寿も剣道が県大会で３位の 実績だし、第一頭がいいから逃げ切れそうだし。
　でも、神楽ってば取り柄が何にもないんだもん。そう、女にもてるってことだけなのよ。
　でもそれって、この事 件に関しては無意味だし、第一あの時のあたしみたいに足手まといになりそうだし…。
　あー不安。あいつってば、今ごろどこで何を…。
　考えて、あたしは顔を紅くして、布団で顔を覆った。
　そうよねっ、心配することなんかないんだわっ。女のとこにいるんだもん。学校なんか来ないで、ヒモになっちゃうんだっ。相手も夜中に押しかけても部屋に入れてくれるような人だから、きっと大学生か、フリーターか、ＯＬかもしれないし…。
　とにかく、寝よっ。
　おじさんに、千寿と蘇王がどう説明するのかは知らない。今日は電話がかかってこなかった。お母さんには千寿が説明していた。
「実は、神楽バンド組んでるんですが、今度ライブがあるらしくて、メンバーの家に泊まりこみで練習なんです。２・３日、もしくはそれ以上、合宿があるそう なんで。すみません、わがままな奴で。学校にもきちんときますし、食事も食べてるそうですから、おばさんが心配することはないですよ」
　お母さんは千寿の巧みな嘘に騙されていた。でもあたしはそれが嘘だということをお母さんにいうつもりはなかった。
　女のところに行きました、なんて言ったら、お母さん倒れちゃうもの。もしかしたら自分の監督不行き届きだからって、お母さんが家出しちゃうかもしれないもの。
　とにかく、無事で帰ってきてくれることを、あたしは願った。