天使の翼 神楽篇
4.愛人の子供
「千寿、買い物つきあってよ」
蘇王に言われた通りに、図書館で千寿はすぐに見つかった。
今日はどうしても一人じゃできない買い物なのだ。いつもの買い物に、何より昨日取りに行けなかっ たカーペットがある。千寿はいやそうな顔をして、口を開きかけて、俯いているあたしを見て、眼鏡を外すと仕方なく立ち上がった。
「次は…そうそう、納豆」
あたしは納豆をカゴに入れる。千寿はすぐさま納豆を元に戻す。
「また神楽？」
さっきからカゴにいれる半分を、千寿は元に返している。理由は神楽の好き嫌い。
あいつってば、いったい好きなものなんてあるのかしら。
「これは、オレ。臭い」
そういうと、千寿はすたすた先を歩いていく。
あ、ちょっと。もっとゆっくり歩いてよねっ。
千寿は紅茶の缶を見つけて、カゴにいれた。
「紅茶なら家にあるわよ」
「このメーカーのアールグレイが一番うまい」
あ、そう。
あたしは今度は椎茸をカゴに入れる。でもまた千寿が元に返す。
「椎茸は臭くないでしょ？」
「神楽が食えない」
やっぱり、また神楽？
「ああもうっ。神楽の好みに合わせてたら料理なんかできないじゃない」
「合わせる必要はない。あいつは適当に食ってる」
そお？なら買おうっと。
あたしは椎茸をカゴの中に山ほどいれた。
だいたいね、むかつくのよ神楽はっ。今日の態度だって何？あたしは悪いことしてないわよっ。
千寿は神楽のことを思い出してぷんぷんしてるあたしを、じっと見つめながらも、何も言わない。いつもと同じ冷たい表情。
「あんたたちって、仲いいのか悪いのか、わかんない。なんで神楽の卑怯なとこをそのままで、治してあげようとしないわけ？」
「本人に治そうという意志がないかぎり、他人が何を言っても無意味だろう。今のあいつにはそういう意志は全くない」
それはそう、だけど…。
千寿はあたしの持っていた買い物メモを見ながら、次々と野菜をカゴに入れていく。
「でも、言ってやんないとわかんないんじゃない？」
「わかってるから、お前から逃げたんだろ」
千寿は無表情でそのまま歩いていく。
「神楽と上手くやっていきたんなら、昨日言ったことを忘れて、触れないことだ。そうしてれば神楽も普通に接する」
混み合ってるスーパーの中で、上手に人をかわしながら千寿は進む。
「でもそれって、神楽によくないんじゃないの？アメリカのお父さんだって、神楽のこと心配で電話かけてきてんのに、あんな態度取ったらすっごく心配すると思うけど」
途中でジャガイモを持って、あたしは千寿を追いかけた。
そしてレジに並んでいる千寿の隣に立つ。
じっと顔を見て反応を待つけど、千寿は何も言わずにジャガイモを取って、これもお願いしますとレジの人に言った。
「千寿…？」
そして自分のお財布からお金を払うと、さっさとカゴをもって、歩いていく。
「待ってよ、千寿」
黙々と野菜を袋に詰める千寿の横顔はまだ冷たい。
「あたし、今日結構千寿っていい奴なんだって思った。図書館で勉強してたのに、買い物付き合ってくれたし。本当は優しい奴なんだって、冷血で冷徹で、非情な奴じゃないんだって…」
それでも千寿の顔はぴくりともしない。そして、こう返してきた。
「それは誤解だ。オレはただ、特別な用事もなかったし、おばさんに迷惑かけてるし、居候の当然の義務として買い物につきあっただけだ。ついでにお前に忠告しておく」
忠告？
「お前の言ってる通り、神楽は逃げてる。追いかけても無駄だ。かえって深手を負うのはこっち側だ。誤解しないために言っとくが、忠告するのも優しさからじゃない。同じ家の中で、いざこざがあってはこっちもいい迷惑だ。それから」
千寿は袋詰が終わって、空になったカゴを、投げるようにカゴ入れに戻した。
「オレは冷徹非情な人間だ。お前の観察は正しい」
呆気にとられてるあたしをおいて、千寿は荷物を一人で持つと、スーパーを出ていった。
ごはんも食べ終わって、洗物をしてるとちょうど電話が鳴った。
今日のごはんは食べた気がしなかった。蘇王の言っていた通り、神楽はいつものように帰ってきて、いつものようにごはんを食べて、いつものようにテレビを見ている。本当に昨日は何もなかったように。
本当にいいって思ってるのかな、あいつら３人。
電話はまだ鳴ってる。あたしは仕方なく、受話器を取った。
「はい、葉月です…。はい、ちょっと待ってください」
運良くそこに、蘇王が通りかかった。
「蘇王、電話。アメリカのお父さん」
３ヶ月限定だし、携帯もあるから、電話はうちと共用になっていた。蘇王は電話に飛びつくと、明るい笑顔で話し始めた。
「あ、親父？おれ、蘇王。
どう？そっちは…ふーん。
今の？ああ、紗那ってオレたちのクラスメート。そう。え？冗談じゃないって。こえーんだもん」
なんか、気になる会話。
「そうそう、ははは。え？神楽と千寿？ちょっと待って」
蘇王は顔を上げて、ソファーでテレビを見てる二人に叫んだ。
「おい、親父から電話」
千寿はすぐに立ちあがって、蘇王から受話器を受け取った。神楽は動く気配がない。
「はい、千寿です。…元気です。特に変わったことは何も。神楽…？神楽は今…」
静かに話していた千寿の表情がちょっとだけゆがんだ。言葉に詰まった千寿に、あたしは言った。
「いい？切らないでよ！神楽は出させるからっ」
そして、一人テレビを見て笑ってる神楽の前にあたしは立ちはだかった。
「なんだよ、紗那。見えねーじゃん」
あたしは、ぶちっとテレビのスイッチを切った。
「聞こえたでしょ？おじさんから電話よ。出なさいよ」
リモコンですぐにスイッチを入れると、神楽は横になった。
「面倒だね。いいぜ、電話切って」
「神楽のこと心配してるんだよ、この前も出なかったし。一言でいいから、何かしゃべればいいじゃん」
神楽はそのままに、あたしを見つめると、にやっと口許だけ笑った。けど、目は笑ってなかった。
「お前さ。もしかしてオレに惚れてるわけ？あ、そっか、それでこんなにオレのこと心配してくれてるわけか。いいぜ、つきあってやるよ。ただし、束縛はなし。嫉妬も未練も、そういうややっこしいのは全部なし。何しろオレには五万と他に女がいるんでね」
あたしはむかついてそこにあったクッションを投げつけた。
「ばっかじゃないの？あんたなんかこっちから願い下げよっ。あたしが心配してるのはおじさんの方っ。あんたみたいな負け犬に、誰が惚れるもんですかっ」
神楽は急に立ちあがって、そのままリビングを出て行こうとした。途中で蘇王が言う。
「神楽、電話…」
神楽は無視してすれ違っていたのに、足を止めてぎろっと蘇王をにらむと、千寿から奪うように受話器をとって叫んだ。
「２度とかけてくんじゃねぇっ」
そして荒荒しく電話を切る。最後にあたしをにらみつけて、神楽はリビングを出ていく。
ちょっと、何よっ、その態度っ。
「待ちなさいよ、神楽っ」
神楽は玄関で、靴を履いて、ドアに手をかけるところだった。
「またそうやって逃げるんだ。今日もあたしからずっと逃げてたみたいに」
神楽の背中がかすかに反応した。その背中を見せたまま、神楽はあたしに言った。
「お前に、愛人の子供って意味、わかるか？」
答えにつまるあたしに、神楽は続けて言う。
「わかんねぇだろ。興味だけで、首つっこむんじゃねぇよ」
ドアがバタンと閉まり、神楽はその夜も家には戻ってこなかった。