天使の翼　神楽篇

1.同居人たち

「またやったんだって、紗那」
　やっとこさ席についた途端に、隣の絵梨が話しかけてきた。
　ええ、そうよっ。おかげでお昼食べれなくておなかぺこぺこなんだから。
「まあまあ、これでもあげるから」
　そういってはポケットからカロリーメイトをくれた。
　さんきゅっ、これだから絵梨って大好きっ。
　絵梨は軽く頭を抑えている。
「…ありがと。でもさ、紗那ってすごいよね。あの火狩三兄弟と張り合っちゃうんだから」
　火狩三兄弟ってのは、さっきの連中。長男神楽に、次男千寿、三男蘇王のこと。なぜだかこの学校のアイドル。
　おくればせながら自己紹介させてもらうとあたしは、葉月紗那。幸か不幸かあいつらのクラスメート。
　べっつにすごかないわよ。
　だいたい周りが騒ぎすぎてるだけ。だって、あいつらが変なの。
　三兄弟って言っても、三つ子じゃなくて、みんな母親が愛人で、しかも全部別腹、唯一のつながりは父親だけなのよっ。
「全く、父親も父親なら、子供も子供よねっ」
「きっとお父様もナイスミドルな方なのよっ。あんな素敵な息子たちがいるんだもんっ」
　そういってうっとりした目つきのまま、絵梨は教室で一際うるさい集団の中心に立っている蘇王を見た。
「火狩蘇王君は、運動神経抜群のスポーツ少年。
　一年生なのに、マラソン大会でいきなり優勝！どの運動部からも誘いが来て、結局一つにしぼるのはもったいないってことで合計５つの部を掛け持ちしてるし」
　あいつは、脳味噌まで筋肉になってるのよ。残った少しの脳味噌は、食べ物のことでいっぱいなんだから。
「性格は明るくて、面白くて、人懐っこいし」
　あーゆーのはね、単純バカっていうの。トイレに１００ワットの電球つけるようなもんよ。必要以上に明るいだけ。何にも考えてない単細胞なんだから。それ に人懐っこいんじゃなくて、バカだから人のことをいちいち覚えられないのよ。おまけにあいつってば花岡えみるなんていうブリブリのアイドルの大ファンを自 称するような奴なのよっ。
「よく日に焼けた浅黒い肌、くりくりとした瞳、大きな鷲鼻。それにあのツンツンヘア。笑顔なんか最高よ」
　日焼けなんてね、天気のいい日にベランダでぼけーっとしてりゃできるのよ。それにあの頭はジェルの無駄使いってもんよ。
　絵梨は溜息をつくと、今度は教室の後ろの方で、一人本を読んでいる千寿に視線を移す。
「火狩千寿君は、なんってったって学年トップの頭の良さっ。全国でも５０番以内だったんでしょ？この前の全国模試。きっと東大に現役で合格して、そのままエリート街道まっしぐらよね」
　あいつはね、おつむばっかりよくても音痴なの。知ってた？カエルの歌でさえ満足に歌えないんだから。
「いつも冷静沈着で、頼れるし、大人っぽいし」
　あーゆーのはね、冷血っていうの。あいつの血って絶対緑色だわっ。それに大人っぽいんじゃなくて、ふけてんのっ。年も３つはサバよんでんじゃない？
「すっとかいたような眉毛に、眼鏡の奥で鋭い眼光を放つ切れ長の瞳、筋の通った高い鼻。それに長めで艶のあるあの黒髪。和風で雅やかな雰囲気がたまらないって感じ」
　あいつは人相悪すぎよっ。いっつも人のことにらんでるみたいでさ。だいたいあの黒髪は長くてうざいのよ、う・ざ・い。
　絵梨はさらに大きく溜息をつくと、今度は女の子に囲まれて楽しそうに会話をしている神楽に視線を移した。
「火狩神楽君は、なんといっても男の色気っ。フェロモンを匂わせてるっていうのかしら。狙った女は逃がさないっていうし、泣かした女も星の数ほど」
　あいつが一番むかつくのよっ。第３ボタンまでシャツ開けて、鎖骨見せてさ。オレはかっこいいんだって言いたげでっ。ああイヤラシッ。
「女の子には優しいフェミニストだし、おしゃれだし、ちょっと子供っぽいところがまた母性本能をくすぐってかわいいし」
　優しいのは、下心があるからに決まってるでしょっ。それに子供っぽいんじゃなくて、本当にただのガキなのよっ。
「ぽてっとした肉厚で桜色の唇、いつも潤んでる薄茶色の瞳、それにさらさらストレートの日に当ると溶けてしまいそうな薄茶色の髪」
　だいたい唇が紅すぎるのよ、あいつ。リップ塗ってんじゃない？それに瞳は潤んでるんじゃなくて、ただのドライアイを目薬で治してるだけっ。それにね、瞳が薄い茶色だからって髪だけじゃなくて眉毛も脱色してるのよ、日本人のくせしてっ。
　絵梨もついに疲れ果てたらしく、肺の空気をすべて溜息で吐ききると、今度はあたしに視線を移した。
「それより紗那。あんた、また今日ふられたんだって？」
　うっ、それを言われるとつらいけど、その通り…。
「これで三回目でしょ？しかもまたおおよそ１ヶ月。きっかり４回目のデートの次の日」
　悔しいくらいに、千寿の言っていることは当ってる。
　でも、でも、向こうの言い分だってひどいもんなのよぅ。
「君には気を使うって言葉はないのかって言われたのよ？それはこっちのセリフだってのにさっ」
　すると絵梨はふうと一息ついてから言った。
「紗那、あんたもしかして、また何か言っちゃったんじゃないでしょうね」
　絵梨が言っているのはあたしの癖のこと。あたしってば素直過ぎるのか、思ったことをすぐ口に出しちゃう性質。服装が気に入らなかったらセンスが悪いって はっきりいうし、映画が面白かったら面白いって大笑いする。けど、それが時に人を傷つけるらしく、絵梨には悪い癖だって言われてる。でも、あたしはいい癖だと思ってるの。それに、癖っていうか性格なんだもん。性格って、長所も短所も紙一重でしょ？
「今回はね、一応考えたの。でも、あんまりにも酷いんだもん。それに黙ってたって向こうの恥だから、教えてあげただけ。鼻毛が出てるって」
　絵梨は神妙な顔つきで言った。
「それ、どこで、どんな風に言ったの？」
「喫茶店で、食べてるときに、はっきりと言った。相手に聞こえるようにね」
　絵梨は今までで一番大きな溜息をついた。
「悪いけど紗那。そんなんじゃいつまでたっても男できないよ」
　ちょっと絵梨まで？！
　そのときちょうど先生が教室に入ってきて、あたしはその続きを聞くことができなかった。
　なんで？
　ねえ、どうして？



「ただいま」
　家に帰るとお母さんがすぐ出てきた。
「おかえりなさい、紗那ちゃん」
　今、あたしの家は専業主婦のお母さんとの二人暮しになってしまっている。お父さんはシンガポールに半年間の出張中。お兄ちゃんは仙台に、お姉ちゃんは大阪にそれぞれ家を出て一人暮ししてるし、１年前におじいちゃんが死んだことをきっかけにおばあちゃんも自分から老人ホームに入ってしまった。一年前までは 騒がしい家だったのに、お父さんが頑張って建てた一戸建ての二世帯６ＬＤＫはすっかりガランとしてしまって、寂しそうだ。
「ちょっといいかしら？」
　お母さんは顔を見るなりそういった。あたしは昼間学校にいるけど、こんな家に一人のお母さんは、その寂しさを紛らわすためなのか、近所のカルチャースクールに通い出して、すっかりはまってしまっている。
「実はね、この家空き部屋がいっぱいあるでしょ？だから、人に部屋を貸そうと思ってるの。ああ、お父さんにもう了解してもらったわ」
「つまり下宿ってこと？」
　食卓にあったお菓子をあたしはつまみ食いする。
　うん、なかなかおいしい。
　このお菓子もお母さんがカルチャースクールで習って、作ったもの。腕も上達してきてるし、結構カルチャースクールもいいもんねっ。
「そうなの、学生限定で。女二人の生活も不安だし、お部屋ももったいないし、少しだけど収入はあるし、いいかしら？」
「うん、いいよ」
　二世帯住宅だから、基本的に生活は別々だし、ついでに頭の良くって、たくましくって、かっこいい大学生にでも来てもらって、あたしの宿題を手伝って、泥棒や痴漢も捕まえてもらって、あたしと新しい恋をするんだわっ。
　うなずくあたしをみて、お母さんは両手を組んでホッと椅子に座りこんだ。
「よかったわ。実はね、もう下宿のお話もらっちゃってたのよ。どうしてもって。それで今日面接しようと思うんだけど」
「あたしパス。これから絵梨と約束あるの。お母さん一人でやっちゃってよ。あたしの勉強見てくれそうで、でもって用心棒になりそうで、かっこよい人だったら、あたしは文句いわないから」
　今日は絵梨が、あたしを慰める会をやってくれる。会って言っても、映画見て、お茶するだけ。でも全部絵梨がおごってくれる。
　絵梨ってば本当にいい友達よ。
「そう？わかったわ。それじゃ、いってらっしゃい」
　いくらふわーっと年中少女みたいなお母さんだって、変な人の世話をしようとは思わないだろうから、一人でまかせても大丈夫。ただ、ボランティア精神旺盛なのは、ちょっと考えるけどね…。



「ただいま」
　ちょっと遅くなって帰ってくると、誰もいないはずの2階の電気がついていた。
「お母さん、下宿の人、もういるの？」
　食卓には、見るも豪華なデザートの果物たち。
「おかえり、紗那ちゃん。そうそう、もう来てもらったのよ。お父様は海外赴任してお家にはいらっしゃらないっていうから、だったら晩御飯をどうぞってなってね。紗那ちゃんのは今から用意するから」
　それにしても、器が５つ。
　あたしと、お母さんと、3人分？
「悪いけど紗那ちゃん。呼んで来てくれる？デザートですって。上にみんないるから」
　みんなって？
「3人兄弟なのよ」
　あたしは言われたとおり、二階に上がっていった。うちの二世帯住宅は、ダイニングもキッチンも別になっているけど、上のキッチンはお母さんは下でおばあ ゃんのごはんも作ってたの。玄関も別にあるけど、ドアを一枚隔ててるだけど、中はわりと自由に行き来ができるようになっている。
　コンコンコン。二階のドアをノックして、あたしは言った。
「あのぉ…。デザート用意できたんですけど」
　するとドタドタと音がして、すぐにドアが開けられた。そこで、あたしはぽかんと口を開けてしまった。
「す…おう？」
　ドアから出てきた顔は、あの単細胞ハリネズミだった。
「なんで…あんた」
　あたしよりも先に、蘇王は後ろに声をかけた。
「デザートだってよ。おう、紗那。おかえり」
　ただいま…、じゃないっ。
　ちょっと蘇王っ。
　引き止める前に、蘇王は下に下りてしまった。
　まてよ、3人兄弟ってことは、よ…。
「邪魔だ、紗那」
　やっぱり千寿。
　思わず後ずさりしたあたしの脇を、千寿は平然とあたしを無視してさっさと通りぬけていく。
　残る一人は…。
「何してんだ？紗那」
　電気を消して、最後の神楽が出てきた。そこでようやくあたしは落ち着いて口を開いた。
「下宿人ってあんたたちなわけ？」
「他に誰かいる？」
　そうして神楽もさっさと下りていく。
　ちょっと、ちょっと待ってよっ。
「お母さんっ、あたし聞いてない、なんでこいつらなわけ？」
　途中で神楽を追い越して、あたしはお母さんをつかまえた。
「気に入らないの？」
　当たり前っ。
「でも紗那ちゃんの希望通りよ。勉強は千寿君に見てもらえばいいでしょ？蘇王君は柔道2段持ってるっていうから、用心棒になってくれるし、恋のお相手は神楽君はどうかしら？」
　冗談じゃないってのっ。こんなスケコマシ、誰がっ。
「そんなこと言えた義理かよ、また振られたくせに」
　むむっ、あんたには関係ないでしょうがっ、神楽。
「面接はやり直しっ、全員不合格っ。今すぐ出てって」
　なんで、こいつらと学校に加えて、家でも顔を会わせなきゃなんないの？
「もう荷物運び終わっちまったぞ」
　元の場所に戻すだけでしょ、あんたの馬鹿がつくパワーならすぐよ、蘇王っ。
「前の家は、もう売り払ったんだ」
　だったら、友達のとこでもいけばいいでしょ、千寿っ。
「紗那ちゃん、わがまま言わないの。もう彼らはうちの下宿人なのよ。お母さん決めたの」
　年頃の娘が、こんな野獣たちと一つ屋根の下にいること、不安じゃないの？お母さん。
「オレたちにだって、選ぶ権利ってもんがあるよなぁ、千寿」
　ええい、黙れ神楽っ、うなずくな千寿っ。
「学校だって、クラスだって同じなのよっ。変な噂でもたったらどうしてくれるのよっ」
「それだけお前が女に見られてるってことだろ？安心しろよ」
　安心なんかできないでしょっ？変な噂たって、誤解されたら困ることもあるじゃないの。
　あたしはあんたみたいにたらしじゃないんだからね、神楽っ。
　とにかく出てって、今すぐっ。
「紗那ちゃんっ」
　お母さんが、いつになく強くあたしを呼んだ。
「神楽君たちのことは、彼らのお父さんから頼まれてることなの。育ち盛りの男の子が3人だけで暮らしていくのは、食事面とか、衛生面のこととか不安だか らって。火狩先生には本当にお世話になってるし、とにかくお母さんがもう決めたことですからね。紗那ちゃんもこのことに関しては、お母さんが決めていいと いったでしょう。出ていけというなら、紗那ちゃんが出ていきなさいっ」
　そんなぁ。
　ざまあみろと、3人はあたしに舌を出した。