天使の翼　神楽篇

プロローグ

　昼休みの屋上は、いつもより風が穏やかで、なんだかすがすがしい気分にさせられた。真っ青な空、白い雲、時々聞こえてくる木々の揺れる音。
　なのに…なんでぇ？
「そういうことなんだ。悪いな、葉月」
　彼はそのままさっさと屋上を出ていく。
　これで高校に入って３人目。向こうから告白してきたくせに、つきあって１ヶ月もすれば別れ話をさせられる。今の彼だって、お前のこと誤解してた、なんて…。どゆこと？
「ちょっとっ」
　待ってと言おうとしたあたしの声は、彼がドアを閉める音で消されていった。溜息をつきたくなった、その時だった。
「クッククックククッ」
　う、このバカのかたまりのような明るい声は。
「またふられたのか」
　そして、この低く氷のように冷たい声は。
「蘇王っ！千寿っ！」
　スポーツマンにありがちな真っ白い歯を光らせてウシシと笑う蘇王に、我知らずといって空を見上げて風に吹かれている千寿が、やはりそこに立っていた。
「ちょっと、あんたたちねっ。どうしてこんなところに…。
　ああっ、さてはあたしのことつけてきたんでしょおっ！」
　蘇王は大きくあっかんべーとすると、
「ここは俺たちの昼飯の場所なんだよーだ」
と、手に持っているヤキソバパンにかぶりついた。
　むむっ。
　そして蘇王をみらみつけるあたしに、千寿はぐさぐさと無情に矢を突き放つ。
「まあ、お前がどんなに自己中心的で、わがままで、見栄っ張りで他人のことも考えずに傷つくことばかり言う女か、週１回のデートを３・４回もすれば、わかるからな」
　なんですってぇ。
　怒りに震えるあたしの横を、すでに半分食べてしまったパンを片手に持ちながら蘇王が通りすぎ、あたしの後ろでくるっと振りかえって言う。
「それに加えて、男勝り、がさつ、大食い」
「人使いも荒いし、横暴、美的センスなし」
「そ、その通りっ」
　あ、あんたたちねっ。
　人がショックで言い返せないのをいいことに、言わせておけばっ。
　もぉーっ怒ったっ！
「蘇王っ！千寿っ！あんたたちっ！」
　やべぇと言いながら逃げ出した二人を、あたしは追いかけた。
　あんたたちってば、何かあるたんびにあたしのこと滅茶苦茶に言ってっ！
　そのうち絶対天罰が下されるんだからねっ。神様はちゃんと見てるんだからっ。
　二人は屋上入り口の上にタンクが乗っかっている建物の裏に回ろうとした。逃げる途中で蘇王が落とした食べかけのヤキソバパンを掴むと、あたしは二人に思いっきり投げつけた。
　見事命中っ…かと思ったら、あのサル男は、うまくジャンプして避けた。
　なぁぬぅー！
　と思ったら、うわっと叫んで思いっきり後ろにひっくりかえった。
　およ？時間差攻撃？
　急いであたしも裏に回ると、鼻を抑えて座りこんでいる蘇王と、そんな蘇王に苦い視線を向ける千寿がいる。
　何があったの？
「何だよ千寿、急にとまんなよ」
「いいから、…戻るぞ」
「なんでだよー」
　立ち上がった蘇王は、あたしの投げたパンを名残惜しそうに見つめている。
「あーあ、こいつも駄目にしちまったよ」
　それなら食べなさいよ、サルなら食べるわっ。・
「お前なぁ」
　だいたいあんたが落としたのよっ。それ。
「…。で、何があるわけ？」
　溜息をついている千寿を押し分けて、蘇王は裏を覗いて、一瞬にして凍りついた。
　何よ、何があるの？
　あたしも興味津々になって二人をかきわけて、そこに何があるのか見てみることにした。
　そこには、見知らぬ女生徒とかなり濃厚なキスシーンをしている神楽がいた。しかも、相手のシャツは第３ボタンまで外れてて、胸の谷間もしっかり見えている。でもって、上履きの色からすると、上級生のお姉様っ？
　なっ、なっ、何してるのよっ。
　あたしたち３人の視線に気付いてか、目を閉じていた神楽はうっすらと目を開け、そしてこっちを見て、その薄茶の瞳を大きく開いた。そしてゆっくりと唇を離し、小さくやべぇと呟いた。
「よ…よお、紗那」
　ぎこちなく手を上げて、そしてゆっくり立ちあがると、ひきつった笑顔をあたしに向けた。お姉様は、胸元をひしっとつかんだ真っ赤な顔で、さっさと屋上を出ていった。
「なんだよ、蘇王も千寿もいるんじゃねぇか、ハハハ」
　そしてあたしの肩にポンと手を置くと、さりげなく逃げ出そうとした。
「まあ、何だな。今日も、いい天気だ」
「神楽…。あんたここで何してたの？」
　あたしの低い声に、神楽はちょっとだけ肩をびくつかせる。
「なっ、何って…。保健の勉強をちょっとね…」
「こンのすけべっ！待ちなさいよっ」
　ここをどこだと思ってるのっ？学校よっ。公共施設なのよっ。
　それから昼休みの終了を告げるチャイムが鳴るまで、あたしと神楽の追いかけっこが続いたのは言うまでもない…。