ようやく、納得したらしい。
　次の日から、赤平は、いつもの赤平に戻った。
　少しさびしいとは思ったけど、これでよかったんだと私は納得していた。
　別に赤平が好きだったわけじゃない。
　失恋して、寂しくて、そんな時に優しくされたら、好きだって告白されたら、気持ちが動いてしまうのは、当然のこと。
　あの山口が、可愛い彼女をゲットできたのも、そういうわけなのだ。
　だけど、私は、赤平にとっては教師。
　そんな感情に流されるわけには、いかないのだ。
　だけど、一難去ってまた一難。
　ついさっき連絡があって、期待していた元ルームシェアの相手が、やっぱり彼氏と暮らすことにしたっていうのだ。
　まあ結婚するから出て行ってなんて言ったくせに、結婚相手がいなくなって、家賃が払えないから戻ってきてなんてことは、もともとむしのいい話だと思っていたけどね。
　家を追い出される形になった彼女は、慌てて彼氏の家にもぐりこみ、来年には結婚しようかって勢いらしい。
　どうして幸せってあるところにはあるんだろう。
　小さくため息をついても、家賃が減るわけもない。
　今まで何とか持ちこたえてきたけど、さすがにこれ以上二倍の家賃を払うのも、限界だ。
　今月ルームシェアの相手が見つからなかったら、引っ越すしかないかなあ。
　そう思うと、更にため息がこぼれる。
　そこで私はハタと気づいた。
　教頭が仕組んだお見合い。
　これがうまくいけば、相手に来てもらえればいいんじゃないの？
　そう考えると、俄然やる気が出てきた。
　それじゃ、何を着ようかな。思い切って、スーツ新調するとか？
　それとも成人式で来たっきりの着物、着ちゃうとか？
　そう思いながら、学校を出たところで、いきなり黒塗りのベンツが、目の前で止まった。
　何コレ？
　すると、中から黒服の男が二人出てくると、いきなり私の両腕を掴んだ。
「ちょっとっ、何すんのよっ」
　周りを見たけど、運が悪いのか、車が陰になっているのか、誰も私に気づかない。
　嘘でしょうっ。
　これって誘拐？
　でも私、安月給のしがない教師だしっ、
　とびきり美人ってわけじゃないしっ、
　年も二十九だしっ、
　実家だって、ただのサラリーマンなんだから、身代金なんて、そうそう用意できないっつーのっ。
　男たちは叫びそうになった私の口を押さえると、そのまま後部座席に私を押し込んだ。そして、無情にもドアが閉まる。
「ちょっとっ、降ろしてよっ。ここから出してってばっ。
　私みたいにな三十路目前女誘拐したって、大したお金にならないわよっ。
　それにっ、今日は見たいドラマがあるんだってばっ」
「ドラマって何？」
「そんなのもちろん『君に逢いたい』…っ、て、赤平ぁ？」
　思わず答えたところで、私は隣に赤平が座っているのに気づいた。
「何コレ、何で赤平がここにいるのよ？」
「亜香子って意外と乙女なんだ。あんなタルい恋愛ドラマ好きだなんて」
　確かに甘々な恋愛ものではあるけど、意外とってどういう意味よ？
　乙女に年齢は関係ないんだからねっ。
　赤平を思い切り睨みつけてみたけど、どうやら誤解をしたらしく、彼は素直に謝った。
「手荒な真似してごめん、でも、こうでもしないと亜香子、来てくれないと思ったから」
「来てくれない、って、どこいくの？」
　気づけば車はもう走り出している。
「うち」
　心なしか、赤平の表情はいつになく硬い。
「親父に、紹介する」
　


　連れてこられたのは、超がつくくらい広い豪邸だった。
　思えば、車もベンツだった。しかも運転手付き。
　門は当然自動開閉。
　開かれた先には噴水まで見える。
「親父は一流企業の社長だよ。知らなかった？副担任なのに？」
　返す言葉なし…。
　おまけに社名を聞くと、誰もが知っているような有名な会社だった。
「向いてないんじゃないの？教師」
　さらっという赤平の言葉が、ぐさっと胸に突き刺す。
　確かに、私にとって教師は憧れの職業じゃなくて、仕方なくなった職業ではあったけど、それでももう七年間続けているわけで、
　七年分の経験とプライドくらいはある。
　だから、そこまで言うことないんじゃないの？
　赤平は、ニコニコと笑いながら話を続ける。
「だったら、寿退社すればいいよ。俺と結婚して」
「なっ…」
　ちょっと前まで夢見ていたことを、また赤平に見透かされたような気がして、私は思わず言い返す。
「学生に、養ってもらえるわけないでしょっ」
　必死で赤い顔の私に、赤平は白い顔のままでしらっと答える。
「俺さ、株やってるんだ。今年の儲けは一千万。ちなみにじいちゃんが残してくれた俺名義のマンションもある」
　私より高収入、
　しかも家持ち…。
　負けた、とがっくり項垂れる私の気持ちと照らし合わせたかのように、車がゆっくりと止まった。
「さてついた。
　亜香子が俺たちの関係がまずいって言うから、俺が生徒辞めようと思ったんだけど、亜香子が教師を辞めるって案もあるんだよな。
　悪い話と思わないし、まあ、考えてみてよ」
　考えたくもないわよっ。
　高校生に養われるなんて、社会人としてのプライドが許さないんだから。
　ふんっと座席でふんぞりかえっていると、赤平は開けられたドアから颯爽と降りる。
「ちょっと？どこ行くの？」
　慌てて私も車から降りた。
　目の前にすると、家のバカでかさに圧倒される。思わずほけっとしている私を無視して、赤平はエントランスの階段を上っていた。
　中に入ると、うちのリビングほどの広い玄関があって、赤平は正面にある二階へと続く階段をのぼりながら私に指示した。
「着替えてくるから、亜香子は客間で待ってて。すぐ行くから。
　親父には晩飯の時に、紹介する」
　赤平はそういうと、足早に立ち去っていった。