やっぱり、冗談だったんだ。
　次の日、学校であった赤平を見ていて、私はそう思った。
　話しかける様子もなく、
　こっちを見てる様子もない。
　つまり、私にとって、手のかからないただの生徒。
　昨日に続いて担任教師が、夏風邪で休みということで、帰りのホームルームも私がやることになった。
　何事もなく終わって、職員室に戻ろうとしたところで、いきなり赤平が廊下まで追いかけてくると、私に何か差し出した。
　それは、真っ白い一通の封筒。
　手紙？
　まさか、ラブレター？
　受け取ろうと手を出す私ににっこりと微笑みかけると、赤平は封筒を引き寄せ、表を見せる。
　退学届。
　そこには、そう書いてあった。
「じゃ、校長のところに行ってくるから」
　笑顔でそういう赤平を、私は当然追いかける。
「どういうことよ、それ」
「だから言ったろ。俺、本気なんだって」
「それはわかった。わかったけど、どうしてそれで退学なのよ」
「結婚できないのは、教師と生徒だからって、言ったよね」
「…言ったけど」
「だったら、俺が生徒を辞めればいい」
　ニヤリと笑う赤平は、本気だった。
　慌てて私は赤平の腕を掴む。
「ちょっちょっちょっっ。落ち着きなさいよ、赤平っ。
　あんた今、何しようとしてるか、わかってるの？」
「もちろん。落ち着いてないのは、俺じゃないんじゃないの？」
「あのねっ」
　にらみ合うところで、ふいに赤平が視線を遠くにして言う。
「ちょうどいいや、教頭が来た」
　振り返ると、本当に教頭がこっちに向かって歩いてきているところだった。赤平は、私を交わすと、教頭に向かって歩いていく。
「ちょっとっ、赤平っ」
「教頭せんせー」
　私たちの声が重なり合ったところで、教頭は私たちに気づいて、ぱっと顔を上げた。
「ああ、深月先生。ちょうどいいところに」
「はい？」
「君にちょっと話があってね。赤平君。すまんが君の話は、深月先生の後でもいいかな」
　にこやかに笑う教頭に、赤平は確実に不機嫌そうに言い返す。
「いや、俺のが―」
「教頭先生っ、お話伺いますっ」
　慌ててそう言って、教頭の背中を押す私の耳に、赤平の舌打ちする音が聞こえた。



　ところが、教頭の話も、微妙なものだった。
「お見合い？」
「まあ、それほど固く考えなくてもいいんだよ。
　ゆわゆるコンパくらいに思ってくれたら。
　ほら、最近の若い先生たちは、出会いがないって言うじゃないか」
「はぁ」
　確かに、それは一理ある。
　今までは、明彦がいたから気にしてなかった私だけど、職員室には適齢期を過ぎた独身の方々がぞろぞろ列をなしているのだ。
「実は、あちらさんにはもう既に深月先生の写真を送ってあってね。すぐ、気に入ったそうだよ」
「はぁ」
　いったいいつ写真を撮られたんだか。
　相手の人も、近くの高校で化学を教えている先生らしい。
　歳は三十二歳だとか。
　浮かない表情をしていたのか、教頭が首を傾げる。
「それとも何かね。もしかして君、結婚の予定でもあるのかね？」
　何故だか一瞬、赤平の顔が浮かんだ。
「いっいいいいえっ。いませんっ」
「だったら、来週の日曜二時。よろしく頼むよ」
　教頭はそういうと、一通の封筒を残して出て行った。



「何の話？」
　応接室を出たところで、赤平が出てきた私に話しかけてきた。
　答える前に、
「まさか、見合い話じゃないよね」
と、先制攻撃。赤平って、意外と勘が鋭い。
「赤平には、関係ないわ」
　すっぱりそう答えると、赤平は珍しく逆上して怒鳴る。
「関係なくないだろっ。見せろよ、それ」
　そして、私の持つ封筒に手を伸ばした。
　恐ろしく、勘が鋭いヤツ。
　封筒には、お見合い相手の写真や履歴書が入っているのだ。
「さっきの手紙と交換よ」
　私がそういうと、赤平は諦めたのか、素直に退学届と書かれた封筒を出してきた。
　それを受け取ると、私は持っていた封筒を、赤平に差し出す。
　そして、退学届けをビリビリと破いた。
　赤平は受け取った封筒から乱暴に写真を取り出すと、ふんと鼻で笑った。
「こんなオタクと見合いすんのかよ。時間の無駄だぞ」
「オタクっぽく見えても、素敵な人かもしれないでしょ」
とは言ったものの、赤平の持つ写真に写っているのは、どう見ても四十過ぎのオジサンだった。
　年って、まだ三十二だよね？
「趣味、プラモ作り、特技、時刻表の計算ってあるぜ」
「う…」
　日曜日、どうしよう…。
　でも、教頭から言われちゃったわけだから、無碍に断れないし…。
　後悔し始めた私に、赤平が自信満々に言う。
「いいよ、断れないんだったら、俺が言ってきてやる」
「やめてよっ」
　そんなことしたら、余計話がこじれるだけ。
　私は小さくため息をつくと、赤平に向き合ってこう言った。
「赤平が本気だって言うのは、充分わかったわ。
　でも、何度も言うけど、私は教師で、あなたは私の生徒。おまけに未成年なの。
　未成年じゃ、結婚するのに両親の承諾が必要よ。
　この話、ご両親は了解してもらってるの？」
　黙りこんだ赤平を見て、勝負あったと私は思った。
　あとは、大人の余裕を見せればいいだけ。
　少しだけ、ほんの少しだけ、残念だとは思うけどね。
「話して納得してもらわないと、結婚はできないわね」
　項垂れる赤平は、それまでの生意気ぶりが嘘のように、まるでしかられた子犬のようだった。