昨日の寝不足が祟ったんだと思う。
　一日十時間の睡眠を取らないと、体の調子が悪い右京にとって、昨日の夜に、寮で開催された夜中のトランプ大会はイタかった。
　白熱した戦いのせいで、いつもより眠るのが遅くなり、翌日は県外への遠征の為に、早起き。
　結果、睡眠時間六時間。
　普通の高校生なら充分すぎる睡眠時間でも、右京にとっては短かった。
　おかげで遠征にも遅刻しかけ、試合でも結果が出せず、早々に交代させられた。
　おまけに帰りのバスでも、寝ていて集合時間に遅れた右京を石橋が怒り、一人バスに乗ることを許可されなかった。
　当然と言えば当然。
　今日の遠征は、Ａチームの選手だけがバスに乗って来ていたために、電車組は必然右京のみということになる。
　気軽な一人身。
　だが、そんな右京の隣には、慌ててバスを降りてきた萌子がいた。
　曰く、
「だって、右京。お財布、バスの中に置いて来てたじゃない」
　そう言って、挙げた萌子の手には、確かに右京の財布があった。
　そういうわけで、右京は萌子と一緒に帰路についた。


　電車に乗り込み、空いていた席に座る。
　少なくともこのままで一時間はこの電車に揺られることになる。
　すぐに睡魔が襲ってきて、右京の意識は曖昧になる。
　が、痛みと同時に瞬く間に現実に引き戻された。
「いった…」
　右京が顎をおさえているのと同じように、頭を押さえている萌子が呟いた。
　どうやら二人がうとうとした結果、ぶつかりあってしまったらしい。
　眠りかけを起こされたことと、痛みとで右京の仏頂面は更に無愛想になっていくが、萌子は珍しくそれに気付かずに大きく欠伸をすると独り言でも呟くように言い訳をした。
「ごめん、昨日遅くまでユニホーム直してて…」
　どうやら萌子も寝不足らしい。
　そういえば、いつもより目が腫れぼったいことにも、今更ながら右京は気付いた。
　そうでなくても、今日の遠征でマネージャーは一人。
　二十人近いチームの裏方を一人でこなしていれば、更に疲れは倍増していることだろう。
「ぶつからないように気をつけるから…ごめん、寝させて」
　終いにはあやふやな言葉になりながら萌子はそう言ったかと思うと、すやすやと寝息を立てていた。
　一応気を使ってか、萌子の頭は右京とは逆方向を向いている。
　先手を打たれた。
　そのことに右京は多少苛立ちながらも、自分が起きてなければならない理由はないと気付き、腕組みをして寝ようとしたところで、電車が緩やかにスピードを落として、駅のホームへと滑り込んでいく。まだ降りる駅までは十駅近くある。
　右京が微睡みかけたとき、わざとらしい咳ばらいが聞こえてきた。
　うっすら目を開けて咳払いのする方を見ると、どうやら萌子の隣のおばさんが、自分の肩に寄りかかる萌子に向かって咳払いをしているようだった。
　気付いた萌子は慌てて目を開けると、「すみません…」と呟いて、頭を戻して、また寝に入る。
　そんなやり取りが、その後も二度三度続いた。
　そして四回目の咳払い。
　謝る萌子の背に右京は手をまわし、そのまま頭を掴むと、ぐいと自分の胸へと引き寄せた。
「右京？」
「いいから、黙ってろ」
　うるさくて眠れやしない。
　そう口に出すのも面倒になり、右京は引っ込みのつかなくなった手を、そのまま萌子の肩に置いた。
　目の前に座るＯＬらしき女性が、好奇の視線を右京に向けたが、気にすることなく右京は目を閉じた。
「寄りかかっても、いいの？」
　遠慮がちな萌子の声が聞こえてくる。
　右京は黙って頷いた。
　少しして、萌子も右京の体に寄りかかり始めた。
　不思議なもので、寄りかかるものがある方が、人は眠りやすいらしい。
　右京は幼い頃、抱えながら眠っていたウサギのぬいぐるみを思い出していた。
　枕が変わっても、右京はいつでもどこでも寝れる子供だった。ただ、白いタオル地のウサギのぬいぐるみを持っていれば、の話だが。
　そういえば、あのぬいぐるみ、どこに居たんだろうか。
　ふと右京の鼻を、爽やかな花の香りがくすぐった。
　どうやら萌子のシャンプーの香りらしい。
　傾きかけた夕陽も、程よく背中を温めて、定期的な電車の振動も、眠るには心地よいものだった。
「ねぇ、右京」
　夢と現実の狭間に居る右京に、萌子の声がうすらぼんやりと聞こえてくる。
「なんかぐっすり寝ちゃいそう。
　右京の体あたたかいし、心臓の音って何だかすごく安らぐ」
　萌子は右京の返事を待つことなく、そう言うと再び右京の胸の中で寝息を立て始める。
　これでようやく眠れる。
　そう思いながら、右京は幼い頃ぬいぐるみを抱きしめていたように、萌子の体に回した手で、萌子を確認しながら、再び目を閉じた。