夜店が立ち並び、ごった返した人々に、境内は賑わいを見せていた。
　その中を、朔哉に手を引かれながら萌子は慣れない浴衣姿で歩いていた。
「結局もらった休みで、二人でどこかに行けたのって、今日くらいだったな」
　朔哉がそう言う。
　インターハイで優勝した褒美として、監督である石橋は休暇を部員たちに与えた。実家に帰る者、遊びに出かける者、家族で旅行にでる者などいる中で、萌子はずっと凪浜にいた。凪浜にいて、海にもどこにも行かなかった。というのも、朔哉が取材や地元の後援会への挨拶などで、忙しくしていたからだ。
　インターハイで優勝し、朔哉が点を決めたら二人で旅行に行くという約束も、そうして果たせないまま、二人の夏休みは過ぎようとしていた。
　流石にそれでは、と少し離れた大きな神社の夏祭りに、二人はデートにやってきたのだ。
　地元の祭りであれば、有名人の朔哉はすぐに誰かに声をかけられ、中々前に進めないこともあるのだが、凪浜を離れた大きな祭りのせいか、そういうこともない。誰にも見つからないことが、というよりは、萌子とゆっくり歩けることが、朔哉には嬉しかった。
「明日からは、またサッカー漬けね」
　朔哉の声にそう萌子が答えている。
　練習は明日から始まる。
　そして、すぐに全日本ユースの本選が始まり、その後には正月の選手権大会の県予選が控えている。
「これじゃ、旅行にいく暇もない」
「え？」
　朔哉の呟きが聞こえなかったのか、萌子がそう聞き返す。どれほどがっかりしたか自分の気持ちに気づいていない萌子に、朔哉は顔を寄せるとその耳元で意地悪そうに言った。
「今日はこのまま泊まって帰ろうか」
「えっ！」
　萌子は大声を上げると、まじまじと朔哉の顔を見つめる。敢えて黙ったままそんな萌子を朔哉が見ていると、萌子は顔を真っ赤にしてわたわたと口を開く。
「でっ、でもっ。親に言ってないし」
「友達の家にでも泊まるって言えばいい。小池とか、椎名とか」
「でもでもっ、準備してないしっ、その、色々とっ」
「俺はどんな萌子でも受け入れる」
「だ、だって、浴衣だって一人じゃ着られないし！」
「大丈夫。ちゃんと覚えておくから」
「覚えておくっ、てっ…」
　萌子はそう言って、耳まで真っ赤にしている。
　からかうのも、そろそろ止めた方がいいかな。
　朔哉はそう思い、くすりと笑うと、
「そのくらいの気持ち、なだけだよ」
と言った。
「明日の練習は朝からだし、手持ちもそんなにないし、今日は大人しく萌子を家にまで送り届けるよ」
　朔哉がそう言うと、ようやく萌子は安心したのか、ぎこちなくだが頷いた。その溜息に、朔哉は嫉妬して萌子に言う。
「そんなに嬉しそうにされると、それはそれで傷つくんだけどな」
「えっ、あっ、そういうことじゃないんだけどっ」
　萌子は大慌てでそう言うと、いきなり前方を指さし、
「あっ、綿菓子売ってる。ね、買ってきてもいい？」
と言った。これ以上萌子を追いつめても、逆効果かもしれないと、朔哉が頷くと、萌子はそそくさと綿菓子を買いに行った。
　今度溜息をついたのは、朔哉の方だ。
　自分の気持ちを伝えてくれない萌子に、つい朔哉は求める様にして追いつめてしまう。
　落ち着け。
　萌子は俺の隣にいる。
　ちゃんと、いるんだから。
　萌子が無事並び始めたのを見て、朔哉は少し道をそれて壁に寄りかかった。綿菓子の前には長蛇の列ができていて、萌子も戻ってくるまでそれなりに時間がかかりそうだ。
　待つしかないなと、ふっと参道を歩く人に目をやった時だった。
　思わず、朔哉の視線が止まる。そしてそれに少し遅れる様にして、相手も朔哉を見止めると、僅かに目を見開いた。
　小雪ちゃん…。
　それは四年ぶりの再会だった。
　朔哉の初恋の相手である佐藤小雪は、以前よりいくらか痩せて、頬も引き締まって見えたが、それでも柔らかな雰囲気は変わらなかった。思わず朔哉が歩み寄ろうとしたところで、小雪の隣に立つ男の人に気づいた。人ごみではっきりとは見えないが、小雪とは手をつないでいるようだ。そのことが、朔哉を引き留めた。小雪も朔哉を見止めながらも、こちらにやってこようとはしない。ただ、目で話しかけていた。
『ごめんね、朔哉君。
　ずっと気にしてたの。
　朔哉君の笑顔、ずっと奪っちゃってたらどうしようかって』
　心配そうに朔哉をじっと見つめる小雪を見て、変わってないなと思う。自分のことより、他人のことを気にかける所。別れた時だって、不条理に叩かれた自分のことよりも、双子の妹のことを気遣っていた。
　そんなに心配そうな顔しないで、と朔哉も小雪に目で語りかける。
『大丈夫だよ。
　俺は、新しい笑顔、見つけることが出来たから』
　すると、よかったと小雪の顔が緩む。すると、あの柔らかそうな肉まんを思わせた頬の面影が見えた。
　だがそれも一瞬のことで、小雪は男の手に引かれて人ごみに消えていこうとしている。
『小雪ちゃんも、元気で』
　心の中でそう呼びかけながら、消えていくその背中を見つめていると、
「朔哉さん？」
と萌子の声がした。
「ごめんなさい。すごい並んでて。…どうかしたの？」
　萌子は朔哉の視線に気づいたのか、振り返り視線を馳せた。が、何も見つからなかったのか、朔哉に向き直ると、じっとその答えを待っている。
「いや、別に。ただ…」
「ただ？」
　首をかしげて萌子が朔哉をじっと見つめている。
「幸せだなって思って」
　朔哉はそう言うと、綿菓子を持っていない方の萌子の手を引いて、再び歩き始めた。