ミモザケーキの作り方3
あーあ、あの時。迂闊に、名前を貸し出すんじゃなかった。
そう一年も前のこと、振りかえっても、どうにもならないのは、わかってる。
誤解をされることが多いので、あたしについて少し話せば、まず、お喋りじゃないと思う。
他愛もないようなお喋りは、もちろん大好きだけど、極度の人見知りだから、そこまで話せる相手なんて、ほんの一握り。
ちなみに、人見知りをすることよりも、実は人の名前を覚えるのがすごく苦手で、だから名前の知らない人でも、話しかけられるとぎこちなくても笑顔を向ける。
知らないからと言っても、実はクラスメートだったり、何度か話したことのある人だったりすることがあるからだ。
それから、外見。
まず、髪は手入れをするのが面倒くさくて、カラーリングもしないで、伸びたい放題の長いストレートの黒髪。
日焼けしたくでも、できない色白の肌。
それと、極度の貧血。
あと、胃下垂のせいで、太れなかったりもする。
別に、あたしは意識してたわけじゃない。
でも、こういう条件が揃うと、淳子ちゃん曰く
「薄倖の美少女って感じ」
になるそうな。
しかも、あの時委員長の頼み事をきいてしまったせいで、月に二度ほど、サッカー部に委員長が作ったおいしいお菓子を、我物顔で、差しいれしなきゃいけなくなった。
そのせいで、委員長とも自然と話すようになって、彼はあたしにとって、ほんの一握りのお喋り相手にもなった。
「それが、余計なのよ」
と淳子ちゃんは言う。
曰く、山越中の人気者と親密に話せる唯一の女子となってしまった。
故に、結論は、というと。
「お似合いの理想のカップル」
ということになるらしい。
「でも、淳子ちゃん。あたし、別に委員長と付き合ってるわけじゃないんだよ」
学校帰りの喫茶店で、あたしは淳子ちゃんにそう訴えた。
あの、ミモザケーキのおかげで、翌日淳子ちゃんとあたしは仲直りをした。以来いつも一緒に登下校もし、そうしてあたしたちは同じ高校に進学した。
あたしたちの進学した凪浜高校は、海沿いにある高校だ。最近サッカー部が強くなっているってことで、委員長もこの高校に進学した。そして、今頃委員長は、サッカー部で選手権優勝を目指して、毎日練習に忙しくしているはずだ。
今日、あたしは告白された。
しかも、中学生の女の子に。
「原田先輩と菊地先輩が大好きですっ」
二人分の告白は、もちろん初めてだ。
「理想のカップルなんですっ」
っていわれても。
だから、あたしは別に委員長と付き合ってるわけじゃない、と言おうとした。
でも、それを淳子ちゃんがそれを止めた。
「いいじゃないの、夢見させておけば」
「でも、本当に付き合ってないんだよ」
「知ってるよ。もうそれは何十回も聞きました」
小さな溜息と一緒に、淳子ちゃんはコーヒーカップを置く。
「でも、美智はそれで良いって思ってるの？」
あたしは返事ができなかった。
思っていないから、こうやってあたしは淳子ちゃんに訴えているのだ。
「そろそろ、いいと思うよ。はっきりさせても」
あたしは、小さく頷く。
今までもタイミングの逃す天才だったあたし。
そろそろ、汚名返上、する時なのかもしれない。
凪浜の海沿いの歩道の柵を越えると、そこが絶景のスポットになることに気づいたのは、委員長じゃなくてあたしだった。なのに、今では委員長の方が入り浸りになっている。
サッカー部の練習もない放課後に、海に落ちる夕焼けを見ながら、あたしは隣で本を読んでいる委員長に話しかけた。
「ねぇ、委員長」
委員長が、本から目も上げずに答える。
「俺たちもうクラスメートじゃないから、委員長じゃないだろ？」
同じ高校には進学したけど、あたしと委員長は別々のクラスになってしまったのだ。
「じゃあ、菊地光一さん」
「原田の舌がからまりそうだから、コウでいいよ」
コウはサッカー部のみんなが呼ぶ委員長の愛称だ。
「それじゃコウくん」
「うん？」
ようやく委員長が本を閉じて、視線を上げる。
「お菓子、いつまでつくるの？」
「さあ」
そう答えると、また委員長は本に目を落とす。
本と言っても、文学書とかじゃない。サッカーの有名な選手が書いた本。
ふうと溜息をついてみたけど、委員長は本を読むのに必死みたいだ。
わかってる。お菓子作りも、料理も、言ってしまえば、掃除も洗濯も、委員長にとってはストレス発散となってるってことくらい。
もともと、悩みはひとりで抱え込むタイプ。
それがサッカー部の監督に目をかけられたことから、一部の先輩にはよく思われてないことも噂で聞いていた。でもそれに負けることなく、ただ自分の目標に向って突き進んでいる委員長のはけ口が、家事だということも、わかってた。
それでも。とあたしは口をひらく。
「あのね」
思わず握り締めた手に、力がはいる。
「コウくんのお菓子とか、お弁当。私が差し入れてることになってるでしょ？」
「ああ」
「そうするとね。困るのよ」
「どうして？」
「あたしが、とっても料理が上手な、いいお嫁さんのように思われてしまうから」
ようやく、委員長が顔を上げる。
だが、まだ本は開いたままだ。
「どうしてそれが困る？」
「だって、未来のお婿さんに、噂とは違ってた！なんて言われたくないんだもん」
どうみても、委員長は返事に困ったようだった。
そして、視線をきょろきょろさせて、最後にはまた本に落とす。
「だったら、原田も、噂に負けないくらい、もっと料理頑張れよ」
「だって、コウくんのお菓子、おいしいし」
あたしは、じっと委員長の横顔を見つめる。
呆れてるなぁと、思う。
違うのだ。
本当は、こんなことを言いたいんじゃない。
こんなことを話たいために、一緒にいるんじゃないのに。
悲しくなって、あたしは自分の膝小僧を見つめる。
こんなことを言いたくて、呼び出したんじゃないのに。
県下でも強豪と呼ばれるようになったサッカー部の未来のキャプテンの、貴重な休み時間を、あたしはこんなくだらない会話で使いたいんじゃないのに。
ぱたんと本を閉じる音がして、小さな溜息と一緒に委員長の声が優しく響く。
「それじゃ、俺のところに嫁にくれば、俺が料理つくるから、美智が料理下手なことばれずずにすむよ」
「あ、そっか」
名前で呼ばれたのに、反応しなかったこと。
それから、あまりにも簡単に答えたのが、委員長は気に入らなかったみたいだ。
少しばかりむっとしたような表情で、あたしの顔を覗きこむようにして、委員長は小さくはっきりと言った。
「…俺、本気にするぞ」
あたしもそっと顔を上げる。
「あたしも、本気だよ」