破れたカーテン。
　床に散らばったグラスの破片。
　とりあえず床は掃除して、破れたカーテンは、化学室からこっそり持ち出してきた暗幕でカバーしたところで、理香は大きなため息をついた。
「これじゃ、売上稼ぐどころか、マイナスだわ…」
　騒ぎに驚いて逃げだした客もいたし。
　掃除や修復作業をやっている最中は、テーブル一つのスペースを使った。
　つまり、その分入れるはずの客が入れなかったということ。
　項垂れる理香たちを前に、久仁子と柳田は思い切り頭を下げた。
「ごめんなさい。兄のせいで…」
「す、すまん…。
　壊した分は俺が立て替える」
「当たり前でしょ、ヤギさん」
　鋭い理香の声に、いつものように『俺は柳田だ』と言い返すことができない。
　そうだよな、当たり前だよな。
　どうしてホストクラブもどきをすることになったのか、その理由を聞いた柳田には来たときの勢いはなく、項垂れている。
　なかなか、いい感じかも。
　その様子を見て、理香は心の中で密かに微笑む。
　柳田も、そうはいっても大学生なのだ。
　練習で忙しいとはいえ、高校生よりはお金を持っているに違いない。
　理香は値踏みをするように柳田を見つめた。
　ヤナギさん、彼女いなさそうだし、ってことはお金もたまる一方だろうし、
　だとしたらもしかしたら、バスの修理費だって少しは出してくれるかもしれない。
　期待に胸を膨らませる理香の前で、柳田は再び深く頭を下げた。
「その…支払いだが…すまんが、一ヶ月待ってくれないか？」
「へ？」
「最近、その…車を買ってだな。つまりは、金がないんだ」
　頭をポリポリとかきながら、柳田はそう言った。
　深いため息がそこかしこからもれる。
「まじかよ…」
　司はそう呟いてから、ふと気づいた。
「つまりは…？」
　恐る恐る理香の顔を覗くと、理香はすでにショックから立ち直った表情で、冷静に司に答えていた。
「柳田先輩は、大槻先輩のお客様だから、壊れたものの弁償代は、売上から差し引かせてもらいます」



　文化祭終了の時刻は刻一刻と近づいていた。
　理香は電卓を弾いてから、大きくため息をつく。
「残り時間あと三十分だけど、目標まであとちょっと足りないなあ」
「Ｎｏ１争いは？」
　篤志が心配そうに台帳を覗き込む。
　理香は再び電卓を弾いて答えた。
「朔哉さんが大槻先輩を追い抜いて、ダントツトップ。
　大槻先輩は、さっきの事件で一気に売り上げダウン。
　あとはあまり変わらないわ。
　右京君は、午前中は逃亡してたし、知らない相手だと出て行かないし、
　知朗君は、お客様とケンカしかけるし、
　湊君は、余計なサービスしすぎて売り上げに響いちゃってるし。
　頼みの成くんは、押しが弱すぎる！」
　理香はそう言うと、一番奥の席で、派手な中年女性の相手をしている成に目をやった。
「っつーか成、客運ないんだよ。さっきからつかまってるし、あのおばちゃんに」
　見たところ、テーブルにはカップが一つ置かれているだけ。
　お皿すらない。
　シュークリームは頼まなくてもカフェには入れるし、部員はサービスにつくのだ。
　でもそれが、一番効率悪いのよね。
　理香は大きくため息をつきながら成の客を見つめる。
「だって、誰も相手したくないとか言うんだもん」
　成だって指名がないわけではい。
　だが、成が抜けるなら、誰か別の部員がその席に着かなければならないのだけれど、誰も嫌がってつこうとしないから、成も抜け出せられないのだ。
　理香に倣うようにして、篤志も頬杖をつきながら大きくため息をつく。
「いつもそうだよな。成ってば、貧乏くじ引かされる運命」



　先ほどから女性は話し続けている。
「そうなのよ、それでね。今晩、ちょっとしたパーティーを家でやることになって。その準備でもう大変なの」
「はぁ…」
　それに成は相槌をうつわけでもないのに、女性は話を切ろうとしない。
　聞くのも疲れてしまい、他のテーブルから呼ばれているからと立ち上がろうとしたら、そのテーブルには代わりの部員がやって来ないので、仕方なく成は再び座る羽目になる。
　かれこれ三十分は経っただろうか。
　気づくと、女性のカップは空になっていた。
「あの、おかわり頼みますか？」
「ええそうね。お願い」
　同じものを頼んだところで、女性は腕組みをしながらちょっといらついた様子で成に言った。
「それにしても、シュークリームまだかしら。私、シュークリームに目がないのよ」
　女性が苛立つのも無理はない。
　入ってすぐに、シュークリームを三つ注文したというのに、やってくる気配が全くないのだ。
　成がすみませんと頭を下げようとしたところで、ようやく萌子がシュークリームを持ってきた。
「お待たせいたしました」
「待たせすぎよ」
　睨まれて萌子は肩をすくめる。
「…すみません」
　成は、女性がシュークリームにかぶりついている間に、思わず萌子に小声で話しかけた。
「大丈夫？」
「そんな私より成の方が―」
　大変じゃないと萌子が言おうとしたところで、いきなり女性が声を上げた。
「あら、おいしい」
　その言葉に、思わず萌子も胸を張って答える。
「手作りですから」
　女性は瞬く間に出された三個を食べ終えると、萌子に尋ねる。
「ねえ、これあと百個いただけるかしら」
「ひ、百個？」
　萌子の声に、女性は大きく頷いて、成にウィンクしてみせる。
「パーティーに出せるじゃないの」
　確かにパーティーやるとは言ってたけど、自宅でとか言ってなかったっけ？
　そう思いながらも、恐る恐る成は女性に尋ねた。
「あの…パーティーって？」
　すると、女性は髪をかきあげながら、自慢げに答えた。
「私がやってる服飾メーカーの、新作発表会よ」



　午後五時。
　タイムアップを告げるチャイムが鳴った。
　最後の客を送り出してから、理香は教室に部員全員を集め、おもむろに発表する。
「皆さん、お疲れ様でした。
　おかげさまで、王子様カフェ、大好評でした。
　目標金額も無事達成しました」
　その言葉に、拍手がわきあがる。
「やったー」
「一時はどうなるかと思ったよ」
「これでいかなかったら、詐欺だよな、ほんと」
　ざわめく中で、理香は咳払いを一つして話を続けた。
「で、売り上げＮＯ１ですが。
　最後の追い上げが効きました。
　二年早坂成君ですっ。
　おめでとうっ」
　部員の視線は一気に、隅の方で欠伸をする成に向けられる。
「へっ？俺？」
　おそらくは、成も含めて部員の誰もがトップは朔哉になると思っていた為に、教室は一気に静まりかえった。
「最後のおばさんが、シュークリームを買い上げてくれたおかげよ」
　土壇場の百個は、さすがに大きかったのだ。
「おめでとう、早坂」
　爽やかに差し出された朔哉の右手を、成も握り返すと、部員達から拍手がわきあがった。
「ちっ」
　その片隅で、賞品を逃した司は舌打ちをしている。
「では、賞品の小池軒一ヶ月タダ券と、トミカカップのチケットです」
　拍手の中で、成は一等賞とでかでかと書かれた封筒を受け取った。
　しかし、開けてみると、一番期待していたものが入っていない。
「あれ？小池。チケットって、目録だけど…」
　すると、理香はにこっと笑って答えた。
「だって、チケットまだ売り出されてないじゃない。一応頑張ってみるけど、取れなかったら許してね」
「へ？」
　ざまーみろと、呟く司の声が、静まりかえった教室に響いた。