テーブルに出されたシュークリームを一口頬張ったところで、理香は大きく頷いて声を上げた。
「うひゃー、美都のシュークリームって最高」
「ありがとう」
　頬を赤らめて美都が答える。
　昨日美都が作ったというシュークリームは、甘さも控えめでお世辞抜きでおいしい。
　このところ続いていた遠征の疲れを取るためにか、今日の練習はなくなっていた。教室で食べると邪魔が入りそうだし、せっかくだから飲み物と一緒にという理香にしたがって、萌子と美都は、学校近くの喫茶店アルジャーノンにやってきたのだ。
　アルジャーノンは、サッカー部がよく来る喫茶店で、三人ともマスターとは顔見知りだった。
　理香は一つ目を平らげると、二個目に手を出した。
「お店にも出せるよ。ね、マスター。ここで出さない？」
　カウンターにいるマスターにそう話しかけると、マスターは手を動かしながらにこりと笑った。
　それを見て、カウンターに座った一馬が大きくため息をついた。
「その前に、普通、喫茶店に自分で作ったシュークリーム持ち込んで食べないだろう」
　一馬は一年の頃からここでバイトをしている。
　初めの頃は笑顔がぎこちなくもあったけれど、ウェイターもようやく板についてきたようだった。
　一馬の言葉に、理香は唇を尖らせた。
「いいじゃん。珈琲は注文したんだし。ね、マスター」
「あのな、小池―」
　睨みあいそうな二人の間に、マスターが割って入る。
「ところでその珈琲、味はどうかな」
　カップに口をつけていた理香は、そう言われて思わず聞き返した。
「え？これ、マスターが淹れてくれたんじゃないの？」
　萌子が何と無く一馬に視線を向けると、一馬はさりげなくその視線から逃げた。
「もしかして、一馬？」
「あのな、これには―」
　慌てて何かを言いかける一馬を遮って、理香が声をあげる。
「えー美味しい！いつもと違うとは思ったんだよね、ほんと」
「相変わらず適当だな、オイ」
　ガクッと肩を落とす一馬に、美都が小さな声で話しかける。
「でも、普通においしいよ。渡部君」
「…サンキュ、椎名」
「マスターとはまた違うけど、でもおいしい」
「サンキュ、萌子」
　ゴクゴクと飲んだ後、理香は満足そうに一馬に言った。
「一馬っちも一人前じゃん」
「…サンキュ…」
　一馬の頬がひきつっていることに気づいた萌子は、話題を変えようと、カップを置いた。
「そういえば、文化祭もうすぐね」
　凪浜の文化祭は、夏休みが入ってすぐにある。
　出し物に凝ったクラスや部活では、夏休みから、すでにその準備をしているところもあるくらいだ。
　理香が、ふいに身を乗り出して、萌子と美都の顔をじっと見た。
「ね、今年くらいは、別の出し物やりたくない？」
「別の？」
「だって、たこ焼きってイマイチいけてないし、地味だし。今年は特に、実行委員長のお達しでもって、一日しかないんだよ。
　お祭りなんだから、もっとパーッと明るいやつ」
「例えば？」
「うーんそうだなぁ、あ、ホストクラブってどう？」
「ホストクラブぅ？」
　声をあげる美都に対して、萌子は冷静に答えた。
「…監督が許さないわよ」
「そっかぁ。けっこういけると思ったんだけどなあ」
　理香がそう言いながらため息をついたところで、ベルが鳴り、お店のドアが開く。
「うぃーっす、一馬。あれ？萌子」
　現れたのは、篤志とケンたちいつものメンバーだった。
「ここにいたのか」
「どうかしたの？」
「いやさ、監督が探してたから。まあ、明日でいいとは思うけど」
　篤志はそう言ったけれど、萌子はすでにお店を出る準備をし始めていた。
「ごめん、一応監督のところ行くね」
　美都のシュークリームを一口で頬張り、立ち上がった萌子に、
「あたしたちも行くよ」
と理香と美都も続いた。



「監督、どうかしましたか？」
　体育教官室のドアをノックして中に入った萌子は、腕組みをしながら天を仰いで目をつむる石橋を見つけ、声をかけた。
　萌子に気づいた石橋は起き上がると、大きく一息ついてから口を開いた。
「沢木か。悪いな。ちょっと相談したいことがあって探していた」
「はい」
　教官室の入り口では、理香と美都も中の様子を見ているのだが、萌子は二人にはそこで留まるように、背中越しに手で指示をした。
　こういった呼び出しの上に相談事となれば、あまりいい話ではなさそうだし、むやみに人を増やすわけにもいかない。
　石橋は目頭を手で押さえながら、尋ねた。
「部費のあまりは、どのくらいある」
　遠征費、テーピングやボールなどの購入費などを賄う部費の管理は、いまや萌子たちマネージャーに一括管理されていた。
「この夏に大きな遠征があったので、今月はあまり残ってないんですけど。
　どうかしたんですか？」
　石橋は両手で顔を覆うと、再びため息をついて口を開く。
「…実は、バスが壊れた」
　学校から選手権優勝を祝い、プレゼントされたバスは、いまや遠征には欠かせない。
　そのバスが壊れたという。萌子はスケジュール表を思い起こして、額に手を当てながら、でも、と答えた。
「また来週、遠征ですよね…」
　次の遠征は、Ａチームのみではあったが、電車で行くよりも、バスの方が格安なのだ。しかも運転は、その為に免許を取った石橋が行うので、実質必要なのはガソリンだけなのだ。
「ああ。修理に出したいんだが、実は金がない」
　困ったなと考え込んだ萌子だったが、ふいに思い出してこう言った。
「あ、でも少しなら。今週末は文化祭だから、たこ焼き屋の売り上げは、そのまま部費に回せますよ」
　しかし石橋は、小さくため息をついた。
「だが、材料費や光熱費含めると、実際は数万になるかどうかだろう。しかも今年は一日だけ。例年より売上は半分に減る。
　だが修繕費は、二十万だ」
「二十万…」
　思わず萌子は言葉を失った。
　文化祭の売り上げを差し引いたとして、部員から徴収するにも額が大きくなっていく。
　もともと遠征費なども他の部活より多く、練習が厳しいことから部員たちのほとんどはバイトをしていない。
　ましてや、文化祭で費用が嵩む時期なのだ。
　困ったなと萌子がため息をつこうとすると、いきなり教官室に理香の声が響き渡った。
「監督っ、それなら名案がありますっ」
「何だ小池、いきなり」
「文化祭の出し物をカフェにするんです。ただし、接客係として、各テーブルに部員をつけます！」
　その提案に、思わず美都は口を開いた。
「理香、それってホストクラブじゃ…」
　石橋の表情が一気に強張ったことに気づき、慌てて理香は言い直した。
「違うって！
　真の接客を学ぶってことよ！
　ね、先生！部員達にとっては他人とコミュニケーションを取るいい練習にもなります！
　いつも言ってるじゃないですか、コミュニケーションは大切だって」
「それとこれとは―」
　違うと萌子が言いかけたが、理香がそれを押し切って石橋に言い放った。
「じゃないと、一日に文化祭で売り上げ二十万なんて無理ですよ！」
　理香の言っていることも最もだが、石橋としても首を縦には振りづらかった。
「しかしなあ、小池。校長がいいと言わんぞ」
「そこは、監督にお願いします。大丈夫ですよ、普通に喫茶店ですから。出すのはお酒じゃなくて珈琲や紅茶だし、それなら他のクラスだってやってることでしょう？
　お願いします。あたしは、部員を説得して、スポンサー探ししますから」
「スポンサー？」
　美都と萌子の声が重なった。理香は、口早に二人に説明をする。
「それなりの高級感を出すには、お金が必要でしょ。でも、それを部から出しちゃったら、元も子もないでしょ？
　だから商店街の人たちに協力してもらうのよ」
　石橋は髪の毛を数回?き毟りながら苦々しい顔で理香に尋ねた。
「…で、見つかりそうなのか？そのスポンサーは」
　その声に、理香は満面の笑みを浮かべて答える。
「任せてくださいっ」



　翌日の練習前、突然の理香からの話に、部員達は戸惑っていた。
「ホストクラブ？」
「マジで？」
「俺、かわいい子じゃないとキスとかできないよ」
　ざわめく部員を前にして、理香は大きくため息をつく。
「あのね、田島先輩。誤解してるみたいですけど、ホストクラブじゃないし、
　キスなんて相手の同意がないのにしちゃダメ！」
「同意があればOK？」
　にやりと笑って司がからかう。
「大槻先輩！」
　萌子がじろりと睨んだものの、司はその視線を交わして素知らぬ顔だ。
　もともと練習以外にはほとんど顔を出さない司だけに、厄介だと思えば参加しない可能性だってある。
　でも、大槻先輩がいるといないじゃ、売上に差が出るし。
　理香は頭で計算をはじくと、司の耳にひっそりと囁いた。
「…やるなら隠れてお願いします」
　司はさらに笑みを浮かべた。
　ざわつきの中から、いつもなら味方の篤志が一際大きな声を上げた。
「っていうか、理香…お前何考えてんだよ」
「仕方ないじゃない。そうでもしなきゃ、ひとり二千円、よけいに貰わないといけなくなるんだよ。文化祭あるから、ただでさえ出費があるって時なのに。
　それとも何？みんな、試合の後でへとへとになってるのに、重い荷物担いで、駅まで歩いて、満員電車に乗って帰れるっていうの？
　それでも文句言わない？
　悪いけど、壊れた車は待ってても直らないんだし、直すんだったら、お金が必要なんだからねっ」
　理香の剣幕に、思わず篤志は後ずさりをする。
「それはちょっと…なあ」
　取りまとめるようにして、様子を見ていた朔哉がすっと理香の前に一歩出る。
「小池、実際は何をやればいいんだ、俺達は」
　覚悟を決めている朔哉に、理香はうっとりとした表情を浮かべてから、はっと気づいてテキパキと説明を始めた。
「本当のホストクラブなら、お酒注いだり、お話したりするみたいですが、今回は文化祭の出し物だから、もちろんお酒はダメです。
　その代わりに、紅茶とコーヒー、それとシュークリームをサービスします。そういう意味じゃ、喫茶店です。
　ただ、出すものはサービスと同じで、出来合いのものじゃなくて、あくまでも手作りで行きます。
　飲み物は一馬っちが担当になってチーム作って。
　シュークリームは美都のおいしい手作りので行こう。これもチーム作って。
　あとは、みんな基本接客係です。
　名前はそう…『王子様カフェ』ってどう？」
「王子様カフェ？」
　呟く美都に、理香は大きく頷く。
「そう。お客様は皆、お姫様。一人ひとりが白馬の王子様気分で、対応するの。せがまれれば、お姫様抱っこくらいしてあげてもいいと思う。みんな練習で鍛えてるんだし、いいトレーニングにもなるわ。そうね、写真のサービスもやろうかな」
「無理だよ。俺、そんなの無理っ」
　そう叫ぶケンに、理香は思い切り怒鳴り返す。
「やる前から諦めないっ。
　それじゃ、あたしからとっておきの情報っ。
　売り上げがＮＯ１になった部員には、小池軒一月分ラーメン食べ放題券、プレゼントしますっ」
　そう言って理香は大きく手を空に掲げた。理香としては、ここで大きなざわめきが上がり、部員たちの士気も上がるはずだった。
　しかし、目の前の部員達は逆にぽかんとした表情を浮かべていた。
「何だそれ？」
「ラーメン食べ放題？」
「しかも一ヶ月だけ？」
　理香は大きく頷くと、先ほどとは違い笑顔になって説明をした。
「今月うちに来てくれたら、全部ただにしてあげる」
　みんなの気持ちを代表して、興仁がぽつりと呟いた。
「それだけじゃなぁ」
「あーじゃーもうっ。
　それじゃ、トミカカップのＳＳ席チケットもあげるっ」
　自棄になって理香が叫ぶと、
「乗ったぜ、その案」
と司が指を鳴らした。
「いいんじゃないの？王子様カフェ。こうなったら、二十万以上稼ごうじゃねぇか」