古谷くんは、クラスの人気者だ。
　背も高いし、ルックスもいいし、勉強もできて、ジョークもうまい。
　自分に自信もある。
　人当りもいいし、何気に気をすごく遣ってる。
　でもあたしは、こういう人はむしろ苦手だ。
　だって、言っていることが、全部空々しく聞こえるから。
　全部、皆に向かって言っている言葉。
　場を盛り上げるための、
　相手の気持ちをよくするための、
　本当の気持ちなんてない言葉。
　

　あたしは、クラスでは地味で目立たない存在だ。
　背もちびだし、ルックスだって十人並。勉強も中の上。
　話下手だし、話題の中心にたったことがない。
　平平凡凡な存在。


　だから、古谷くんがいくらあたしだけに話しかけようと、
　ほっぺたに触れようと、
　ましてやプロポーズしようと、
　それは全部『ネタ』とか『場をもりあげるため』だと思ってた。
　そう、思ってた。



「これから明美んちで集まるからさ、来いよ。律も」
　休みの日に携帯が鳴って、着信が古谷くんだった。出る前から思った通りの内容。
　律なんて、人の名前をたやすく呼ばないで、と言いたい気持ちを抑えてあたしは聞き返す。
「何してるの？」
「鍋パーティー。集合は六時だからな、来いよ。律」
　あたしの返事も聞かずに電話は切られる。
「まったく」
　人の都合も聞かずに、と思いながら、あたしは仲間の明美の家に向かうことになる。
　そうは言っても、あたしは古谷くんを嫌いではないし、仲間たちは大好きだ。
　さりげなく、古谷くんはあたしのそういう気持ちの汲み取れる人なのだ。
　あれで、誠実だったらな。
　一瞬だけ、あたしはそう思った。



「来た来たっ、律っ。おっ、そのワンピかわいいじゃん」
　明美がお玉を持って玄関で迎えてくれる。
　古谷くんは別の女の子と会話をしている。あたしは古谷くんの斜め向かいの席に座る。
　お鍋パーティーは、まさに始まっていたところで、実際においしかったし、楽しかった。席替えが何度かあって、気づけば隣に古谷くんがいた。でも、彼はいつものようにあたしをネタにすることはしない。
　なんで？
　でもあたしは、それ以上考えることはしない。
　だって、あたしは古谷君にとって、ネタなんだもの。
　必要なかったら、話しかけることもない、ネタ。
　なぜが心が沈んだとき、隣で明美が話しかけてきた。
「鍋で体があったまったってのに、手足は冷えるよね」
「ほんと。足先冷たいよ」
「律も？だって、律の手っていつもあったかいのに」
「隠れ冷え性なんだ、実は」
「げ、お前ってば、俺のかぁちゃんに似てるだけじゃなくて、体質まで似てるのかよ」
　やっとこさ、古谷くんが話に加わる。
「ごめんね、ばばくさくて」
　ああまた。ネタにされた。
　ネタにされて、あたしはいつも少しだけ落ちこむ。
　なんで？
　ネタにされないことで、心が沈むくせに、
　されたらされたで落ちこむなんて、変だよ。
　でもあたしは、そこで考えるのをやめる。
　古谷くんにまつわることを、真剣に考えても、ただしい答えにはならない。
　だって、彼の言葉自体が、本当じゃないんだもの。
「それでさぁ」
　明美の話を聞きながら、あたしはふと自分のつま先に古谷くんの足が触れていることに気づく。
　あれ？狭いからかな。それとも古谷くんが大きいから？
　でも、動けないし、ま、いっか。
　反対側に座ってる明美とも、あたしは体をくっつけていた。
　どうせ、ネタなんだし。
　だけど、彼はじりじりと、あたしのつま先に自分の足を、どうみても乗せ始めた。
　ほえ？どういうこと？
　そんなに狭いの？
　ってかなんで乗せられてるわけ？（重いんですけど）
　ちらりと古谷くんをみたけど、彼は無反応だ。全然こっちを見ていない。
　うーん、よくわからない。
　ふいに明美があたしの顔を見て言う。
「あれ？律の顔、赤いよ」
「うん。ちょっとお酒飲んだからかも」
　お酒に弱い体質のあたしは、飲むとすぐに顔がぽっと赤くなる。
　ぱたぱたと手で風をつくると、少しだけ顔がひんやりとした気がした。
「暑い？」
　古谷くんが覗きこむようにあたしに聞く。
「うん」
「窓開けよっか？」
「うん」
　その瞬間、すっとあたしのつま先にあった、古谷の足は外された。
　あれ？居心地悪くなったのかな。
　というか、やっと踏んづけてることに気づいたのかな。
　明美があけた窓から入ってきた夜の風が、あたしの頬をくすぐった。


「それじゃーね、明美」
「おやすみ」
　鍋パーティーもお開きになって、あたしは満腹のおなかを押さえて明美に手を振った。すると、明美があたしの腕を押さえて、こそこそっと話す。
「律」
「なに？」
「あんたね、鈍感すぎ」
「ほえ？」
「隠れ冷え性ってのも、冷え性ってのに気づいてない鈍感なだけでしょう？」
「うん？」
　明美の言っていることのわからないあたしは、首を傾げる。溜息と一緒に、明美はあたしから手を離した。
「…まあいいよ。ひとつだけ言うけど、古谷ってね、真面目な時は人の目を見れないような可愛い奴なのよ」


　古谷くんが可愛いだって？
　そんなこと言えるのは、明美だからだ。
　あたしにとってあの巨人は、あたしをおもちゃにする悪人に思えるし、
　頭を撫でる仕草も、からかっているようにしか思えないし、
　時々覗きこむような視線をあたしに向けるときは、明らかにあたしの怖がる反応を楽しんでいるように思える。
　駅のホームにつくと、ちょうどあたしと反対方向の電車が入ってきているところだった。
「律はどっち方向？」
「あたし？逆。古谷くんは？」
「俺も、そうかな」
　一緒にいた仲間が、あたしと古谷くんに手をふり、やってきた電車に乗りこむ。
「そんじゃ」
「ばいばい」
　結局残されたのは、あたしと古谷くんだけだった。
　誰か残ってよ。
　二人きりだと緊張するのに。
　黙りこんだあたしに、気を遣った古谷くんが話しかける。
「あのさ、律。どうして冷え性なのに、ミュール履いてんの？」
「好きだから」
「ってか、だからあんなに足先冷たいんじゃねぇの？」
「そっか」
　ん？
　どうしてあたしの足先が冷たいことをしってるんだ？
　さっき、踏んづけてたから？
　気づいて、踏んでたの？
　あたしが、冷え性だって言ったから？
　じっとあたしは古谷くんを見返した。そこにあるのは、戸惑いの視線だった。
　さりげなく、だけど、そうして古谷くんはあたしから視線を逸らした。
　はれ？
　いつも強気な、自信満々の古谷君じゃない。
　しかもなぜか、耳が赤かった。
　それが可愛く思えたのって、変かな。
「律」
「ほい」
　古谷くんは視線をそのまま逸らして、あたしに話しかけた。
「お前、好きな奴いるの？」
　とくん、と心臓が弾んだ。
　あたしは気づいていなかっただけだったのかもしれない。
　本当の古谷くんの気持ちも。
　それから、あたしの気持ちも。
　とくんとくんと、心臓は動き始めている。でも、それ以上に早いスピードで、あたしの心は古谷くんでいっぱいになっていた。
「できた、かもしれない」