恋の病の治し方2
どのくらい眠っていたんだろう。
ピンポーンというチャイムの音で、あたしは目が覚めた。起き上がると、さっきよりも全然調子がよくなっていた。
薬のおかげかな。
熱も下がったみたいだし。
時計と見ると、三時前で、今日の学校はもう終わっている時間だった。
ピンポーンとまたチャイムが鳴って、あたしは慌ててベッドから起き上がった。
「はい」
とインターホンを取る。
「山越中学三年一組の菊地といいます」
「あ」
委員長だ。
あたしの声に気づいたのか、委員長は、
「原田？」
とインターホン越しにそう言った。
「お見舞いに来たんだ」
委員長はそう言って、玄関に上がった。でもそれ以上、家の中には入ろうとしなくて、ドアが閉まる。
続いて入ってくる人は、誰もいなかった。
「委員長だけ？」
「クラス代表ってことらしいから。原田のご両親は？」
「単身赴任のお父さんのところに、お母さんが行ってるの。夕方に帰ってくるよ」
そう、と委員長は答えると、鞄の中から、ハート型に折られたルーズリーフを取り出して、あたしに差し出した。
「これ、山口から」
ありがとうと答えて、手紙を開けると、中には淳子ちゃんのまるい文字が、書かれていた。
『恋の病の特効薬をもってきました』
恋の病の特効薬？
だけれど、ルーズリーフには何も薬らしきものは入ってない。
「委員長。淳子ちゃんから、他に預かってきたもの、ある？」
そう聞いてみたけれど、
「他に？いや、ないけど」
と委員長は答えるだけだった。
あたしは、その手紙を、太陽の光にも当ててみたけれど、すかし文字があがってくることもなかった。
それとも、あぶり出し文字？
思い悩んでいると、ふいにあたしのおなかが、きゅるるると鳴る。
二人しかいないから、委員長には、それがあたしのおなかの音だというのが、思いっきりばれてしまった。
恥ずかしくて、うつむいていると、委員長はまるで聞かなかったかのように、それまでと同じ声、同じ顔で、
「お昼は何か食べた？」
と優しく聞いてくれた。
「…そういえば、食べてないかもしれない」
それに答えるように、あたしのおなかはもう一度、きゅるると鳴る。
くすりと委員長は笑うと、あがってもいい？とあたしに聞いた。
「おかゆでいいなら、作るよ」
「え、でも」
考えてみれば、昨日のお菓子の残骸が、リビングには散らばっている。
それに、洗物も考えごとでしてないし、リビングは荒れたい放題だった。
それでも、委員長はにっこりと微笑んで、
「いいから原田は、部屋でゆっくり寝てなさい」
と言った。
そのとき、あたしがくらっとしてしまったのは、熱のせいなのか、空腹のせいなのか、委員長のせいなのか、そのときのあたしにはわからなかった。
「おいし…」
委員長のお手製の卵入りおじやは、あたしのおなかも心も、あったかくしてくれた。
「委員長ってば、お菓子作りだけが上手なんじゃないんだね」
しかも、あたしが言われるがままベッドで横になっている間に、委員長は洗物も、リビングの掃除も済ませてしまっていたのだ。
綺麗になってしまったリビングを見たら、きっとお母さんはびっくりすると思う。
後片付けをしながら、背中越しに委員長はしごく当然のように答える。
「うちの母親が、仕事持ってるせいもあるだろうけど、一応家事は一通りこなせる」
「へぇ…」
掃除も、料理も、洗濯もできるなんて。
委員長って本当にすごい。
理想のお婿さんじゃないかしら？
おなべを洗い終わったところで、くるりと振り返ると、委員長はあたしの顔をのぞきこんだ。
「ところで、原田の悩みは解消されたの？」
「え？」
「山口が、原田が見知らぬ高校生に告白されて悩んでるみたいだったっていうからさ」
思わず、口に入れようとしていたおかゆが、ぼとっとお茶碗に逆戻りした。
「えっと。あの」
そのとき、あたしの頭の中を、いろんなことがかけぬけた。
告白されたことも、
好きという言葉の意味も、
昨日いろいろ考えたことも、
そうして、すべての中心にいる委員長のことも。
コホン、と咳払いをして、あたしはあのね、と言い直した。
「委員長って好きな子いる？」
すると委員長は、一瞬だけ、ぴくっとまぶたを動かしたけど、そのままの視線で、そのままの顔で、答えてくれた。
「いる」
知らされてないことがショックだったのかはわからない。
でも、あたしの心はざわついて、その不安をなくしたくて、あたしは思わず聞き続けた。
「そ、それじゃ。その子のこと考えると、胸がきゅーっと締め付けられたり、見てるだけでどきどきしたりする？」
「する」
そう答える委員長には、迷いがなくて。
あたしは少し、落ち込んだ。
だって、あたしは知っていたから。
委員長の幸せそうな笑顔も、すごく嬉しそうな表情も。
それが全部、知らない誰かの為だとしたら、
そして、その誰かの話をするたびに、委員長がもっともっと幸せそうに微笑むんだとしたら、どうしてか、あたしはそれを淳子ちゃんの笑顔のように見たくないと思った。
そう考えると、胸がきゅーっとしめつけられるように痛くなった。
うつむいたあたしに、それでも委員長は話を続けた。
「それから、一緒にいて、楽しいと思うし、ずっといたいと思うし、触れたくもなるし。他の男に渡したくないとも思う」
「…あっ！そうなのっ」
気づいたら、そう叫んでいた。
だって、委員長が言った言葉は、あたしが委員長に対する気持ちとまったく一緒だったから。
委員長と一緒だと、楽しいし、ずっと一緒にいたいと思う。
たまに、その大きな手に触れたいと思ったこともある。
それに何より、委員長の幸せな笑顔を、あたしは独り占めしたいと思ったのだ。
「あたしも、そうな、のっ…」
勢いよくそう言って、あたしが委員長を見つめ返すと、委員長は、ただじっとあたしのことを見つめていた。
その表情は、見たことがないくらい、真剣で、あたしは思わず言葉をなくした。
鋭い視線。でも、怖いんじゃなくて、すごく、強い視線。
その視線に身すくめられて、あたしの心臓は、どきっと跳ね上がる。
あれ？あたしってば。
今、胸がきゅーっと締め付けられて、
それから見てるだけで、どきっとしてる？
ばくばくと打ちつける心臓の音が、リビングに響いてないか不安になるような、はりつめた空気の中で、委員長はふいにその強い視線をさわやかな笑顔で和らげて、自分のかばんを取り上げると言った。
「よく寝てよく汗をかくこと。わかった？原田」
「…うん」
靴を履き、それじゃ、と言おうと振り返った委員長は、手を振ろうとしたあたしを見て、ふいに手を伸ばしてきた。
「待って」
え？
そう思った瞬間に、委員長は、あたしの額にぴたりと手を当てる。その冷たさに、その大きな手に、そしてその真剣な眼差しに、どきっとしたあたしは、思わず直立不動になる。
委員長は、だけど、すぐにその手をひっこめて、
「よし、熱はない」
と言った。
「明日、学校で待ってるから」
「…わかった」
そうあたしは答えたけど、玄関のドアが閉まった瞬間に、腰が抜けたように、へなへなと床に座りこんでしまった。
本当に、そうなのかもしれない。
好きってことは、とても命がけなのかもしれない。
次の日、学校で淳子ちゃんにあったら、
「効いたでしょ？特効薬」
といわれた。だから、あたしは答えた。
「熱はもっとあがったけどね」
どういう意味？と淳子ちゃんが聞き返してきたけど、あたしは内緒と答えておいた。それから、やっぱりあたしは委員長のことが好きだと、言った。