毒吐きバスタイム
ええと、ですね。
私は今、物凄く不愉快なんですよ。
何故なら、今、彼氏が延々と長電話をしているわけで。
しかも私ン家で。
自分の部屋でしろよっていう話で。
しかも、その相手は所謂、モトカノというヤツだ。
これって、どうよ？
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毒吐きバスタイム
「―――――――――― ああ、ナルホドねえ。でもさあ ―」
人のベッドの上で、彼は熱心に相槌を打つ。
だから、自分の家でやんなさいっての、そういう話は。
そして、何時まで話す気なんだろ、この人は。
心の内でそんな事を思いながら、バタバタとチェストを開け閉めして、中に入っているモノを取り出す。
バスタオルに下着、それからパジャマ代わりの部屋着。
ああ、それから長くなりそうなんで、フェイスタオルも。
「あれ、何処行くの？」
荷物を持ってその場から辞そうとすると、それまで電話にかかりきりだった彼がそう声を掛けてくる。
ナンデ、こういう時だけ目敏いかな、君は。
「お風呂」
「は？ ナンデ？ 凄い唐突じゃない？」
携帯の喋る方に手の覆いをかけて、彼は不思議そうな顔をする。
否、別に私にとっちゃ唐突でも何でもない。
君が電話し出してから、ずっとこうしようと思ってたし。
そうこうしてる間に、湯船にお湯が張れちゃったし。
「いいから。・・・帰るんだったら、テレビと部屋の明かりは消して、戸締りはきちんとしてってください」
そう言い残すと、お風呂場に向かった。
「――――― 広いお風呂に入りたい」
大学生が一人暮らしする所なんて似たり寄ったり。
大概の人がユニットバスなんだろうなあ。
そう自分に言い聞かせつつも、せめてトイレと別れてるのがいいなあ、等とも思ってしまう。仕送りしてくれてるお父さん、お母さん、ワガママな娘で申し訳ございません。
「家のお風呂が恋しい」
実家のお風呂はお父さんがこだわりにこだわって造らせたモノだけあって、凄く居心地がいい。
なんたって湯船が檜で作ってある。
香りもさることながら、感触が気持ちいい。大きさも楽々足が伸ばせるくらい。
それにお風呂場がココみたいに寒くない、温かいのよ。
「今度どっかに移り住む時は、お風呂は要チェックしないと」
ポツリポツリと独り言を零しながら、湯船の中に入浴剤をザザッと入れる。途端、お湯は乳白色に濁る。それから、無印で買ったお風呂用ステレオを、うるさくない程度のボリュームでONにする。これらは、ちょっとでも入浴時間をよいものにしようという、涙ぐましい努力の結果だ。
微かに香るレモンの匂い。
ヴォーカル無しの映画音楽。
それにチャプチャプという水の音。
少し熱めのお湯のおかげで、それまで縮こまっていた体がゆるゆると緩んでいくのが、よく分かる。
嫌なことがあると、長風呂するのは今に始まったことではない。
高校受験の頃はしょっちゅう、気分転換だと言ってはお風呂場に入り浸っていた過去がある。
バタ、バターンという玄関の扉が閉まる音がした。
どうやら彼が帰ったらしい。
「挨拶もなしですか」
一体、何しにこの部屋に来たんだろう、彼は。
そう思いながら、パシャパシャと水面を叩く。
「ばーか」
「ばか、ばーか」
男の人と付き合う、ということは大学に入ってから初めてした。
だから彼としたことのほとんどが、初めてのコトだ。
キスもそうだし、それ以上のことも。
けれども、それ以上に私を混乱させたのは、「付き合う」ということ自体がそうだ。
直面するコト、するコトにどう対応したらいいのか分からない。
とにかく、私の行動の根本にあるのは「好きだから、嫌われたくない」だ。
なので、彼の携帯なんて覗いた事ない。
友達との約束、優先されたって「あっそう」で済ましてる。
ちょっと露出多めのオンナノコ眺めてたって、無視。
例え、元彼女から「相談」の電話が引っ切り無しに掛かってきたって、それを嫌だと言うことは無い。
自分が無いわけじゃないから、「どうする？」って訊かれたら、きっちり自分の意見は言ってるつもりだ。
でも、やっぱり真ん中に居るのは私じゃなくて彼。
選択権を与えられるまで、私は動こうとしない。自分の意見を押し切ることよりも、そうすることで彼に嫌われるのを恐れてる。
だから時々考えるのだ。
彼が悪い人じゃなくて良かったなあって。
これで相手が漫画やテレビみたいに、お金せびってきたり、暴力振るってきたりしてたら最悪だ。
あーでも、もう終わっちゃうのかもしれない。
だってこの頃、彼と敢えて何かするってコトが無くなってきた。
付き合い始めは、あれしよう、これしようって何かしら予定があったのに、今はそれがない。
きっとどんどん無くなって、最後には空っぽになるんだ。
そうして、どっちかが「もう嫌だ」って言っちゃうんだろう。
「ばーか、ばーか」
「ばかリュータ」
ぽたり
汗なんだか、涙なんだか、よく分からない雫が湯船の中に落ちて、溶けた。
「バカって言う方が、バカなんだよ」
パリパリと音を立てて、シャワーカーテンが引かれた。
青い空に白い雲がいっぱい並んでる、お気に入りの。
そうしてその横から顔を出したのは。
現彼女の前で、元彼女の今の恋愛関係の愚痴を延々一時間近く聞いてあげる、お優しい彼氏。
「あーあー唯でさえ、水分出しちゃってるのに、それ以上干からびちゃってどうするの」
私の涙か汗だか分からない、ぐちゃぐちゃ顔を見て、溜息と一緒にそんなことを言う。そうして、洗面台に置いてあるフェイスタオルを見つけて、それでごしごしと私の顔を拭いてくる。
されるがままになっていたら、今度は何故か持っている、コンビニのビニル袋から500ｍｌのミネラルウォーターを手渡してきた。
「えと、これは・・・」
「飲まないの？」
「飲みます」
慌てて、有難く気温差で汗をかいているソレを頂戴した。
もしかして、これをわざわざ買いに行ってくれたのだろうか・・・。
「なあ」
彼はＴシャツが濡れるのも構わず、湯船の縁に両腕を置き、その上にこてんと自分の頭を乗せた。
「ナニ？」
「俺がバカって連呼される理由言って」
思わず相手を見たら、彼は笑って手を伸ばし、額に張り付いていた髪の毛を払ってくれる。
それから、そのままその指で濡れた髪の毛を梳きだした。
彼の指とコチラの皮膚の温度差に最初はビクリとしたけれど、それは抗えないほど、物凄く心地いい。
このまま、そのまま、そう思っていたのに彼の指がピタリと止まった。
見れば彼の顔には、優しい笑顔が浮かんでいる。
「何でもいいから、本心言って」
何故だか、私はお風呂場だと素直になる。
「私ン家で長電話しないで」
「ウン」
「ていうか、アノヒトと喋らないで」
「ウン」
「他のオンナノコを見ないで」
「ウン」
「私が居るから」
「ウン」
「好きでいて」
「嫌わないで」
それまで聞こえていた相槌が聞こえなくなって、俯いていた顔を上げた。
すると、彼はニッコリと笑って手櫛を再開する。
それから、しみじみといった口調で言った。
「なんか、風呂場にいるお前はめちゃくちゃカワイイねえ」
耳まで真っ赤になったのは、決してのぼせたからではないハズだ。
＊＊＊
「ところでさあ」
「ン？」
「ナンデ、入浴剤を入れるの」
「はい？」
「濁ってて見えない」
そう言ってレモンの匂いがするミルク色の水面をパシャパシャ叩く。
・・・・・・・・・・・・・・・。
ちょっと惚れ直しかけたけど、止めた。絶対、止めた。
★
携帯の着信メロディが鳴った。
夜中に鳴るコレはめちゃくちゃ響く。
なので、俺は焦ってそれを手にした。
ディスプレイに映し出される名前がチラリと見え、なんとなく電源を切りたい気分にもなるが、今の俺は大変気分がいいので問題なし。
『アンタ、いきなり通話打ち切るって何様のつもり』
「ああ、ゴメンねえ。コンビニ行きたくなって」
昔と変わらず、情け容赦ない言葉に思わず苦笑いする。
「それにしても、いい加減止めたら？ こっちへの電話で彼氏の気を引くの」
自分だって似たようなことしたくせに、そう言ってのける自分の図太さは結構気に入っている。
『そうでもしないと、動かないのよ、あの朴念仁っ！』
「はいはい、夜中だからお静かに」
相変わらずテンション高いなあ、この人。
『――――― ナニ、ご機嫌ねえ』
「ウン、ご機嫌。理由聞いてくれる？」
『ヤダよ。即行、惚気るつもりの奴にキッカケ与えたくない』
ちぇ。
『いいんじゃないの？ 彼女さんが相変わらずカワイイんなら、カワイイで』
「否、今日は普段の数倍カワイカッタ」
『あっそう』
俺の力説もこの人の前では無効。
「やっとまともに甘えてきてねえ」
『そりゃ良かったわねえ―――て、ホントお互い、いつもと毛色の違う相手選んだねえ』
「まあ、ねえ。俺みたいなマメな男から、そのボクネンジンとやらにいったかは謎だな」
『自分でマメって言うな。彼はね、時々優しくなるのに、ガツンときちゃうのよ』
・・・結局、そっちも惚気てんだけど。
「それでさあ、そのカワイイ彼女さんにお願いされちゃったのよ、そっちと話すなって」
『まあ、当然な意見だわね。ていうか、文句言うの遅すぎだし、彼女さん』
ホントに。
「そういうわけで、愚痴電話は抑えて欲しいんですけど」
『―――――――――― 善処します』
「ナニ、その嫌な間は」
『否、これからはどうやって彼の気を引こうかと』
「自分で考えてクダサイ。それじゃあ」
『それじゃあ』
はあっと溜息をついて通話を切った。
アノヒトと喋るとなんかこっちもテンション上がるから大変だ。
ギシリ
ベッドが軋む音がして、彼女が起きたのかな、と思った。
けれど寝返りをうっただけで、まだ夢の中らしい。
起こさないよう、さっきまでと同じように彼女の隣に滑り込む。
そうすれば目の前に来るのは、無警戒なカワイイ寝顔。
起きてる時のちょっと強がってる感じの顔も勿論、好きだけど。
それにしても。
風呂場で素直に本音を言う彼女は殺人的にカワイカッタ。
あーあ、コンビニ行った時、ついでにアレも買っときゃよかった。
財布ン中のヤツだけじゃ全然足りない。
彼女のどこもかしこも、自分の為のものなんだって、認識したくてしょうがない。
それぐらい、俺は君に参ってます。
だから毒なんて、いくらでも俺にぶつけてくればいい。
――――― そりゃ、毎回はウンザリするだろうけど。
でも今日みたいな甘い毒なら、大歓迎だ。
風呂場の排水溝に流すのが勿体無いくらい。
だからまた言って。
「私が居るから」と。
「嫌わないで」
そんなこと、有り得ないからと何度でも、示して見せるから。
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『青海堂』さまの２０万ＨＩＴ記念として、短編の好きなものを持ち帰りＯＫということで、速攻頂いてきました。
好きなんですよ、このお話。タイトルから何から。
なお、この作品の著作権は作者のアヲさんに帰属します。無断転載等は、ご遠慮下さい。
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