THE FLOWER GARDEN
「眠り姫」
ふー、っと小さく溜息をつくと、日向は着ていた制服を脱ぎ捨てて、大きく椅子の上で伸びをした。天井を見上げながら、日向は静かに目を閉じる。
そうして、頭を空にする。
そうでもしなければ、息ができなくなってしまいそうだった。
水仙の騎士達の状態。
そして他の組の動向。
常に、頭と、体を使い、日向は動いてきた。
実際、だいたいのところが日向の思うように動いていたし、途中で違う方向に行こうとしても、すばやい対応で、軌道修正もできていた。
ただ、ひとつ。ままならないのが、しずかの存在だ。
西御寺、しずか…。
そう頭の中で呟いたとき、上の方からドタンと小さくだが音がした。夜も深い時間で、起きている人間など、いないというのに。
日向はぱっと目を開けると、じっとその天井を見上げる。日向の部屋の真上は、しずかの部屋だ。
日向はさっと置きあがると、ズボンだけ履き腰に剣を携えて、しずかの部屋に駆け上がった。
いくらしずかが、凄腕の女剣士といえど、相手の人数にもよる。
今、しずかに何か起これば、日向の計画は丸潰れだ。
扉に触れ、鍵がかかっていないことを確認すると、日向は音もなく扉を開け、そこからしずかの部屋へと滑り込む。音がしたのは、しずかの寝室だ。その扉が微かに開いていて、日向は思わず息を呑んだ。
侵入者か。
剣を抜き、身構える。中の様子を伺ったが、誰かの呼吸が聞こえるだけだった。
思いきって扉を開けると、ベッドの脇にはしずかが寝転がっているだけだった。
「おいっ」
慌てて日向はしずかに駆け寄り、抱き起こす。
まさか、何者かの手で危害を？
だが、しずかの表情を見て、日向は思いきり溜息をついた。
安らかな、寝顔。
一定のリズムで繰り返される呼吸。
つまり、しずかは眠っていたのだ。
「…はーっ」
安堵と疲労の溜息を再びつくと、日向は剣をしまう。そして、君江の言っていた言葉を思い出していた。
話は君江が、しずかのベッドのサイズを大きくするようにと日向に懇願したことから始まる。理由を尋ねた日向に、君江は恥ずかしそうに答えた。
「姫ってすごく寝相悪くて、床にすぐ落ちてしまうんです。しかも、すごく寝つきがいいので、そのまま起きることなく眠っていらっしゃいます。
毎朝、この扉を開けるたびに、姫が倒れているのを見て、私は心臓が震え上がるんですよ」
たしかに、しずかは日向の腕の中ですやすやと赤子のように眠っていた。
日向は、しずかをベッドに戻すことを決め、その肩に腕を回そうとして、ふとしずかの制服の汚さに気づく。
そもそも、制服姿でベッドに寝ていたということは、今夜も脱走していたわけか。
泥に汚れたスカート。
白いシャツはところどころに、穴が開き、木の葉までつけていた。
しかも、顔にも擦り傷のようなものがある。
監視をするつもりも、
姫の教育を受けさせるつもりもないが、
本当の傷物になってくれと言った覚えはない。
日向は木の葉を払い、軽くスカートもはたく。そのとき、また君江の言葉を思い出していた。
「しかも姫様。そのままで就寝なさるから、いつもベッドも制服もしわくちゃになるんです」
その度に君江は制服を直し、洗濯をし、アイロンをかける。
だがまたすぐにしずかは同じことを繰り返す。
日向は考え直すとしずかを抱き上げ、ソファに軽く横たわらせた。そして、ふうと溜息をつくと、一気にしずかのスカートのチャックを下ろした。 そして、スカートを脱がせると、シャツのボタンも外し、脱がせる。そして、シャツとスカートを部屋の外に投げると、それでもすやすや眠っているしずかを見つめた。
キャミソールの下着姿になったしずかは、それに気づかずに眠り続けている。
ただの子供、同然だ。
日向はそう思った。
すらりと伸びた細い足も、同じく細い腰つきも、平坦な胸も、そして何よりあどけない寝顔も。
色気など、ありもしない。
日向は、乱暴に抱え上げようとして、しずかの腕に触れたが、その感触に思わず手を止めた。しっとりと水気を含み、すいつくような肌。熱い自分の肌とは対照的に、ひんやりと冷たい肌。
日向は一旦、その手を離すと、そっとしずかを抱きかかえた。しずかの髪が日向の頬をくすぐったが、日向は敢えて何も考えずに、ベッドにそっとしずかを寝かせた。
寝顔は安らかなままに、しずかは満足そうに微笑んですら見える。
そのとき、ふいに先ほどとは違った感情を日向は抱く。
そして、その感情の赴くままに、しずかの頬に手を伸ばした。
だが、触れるか触れないかのところで、その手が止まる。
何を馬鹿なことを。
俺が翻弄されて、どうするんだ。
そして、伸ばしていた掌をぐっと握り締める。
そうして、抱いた感情をすぐに捨て去ると、日向はしずかの部屋を出て行こうとした。
扉に手をかけたところで、日向は思わず振りかえる。
「み…び…。みやびっ」
突然しずかが叫び、天井に向って、大きく手を伸ばしたのだ。
「雅っ、雅っ。待って、雅っ」
だが、その先には雅がいるわけでも、何かがあるわけもなく、その手は虚しく空を掴むだけだ。
「待ってっ、みやびっ」
悲痛な声が聞こえていた。
夢ですら、しずかは雅を追い求めているのだ。
二人の置かれた状況も知らずに。
ふいに日向は踵を返し、その手に触れると、しずかは力強くその手を握り返した。途端に、しずかの寝顔が微笑みに変わった。
「雅…。雅、やっと…」
やっと、会えたね。
そう言い終わる前に、しずかは日向の腕を抱え込むと、すっと深い眠りに入ってしまったのだ。慌てたのは日向の方で、しずかに巻き込まれるかたちで、ベッドに身を投げ出されてしまった。なんとかしずかに崩れ落ちるのは避けたものの、結局しずかを後ろから抱きしめるようなかたちで、日向もベッドに横になっていた。
…まいった。
日向はそっと自分の腕を抜こうとするのだが、しずかは必死で日向の手を掴んだまま離そうとしない。
いっそ起こしてやろうか。
そう思った日向は、しずかの下着姿と、そして自分も上半身裸であることに気づく。
いや、やめよう。
間違いなく、殺されるだろうから。
ふうと溜息をついた時だった。
そっと扉が開いたかと思うと、顔を出したのは、寝巻き姿で目を擦り、床に落ちていたしずかの制服を手にした君江だった。
「あっ…」
そして、下着姿で眠っているしずかと、その隣で上半身裸のままにベッドに横になっている日向に気づく。
しかも、二人の手はしっかりとつながれていた。
君江の眠りから覚めぼんやりとしている顔が、途端に真っ赤に変わる。
「あ、おいっ…」
扉が慌てふためいたように大きな音をたてて閉まる。
完全に君江は誤解したな。
仕方ない、明日にでも説明しておくか。
それにしても。
「困った姫様だ」
ふうと溜息をつくと、その息が頬をくすぐったのかしずかが微笑んだように思えた。
日向はゆっくりと、瞬きをしてから、ふいにしずかの手を引き寄せる。そして、その掌にそっと口付けをする。
がさつで、粗野で、男勝りで、
無謀で、頑固で、
とことん、自分勝手だ。
だから。
「目が離せない」
ぽつりと日向が呟くと同時に、それまで頑なに日向の手を掴んでいたしずかの手の力が抜けて、すとんとベッドに落ちた。
もっと、早く離してくれれば。君江に誤解もされなかったろうに。
「まったく。困った姫様だ」
日向はそう呟いて、幸せそうな寝顔のしずかをしばらく見つめていた。