THE FLOWER GARDEN

「願い文」

　七夕の日。
　彦星と織姫が、年に一度会うことのできる日。
　一年に一度でも、私はそれを羨ましく思う。
　私は、佳乃に、もう二度と会えない。


　どれだけ、佳乃に会いたいと願ったであろうか。
　たった一度でいいから、
　ほんの数分でも構わないから。
　果ては、たったひと目でもいい、と。
　そう、どれだけ神に祈っただろうか。


　佳乃は、私の心の支えであった。
　いつでも、
　どんな時にでも、
　私のそばでそっと微笑んでくれた。
　何も言わずに、ただそばにいてくれるだけで、ここにいてよいのだと、
　私は、生きていてもよいのだと、そう教えてくれたのだ。


　だから、その支えを亡くした時、私は、どう生きていけばよいのか、わからなかった。
　生きていてよいのかも、悩み、床にふしていたこともある。
　絶望の淵にいた私を、救ってくれたのは、佳乃とは全く異なるしずかだった。


『人に名前を聞くときは、自分から言うのがスジだろ？』
『だいたい何なんだよっ。有世へのプレゼントなら、それをもらうも断るも、有世が決めることだろう。あんたが口挟むことじゃねぇだろっ』
『所詮、人間は弱い生き物だって母さんが言ってた。だから、強くありたいと願うんだって。
　だから、あたしも、強くなれると自分を信じて、願うんだ』
『ばかやろうっっ。
　こんな小さな体で、それでも必死に鳴いてんだぞ、自分の母親探してっ。
　必死に生きてるんだぞっ。それがわかんねぇのかよっ』
『待たせたな、有世』

　私の知った姫たちからは、ほど遠く、たおやかさなど微塵も感じさせない。
　乱暴で、がさつで、猛々しい。
　しかし、何にも怯まない凛としたその姿は、強く私をひきつけ、
　その言葉は、強く私の心を揺さぶり、励ました。

　そして、私は、妃はしずかだと心に決めたのだ。



　しかし、しずかに出会った今も、
　いや、出会ったからこそ、私は、佳乃に会いたいと乞い願う。
　会って、詫びたい。
　そう思う。
　最後まで、私という囲いから出してやれなかったことを、
　最後に本当に会いたかった者に、会わせてやらなかったことを。
　できるならば、あの時に戻りたいと。



　しかし、それは叶わない夢。


　だから、私は祈る。
　どうか、佳乃が安らかに眠っていてくれますように。
　風のように自由になって、幸せでありますように、と。


　夜風に笹が揺れ、涼しげな音を奏でている。
　寝殿の庭に飾られたそれを有世が見つめていると、ふいにしずかがポケットから折れ曲がった紙を差し出してきた。
「これは？」
　ふふんと鼻を鳴らしながら、しずかが答える。
「七夕だろ。願い事、短冊に書かなきゃ」
　しかし渡された紙は、願い事を書くには罰当たりなほどに、よれている。
　戸惑う有世の横で、だがしずかは短冊に何かを書いている。
「願い事…。しずかは、何と？」
　有世がそう尋ねると、しずかは自信満々に答える。
「日向にぎゃふんと言わせられますように」
「ぎゃふん、とはどういう意味だ？」
　しずかは、一瞬きょとんとしたが、しずかをからかっている様子もない有世を見て、軽く咳払いをして答えた。
「まあ、つまりは、日向を驚かせたいんだ、でもって、跪かせたい」
「跪かせる？日向はいつも、深々と礼をするが？」
「それは、有世が陛下だからだよ。
　あたしは水仙の姫で、日向の手下だから」
　姫を手下と呼ぶのも、しずかくらいだろうと、くすりと有世がほほ笑む。　
　不満だという表情を浮かべたしずかは、ふと隣で短冊にすらすらと願い事を書きだした有世に気づいた。
「有世は、なんて書いた？」
「私は…」
　有世が答える前に、しずかが有世の手元をのぞきこみ、読み上げる。
「幸せでありますように？
　ありふれすぎじゃねぇ？」
「しかし、これが私の願いなのだ」
　有世がそう答えると、
「ふーん」
としずかは答えた。
　有世は、不服そうな表情を浮かべるしずかの素直さに微笑みながら、夜空を見上げた。
　空には綺麗に連なっている星々が見える。
　その川を渡り、今宵は彦星と織姫も出会えたのであろうか。
　私の願いも、佳乃に届くのであろうか。
　願わくば、幸せであってほしい。
　佳乃には。
　私の分も。
　夜空にそう願い、有世はふいに隣にいるしずかへと、視線を落とす。
「私は、こうしてしずかがいてくれるだけで、充分幸せなのだから」
　突然の有世の言葉に、しずかは顔を真っ赤にし、顔を伏せた。
　そんなしずかを見て、有世はにっこりとほほ笑むと、再び空を見上げる。
　その視線の先には、一層輝く天の川があった。