つなぐ手
「二年参り、行かないか？」
来年まであと数時間という時に、光一からの電話が鳴った。
「二年参り？」
美智子がそう繰り返すと、光一は、そう、と答えた。
「大晦日から元旦にかけて、参拝するんだ。今年と来年と。だから二年参り」
そういわれて、美智子はわけもなくドキドキした。
「行ってみたい」
来年は受験だし、美智子は神社のあの荘厳な雰囲気が大好きだった。
そこに『二年参り』なんて、よくわからないけど、楽しそう。
「お母さんに聞いてみるね」
美智子はそう言って、電話を一旦切った。
予想通り、母親は了解してくれた。
「菊地君が一緒なら、問題ないわ」
学校の先生や、クラスメートと同様、光一は美智子の家族の信頼も厚かった。
「今夜は雪が降るらしいから、温かくしていってらっしゃい」
そう言って母親は、美智子の首にマフラーを巻いた。
「原田、こっち」
人ごみの中、光一が大きく手を振る。美智子は待ち合わせた神社の前で、濃紺のダッフルコートを着た光一に駆け寄った。
「すごい人だね」
「原田」
「はい？」
「マフラーが邪魔して、何を言ってるのかわかりづらい」
光一はそういうと、美智子の口を覆っていたマフラーを少しだけずらす。
何気に息苦しいと思っていた美智子は、新鮮で冷たい空気を思い切り吸い込んだ。
「それにしても原田。すごい厚着だね」
「そうかなぁ」
美智子はそういいながら、何枚着ているかを数える。
ババシャツでしょう？
その上に、綿のカットソーでしょう？
薄手のセーターでしょう？
それからお母さんのカーディガンでしょう？
その上にコート着て。
タイツは二枚履いたし、
靴下もその上から履いて…。
すると、光一がくすくすと笑う。
「あと、耳あて。十分だよ、それで」
寒がりなんだな原田は、と光一は言って、それじゃ行こうと人ごみに向って歩き始めた。
今にも雪が降り出しそうな寒さだというのに、神社には人が溢れかえっている。それに合わせるかのように、出店までも夏の祭りのように並んでいた。
美智子がぼんやりとその出店を見ていると、隣にいたはずの光一がいない。
あれ？委員長？
ぐるりと回っても、濃紺のダッフルコートも、清潔感あふれる黒髪も見当たらない。
どうしよう。はぐれちゃった？
立ち止まり、左右を見ていると、後ろから来た人にぶつかって、美智子はぽんっと前に押し出される。
わっ。
転ぶ。そう思って、咄嗟に手を伸ばすと、どこからか伸びてきた手が、美智子の手を掴む。
「原田」
転ばずにすみ、顔を上げるとそこには少し驚いたような光一の顔があった。
「はぐれたのかと思った」
「うん」
転びそうになったことと、
それを光一に助けられたことと、
繋いだ手の温かさに、美智子はどきどきした。
「あれ？」
急に光一がそう呟く。
「原田、手袋は？」
「あ」
そういえば、家を出るときからずっとしていなかった。
完全防備のはずだったが、慌てて出てきたために、どうやら家に忘れてしまっているようだ。
「とにかく、はぐれないように」
「はい」
まるで先生のようだと思いながら、美智子は光一の手に導かれるまま、本堂へと歩き始めた。
人の流れは中々進まずに、そのうちに荘厳な鐘の音が辺りに響き渡った。
「あ、除夜の鐘」
年越しのカウントダウンが始まったように思えて、美智子はますますドキドキした。
二つ目、三つ目、四つ目…。
羊の数を数えるように、美智子は光一と繋いでいない方の手で除夜の鐘を数える。
「原田」
「はい」
ふいに光一が口を開く。
「高校決めた？」
親友の淳子は、私立の女子高を受けるように親から言われたそうだが、本人は共学を希望しているのだという。
そんな中で、美智子は特に志望校もなかった。
「ううん。委員長は？」
「俺は、凪浜高校に行こうと思う」
凪浜高校？と美智子は呟く。
海沿いの高校で、学力も決して低くなく、人気の高校のひとつであることだけが、美智子の知りうる凪浜高校の情報だった。
光一は、そんな美智子に教えるように言う。
「サッカー部の監督が、石橋監督って言うんだけど、いい人なんだ。俺は、その人の下でサッカーやりたいと思う」
そういって、光一は一瞬美智子と繋がっている手を強く握った。
「原田も受けないか？凪浜高校」
「え」
「俺、石橋監督の下でサッカーしたいと思ったのも、監督に出会えたことを、大事にしていきたいと思ったからなんだ。高校の三年間だけでも、監督から学べることは沢山あると思う。
でも俺は、原田と出会えたことも大事にしたいし、これからもつなげていきたい」
握られた手と同じく、光一は強くそう言った。
別に卒業したからって、すべてが終わるわけじゃないけど、と言って、光一は言葉を詰まらせたが、その気持ちは美智子にも理解できた。
高校が別々になったら、中々会えなくなるから。
それは嫌だ。
美智子はそう思った。
すると考えるよりも、美智子はこくんと頷いていた。
「…うん。
あたしも、受ける。凪浜」
一生懸命勉強しなければ、今の自分の実力では受からないだろうとは思ったが、光一が居れば、それも何とかなる気がした。
「ありがとう」
光一の温かな声が響くと同時に、一際長い鐘が鳴り、百八つ目の除夜の鐘が鳴ったことを告げた。
「あ」
瞬く間に周りがざわめき始める。遠くのほうでは大きな音と夜空を照らす灯りが一瞬だが見えた。どうやら、花火が打ち上げられたようだ。
「明けましておめでとう、原田」
「おめでとう、委員長。今年も―」
すると光一が美智子の言葉を遮って、深々と頭を下げる。
「これからも、宜しくお願いします」
来年も、再来年も、ずっとずっとその先も。
そういわれたような気がして、美智子は息を呑んでから、小さく、だがはっきりと答える。
「はい」