ショートケーキの作り方
出されたイチゴのショートケーキを一口食べて、正直負けた、と思った。
そんな俺の隣で、呑気に大熊がしゃべっている。
「確かに、うまいな。このショートケーキ」
口の周りにクリームをつけてケーキにがっつく大熊の皿の脇には、メインのイチゴが置いてある。
俺は思わずフォークを伸ばし、そのイチゴを頬ばった。
瞬間、大熊がケーキを口の中に入れたままで叫ぶ。
「っておい！光一！
なんで俺のイチゴ食べてんだよ」
「脇に置いてるから、嫌いなのかと思って」
「嫌いだったら、イチゴのショートなんか頼むかよ！」
叫ぶ大熊と、困る俺の隣で、西田が冷静に答えた。
「そりゃそうだ」
大熊とは中学から、西田とは高校からサッカー部で一緒だ。
単純明快な大熊とは反対に、西田は冷静沈着。そして恐ろしく勘が鋭い。
大熊がうるさいので、俺は手元のケーキを差し出すことにした。
「じゃ、これやるよ」
「何だよ、この一口食べかけ状態は！おまけに大事なイチゴはないし！」
「甘いもの苦手なんだ」
その一言に、大熊はついに立ち上がって叫ぶ。
「じゃあ何でケーキ屋になんか誘ったんだよ！」
部活帰り、俺は二人をこのケーキ屋に誘った。
甘いものは苦手だが、お菓子作りは得意な俺は、ケーキ屋には滅多に入らない。
なのに、どうしてやってきたか、というと…。
「そりゃあ、原田が最近お気に入りの店だからだ、大熊」
あっさりと西田に答えられる。
その通り。
俺の作る菓子が一番だと言っていた美智こと原田美智子が、興奮気味においしいと言っているケーキが、ここのイチゴショートなのだ。
敵陣視察とばかりにやってきてはみたものの、確かに美智が騒ぐだけのことはある。
というか、正直うまい。
「ふーん。なるほどね。天下の光一も、原田さんにはメロメロなわけか」
「やけに嬉しそうだな、大熊」
「当然！お前の唯一と言っていい弱点だからな」
大熊はニコニコと笑ってから、ふと遠い目をして呟いた。
「でもいいよなぁ。あんなかわいい彼女、俺も欲しい。っていうか、彼女が欲しい」
うっとりする大熊を無視して、西田が俺に聞いてきた。
「その前にコウ、お前、原田と付き合ってるのかよ？」
ケーキの甘さを消そうと飲んだコーヒーを、俺は思わず吹き出しそうになる。
やっぱり西田。ただものじゃない。
だてにサッカー部の差し入れが、美智ではなく俺の手作りだとすぐに見抜いただけのことはある。
ただ一人、何も知らない大熊が、声を上げていた。
「うわ？西田何なの？その問題発言。
光一も何黙ってんだよ。
ってもしかして！
お前らつきあってるんじゃないのか？」
真実を聞かされた大熊は、コーヒーを一口飲んで呟いた。
「まさかつきあってないとはなぁ。
あ、ってことは、俺が原田とつきあってもいいわけ―」
「ないだろう」
そう言ってじろりと睨むと、大熊は慌てて口を閉じた。
それから仕切り直したように、息を吐きながらのらりくらりと話す。
「あーわかんねぇ。どうなってるんだよ。
告白もまだだとは思ってなかったぜ」
「好きだとは言った」
「けど？」
西田が鋭く突っ込む。
相変わらず鋭い奴。
俺は拗ねたようにカップを指ではじく。
「別に。それだけ」
呆れたように大熊が言った。
「それだけって、原田さんからお返事ないわけ？好きだとか嫌いだとか」
「ない」
あれから一年以上経つけれど、美智は何も言ってこない。
大熊が憐れんだ目で俺を見て言った。
「…もしかしてお前、嫌われてるんじゃないか？原田さんに」
そうは思ってないけど、男として見られてるかどうかは、実は不安だったりしていた。
つい最近まで。
黙り込んだ俺をフォローするためか、西田が大熊の頭を小突く。
「だったら、あんなに一緒にいないだろう。
天然だからな、原田。お前の告白、ちゃんと伝わってないんだろ。きっと」
さすが西田。
俺はため息交じりに答えた。
「プロポーズした。俺のとこに嫁に来ればいいって」
それを聞いた大熊が、声を荒げる。
「はい？プロポーズ？つきあってくれって言う前に？」
「で、返事は？」
だけどそんな大熊を無視して、西田が俺をまっすぐ見てそう聞いた。
あの海辺での会話。
美智がどうしてあんな風に言ってきたのかはわからない。
でも俺は思っていたことを、そのままに伝えた。
ちゃんと伝わっていれば、の話だけど。
「たぶん…OK」
「たぶんてね、光一君」
つっこみを入れる大熊をまたも無視して、西田がはっきりと答える。
「思うに、それも伝わってない」
西田にそう断言されると、本当にそう思えてきてしまう。
ため息をつくと、大熊がまた憐れんだ目で俺を見つめていた。
「お前って、結構苦労してるんだなあ。いいよ、イチゴくらい、やるやる。ほら、西田のもやるよ」
目の前に置かれた赤いイチゴを見ていると、西田が言った。
「お前はそれでいいわけ？」
「今のところは」
そう答えると、最後の一口を食べた大熊が、したり顔で言った。
「そんな余裕発言して、横から掠め取られてもしらないぜぇ」
掠め取られたとしても、絶対に取り戻す。
とりあえずは、美智の胃からだ。
そう思って作ってはみたものの。
ふぅ、と思わず大きなため息が出た。
腰に手を当て、睨みつける目の前にあるのは、失敗作のスポンジケーキ。
「どうして膨らまないんだ？」
今日食べたイチゴショートの味を俺なりにアレンジしようとしたのに、どうしてかスポンジがうまく膨らんでくれない。
指でつついてみても、固くて美味しいとは言えない代物だ。
これで、あのイチゴショートに勝てるわけがない。
もう一度ため息をつくと、廊下からお風呂上りの母が顔を出した。
「光一？どうしたの？またお菓子作り？」
「ああ。ちょっと」
ストレス解消にお菓子作りをするようになったのは、中学に入ってから。
基本的に材料は家にあるもので作るし、自分一人で片付けまでするからか、うちの両親はこのことについては何も言わない。
ただ、今が夜の十一時半ってことで、流石に驚いているようだ。
「もう少し明るいところで作りなさい。泥棒かと思ってびっくりしたわ。
それから、明日も朝練あるんでしょう？早く寝なさいね」
家族に迷惑を掛けないようにと、電気もあまりつけずにやったのが、逆に仇になったようだ。
「わかった。おやすみ」
そう答えると、母は寝室へと戻って行く。
俺以外の家族みんなが寝静まり、家はしんと静まり返っていた。
確かに、明日も朝練はある。放課後も。
今日中に必ず作らなきゃいけないってわけでもない。
ただ、美智は明日もあのケーキ屋に行くと言っていた。
その前に食べてもらって、やっぱり俺の作るケーキが一番だと言ってもらいたい。
「…やり直すか」
俺はそう呟くと、再び冷蔵庫を開けて、卵を取り出した。
結局気づいたら夜が明けていた。
結局スポンジは膨らまず、ケーキも作ることができなかった。
仕方なく、寝不足のまま学校に行く。
午前中は気合いで乗り過ごせたけど、午後は流石にキツかった。
そんな状態で部活をやっても、いいわけがない。
当然、監督から呼び出された。
「…寝不足か」
言いあてられて、すみませんと素直に謝ると、監督は腕組みをして言った。
「保健室でひと眠りしてこい」
「え」
顔を上げると、にやりと笑う監督が見えた。
「その代わり、グランド整備は一人でやれよ」
養護教師には、少し具合が悪いと言って横になると、すぐに眠気が襲って来て、俺は落ちた。
「…んちょうっ、委員長っ」
夢の中から、美智の声が聞こえた。
珍しく、大声をあげている。
どうしたんだろうと思ったところで、いきなりカーテンの開く音と、強い西日が顔を突き刺し、俺は思わず開けようとしていた目を閉じる。
唐突に、美智が叫んだ。
「お願い、死なないでっ」
驚いたのは当然。何より、俺はちゃんと呼吸もしていたし、心臓の鼓動も感じていた。
なのに美智は、俺に抱きつくと、そのまま大声で泣き出した。
これは…どういうことだ？
本当の美智は、かなり感情豊かだけれど、人見知りのせいか、こういう公共の場で泣いたり叫んだりはしない。
それなのに、ここまで派手にやってるってことは、それだけ気持ちが高ぶってるってこと。
…つまり、俺が本当に死ぬって思ってること。
そう思った瞬間、俺はサッカー部の面々を思い起こしていた。
だれかが、美智を騙したんだと。
こういうことをする野郎は、決まってる。
大熊だ。
さて困った、と思わずつきそうになったため息も、俺は慌てて吸い戻す。
どう美智に真実を告げればいいのだろう。
下手に言って、怒りの矛先を俺に向けられても、正直困る。
ああ見えて美智は、怒ると誰よりも怖い。
ため息すらつけない状況で、美智が唐突に叫んだ。
「大事なこと、わたしまだちゃんと伝えてないっ。
委員長のこと、大好きだって。まだ伝えてないよっ」
この状況も忘れて、俺は思わず目を開けて答えた。
「俺も」
言うなれば、条件反射。
すると、泣き声が止まり、へ？と間抜けな美智の声が聞こえてきた。
俺はなるべく自然に、大きく伸びをして言う。
「あーよく寝た」
そうしてぽかんとしている美智の前で俺は体を起こすと、大きな欠伸をした後で、独り言のように呟いた。
「やっぱり睡眠は大事なんだな。一日ほとんど寝てないと、流石に体がもたない」
にっこりと笑いかけてみたが、それでも美智は状況がまだ把握できていないらしい。
そして、呟いた。
「…倒れたんじゃないの？」
真剣な美智の表情に、少しだけ様子を見ていた自分が悪いように思えて、俺は正直に答える。
「倒れたというか、寝不足で、ふらついて、監督に練習休めって言われた」
嘘、と小さく美智が言う。
ごめん、と答えると、涙が一滴美智の頬を流れた。
自分が傷つけてしまったように感じて、ごめんともう一度謝ろうとすると、突然「あ」と美智が声を上げる。
そして、その顔がみるみる赤くなっていく。
どうやら、保健室に駆け込んできてからのことを思い出したらしい。
俺から顔を背けると、美智はいきなり立ち上がって、保健室を出て行こうとした。
そうはいかない。
俺は慌てて美智の手を掴む。
恥ずかしがりやな美智は、自分の気持ちをあまり口にしない。
だから今日みたいなことは、きっとおそらくこの先もあまり起きないだろうし、
それに何よりいい機会だと思った。
つまり、美智に俺のことをちゃんと自覚してもらうために。
小さな手が震えていた。握りつぶさないように、でもすり抜けられないように、もう一度強く掴んで、俺は答えた。
「ちゃんと伝わってるよ、美智の気持ち。
口にしなくても。
俺も、同じ。
美智に大事なこと、伝えてないままで、死ねない」
驚いたように美智が振り返る。その目は大きく見開かれている。
本当に、驚いたって顔。
可愛いなと思いながら、俺は丁寧に言葉を紡いだ。
「好きだ、美智のこと」
ゆっくりと、美智の焦点が俺に定まる。そして、決心したように口を開く。
「…委員長、わたしも―」
「俺はもう委員長じゃないって」
話しだした口を途中で閉ざされ、美智の表情がこわばるのがわかった。
強く言いすぎたかもしれない。美智は自分が否定されることを怖がるから。
そういうことじゃない。
それに、俺は美智を否定したりなんかしない。
信じてくれと手を握りしめると、美智は大きく深呼吸をして、再び口を開いた。
「…コウくんが、す―」
「ちょっと待った」
俺は目を閉じると、深いため息とともにカーテンの向こうに揺れた二つの影に声をかけた。
「大熊、西田。お前らいい加減にしろ」
少しして、カーテンが開いた。
思った通り、そこには無表情の西田と、にやけた顔の大熊がいる。
「何だよ、いいところなのにさ」
「今は練習中だろう？さっさとグランドに戻れ」
冷たく言うと、大熊はここぞとばかりに言い返した。
「お前だってひと眠りしたら練習に戻れって監督に言われてたじゃんか」
その言葉に、美智の肩がぴくんと動く。
「…大熊君？」
美智のその声に、大熊は顔の前で両手を合わせて謝った。
「あ、ごめん。原田さん。
さっきはちょっと大げさに言いすぎちゃって。
ただの寝不足らしくてさ、練習中にこいつ監督に怒られたんだよ。
それで―」
だけども、大熊が言い終わる前に、美智は俺の手からすり抜けると、保健室を出て行ってしまった。
「あ、美智―」
そう呼びとめてはみたものの、美智は振り返りもせず、ドアを閉める。
意地悪しすぎたかな。
俺は少し反省した。
でもそれは、なかなか美智が本心を口にしないから。
珍しくぽろっと言ったから、無理やり聞きたいセリフを聞き出そうとしただけで。
でも、きっと美智にとっては俺が思っている何倍も勇気のいることだったのかもしれない。
悪かったな、と小さくため息をつくと、大熊が心配そうに俺に聞いてきた。
「もしかして原田さん、怒った？」
なるほど大熊はそう思ったわけか。
それは違うと答えようとしたところで、思えば俺が聞きたかったセリフは結局大熊達のおかげで聞けなかったのだと気づいた俺は、わざとこう答えた。
「当たり前だろう。知らないぞ、美智は怒ると怖いから」
するとさっと大熊の表情が青ざめる。
「嘘だろう？え、どうしよう。俺」
そんな大熊に、西田が冷静に答える。
「どうしようもねぇよ」
言われた大熊はさらに困った表情で西田に言う。
「西田ぁ。お前だって、楽しそうにしてたじゃんかよぅ」
「でも原田に嘘ついたのはお前だろう？」
「そんなぁ。助けてくれよ、コウゥ、西田ぁ」
縋りつく大熊を無視して、俺はベッドから降りると、
「さてと練習に戻るか」
とグランドに向かった。
「美味しい！」
目の前に広がる美智の笑顔を見て、俺は心の中でガッツポーズを作る。
「ほんと、コウくんが作るケーキって、一番おいしいよね」
「あそこのイチゴショートよりも？」
「もちろん！」
その言葉に、俺はにやりと笑う。
俺は我儘だから。
昨日の美智の気持ちを聞いて、美智の全てを俺のものにしたいと思った。
気持ちが俺にあるのならば、取り戻すべきは胃袋だ。
部活の帰りに材料を買って作ってみると、今度はちゃんとスポンジが膨らんだ。
前の日に膨らまなかったのは、実はキッチンスケールの目盛がずれていたからで、きちんとレシピ通りに測ったら、なんてことなくスポンジが膨らんだ。
菓子作りは細かくて、それぞれの量が少しでも多かったり、少なかったりするだけで、うまく膨らまなかったりするのだ。
「お菓子ってのは、女の子と一緒で、繊細なのよ。それに、甘くて、可愛らしい」
姉がそう言っていたことをふと思い出す。
目の前で頬にクリームをつけながらも、幸せそうにケーキを食べている美智を見ていると、確かにとそう思った。
「ん？どうしたの？コウくん」
俺の視線に気づいた美智が、手を止めてそう言った。
くすりと笑って俺は手を伸ばし、美智の頬のクリームを手で取りながら、美智に言う。
「昨日の続き、話そうか」